まだ少年は何も知らない ●
こがねが丘高校。
スポーツに力を入れているそこは、他の学校ではあまり見かけない部活がチラホラある。キックボクシングとかレスリングとか相撲とか。
フルコンタクト系格闘技の男子同士でつるむようになったのはいつからだったか。昼休み、柔道場の畳の上でダラダラ寝そべったりマットで取っ組み合って遊んだりするのが、閃のいつもの日常だった。
そうして今は、レスリング部の友人が寝転がってスマホのパズル系ソシャゲをポチポチしているのを、閃は横に寝そべって覗いている。近くでは柔道部と相撲部がそれぞれジャンプを読んだり昼寝したり好きなことをしていた。
「あのさぁ」
スタミナ切れでアプリを閉じたレスリング部が、スマホをしまいながら座り直す。
「俺らさぁ……車、持ち上げられるんじゃね?」
おもむろな、そして唐突な一言。仰向けにごろんと寝そべった閃は友人を見上げた。
「車……って何キロぐらいあるの?」
「知らんけど」レスリング部は顎を擦った。「なんかさぁ……俺らイケる気がするんだよね」
「四人か……四人ならいけるな……」
興味を示した柔道部がジャンプを閉じる。その目は根拠のない自信に満ちている。
「やるか」
寝ていたはずの相撲部がカッと目を開く。
男子達が立ち上がった。青春の力(もとい持て余した筋力)に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべながら。
「閃も来いよ、三人だとバランス悪ぃし」
「うん!」
続く閃もまた、目をキラキラと輝かせていた。「大丈夫なの?」とか「叱られるよ」とか、不思議なことにそんな考えは全く閃の頭には存在していなかった。これは全く以て青春という狂気だった。
●
「――で、どの車でやるのさ?」
駐車場へ駆け足で向かいつつ。閃の質問に、発起人たるレスリング部が「そうだな……」と見えてきた目的地に目を細めた。
「折角ならベンツだろベンツ、メルセデス・ベンツだろ」
柔道部がちょっと旧いベンツへニマニマしながら駆け寄った。
「これ校長のじゃね?」
「いいじゃんいいじゃん」
「俺こっち持つわ」
ちなみに……相撲部は言わずもがなだが、柔道部もレスリング部も中重量級のかなり逞しい益荒男どもだ。彼らの丸太のような腕が車を掴む。そこに加わる閃は決して小兵ではない(どころか筋骨隆々)なのだが、一回り小さく見えた。そして口数も少ないが、明らかに雰囲気がワクワクしていた。
「持った?」
「持った持った」
「いくぞ……せーの」
ぬ゙お゙おぉ゙おお゙お゙お゙お゙――男共の野太い力み声。車が……メルセデス・ベンツが……ちょっと浮いた。
「浮いた浮いた浮いた浮いた!」
「すげ! ヤバ」
「これどうする」
「前後逆にしねえ」
「ヤバ〜〜〜〜 やろ」
「そっち下がって下がって」
「回るぞ!」
「重! キッツ〜〜〜!」
「あとちょいだから!」
「きついってきついって!」
「下ろすぞ〜! せーの」
ずし……と車は無事に下ろされた。前向き駐車が後ろ向き駐車になって。
「やったな」
「フフ……」
「できるもんだな」
「ね」
手をパンパンとはたきつつ、車を取り囲む男子達はニヤリと満足気に笑った。友情が、また一つ深まった気がした。グータッチ。いえーい。
――その後、当然ながら教師からこっぴどく叱られたのは言うまでもない。放課後、職員室から叱られてしおしお顔のパワータイプ男子四人が出てくることになるのは、もう少し先のお話。
これは風早閃の、まだ何も知らない少年の、なんの憂いもない幸せな日常のひとひら。
『了』