電気を消してほしい、と強請ったのはアベンチュリンだった。夜の帳が下りた今、そのわずかな明かりでさえ消してほしいのだと。同じベッドに入った彼はその言葉を受けて少し逡巡したのちにパチン、とそれを消してくれた。何かとアベンチュリンに甘い人だ。だから断られるとはあまり、思わなかった。だから今ベッドの上で、同じ場所にいるはずなのに一人のような、そんな不思議な感覚を転がしていた。
夜はアベンチュリンの味方だった。今みたいに人の気配を消してくれるし、だから逃げてばかりだったあの頃によく助けてくれた。電気が消えて見えなくなればないことになる。六十という銅貨で買われた時も、こうやって消えてなくなるものなら六十タガンバだって多いくらいだと自分に言い聞かせた。
だからいつもアベンチュリンは、電気を全て消してベッドに入る。夜になったら消えて、朝日が昇ると同時に生まれ変わるのだ。そうやって汚い身体は、綺麗にはならないけれど少しはましになったと思い込んで。思い込まないと壊れてしまいそうな時が結構長かったから癖になってしまっているのだと思う。
「……っレイシオ?」
そんな、なくなっているはずの身体を彼が抱きしめた。ここには存在しないはずの身体に彼の体温が移ってあたたかい。けれど、それと同時に怖かった。今ここにはアベンチュリンという人がいて、レイシオという人がいる。それを認識してしまう。何も見えないはずのこの場所で、それが存在することを知ってしまう。
「……ぁ、えっと、したいのかい? 準備を、」
「バカを言うな。寝るだけだ」
「こ、このまま……?」
「……嫌なら、離す」
嫌、なのだろうか。多分嫌ではない。不快感も嫌悪感もない。ただ触れている彼があたたかくて、何だか変な感じがする、というだけ。でも少しだけ怖い、のかもしれない。ここにはレイシオという人がいて、アベンチュリンという人がいる。ただいるだけではあるけれど、それで彼を害したりしないだろうか。幸運が彼を害する可能性だってあるし、そもそもこの身体の抱き心地は決して良くはない。いや、そういう意味で使うなら別だけれど。そういうことはさせられていて、だから手練手管くらいならあるけれど。でもそうではないのだろう。彼は言葉を違えない。だから本当に、寝るだけだ。
肉はなくて硬いし、骨ばっているから痛いだろうし。彼のような筋肉もないから手足は冷えている。この夜という時間に、一日の中で休息を取り、体力を回復するための時間に、それを妨げたくはないのだけれど。
夜はずっとアベンチュリンの味方だった。アベンチュリンという存在を曖昧にしてくれるそれは、同じ場所にいるはずの、あるはずのそれさえ曖昧にしてくれる。この身体をまさぐっているのは人じゃない。だからこれは汚い欲じゃない。そこに転がっているのは人から転じた肉塊じゃない。だからここは安全な場所。そんな風に、朝になったら知ってしまうそれをこの時間だけは隠してくれる。
「……離さないで、欲しい」
「分かった」
「ぁ……でも、そっちむきたい、かも」
それが、今はどうしようもなく怖かった。レイシオという人の存在を消してしまうかもしれない夜が、ずっと味方だったそれが。だから後ろから抱き込まれるだけじゃなくて、自分からその存在を感じてみたいと思った。どうしてだろう。この手が服をたくし上げる可能性だってあるし、喉や口に伸ばされる可能性だってあるのに。そこにいる人がレイシオであるかどうかさえ曖昧なのに。
けれどこの身体に回されていた手はすぐに離されて、今なら抜け出せると思ったのにどうしてか身体は動かない。そのままくるりと回転させられれば、今度は腕を伝って、あたたかな手のひらが同じものに辿り着いた。冷え切ったアベンチュリンの手のひらに。
「冷えている」
「……いつもなんだ」
「これでは寝にくいだろう」
離される、と思っていた。だって冷たいなんて目が覚めるだけだし。そんなのは今必要ないはずだし。なのにどうしてか、まるで包まれるようにしてその手のひらが温められていくのを感じた。大きな手のひらがふたつ、それが小さな手のひらをふたつ、包み込んでいる。見えないからこそその手つきが、触れている場所が、彼の言葉を紡いでいる。あたたかくて柔いそれが。大きくて安心するそれが。
「……レイシオ」
「なんだ」
寝れそうか? なんて、当たり前のように問われる。多分、眠れる。しかもレイシオという人を間近に感じながら。こんなの初めてだ。近くに誰かがいるなら真っ暗にして、見えないようにして、そして触れないようにして目を閉じるのがせいぜいだったのに。もしくはただこの身体を朝まで使われて、眠るなんて選択肢が存在しないとか。なのにその全部を彼は棄却した。真っ暗闇で見えないはずの彼が、暗闇で曖昧になるはずの彼が、その存在を如実に伝えてくる。その心の中まで、全部。
「ねぇ、レイシオ」
明日は、小さな電気をつけて眠りたいな。そう口にすれば目が見開かれた。そんな気が、した。触れているだけの手と聞こえてくるだけの息遣いで、何となくそう思った。そしてそれはきっと事実なのだろう。手を温めてくれていた彼の手が、腕が、探るようにして背中に回される。それは脱がせるためでも、暴くためでもない。ただその腕で、包むための。
「おやすみアベンチュリン。いい夢を」
「うん……みれると、いい……なぁ……」
そして服を脱がす時でも、この身体を暴く時でも、彼はこうやって探りながら触れてくれるのだろう。見えないからこそ伝わってくる彼の心が、想いが、その手つきだけで分かってしまう。目は口程に物を言う、という言葉をレイシオが使っていたけれど、きっとそれは目だけじゃない。この身体に触れてくれる手だけでも言葉以上に感じられる。
夜はずっと味方だった。今もそうだ。今は隠すためではなく、ただそんな彼の心が一層伝わりやすくしてくれている。味方であるそれのすぐ傍でこんな風に意識が落ちるのはいつぶりだろう。そんなことを考えても答えは出ないまま、アベンチュリンはゆっくりとその意識を手放した。