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    eats_an_apple

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    eats_an_apple

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    お題は「記憶」です
    軽率にご都合記憶喪失ネタ。薄味。

    #でぃるふぃん
    imGoingToSpoilIt

    「……すみません、とんと記憶がなくて」

    そう言われた二人の表情は各々だった。
    まるであり得ないとでも言いたげに、しかし言葉を忘れたようにぱかんと口を開いたフィン。太い眉を顰めて精悍な顔立ちに疑念の表情を滲ませるディルムッド。
    そしてそんな二人を見て申し訳なさそうに眉を下げるディルムッドがもう一人。一見混乱を余儀無くされるこの絵はカルデアでは至って日常のものだったが、一つだけ常と違うものがこの片方のディルムッドの言葉だった。

    「…………記憶が、ない……?私の?」

    次に独り言のように口を開いたのは意外にも、他のすべての感情が抜け落ちたように驚愕の表情を浮かべていたフィンだった。

    「俺のこともわからないというのか?」

    続いて双剣の戦士の方のディルムッドが尋ねる。

    「その姿を見るに、何らかの形で現界している別の俺であろうことはわかる…しかしその経緯もおまえとの今までのやりとりも……すまない……」
    「そうか……」

    納得したかのように頷いたセイバーのディルムッドは眉間に寄せていたしわを伸ばし、隣に立ち尽くしたままふるふると震える男を見た。その視線をランサーのディルムッドも追って恐る恐る彼に声をかける。

    「あの、そちらの貴方は…麗しのかんばせ、装備を見るに私と近しい地域か時代の高貴のお方とお見受けしますが……」

    フィンはその言葉に顔の前に垂れかかっていた長い髪を、優雅に首を振って肩の後ろへ流しながら呟いた。

    「…そう、そうだとも…大正解だ。さすがだな、花丸をやろう……などと!そんな呑気なことを言っている場合か!?」

    そしてそうかと思うと突然に渾身のキレノリツッコミをなぜか隣にいるセイバーの胸ぐらを掴んでかました。

    「落ち着いてくださいフィン・マックール。現にそうだと言われているのですから認めざるを得ないでしょう。俺など同一人物であるのに忘れられているのですよ?」
    「これが落ち着いていられるか!私だぞ?…私なのだぞ!?」

    セイバーに向かって好きに叫んだフィンはひとまず落ち着いたのか諦観に押し流されたのか、セイバーから手を離しずるずるとしゃがみ込んで顔を覆うと動かなくなった。

    「…しかし魔猪と交戦、戦闘不能の後に記憶障害を発症…とは、我ながら情けないにもほどがあるぞ」
    「面目ない…しかし魔猪は……あれだけは……」
    「他のことは…覚えていることもあるのだよな?」
    「あぁ、マスターのことや他のサーヴァントのこともおそらく半数ほどは…」

    ランサーは指を折って記憶しているものを数え上げていく。カルデアの事情、自身の生前のことはところどころ靄がかかっているような気がすると話すところにセイバーは余計な口を挟まない。一時的なものだろうと診断を受けていると言うと屈み込んでいたフィンがいきなり立ち上がった。

    「そうだ、記憶障害というなら脳の何かアレな部分がああなってああなんだろう?鮭を食べるといいぞディルムッド。バレンタインも近いから有り余るほど用意はある!」

    そう言うや否やフィンはおまえも手伝えと言わんばかりにセイバーの腕を掴んで医務室からの退出を試みようとする。

    「お待ちください、落ち着いてくださいフィン。ただでさえあれはあなたのことを知らないのですから、見ず知らずの者に丸ごと鮭を与えられても余計に混乱するだけでは」
    「だからなんだと言うのだ…!ショック療法的に記憶を取り戻すかもしれないだろう!?……そうでなくても…そう、鮭は、頭が良くなるからな…?」

