愚か者の歩みなれども、この脚で ●
「閃くん……やりすぎないようにって言ったよね」
「あの……でも……事前に、多少しっかりめの負傷をするかもとはお伝えを……」
「骨のヒビは多少じゃないよね……?」
「はい……」
こがねが丘支部、医務室。
医療担当の職員が用いる治癒の霧に包まれつつ……ベッドの上の閃は気まずげに目を逸らした。
トウジとの回避訓練が終わった閃は――支部内の風呂場で寝落ち(もとい気絶し)かけていたところを発見された。全身に凍傷と裂傷と打撲、呼吸器官も冷気にやられ、極めつけに肋骨にヒビまでこさえていた。なお風呂場で発見されたのは、低体温症でフラフラになっていたからである。
ともあれ、今はこうして無事に治療され――痕にもならず、傷は全て拭われた。
「傷は治ったけど、負傷による消耗や疲労までは消えてないからね、しばらくは安静にすること」
「……」
「閃くん? ……ひか……寝てる……」
●
数時間ほど眠ってしまった。でもそのおかげで、すっかり元気になった。
目覚めたらもう夜になっていて……ダイナーのまかないを頂いてから、閃はトレーニングルームに戻っていた。
明かりをつけた部屋は、モルフェウスの職員によってすっかり修理されている。回避訓練の時――トウジが空調を破壊してこの部屋を氷で閉ざして、ここを呼吸するだけで体力を奪うような氷獄に変えていたことを、閃は思い出す。
(凄かったなぁ……)
氷を滑り、低温を繰り。今も目を閉じれば思い浮かぶ、氷の刃に蹴りに拳。攻撃自体は荒々しいのだが、その技巧は容赦がない。競技ではなくひたすら『実戦』の中で磨き抜かれた戦い方なのだろう。応用や対応の幅が広く即座で……一言で言うと「喧嘩が上手い」。
(よかったぁ、この支部に碓氷先輩が居て……)
彼がいなければ、きっとオーヴァードとしての白兵技術を磨くことは難しかったろう。閃は目を閉じたまま――ほとんど無意識の中で、脳内で再現するトウジの攻撃と相対する。まだ今日の内だから記憶は鮮明だった。だから今の内に復習と反省と、反復練習をしておきたかった。
――一人きりの部屋の中、ジャージから覗く黄金の足が、きらきら光る。こがねの残光を曳く。
(……楽しかったなぁ……)
再現の中の刃を風のように掻い潜りながら、閃は特訓のあのひとときに浸る。
本当なら自分も攻撃をしたかった。本気で戦い合えたら、きっともっと楽しかったろうに。先輩にそんな闘争衝動をぶつけたら、辟易されてしまうようなのでずっと我慢していたが……今は、ここには、誰も居ないから。ノイマンの力で生み出した『シャドー』に蹴りを繰り出す。たとえばあの時、たとえばあの時、たとえばあの時……カウンターをしたい踏み込みたいと思っていた幾つもの『あの時』を一つずつ昇華していく。
「はぁっ――」
楽しかったなぁ……
「ふふ」
本気で『挑める』、めちゃくちゃ強い人がいるのって嬉しいなぁ……
「ふふふ!」
まだまだもっと強くなって、もっともっと戦いができるの、最高だなぁ……
「はは! あははははーっ!」
……そうやって、存分に闘争の甘美に浸っていると。
「おい閃、もう夜も遅いし帰――」
トレーニングルームのドアを開けた黄連支部長に、思いっきりその場面を目撃されて。
「……なに一人で笑っとるんだ貴様……」
「 」
それはたとえば、お母さんがノックせず急に部屋に入ってきちゃって見られたくない恥ずかしいものをガッツリ見られた時のあのアレと近しい。
とはいえ。
閃が特訓の中で、『蝙蝠の耳』と呼ばれる簡易異能と、『リフレックス』という異能を得たのは事実である。
回避訓練で閃がボロボロになったことに黄連は額を押さえたが、得たものの大きさについては、溜め息を吐きながらも肯定的な眼差しを向けていた。
……ダイナーを後にする閃は、支部へと振り返る。この支部には大恩がある。強くなることで、その恩を一つずつ返していこう。おまえはゼロではないのだと教えてくれた、大切な人達の為に。
「――、」
短く深呼吸。靴と靴下とズボンとで隠した黄金の脚で――愚か者と称される『クズ石』なれども――閃は自宅へと歩き出す。
『了』