こがねが丘の或る日常●2番、雨宿り
こがねが丘には金山の跡地があり、町外れには旧坑道が幾つか残っている。中央部の繁華エリアとは打って変わって――蝉のさんざめく山の中、山間の道路に『いつもの車』を停めて、トウジと閃は旧坑道を覗き込んでいた。
――旧坑道にオバケが出る、らしい。
これだけならオカルトなのだが、UGNの見解としてはジャームの可能性もあり……調査の為に派遣されたのがトウジと閃だった。
「……へえ。これがオバケ、ねえ」
トウジの靴先がつついたのは、旧坑道の入口ほどなくに『いい感じに』設置された、朽ちたマネキンで。真っ白の無貌は……なるほど、真夜中の遠巻きに見ればギョッとするかもしれない。
「ジャーム……でも、ありませんね」
警戒を解いた閃が溜息を吐いた。こんなところにわざわざマネキンを転がしておくなんて……「おそらく誰ぞのイタズラでしょうね」とシャツの半袖で汗を拭う。
とはいえ放置しておくと徒に噂が広がって、その噂が『受肉』しかねない。「撤去しておきましょう」と閃がマネキンを持ち上げた。
その時である。
ばらばらばらばら――唐突に大粒の雨が降りはじめてきたではないか。
で、アイス販売車に駆け込みまして。
急いでマネキンも後ろに放り込みまして。
夏の路上駐車をしていた車は蒸し暑いのでクーラーをかけまして。
支部への道を、見た目はポップな車が走り出す。
「うわー……すごい雨ですね」
懸命にワイパーが往復するフロントガラス。ハンカチで肌上の汗と雨を拭く閃が呟く。
「もう少し早く来るんだったな」
トウジの長い指先がラジオをかけた。天気情報を流している局に切り替えると、少し音量を上げる。
「すいません、碓氷先輩の車があって助かりました」
どうやらこれはにわか雨らしい。情報にほっとしつつ、閃はハンカチをしまった。車の中は涼しい。外はちょっと動くだけで汗だくになるほどだが。
「サラマンダーシンドロームは暑い寒いが平気でいいですね……」
横目に見やる先輩は、汗一つかいていない文字通り『涼しい顔』だ。
「なら、ノイマンシンドロームらしく凉しくなる方法でも考えたらどうだ?」
そう言われたので、閃は寸の間の後、よどみない動作で車内エアコンの設定温度を最低まで下げた。一瞬だけ、トウジの目がサングラスの奥からエアコンを操作する閃の指を見る。だが何も言わないのは、『ガキのイタズラ』に付き合う気などないからだ。
そうしている内に閃はスマホを取り出すと、支部へ手短に報告を始めた。
「――はい。ただのマネキンでした。民間人のイタズラかと……。一応、マネキンは撤去しておきましたので。はい。このまま帰還します」
通話終了。束の間の沈黙。景色は山道から街の風景へ。雨脚は変わらない。その頃、ラジオは歌を流し始めた。日本のロックバンドの、閃が生まれるより前に生まれた曲だった。哀愁漂う男性ボーカル、大雨が車を叩く伴奏。
「それにしても……幽霊の正体見たりとありますが、ただのマネキンだったとは……」
「幽霊騒動なんて普通はそんなもんだ」
「……枯れ尾花と見間違えるほどですもんね」
こがねが丘高校の前を通り過ぎていく。灰色の雨の中、今日は水曜日、にわか雨に運動部の姿はない。カーブミラーの鏡面を、アイス販売車が横切っていく。それを見て、閃はふと先輩へ疑問をなげかけてみた。
「碓氷先輩、どうしてアイス売りを? アイスがお好き……という感じでもないですが」
「死体を積んでても、外からバレないだろ?」
冗談っぽく、トウジの手がハンドルを軽く叩いた。「死体、ですか」と閃は後ろに積まれたマネキンをちらと見る。御覧の通り『幽霊』なら積まれているが、確かに、外からバレることはなさそうだ。くすりと笑った。
――支部に着いた頃に、通り雨は上がっていた。
「もしかしたら虹が見れるかもしれませんね」
子供っぽいことを言って笑いかけつつ、少年はシートベルトを外した。対する大人は、雲が散っていく空を一瞥もせず、車から降りるのであった。
『了』
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●3番、ちょっと苦戦した戦闘後
三条の稲光がジャームを貫く。
とうとう、異形がどっと倒れ伏した。
「やっと……終わりましたね……!」
疲れ切った声で、康平はランチャーを下ろした。