    ディルムッドはフィンに掴まれていた腕を解き、逆にフィンの二の腕を両手で掴んで拘束した。単純な力比べでは圧倒的にディルムッドに分がある。

    「ショックで頭がどうかしてしまったのはあなたの方かと。今一度冷静になられよ!」

    動きを封じられたフィンはもぞもぞと言葉に力をなくしていっていたがディルムッドの言葉で再び暴れだした。

    「な…!私の頭がおかしいと!?…このっ!いくらなんでも失礼だぞ!ディルムッド!離せ!そこに直れぃ!」

    セイバーにその気があったかどうかはわからないが、セイバーに押さえつけられながら騒ぐフィンの関心はうまいことに自分を忘れているディルムッドから自分の邪魔をするディルムッドへと移っている。しかし初対面の男に鮭を丸ごと一匹送りつける奇行をしようとしていることを忘れつつあったフィンとセイバーの決着がつく前にその攻防を妨げた声があった。

    「おい…!あっ…、と、そこの俺…」

    その部屋にいた三人目の声。控えめながらもしっかりと意志を乗せた重い響きは取っ組み合っていた二人の動きを同時に止めるだけの力があった。

    「そのお方にあまり…そう、馴れ馴れしく触れないでくれ。いや、なんというか、…その……」

    フィンもセイバーも目を丸くしてランサーを凝視する。ランサーはその視線を感じてか頬を僅かに染めひどく言いにくそうに呟いた。

    「俺が不躾に触れるべき相手ではない…気がするのだ……そうであれば勿論おまえにもそう言えるだろう…」

    そう苦しそうに律儀な言葉を吐き出すが目は口程になんとやら、二人を見つめる瞳はやたらと熱く燃え、おもにもう一人の自分への敵意すら垣間見えている。セイバーがその視線に気圧されてフィンの肩からそっと手を離すが、既にフィンは暴れてはいなかったために妙な静けさが場を襲った。のも束の間、目を輝かせたフィンがランサーの方に一歩を踏み出した。

    「ディルムッド…!おまえはやはり私の騎士なのだな!感心したぞ…これは騎士団報酬を与えてやるべきかな?具体的には私の鳳凰の羽根をおまえのスキル強化に回してやるようマスターに取りあって…」
    「ランサー!俺がせっかくおまえのためにフィンを鎮めようとしていたのだぞ!?」

    セイバーがもう一人の自分に抗議するが、得意気も得意気、鼻高々の有頂天なフィンはもはやセイバーの小言など目ではないと言ったようにふんぞり返っている。

    「ふふん、やはりおまえとは違うのだよランサーは。なんと言ってもほら、私は王、ディルムッドは私の騎士だからね?」
    「さてはあなたへ宛た俺のマイルームボイスをまだ根に持っておいでか…!意地が悪いですよフィン!」

    勿体ぶった言い方で"私の騎士"と語気を強めたフィンにセイバーは食い下がった。しかしやはり既にフィンには十分にバフがかかってしまっているらしく、さしてセイバーの方を気に留めずにランサーへ声をかけている。

    「さてディルムッド、何か助けが必要であれば言ってくれ。私はおまえの王だからね。」
    「フィン・マックール!!」
    「喧しいぞ剣ディル」
    「なんですかその呼称は!俺のこともディルムッドとおよびくださいフィン!」
    「ディルムッド、この後は暇か?私がカルデアを案内してやろう」
    「フィン!この後は俺とシミュレーションで訓練の約束でしたよね!?」

    幸いにも現在医務室には担当医が不在だ。声量、声質ともに良い声の男が二人騒いでも文句を言われることはない。
    ランサーに向かって声をかければセイバーがすかさずその間に割って入って遮る、その繰り返しに業を煮やしたようにフィンはセイバーに向き直り人差し指を突き立てた。

    「いやだ!いつか言ってやろうと思っていたがおまえは手加減を知らなすぎだ!おまえに対して私が相性不利なことすら忘れているだろう!?」
    「そんなことはありません!大体相性が何だというのです?あなたともあろうお方がそのような及び腰でどうするのですか!?」
    「そういうところだぞ!団長だからといって相性を覆してまでおまえたちにまさるわけではない!私はアタック・サポート・耐久のバランス型なんだ!」

