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    カナト

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    カナト

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    せっかくマデッサマーケットなので

    一期一会 アストルティアには、時々ふわふわと宙に浮かぶ巨大な絵画が現れることがある。
     額縁に入ったそれは、言語を介し、旅人を未知なる世界へと誘うのだ。
     そんな世界に、一人の少女が迷い込んでいた。
     もとより普段から未知なる世界に飛び込む、無謀ともいえる旅路を歩んでいる少女は、躊躇いもなく絵画の世界へと誘われたのである。
     眩い光が収まって、やって来たのはどこか色褪せた色彩の草原だった。
     陽光は柔らかいというよりもどこか弱々しく、背の低い草が風に揺れてザザと音を立てている。
     生き物の気配はない。それは、ここが絵画の中だからだろうか。
     まるで浮島のように隔絶された孤島。奥に見えるのは台座のようで、その上にはここに来た時とおなじ、巨大な絵画が浮いていた。
    「……っ」
     その台座の手前にいるはずのない人物を見かけて、少女は息を呑んだ。
     そこにいたのは一人の男だ。括られた栗色の髪が緩く風に揺れている。
    「ああ、きみにはもう一度会いたいと思っていた」
     虚空を見ていた空色の瞳が少女をうつす。優しい光を灯したそれは、悲しい程に彼の妹によく似ていた。
    「不思議なものだね。肉体はとうに滅んでいるというのに」
     柔らかく眇られた瞳は、溢れんばかりの愛おしさを秘めている。
    「トーマ……兄さま……」
    「そんな顔をしないでおくれよ。私はきみに会えたことを幸運だと思っているのだから」
     顔を歪めた少女に、男、トーマは苦笑した。
     彼の人生は偽りのものだった。本人がそう望んで歩んだ道だが、それは優しすぎる嘘だった。
     勇者の家系に生まれたトーマは勇者ではなかった。だが、彼の妹に勇者の才覚があることが分かったのだ。
     勇者となれば魔物たちから命を狙われる。勇者は、大魔王を討てる唯一の存在だから。
     トーマは幼い妹を守るために、自らを勇者と偽った。そうして、妹を庇って死んだのだ。
     優しく微笑む男は、その見た目通りに優しすぎた。最期まで、その命と肉体を妹の為に使ったのだ。
    「私はね、あの子のことが心配だったんだ。何をするにも私の後をついてまわってね」
     「それが可愛かったんだけどね」と呟きながら、懐かしむように遠くを見つめる瞳は、在りし日の姿を映しているのだろう。
     妹の為に生き、妹の為に死んだ男。
     肉体さえも残らず、死者を冒涜するように操られていた王子。
    「そんなあの子が、勇者という重い役目を背負って生きていけるだろうか、ずっと不安だった」
     勇者はアストルティアに住まう人々の希望だ。剣を取り、先陣を切って真っ先に戦いのさなかに飛び込んでいかなければいけない。
     それは勇者でもない少女にも言えたことだが、少女の場合は巻き込まれ体質が災いしているとしか言いようがなかった。
    「だが、君のとなりで力強く微笑むあの子を見て……私の胸は安堵で満たされたんだ」
     「どうかこれからもあの子を支えてやって欲しい」そう言うトーマはどれ程無念だろうか。
     ずっとそばに居たかっただろう。その姿を誰よりも近くで誇らしく見ていたかっただろう。
     勇者というのは、栄光溢れる未来があるわけではない。千年前の勇者、アルヴァンは、不死の大魔王ネロドスを討伐したが、邪法によって穢れてしまった。
    「トーマ兄さま……」
     空気に溶けて消えてしまうような少女の声は、隠しきれない悲哀が込められていた。
     少女はたくさんの悲劇を実際にその目で見てきたのだ。アルヴァンの最期も、トーマの最期も。
    「ふふ、きみに“兄さま”なんて呼ばれたら、シドーに嫉妬されてしまうね」
    「兄を、知っているんですか?」
     トーマからもたらされた名前に、少女は大きく目を見開いた。
    「さて、どこから話したらいいのかな」
     困ったように微笑みながら、トーマは少女にとある昔話を語り出した。

