需要と供給の一致 ●
営業が終わったダイナーの厨房から、ガチャ、カチャ、と調理の音が聞こえてくる。黄連を探す為に研ぎ澄ませた閃の耳に、その音はいつもよりも荒っぽく聞こえた。
「……黄連支部長?」
そっと顔を覗かせると、小さな後ろ姿が見える。足場に乗って、何やらブツクサ言っているが、言葉はフライパンを揺する音に掻き消される。
視線をずらせば、台の上にビュッフェもかくやと品々が並んでいた。今から宴会などの予定はなかったハズ。ましてや新メニュー開発にも見えなくて。
「ああ」、と閃は察した。この上司、時たま――激しく疲労した時やストレスを感じた時に、こうして大量の食事を作るのである。本人が自棄食いをする為ではない。ただただ、作りまくるのである。
(ここのところ……連日でジャーム対応に出動したり、厄介な会議が続いたからなぁ……)
と、大皿に海老入り炒飯を盛り付ける黄連が閃に気付いた。どこかやつれた疲労の顔、疲れたせいでストレスもにじんでいる表情。しかしストレスの矛先を閃に向けることはなかった。
「……いただいても?」
閃が尋ねると、黄連は「好きにしろ」と炒飯を盛り付け終えた。数学的美を感じるほど綺麗な半円だ。そしてデカい。
閃は店内から椅子を一つ持ってきた。それからカトラリーも。この品々を全て運ぶのは大変そうだから、ここで食べる方がよさそうだった。
「いただきます」
きちんと手を合わせる。何から食べようか、あらゆるものがある。とりあえず、折角なので、できたて炒飯からいただくことにした。レンゲですくって、ほこほこ湯気の立ち上る炒飯を一口――
「……おいしい!」
思わず感想が衝いて出た。閃は黄連の手料理が好きだ。よく彼が「わしが作る方が美味いな」と言う通り、どれもこれも妥協のないクオリティなのである。
おいしいから、閃は嬉しそうにもぐもぐ食べる。相変わらず大盛りをがっつくことはせず所作が綺麗だが、成長期相応に食べる速度は早い。
「美味いか、そうだろう、なんせわしが作ったんだからな」――とは、黄連の心に余裕がある状況だったなら出ていた言葉だろう。次の一品を作りつつ、黄連は閃を横目に見る。作り手として、丁寧に、嬉しそうに、美味しそうに、残さず食べてくれるのは、心地良い。閃の上機嫌な頬張り顔に、小さく含み笑った。
トウジは人前で食べたがらないし、康平は機械由来のレネゲイドビーイングであるがゆえ飲食が不要かつ食べられる量も少ない。他の支部メンツ支部も……肉体派や体育会系はいないし、皆それなりの大人なので、言わずもがな。つまりこの支部で健啖家は閃だけで。
閃が来る前、黄連のこの『発作』が出た時は大変だった。冷蔵し、支部の皆で分け合い、持ち帰り、どうにかこうにか食べきっていたものだ。我に返った黄連自身も「どうしたものかなこれは」と冷静の中で虚無になっていたものである。
(閃が来てから……うちは少し変わったな)
小さな手で包丁を扱いながら、刻まれていく野菜を見下ろし、黄連はしみじみと感じる。
唯一の未成年、貴重な戦闘員、居なかった体育会系、隔たりのなく懐っこい少年。子供だからこそ、大人が引く一線というものを簡単に踏み越えてくる。ハイティーンだから頼もしいところもありつつも、危なっかしいところも多々あって。
……大人だけだとどこか他人行儀に、ビジネスだけの付き合いになりがちで、心を明かすことなんかほとんどないけれど。子供の閃が、なんだか皆を繋いで、一歩ずつ歩み寄らせてくれたような気がする。支部の空気が明るく柔らかくなった気がする。あのトウジへも物怖じせず構いに行き、無垢すぎる康平の手を引いて、他の職員にもかわいがられ、そして……
――「黄連支部長!」
屈託のない笑顔。駆けてくる弾むような足取り。信頼と敬愛の眼差し。大人をまっさらに頼る、自信にあふれた、優しくて柔らかな、愛された子供の目。きらきらした目。
才と愛で輝く彼の煌めきは――男には、少し、眩しい。
そして閃はきっと、そんな劣等感を知ることはない。支部間交流戦でたまに向けられる、嫉妬や羨望にすら気付かない子だ。ただ在るだけで、その輝きで周りの明かりを掻き消してしまう、無垢で残酷な一等星なのだから……。
「……支部長、黄連支部長」
閃の声に気付いて、ハヤシライスを作る途中だった黄連は顔を上げた。
「む。どうした閃」
「折角ですし、支部の皆さんを呼んでも大丈夫ですか?」
流石の閃も、この量は食べきれないようだ。それでもかなり食べているし、今も山のような唐揚げをモリモリ食べている。
「いいぞ」と支部長が頷けば、少年は大気を震わせ彼方からの声によって仲間達に呼びかける。何人か来るようだ。となったら、品々はホールのテーブルへ運んだ方が良さそうだ。閃は大皿を軽々と持ち上げる。ダイナーのバイトで培った技術だ。
「あぁそれから……黄連支部長? 満足されたら、一度、仮眠でもいいので休憩してくださいね。その間の業務は、僕がなんとかしておきますから」
「……あぁ、分かった分かった……」
拒否をしたら食い下がられるのが目に見えたので、黄連は溜息混じりに頷いた。
やがてダイナーのテーブルは賑わいに囲まれる。閃と職員達が、楽しげに談笑をしながら、大盛りの料理を分け合っていく。
数人がかりでもなお食べきれない分はタッパーに詰めて、閃の明日のごはんになったり、支部の面々の食事になったり、大切に完食されることだろう。
ちなみに黄連はというと――
最後の一品を作り終えた瞬間、電池が切れたので、閃が仮眠室へと運んでおいた。
『了』