    セイバーのディルムッドとフィンは戦闘訓練の加減が噛み合わないという点でも相性が良くないようだった。

    「とにかく嫌だ!少しは私を労ったりしたらどうだ!なぁディルムッド?午後は私とカルデアを散策するよな?」
    「槍の俺!俺が先だからな!」

    二人の言い合いは間に入ることもできずに傍観していたランサーへと、苛烈に舞い散る火の粉のように飛び移った。二対の鋭い眼差しを向けられた少し控えめな方のディルムッドはしかし、やはりフィンとは思考が噛み合わなかったようだ。

    「お気遣いありがとうございます。しかしカルデアのことは大体覚えているので…先約もあるようですし、またの機会に…」

    唸るセイバーの方をちらりとみやりながらランサーは言った。その視線と言葉を受け、途端にセイバーは威嚇するような態度を緩めたかと思うとフィンの腕を掴んだ。

    「さぁフィン、そういうわけなので!行きましょう!」
    「そんな!ディルムッド!私の誘いを断るというのか…!」
    「行きましょうフィン。あなたのディルムッドはここに!」
    「都合の良い時だけ調子の良いことを言うんじゃない!…あぁっ、ディルムッド!」

    単純な力ではディルムッドに敵わないフィンはずるずると引きずられるようにして医務室から連れ出されて行く。ランサーのディルムッドを呼ぶ悲痛とも取れる声が扉の閉まる直前に響き、嵐のような喧騒は医務室を去っていった。


    * * *


    ランサーのクラスの英霊、ディルムッド・オディナ。
    訳あって現在は記憶障害を起こしているが、数いるカルデアのサーヴァントのうちの一人だ。


    カルデアで当てがわれた個室の扉を夜、何者かがこつこつと叩いている音にディルムッドは武器の手入れの手を止めて来訪者を迎えた。

    「良い夜だなディルムッド。暇か?暇だな?よし、今度こそ付き合うように」

    そう言ってドアの前に立ったフィンは片手に下げていた保冷ボックスを少し持ち上げると悪ぶるような、得意気な笑みを浮かべていた。

    「どちらへ?あの…」
    「せっかくだからシミュレーターを使おう。用意は万全だ!」
    「フィン!?あの…!」
    「もう名前も覚えたか、さすが我が騎士だ」

    慌てるディルムッドの質問には答えずに大股で進むフィン。ボックスを持っていない方の手に導かれるままにディルムッドも歩く。大人の男の多少の早歩きにて目的の場所にはすぐに到着した。

    「近くに川がある方がいいだろうか…森のフィールド、と…」

    独り言を呟きながらフィンがシステムに入力していくのはシミュレーション条件、ほどなくして調整を終えたシミュレーターは使用者をバーチャル空間に迎え入れるためのアナウンスを行った。
    行くぞと手を引かれるまま異空間に足を踏み入れる。次の瞬間には、濃い緑の匂いと夜の澄んだ空気がディルムッドの肺を満たした。




    十数分ほど適所を探していただろうか。
    川の流れのほど近く、乾燥した地面の上にフィンとディルムッドは座していた。
    月影が明るい。足元には石の上に積まれた細い木々にディルムッドの起こした炎が揺らめいて、冷え込む空気を気休め程度に温めていた。

    ディルムッドの目前にはフィン・マックール。そしてフィンが手持ちの四角い箱から取り出したるは立派な一尾の鮭、もう片手には戦闘用かと疑うほど刃渡りのある刃物を握っている。爽やかな風貌には似つかず猟奇的とも野生的とも取れる絵面であるが、根からのケルトの戦士であるディルムッドは特に気にしていないようだ。

    「…鮭、ですね」
    「そう、鮭だ。セイバーには全力で止められたがやはり私といえばこれ、これといえば私、おまえにも一度振る舞いたいと思ってな。鮭は嫌いか?」
    「いいえ。ありがたくいただきます。」