     *

     まだトーマが勇者の影武者をやっていた頃、トーマは人間たちの希望として、戦場に向かうことが多かった。
     バルコニーから顔を覗かせた妹、アンルシアに見送られながら、馬に乗って混戦となった戦場に終止符を打ちに行くのだ。
     トーマは勇者ではない。けれど、身代わりをするにあたって、鍛錬に手を抜くことはなく、そこらの一兵卒とは比べ物にならないほどの強さを誇っていた。
     トーマを勇者と疑わないアンルシアは、トーマを支えるのだと盟友に憧れ、同じく剣をとることにそう時間はかからなかった。
     本来ならばアンルシアは姫君として、戦いなど知らぬ生活を送っていただろう。
     何度トーマが本当に勇者ならばと思ったことか。
     トーマに出来ることは、アンルシアが危険の伴わない少女である時間を、できる限り稼ぐことだけ。
     歯がゆい日々を過ごすなか、とある戦場で不思議なことが起こった。
     大魔王、マデサゴーラが差し向けてきた軍勢を討ち取ったトーマたちが、戦っていた兵士たちに労いの言葉をかけている時のこと。
     突然緑色の眩い光が戦場だった場所に溢れて、光が収まった時、そこには赤と緑の奇抜な色彩の服を着た男がいた。
     怪しい男は新手かとすぐに捕らえられた。
    「貴様、何者だ」
     兵士長の厳しい尋問に、男は困ったような顔をしただけだった。まるで焦りというものが見られない。
    「少し彼と話をさせてくれるかい?」
    「トーマ王子……」
     興味を引かれて話しかければ、兵士長は渋い顔をした。
    「私が彼に負ける程弱いとでも?」
    「そうは申しませんが、御身に何かあれば……」
    「拘束してもらったままで構わねぇよ」
     と、黙っていた男が初めて口を開いた。
    「オレも話をしてみたかったんだ、トーマ兄さま」
     男はそう言って白い歯を見せ、にっと笑った。
     なおも渋る兵士長に話をつけ、拘束されたままの男とトーマは二人きりで話をすることになった。
     見える場所であること、剣を突きつけたままでいることなどを条件としたが、トーマには男がそういうことをするようには見えなかった。
     だが、先程口にした“トーマ兄さま”という単語は気になる。
     彼をそう呼ぶのは、彼の妹であるアンルシアただ一人であった。
    「話に聞いていた通りで助かったぜ」
     切っ先を突きつけられているというのに、男は態度を崩したりはしなかった。豪胆なのか、単に鈍感なのかは分からない。
    「誰に話を?」
    「勇者姫に」
     その言葉を聞いて、トーマは思わず剣に力を入れた。薄皮が裂け、つぅと赤い血が滴ったが男は気にしなかった。
     勇者とされているのはトーマだ。本当の勇者がアンルシアだと知るものは少ない。
    (どこから漏れた?)
     焦るトーマに、男は飄々と笑っているだけだった。
    「オレにも妹がいる。妹を案じる兄の気持ちはよく分かるぜ」
     優しく瞳を眇めた男は、その瞳に自らの妹を映しているのだろう。そのわりには、宿す色に悲哀が見え隠れしていた。
    「オレの妹はな、盟友なんだ」
     告げられた言葉の意味が、トーマには最初よく分からなかった。
     盟友は血筋ではない。最初の勇者の盟友は双子の弟で、アルヴァンの盟友カミルは出自もよく知れない。
     勇者が盟友に巡り会うのは奇跡のようなものだと思っていた。そして、その盟友がアンルシアの助けになれる人物なのか、ずっと心配していた。
     いっその事、トーマが盟友ならばよかったのにと何度も思った。
     それが、まだアンルシアが勇者として覚醒していないうちから、盟友の兄だと男は言う。
    「昔描いた犬の絵を上手なオニオーンだねと言われたことがある」
     そのエピソードはアンルシアとトーマしか知らない話だった。何故この男がそれを知っているのか。
     男の言うことは、あるいは本当の話なのではないか。
    「名は?」
    「さまよえる錬金術師、シドーだ」
     男、シドーは太陽のような笑顔をトーマに向けた。実際、彼は明るい性格なのだろう。
     それから、シドーはトーマに色々な話をしてくれた。
     アンルシアが神の器である話や、盟友である妹と共に竜神ナドラガを討伐した話、アンルシアから話されたのであろう、数々の思い出話。
     そのどれもが未来の話なのだとトーマは分かった。今の時点で起こりえない事象が含まれていたからだ。
    「どうやら時間切れみたいだな」
     そうシドーが呟いた時、トーマはシドーのからだが薄くなっていることに気がついた。
     向こう側が透けて見える姿は、まるで幽霊のようだ。
    「妹の話が出来て楽しかったぜ」
     にかっと笑うシドーは、少し寂しそうな顔をした。
     トーマは意味の無くなった拘束を外す。そうして、黒い手袋に包まれた手を、しっかりと握りこんだ。
     不思議と、もう彼に会えないような気がしたからだ。
    「なあ、妹の身代わり、後悔してないか?」
    「愚問だね」
    「そうだな、愚問だな」
     妹が可愛いくて大切なのは、シドーもトーマも同じこと。心配ではあるけれど、シドーの未来の話も、未来のアンルシアのことも、不思議と信頼できた。
    「じゃあな、トーマ兄さま」
     そう言って、シドーは空気に溶けるように消えた。トーマの剣の切っ先に、彼の赤い血があることだけが、彼がここにいたことを証明していた。
     その昔、レンダーシア大陸の中央に島があって、エテーネの民という特殊な民が住んでいたという。
     御伽噺だと思っていた話だ。古い文献に残されていただけで、時渡りなどという有り得ない能力を持った民。
     シドーはきっとその民なのだろう。
     トーマはそう結論づけて、シドーを拘束していた縄を拾って馬の所へと戻った。
     無性にアンルシアに会いたかった。

