Playback Mysterytrain ──8号車の後ろにある。貨物車に…
ハッ!、と降谷は目を覚ましたと同時に飛び起きた。
場所は見慣れた自宅のベッドの上。だが息は浅く乱れている。暑くもないのに汗ばんでいる。瞬間夢と現実の狭間が曖昧になって。今から失ってしまう、彼女をどうにか取り止める策を探し求めていた。
はぁ、はあ。と息を整え。心に蠢くぽっかりと空いた黒い穴に飲み込まれていかないよう、食い止める。
悪夢に苛まれる。それは今までも多々あることだった。その度に死に物狂いで乗り越えてきた。今回も。為すべきことを胸に刻んで突き進んでいくしかない。
そんなこと。分かっているのに。
──いーい? あなた達の知り合いが来るまで…
──息を殺して隠れてるのよ!!
あんな必死になって。子ども達を救い出すのか。
──さすがヘル・エンジェルの娘さんだ…
──よく似てらっしゃる…
人を巻き込まないように。わざわざ火元に向かってきた。
はっ、と降谷は再び我に返る。
場所は潜入先の喫茶ポアロ。気が抜けすぎだ。白昼夢でも見ていたか。
でもその原因も分かっていた。目の端に捉える。帽子を深く被った女の子。
その子の隣にはよく知った、眼鏡を掛けた聡すぎる少年が座っている。
そしてその正面には。はつらつと元気いっぱいの三人の子どもたち。
仲良し少年探偵団の中で。あまり一緒に姿を見かけることのなかった(自分限定ということも。もう分かっている)あのシャイな少女も。たまにだが、こうして降谷の前にも姿を現してくれるようになった。
相変わらず。深く帽子やフードを被っていて。顔を向けてくれることも、言葉を交わすこともないが。
どうしてだろう。それでも、ふとした振る舞いやかすかに見える面影に。何かを重ねてしまう。
それは。降谷の心の奥深くに仕舞っている、繊細で柔らかい何か。
「哀ちゃん! これ見て~」
無邪気な少女の声。それに哀というその女の子が声の主、歩美に向ける雰囲気はすごく、穏やかだ。当の哀の声はここまで届かない。でも幾度か聞くことができた彼女の声にも、何かが呼び起こされる懐かしさがあった。
おかしいな。疲れてるんだろうか。
そんな人間らしい感情に降谷は苦笑する。いや、今は安室透なのだが。ここにいるのも情報収集の為。実際、この場で得た情報は有益で活用できるものばかりだ。
降谷のコップを磨く手が止まった。ここで得た情報。シェリーの足取り。追い込んだミステリートレイン。初めて対面した、先生の忘れ形見。爆破に散らせた命。
写真以外で初めて目にした、宮野志保が動く姿。ここにいる。少年探偵団の子どもたちを助けるために、必死になっていた動画。
くらっ…と立ちくらみに襲われた。動きを止めた降谷に。「安室さん?」と、同僚の梓の気づかう声が掛けられる。
表情を取り繕い、降谷は言った。
「テーブル、片付けてきますね」
ちょうど、子どもたちがいる斜め向かいの席が空になっていた。近づく安室に、帽子を被った少女が警戒を強めるのが分かる。でも、彼女は逃げなくはなっていた。姿を消そうとは、しない。
哀を窓際の席に押し込めているコナンも、神経質に彼女を隠そうとはしなくなっていた。それでも一段は警戒レベルを上げたようだ。
…隠そうとすればするほど。その姿は浮かび上がってくるものだよ。
独りごちた気持ちは、自分にも跳ね返ってきた。夢に魘されるように離れない彼女の面影。喪失への呵責。
こんな小さな少女に対しても。何を拘っているのだろう。
テーブルを片付けながら自嘲した時。子ども達のテーブルから叫び声が聞こえてきた。
「うわぁっ…!」
「キャアーッ!」
何事、と素早くそちらに身を向けると。何かが降谷の方に飛んできていた。反射的に。今にも床に落ちそうなそれを膝をついて寸でのところでキャッチする。
「ワアッ…!」
「安室お兄さん…! ありがとうっ!!」
「わりいっ…! 良かったぜっ…」
大騒ぎの子どもたちの前で、手に取ったものを確認する。丁寧に細かく折り紙や毛糸、綿や布、ボタン等で形成された、うさぎのぬいぐるみ…の工作物だった。
床に落ちたら。確かに、それなりの被害は受けていただろう。
「…うん。大丈夫。よくできてるね、歩美ちゃんが作ったの?」
「うん!! ほんと良かったあ。ありがとう!!」
少しの涙目を満面の笑顔にして受け取る歩美にほほえみながら、ふと降谷は哀の方に目を向けた。とたん。息を飲んだ。
彼女は安心して気が緩んだような、あったかく優しい笑顔を歩美に向けて見せていた。降谷が屈んでいたから。よく見えたというのもある。
フラッシュバックするのは。幼少期の記憶。お腹の中の赤ちゃんに向けて。優しい先生が語りかけていた表情。
同時に。ようやく会えたその娘が自分に向けてきた、挑むような張り詰めた瞳が蘇る。赤茶の髪が揺らいでいた。
降谷がつい頭を手で支えた時。子どもたちの声が続いて届いてきた。
「元太オメー、気をつけろよな」
「ごめん。ごめんな、歩美」
「ううん、こうして大丈夫だったし」
「ほんと良かったですー」
「特に人の物を手に取る時は。気をつけないとダメよ」
──ダメって言ったでしょ?
──赤い血が流れてるでしょ? って言い返してやりなさい!!
──息を殺して隠れてるのよ!!
「……安室さん?」
心配そうなコナンの声。降谷は顔を上げる。不思議そうな、そして気づかうような十個の瞳が見つめてきている。目が合うこともなかった姿を隠しがちだった少女の瞳も。注がれていた。
──悪いけど…断るわ!
目の前に浮かんだのは。そう言って扉の向こうへと消えた、ずっと守りたかった人の姿。
独り幼いながらに過酷な道を歩き。悪の組織に追われる身になりながらも戦っていた、やっと会えた探していた女性。
面影はまだしも姿格好は重なりようがないのに。そしてもうその人はいないのに。確実に哀の上に失った彼女の姿を、降谷は見た。
ああ、これも夢なのだな。
降谷の理性がそう理解を進める。
でも。もし夢でも。
自分の勝手な都合や願望が見せた幻でも。
目の前に確固たる事実を掴むまでは、諦めてなるものか。
降谷の心に火が灯った。
いつも。自身を駆り出してくれるのは。
今までに培った信念。数々の大切な、出会い。
誤り取り零してきたものも多々あった。だからこそ。
今をこれからを。全身全霊でつかみ取るのだ。
もし。君にまだ間に合うのなら。今度こそ。きっと。