    ディルムッドにそう返答されるとフィンは何度も満足そうに頷いてから持参したらしい俎板のようなものの上に鮭を横たえると手にした得物でその身を手際良く切り裂き始めた。

    「とはいえ二人で食べるに鮭一尾は多すぎる。流石に飽きるだろうしな。半分はカルデアに持ち帰って食堂にお裾分けだ。」

    そのためのこれだ、とフィンは先ほどまで鮭が入っていた箱を指す。蓋の開いているそれをディルムッドが覗き込むと中には冷却用の氷が入っているのが見えた。

    「ああそうだ、それも出しておいてくれ。せっかくならと思って食堂から隙を見て頂戴してきたから仕舞っていた場所については目を瞑ってほしい。」

    フィンの指示を受けたディルムッドは生身の鮭が入っていた保冷ボックスに手を差し込むとさまざまな形状の酒瓶をいくつか取り出す。

    「…もしやお裾分けの鮭を免罪符にしようとしていますか?」
    「酒だけにね。いや、まぁ大丈夫なんじゃないかな?私は普段は結構優等生だし、酒瓶の二つや三つや四つ、無くなったところで困るのは良い子たちではなく酒癖の良くないダメな大人たちだ。」
    「しかし食堂からの盗みはカルデアでは御法度、大罪であると俺も覚えています。」
    「そういうことも覚えているのだな?本当に私のことは忘れてしまったのか?」

    フィンはいつの間にか串に刺した鮭の切り身をまず一本ディルムッドへ手渡しながら言う。

    「すみません…どうにも…」
    「ははは、責めているわけではないんだ。気にしないで楽にしてくれ」

    ディルムッドは串刺しを緩やかに揺らめく炎にかざし、手元をじっと見つめている。フィンも同様に切り身を火にかける。
    夜のしじまがその場を満たす。
    しばらくぱちぱちと燃える火の音以外が消えてしまったかのような沈黙が続いていた。

    「……鮭から始まるとある男の話でも聞くか?…昔あるところに若い男がいたそうなのだが…」


    その静寂はぽつりとフィンが切り出したことによって破られた。
    鮭から叡智を得たとある男の話、授かった智慧を的確に使って生きた男の話。

    話の途中にすっかり火が通り抗い難い香りを放つ切り身を頬張りながら、途中喉の渇きを潤すために酒瓶をそのままひっくり返してフィンは語った。
    その間、同じように酒を煽りながらディルムッドは静かに耳を傾けていた。


    「…彼はその後どうなったのでしょうか」
    「ふふ、さあな。今宵はここまで、なぁんて。シェヘラザード殿ならこの続きを知っているかもしれないぞ。」

    話し終えたフィンはそう言うと乾いた土と草の上に寝転がった。
    静かな晩酌は下火になっていく焚き火とともにお開きを迎えようとしていた。

    「…ふと思ったのですが、俺はきっとあなたにこれをいただくのは初めてではないですよね?先ほどあなたは、俺にも振る舞いたいと仰っていましたが…」

    ぼんやりと星を見るフィンにディルムッドは独り言のような調子で呟いた。きっと流しても良かったのだろうが、フィンはその疑問に答えることにした。ほんの気紛れだ。

    「そうだとしても、おまえにとっては初めてだろう?」

    ディルムッドが小さく息を飲む声が聞こえた気がした。
    気分が良くなったフィンはディルムッドには伝わらないように、真っ直ぐ夜空に向けたままの顔に静かに笑みを浮かべていた。


    * * *


    「フィン、ご一緒しても?」
    「構わないよ。そうだ、おまえ今日の予定は?」
    「シミュレーターにて戦闘訓練と調整です。多少記憶が欠けていても腕は衰えていないことは証明済のはずなのに…早く周回に行かせていただきたいものです」

    朝食の配膳に並ぼうとしていたフィンにランサーのディルムッドが声をかける。ディルムッドが記憶を失ってから数日、異常はもとに戻らないままだったため彼は前線を一時的に外れ、シミュレーションの調整を繰り返していた。もちろんフィンについての記憶も欠いたままだったが、フィンが構い倒した結果か二人の距離感は記憶を失う前のそれと遜色ない。
    ただしそのやりとりをを見るセイバーのディルムッドは毎度のように顔をしかめていた。