こがねが丘にはちょくちょく、再開発から取りこぼされた廃墟が点在している。バブル期の遺産だったり、約20年前のレネゲイド拡散事件による世界的動乱の結果であったり……。
とかく、そういう場所はジャームやFHなど、よからぬ連中の根城になりやすく――本日、康平と閃が踏み込んだその廃墟ビルもまた、ジャームの住処となっていた。
そいつはずんぐりとした、バスケットボールぐらいの大きさのジャームだった。虫と獣の中間のような見た目をしたそれは――とても弱かった。が。数が、多かった。倒しても倒しても現れてくるので、ノイマン二人は「妙だ」と感じはじめて。
そうしてその知能を合わせて――三人寄れば文殊だが、ノイマン二人が寄ればアカシックレコードだ――判明したのは、件のジャームは分裂し増殖するタイプらしく、『コア』となる個体を倒さねばこの増殖は終わらない、ということだった。
――その『コア』である個体を倒し終えたのが、たった今。
「お疲れ様でした、閃さん!」
「どうにか、なりましたね、……お疲れ様でした、重里先輩」
流石の閃も膝に手を突き、息を弾ませていた。汗びっしょりで顎先から滴っている。一方、機械である康平には発汗機能はないが、それでも『消耗』をありありと感じていた。
――二人して、廃墟の冷たいコンクリートの床に座り込む。
大きな負傷こそないものの、かすり傷がそこかしこにあった。なによりこの長丁場でヘロヘロだ。報告や帰還は、少し休憩してからにしよう……。
「シンデレラなら魔法が解けてるよ……」
スマホの時計を見て、呼吸を整える閃がちょっと冗句めいて独り言つ。夕方から始まった戦いの決着は、もう0時を回っていた。
「シンデレラとは?」
ヒューマンズネイバーによって人間の姿になりつつ、座り込んでいる康平はかたわらの閃を見る。黄金の足を投げ出し座っている少年が、手の甲で汗を拭いつつ目線を返す。
「ああ、童話の一つですよ。むかしむかしあるところに――」
かくかくしかじか。語られる童話の概要に、康平はじっと耳を傾けていた。途中、カボチャが馬車になるくだりで「う~ん、モルフェウスシンドローム……あるいはブラム=ストーカーの【血の彫像】でしょうか……?」など真剣に考察していたので、「もしかしたらそうかもしれませんね」と閃はくすりと笑った。
そうして話を聞き終わり。しみじみ、康平は頷いた。
「魔法が解けても、シンデレラさんは幸せになれたんですね」
人間が元気で幸せでよかった。胸を撫で下ろす。最初に閃の呟きを聞いた時、魔法なるものが解けたら深刻で大変な事態になってしまうのだろうかと危惧していたのだ。
レネゲイドビーイングの無垢な感想に、人間は微笑む。そうこうしている内に呼吸も整っていた。
「さてと」
閃がゆっくり立ち上がった。前髪を戻し、持ってきた鞄から予備の靴とズボンを取り出しつつ、耳を澄ませ音を拾う。辺りから不穏な音はもうしない。夜風が無人の廃墟を吹き抜けていくだけだ。
「――うん、取りこぼしも居ないみたいです。……帰りましょうか、重里先輩もお疲れでしょう」
「そうですね、バッテリー切れ前に完了して良かったです」
苦笑気味に返しつつ、康平も冷たいコンクリートから立ち上がる。予備の携帯バッテリーは一応所持しているが、それを使う前に事を成せてよかった。
――廃墟のビルを後にする。
こんな時間でもまだ眩い繁華エリアへと歩き出す。
二人分の足音。遠く、車の音。月も大分と傾いている。
「……僕、ちょっと強くなったでしょう?」
そんな折だった。ふと閃が含み笑う声音で言う。少し得意げな眼差しが康平へ向けられている。あれだけの長い戦いで、閃の体に傷らしい傷はない。彼の回避技術はますます研ぎ澄まされていた。一度も康平に庇わせることはなかった。
「はい 以前よりも格段に回避の精度が上がっていました! 特訓の成果ですね!」
康平は声を明るく弾ませた。少しずつ人の機微が分かりはじめている康平には、目の前の子供が「褒めて」と甘えているのが分かっていた。そして、褒めてもらえることが嬉しくて励みになることもまた、知っていた。
そうやって笑顔を返す康平もまた、自分の損傷が閃の悲しみだと認識しているがゆえ、前よりも防御機能を向上させていた。
「僕、これからも頑張りますね」
「はい! 一緒に頑張りましょう! 閃さん!」
