The first pancake is always spoiled. 空気を含んでふわりと膨らむ、絹の様な滑らかなスポンジに、甘さを抑えつつもミルクの香りを舌に残す純白のベルベットクリーム。
赤い苺の酸味がさっぱりと全てを洗い流して、再度フォークの到来を持つ。
ペンギン姉弟が語る、極東の焼き菓子のレビューはミスタの脳内でふわふわの雲のようにほわりほわりと広がっている。
同じ島国なのに、どうしてこうなった。
大体、此方のケーキと言えば、粉も砂糖も卵もバターも同量にぶち込んで、たっぷりぎっしりみっちりした断熱材の様な生地に、バターのホイップか砂糖の衣を纏った、『シュガーボム』とでも呼べるモノが主流。
ましてや生のフルーツなんて、そのまま食べるか、ビスケット生地にアーモンドクリームを流した上に、慎ましやかに飾られてるだけじゃない?
え?何その芸術品みたいに整然と並べられて宝石みたいに光ってるタルト。
何?何なの?
マーメイドでお馴染みの大手コーヒーショップチェーン店で提供される、軽いマフィンでリッチな気分になっていた昨日の自分が、全力で、全身で!供給を求めている!!!
とりあえず、小麦粉と卵とバターと生クリームと、苺を買って駆け出した。
「で、私の所に来たと」
冷たいアップルジュースを2杯飲み干して、こくりとミスタは頷いた。
「お前、思考がミスタローフに寄っていないか?哺乳類から脱却する気かな?」
珍しく午前中に訪ねて来た恋人を寝ぐせの跳ねるまま、ゆるいジャージで出迎えたヴォックスは、跳び込んできた食材と熱い抱擁を交わすことを強要され、流れる様なdescriptionを、恋の熱量で(なんなら頬を高揚させて)語る姿を視覚野と言語野に叩き込まれて頭痛を覚えた。
甘いと言えば甘いテーマだが、意味が違うだろう。
眉間の皺を人差し指と親指で揉みほぐしながら、ちらりと視線を流すと、きらきらと真剣な眼で自分を見ている。吸い込まれそうなパライバトルマリンの瞳が。
期待に満ちた熱い視線。
「LankaなりWA cafeなりへ連れて行けというならまだしも、いきなり手作りを所望するのか」
而立 (じりつ)に近い齢の筈の男は、きょとんと小首を傾げて、半眼の金色の瞳を見つめる。
暫く無言で視線を交わすと、きゅるりと目を廻して答えた。
「だって、 ヴォックスなら何とかしてくれると思ったんだ」
「…っ、うまくいかなかったら配達で我慢してくれ」
心臓を掴んで握り潰されたヴォックスは、熱いシャワーを浴びにバスルームへ向かった。
さて。料理が趣味のイギリス人が集うレシピと云えば、『Cookbuzz』である。2人はまず、「ショートケーキ」で検索するが、出てきたのはショートブレッドにクリームを挟むという伝統のレシピのみ。
「スポンジケーキ」で検索しても、材料を端からぶち込んで混ぜる、英國式ケーキのレシピばかり。
「俺、配信有るから今日は帰らないと……」
失敗したスフレケーキのようにへしょへしょと耳と尻尾を垂れたミルクティ色の狐の幻覚が見える。
あまりの哀愁感に怯んだヴォックスは、ミスタの想像に近い(と思われる)デザートを作り始めた。
自分の知識の中で、それっぽいモノだけれど。
卵から卵白だけを選り分けて、砂糖を加えて堅いメレンゲを作り、低温のオーブンで焼く。
生クリームをホイップして苺を潰し入れ、ピンク色とオフホワイトのマーブルを描いたクリームを用意し。
冷めたメレンゲを適度に砕き、クリームと交互に合わせて、たっぷりと残りの苺を飾り付けた。
硝子のロックグラスでサーブされるのはご愛敬という事にしてもらおう。
「名門パブリック・スクールの名物なんだがな」
「白くて、ふわふわで、苺?」
「そうだな。Eton Messと言う。ミスタの聞いたものとは別物だが、本日はこれで勘弁してくれ」
スプーンでさくりとメレンゲを割りながら、酸味の優る季節外れの苺を掬う。
舌の上で甘さを残してしゅわり消える淡雪と、ピンク色のミルクがふわふわと口内を満たす。
苺は白いサクサクとした衣とも、とろりとしたクリームとも上手く調和して、身軽にクルクルとダンスを踊る。
「?!」
「お気に召して何より」
バケツで食べれる。 と豪語する者が居るとか居ないとか、都市伝説のあるこのデザートは、見事にミスタの気分を好転させる事に成功したらしい。
ご機嫌に跳ねる狐は、ヴォックスが包んで持たせた、メレンゲと苺とクリームを抱えて、颯爽と帰って行った。
季節外れの苺で作られたmessy (ぐちゃぐちゃ)なデザートは、台風の様に慌ただしいミスタに良く似合っている。
ずいぶん長い事、黒髪の鬼の心は凪いでいた筈であるが、この処、極彩色のCrackling Candyを内包した、甘く刺激的な恋人に振り回されている。日々愉しいと追い掛けて。まだヒトトセしか経っていない事に驚く。
紅茶を片手に、メレンゲをさくりと齧って、硝子にクリームのラインが描かれた空のグラスに眼をやって、ヴォックスは溜息を1つ。
「本当に菓子だけ強請りに来た埋め合わせは今度して頂こう」
床に漂うバリトンで、低く、低く独り言ちたのは仕様が無い。
本日、尻尾の先すら触れられず、逃した獲物。
「日本のクリスマスケーキって」
「任せろ。ブッシュ・ド・ノエルでも何でも作ってやる」
『日本の』 COOKPADを某教授から聞きつけて、ケンタのチキンを用意して、
『日本式』 クリスマス『イブ』を画策する鬼が居たとかないとか。