    「ランサー、馴れ馴れしいぞ!」
    「まあまあディルムッド、いいじゃないか。」

    よくないです、と言いたかったのであろうセイバーはしかし、出かけた言葉を無理やり飲み込むように言いとどまり反論の方向性を変えた。

    「…これは常々思っているのですがあなたは俺に甘いのです、俺が言えたことではありませんが」
    「本当におまえが言うことではないな?さあ変なことを言っている暇があるなら早く準備をしなさい。このあとすぐマスターに付き添うのだろう?」

    既に朝食をとり終えてフィンとランサーのそばを通りかかっただけのセイバーはそう指摘されると聞き分けよく食堂を後にした。

    「フィンの今日のご予定は?」
    「うん?ああ、少し調べ物があってね。図書館に行こうと思っているよ」
    「そうですか。またの機会にお時間があればぜひ手合わせを…」

    フィンはどこか控えめな調子でそう言う割に目線は力強く、どことなく輝いて見えるディルムッドの瞳に無性に嬉しくなり快く返事をしたのだった。


    そのままフィンの心は軽く、ディルムッドと共に朝食を済ませる間も話は弾んだ。いつになく良い気分で始まった一日に満足しながらランサーと別れ、麗しい図書館の司書に挨拶という名の賛辞を送ったりすることも忘れずに、順調にその日一日の予定をこなしていく。
    そして偶然誰もいなかった談話室で図書館にて入手した書を開こうと思ったのはほんの気紛れだった。



    暖かな部屋で柔らかな椅子に背をもたれ書物の頁を捲る。
    フィンはそれを読むことを本当は急がなくとも良かった。ディルムッドの訓練に付き合ってやれば良かったかなと思いを巡らせていると瞼が重たく垂れ下がってくるのを感じる。

    瞬いても同じ行の文章の上を意味もなく滑るだけの目を閉じていっそ意識の遠退くままにしてしまおうと思っていた時だった。

    「…ッ!?」

    まどろみの中にあったせいかフィンはすぐ近くに迫っていた気配にまるで気がつかなかった。
    肘を立てて頭を軽くもたれさせ支えていた手首が何者かに捕らえられる。しっかりと握り込まれたせいで驚いてそれを振り払うこともままならないまま目を開いたフィンが見たものはつい今朝も目にした見知った顔だった。

    「ディルムッド…!?なに、あっ…ちょっと…!」

    寝起きであることと現状への混乱に加え片手の自由を奪われた体は四肢に上手く抵抗の力を乗せることができず、ディルムッドに体重をかけられて仰向けにソファに沈んでいく。見上げる形になった天井との間にディルムッドの顔がうつる。

    「えっ…?なにをして…ディルムッド…!?待ちなさい…確かにな?私は美しいが…乙女ではないからして、おまえの魔貌を以ってしても…!そう勢いだけで攻められるのはちょっと……ううん、そうではなく…!!」

    捕らえられたままの右手を引けども自由な左手でその逞しい胸板を押せどもびくともしない。ぼんやりと白昼夢でも見ているのかと思うような表情でフィンの必死の説得にも反応しないディルムッドの様子にいよいよ危機感が襲う。

    「この…っ、そういうことならこちらも容赦しないが…良いな…!?」

    もちろん返事はない。
    フィンはそれを了承と勝手に判断し左手に愛槍を顕現させた。身の丈を軽く超えるそれの石突を握り、余りの柄と穂を床に落としてちょうど良い角度を決める。その間にも不躾な男はフィンにのしかかり着実に身動きを封じてきていたため事は急がれた。

    「目を覚ませディルムッド…悪く思う、なッ!!」

    フィンが声に力を込めたと同時に渾身の腕力から繰り出された石突での強烈な突きがディルムッドの鳩尾に命中した。その衝撃に大きな体が倒れ込んでくる前に今度はフィンが素早く形勢を逆転させ、ディルムッドを仰向けに床に押さえつける。