     *

    「そんなことが……」
     少女は眉を下げてその話を聞いていた。
     シドーの記憶に潜って、たくさんの場面を見てきたが、短い時間であったそれは最後の方の記憶なのだろう。
     ひとつ所に留まれない呪いは、移動を経る事に滞在時間を大幅に減らしてしまう。
    「私はきみの兄の話を聞いて、大いに安心したんだ。それに、実際に会ったきみも、シドーの話通りの人物でほっとした」
     優しい風が、トーマと少女の頬を撫でて髪を揺らす。
     絵画に描かれた、この世でありこの世でない、夢のような幻の世界。
    「あの子を支えてくれてありがとう。私にはできなかった役目を果たしてくれてありがとう。どうかこれからも、あの子を支えてやってほしい」
     そう言って、トーマは少女の手に指輪を握らせた。
     青い台座に白い二羽の鳥が、向かい合って描かれている指輪、はくあいの指輪だ。
    「私はこの場所からどんなときもきみたちを見守っているよ」
     とん、と背中を押される。
     彼はこの世界から出ることは出来ない。現実での彼の肉体は、とうに滅んでいるから。
    「さあ、きみの世界はまだまだ続いている。きっと私が見たものよりも、はるかに広い景色をあの子は見るのだろう」
     少女はその言葉を受けながら、台座の上の絵画へと進んだ。
     周りが白く発光する。優しくて悲しいあの場所に、別れを告げた。
     現実世界に戻った少女は、再び絵画を探しに行った。けれど、絵画は見つからなかった。
     少女の手に残ったはくあいの指輪だけが、起こったことが現実なのだと、確かに教えてくれていた。

     幻想画、一期一会。
     もう会えない懐かしいあの人に、再び巡り会える場所。
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