互いの為に強くなった二人は、無邪気に笑い合う。
『了』
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●4番、UGN任務でえらいひとと会う
神城グループ伝手で、歴史や考古学に詳しいイリーガルと会合する機会を得た。
そのイリーガルは有名な学者で、オーヴァード(当然ながらノイマン)であり、非常に知識人、なのだが、なかなか気難しく……些か偏屈で……ちょっと……厄介な御仁であるらしい。
とはいえ、こがねが丘は調査すべきことが山積みのエリアである。彼の協力が得られれば、調査に関してはとても心強い。ゆえに支部長と秘書で、彼の力が得られないか交渉の場へと赴くこととなったのである。
「……本当に学生服で大丈夫ですか?」
心配げに閃が問う。言葉通りいつもの学生服、一張羅。子供相手だと軽んじられないか、スーツを着て大人に見せかけた方が、という少年の提案に対し「いつも通りでいい」と返したのは黄連だ。
「ああいう手合いは、付け焼刃のハッタリの方が機嫌を損ねるだろうよ。常通りのわし達を見せれば良い」
「そうですか、……分かりました」
緊張していないと言えば嘘になる。しかし競技選手として長い間やってきた閃は、緊張というモノにことさら強かった。一呼吸分の後にはもう、凛とした眼差しをしている。秘書として、支部長の荷物になる訳にはいかないのだ。
うむ。秘書の様子に支部長は微笑み、ディメンションゲート持ちの職員へ目線を送った。職員は頷くと、次元の扉を作り出す。それは会合場所である喫茶店(UGNの息がかかっている店)へと通じていた。
●
現れた二人がどちらも子供で――しかし、交渉相手が驚く様子はなかった。レネゲイドの世界に長くいれば、見た目というものがいかに虚像であるかを思い知る機会などごまんとある。それに未成年が支部長をやっている例も――慢性的な人手不足であるがゆえに――少なくはない。
兎角、「子供相手にやってられん」という御仁でなくてよかった、と閃は思いつつ席に着いた。横目に見る黄連は、こういう場には慣れているようで、緊張もへりくだりもなく、全くいつも通りの『菊葉黄連』のまま、「UGNこがねが丘支部支部長、菊葉黄連だ」と幼い声には不釣り合いなほどの流暢さで挨拶をした。
「さて、茶を飲みに来たのではないことは双方承知のことだろう。前置きや世間話は飛ばして、本題から始めようか」
黄連は理路整然と事実に基づいて交渉することが得意だ。研究者だったこともあって、数式を語るように話を進める。
その最中、閃は交渉相手をじっと見る。ノイマンのプロファイリングと呼ばれる異能を用いて、相手の人となりを探る。蝙蝠の耳と呼ばれるハヌマーンの異能を用いて、心音を探る。どういう交渉術がより有効なのか、どういう言葉が良いのか、何に関心を示すのか――そうして探った情報を、『黄連だけに聞こえる音』にして届ける。口を動かす必要はない。それを武器に、黄連は引き続き交渉を進めていくのだ。
――かくして、交渉はスムーズに進んだ。
交渉も済んだので、今はコーヒーと紅茶と共に世間話の時間だ。
黄連は見た目こそ子供だが、実年齢は交渉相手とそう変わりない。かつ研究者だったことも相まって、大人達は専門的な話題で盛り上がり始めた。
こうなっては、いかに閃がノイマンでも、知らないことでは話はできない。大人二人の談笑に耳を傾けつつ、ミルクを入れた紅茶を飲む。傍らにはシフォンケーキがある。「何か食べるか」「この店はシフォンケーキが美味い」「だそうだ」「少年、食べなさい」とあれよあれよと大人達が頼んでしまった一品だ。
(僕だけケーキ食べていいのかなあ……)
そう思いつつ、ふわふわのシフォンケーキを頬張る。整った品のいい所作。閃は知らないことだが、『所作が綺麗な御上品な子』が居るのは、こういう場においてなかなか受けが良かった。特にインテリや上流階級の相手には。
そしてこれも閃は知らないことであり余談なのだが、一定以上の年齢の大人にとって、あどけない子供がおいしそ~にモグモグ食べる姿というのは、なかなか、心が癒される光景なのである。
とまあ、上記の理由から黄連が閃を秘書にした訳ではないが……しかしながら、いい人材を秘書にできたものだな、と支部長はミルクティーを飲むのであった。
『了』