    「そしてこれはオマケということで!ミニミニ・マク・ア・ルイン!!」

    ちょっとした意地悪心からの仕返しだった。
    ディルムッドの顔面の直上に槍の穂先を構えたフィンの詠唱によりその輝く顔に水鉄砲がお見舞いされた。水鉄砲というより水大砲だろうか、バケツの水をひっくり返したような水量がかなりの勢いで、さらに至近距離からディルムッドの顔を直撃し、周辺はその余波で無残に浸水する。

    「…さすがにこれで……」

    ため息をついて濡れ鼠になった男に構えた槍を下ろそうとするフィン。ディルムッドからの言い訳を聞こうとしていたところに最初にかかった声は予想外の方向からのものだった。

    「………フィン?これ、何やってるの?」

    その方へ意識を向けた瞬間フィンの口からヒュ、と息が漏れた。
    情けなくも飛び上がると即座に倒れているディルムッドを抱き起こしたフィンはさらに慌てて弁明を始めていた。

    「マスター!違うんだ!これには深い訳が…!いや大して深くはないがやむを得ぬ事情が…!!決してこいつの記憶がないのを良いことに裏でいじめていたとかそういうわけではないんだ!!」
    「いや、そこまで言ってないし思ってないけど…」
    「私闘禁止のルールを破ったのは謝ろう…!しかし事実を…!私には後ろめたいことは…!」
    「落ち着いてフィン…!大丈夫、わかってるから!」

    普段落ち着きのある者が取り乱した時ほどに収集のつかない事態はあまりないのではないだろうか。意識を失ってフィンの腕の中にいるディルムッド、取り乱すフィン、つられて慌てるマスター、と混沌を極める場にさらに別の因子が加わった。

    「どうしましたかマスター!……フィン!?これは…!?」

    通りがかったのだろうか、セイバーのディルムッドは現れるや否やすぐさま周りの面々と同様に混乱に陥った。

    「フィン!これはどういうことです!?」
    「違う!違うぞ!!私のせいでは…!」
    「ああもう修羅場か!落ち着いてよ二人とも!!状況説明が先!」
    「しかしマスター!槍の俺はなぜフィンに介抱されて…!?納得がいきません!俺もフィンに労っていただくべきだ…!」
    「ん!?そっちは羨ましいってことなの!?…紛らわしいなもう!」

    大盛り上がりの現場は誰か、場合によっては冷静さを欠いた武人二人を殴ってでも落ち着かせられるような武力を持つ第三者の調停が必要だと思われた。
    しかしそれを鎮火したのはただ一人その喧騒の中でまだ一度も発言していない者の声だった。

    「我が王…?……これはいったい……?」

    記憶を失ったというディルムッドから終ぞ呼ばれることのなかった呼称にフィンは抱えていたその頭から手を離し、急に支えを失ったランサーは頭から床にごとりと音を立てて落下した。

    * * *

    「結局ショック療法が効いたのではないですか、物理の方の。」
    「そうだなぁ…最初に試しておけばよかったか…」
    「ケルティックだね……」

    セイバーのディルムッド、フィン、そして今回の騒動の元凶の三人はマスターと共に医務室にいた。

    「此度の件、大変にご迷惑をおかけしました……」

    項垂れるランサーは今、記憶を失っていた間の記憶も霞みがかっているらしい。結局異常の原因は未だ不明のままだった。

    「大丈夫大丈夫。記憶が戻ったなら全然、寧ろ全部解決。ね、フィン?」
    「ああ、そうだな。改めておかえりと言うべきだろうか?」

    ひと言前に喋った物騒な言葉とは裏腹に優しげに笑うフィンに安堵したように眉を下げてランサーは息を吐く。
    なんだかんだとありつつ穏やかに幕引きを迎えようとしていた一連の出来事、しかし無粋にも口を挟んだのはセイバーのディルムッドだった。

    「結局先ほどは何が起こっていたのですか?槍の俺はよく覚えていないようですし、フィン?」
    「ああ、そうだった。なんでもなかったのはわかってるけど一応報告を……フィン?」

    思い出したように続いたマスターと、二人に視線を向けられたフィンは途端に穏やかな雰囲気を潜めて俯いた。

    「…………言わない。」

    覇気のない小さな声。
    案の定納得のいっていないセイバーが突っかかりフィンがむくれ、マスターは仲裁しようと立ち上がりランサーは困惑しながらもフィンの擁護に回る。どうにも彼らは賑やかにならずにいられないようだ。

    とあるカルデアでの一幕であった。
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    eats_an_apple

    TRAININGお題は「記憶」です
    軽率にご都合記憶喪失ネタ。薄味。
    「……すみません、とんと記憶がなくて」

    そう言われた二人の表情は各々だった。
    まるであり得ないとでも言いたげに、しかし言葉を忘れたようにぱかんと口を開いたフィン。太い眉を顰めて精悍な顔立ちに疑念の表情を滲ませるディルムッド。
    そしてそんな二人を見て申し訳なさそうに眉を下げるディルムッドがもう一人。一見混乱を余儀無くされるこの絵はカルデアでは至って日常のものだったが、一つだけ常と違うものがこの片方のディルムッドの言葉だった。

    「…………記憶が、ない……?私の?」

    次に独り言のように口を開いたのは意外にも、他のすべての感情が抜け落ちたように驚愕の表情を浮かべていたフィンだった。

    「俺のこともわからないというのか?」

    続いて双剣の戦士の方のディルムッドが尋ねる。

    「その姿を見るに、何らかの形で現界している別の俺であろうことはわかる…しかしその経緯もおまえとの今までのやりとりも……すまない……」
    「そうか……」

    納得したかのように頷いたセイバーのディルムッドは眉間に寄せていたしわを伸ばし、隣に立ち尽くしたままふるふると震える男を見た。その視線をランサーのディルムッドも追って恐る恐 9754

    eats_an_apple

    TRAINING「飽きる」からの連想
    ディルフィン未満のフィオナ主従
    愛の多い人だと思った。
    それ故に、多くに飽くのではないかと思っていた。


    「これはこれは、北斎殿。今日はお父君と一緒ではないのですか?」
    「おう旦那。とと様は留守番だよ、締め切りが近いんでな。本当はおれもこんな場所にいる場合じゃねぇんだが腹が減ってはなんとやら、えみやの兄さんに片手間に食べられるものをいただこうと思ってんだ」

    そう言うと画工の英霊は片手の指を窄めて何かを描くように手で空をかく。その手振りを見てフィンは頷いた。

    「そういうことでしたか。貴女のことは前々からお茶にお誘いしたいと思っていたのだが、それではまたの機会にぜひ。」
    「へえ、あんたほどの別嬪に誘われちゃあ、そりゃ断るわけにはいかねえよ。こんなときでなければあんたをもでるにこのまま一筆描かせてほしいところなんだけどなァ…」

    悔しそうに唇を噛む彼女にフィンはからからと笑う。それはそれは楽しそうなその様子は側から見ている分には微笑ましい。応為はそのままひらひらと手を振りながら遠ざかり、フィンはランチの注文を待つ列に舞い戻る。

    「我が王、彼女はついこの間召喚された日本の方ですよね?いつの間に親しく?」
    「あぁ、大し 6655

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    ディルフィン未満のフィオナ主従
    愛の多い人だと思った。
    それ故に、多くに飽くのではないかと思っていた。


    「これはこれは、北斎殿。今日はお父君と一緒ではないのですか?」
    「おう旦那。とと様は留守番だよ、締め切りが近いんでな。本当はおれもこんな場所にいる場合じゃねぇんだが腹が減ってはなんとやら、えみやの兄さんに片手間に食べられるものをいただこうと思ってんだ」

    そう言うと画工の英霊は片手の指を窄めて何かを描くように手で空をかく。その手振りを見てフィンは頷いた。

    「そういうことでしたか。貴女のことは前々からお茶にお誘いしたいと思っていたのだが、それではまたの機会にぜひ。」
    「へえ、あんたほどの別嬪に誘われちゃあ、そりゃ断るわけにはいかねえよ。こんなときでなければあんたをもでるにこのまま一筆描かせてほしいところなんだけどなァ…」

    悔しそうに唇を噛む彼女にフィンはからからと笑う。それはそれは楽しそうなその様子は側から見ている分には微笑ましい。応為はそのままひらひらと手を振りながら遠ざかり、フィンはランチの注文を待つ列に舞い戻る。

    「我が王、彼女はついこの間召喚された日本の方ですよね?いつの間に親しく?」
    「あぁ、大し 6655

    eats_an_apple

    TRAININGお題は「記憶」です
    軽率にご都合記憶喪失ネタ。薄味。
    「……すみません、とんと記憶がなくて」

    そう言われた二人の表情は各々だった。
    まるであり得ないとでも言いたげに、しかし言葉を忘れたようにぱかんと口を開いたフィン。太い眉を顰めて精悍な顔立ちに疑念の表情を滲ませるディルムッド。
    そしてそんな二人を見て申し訳なさそうに眉を下げるディルムッドがもう一人。一見混乱を余儀無くされるこの絵はカルデアでは至って日常のものだったが、一つだけ常と違うものがこの片方のディルムッドの言葉だった。

    「…………記憶が、ない……?私の?」

    次に独り言のように口を開いたのは意外にも、他のすべての感情が抜け落ちたように驚愕の表情を浮かべていたフィンだった。

    「俺のこともわからないというのか?」

    続いて双剣の戦士の方のディルムッドが尋ねる。

    「その姿を見るに、何らかの形で現界している別の俺であろうことはわかる…しかしその経緯もおまえとの今までのやりとりも……すまない……」
    「そうか……」

    納得したかのように頷いたセイバーのディルムッドは眉間に寄せていたしわを伸ばし、隣に立ち尽くしたままふるふると震える男を見た。その視線をランサーのディルムッドも追って恐る恐 9754

    eats_an_apple

    TRAININGほんのちょっとだけ背後注意(??)なシーンがあります。
    なんでもいい人向け。
    「王よ…その、装備の…ええと、胸当ては…着けないのですか…?」

    部下からの奇妙で唐突な質問にフィンは首を傾げる。
    質問者のディルムッドはというと、非常に言いにくそうにあからさまにフィンから視線を逸らしているので見つめ返しても目は合わない。彼が何を考えているのかフィンには図り兼ねた。

    「…?もちろん戦闘時の霊衣を変更するにはマスターに申し入れるのが作法だと知らないこともなかろう、今すぐには着けられないな。なぜそんなことを聞く?」

    素材集めと戦闘訓練のための招集命令に応じていた2人はちょうど管制室に向かう途中だった。ディルムッドはその正論に一瞬言葉を詰まらせたが、ぐっと息を飲み込んでから食い下がった。

    「今すぐに、ということではありません。普段からその装備でいるのはなぜかと…」
    「む…私の言葉を聞いていたか?質問に質問で返すんじゃない。」

    おちょくっているのか、とフィンが顔を顰めるとディルムッドは途端に表情をぱっと困ったようなそれに変え、とんでもありませんと弁明する。普段通りのやりとりを一通り済ませた後、フィンは目を伏せて部下の妙な観点にため息をついた。

    「なぜもなにも。マスタ 9915

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    eats_an_apple

    TRAINING「飽きる」からの連想
    ディルフィン未満のフィオナ主従
    愛の多い人だと思った。
    それ故に、多くに飽くのではないかと思っていた。


    「これはこれは、北斎殿。今日はお父君と一緒ではないのですか?」
    「おう旦那。とと様は留守番だよ、締め切りが近いんでな。本当はおれもこんな場所にいる場合じゃねぇんだが腹が減ってはなんとやら、えみやの兄さんに片手間に食べられるものをいただこうと思ってんだ」

    そう言うと画工の英霊は片手の指を窄めて何かを描くように手で空をかく。その手振りを見てフィンは頷いた。

    「そういうことでしたか。貴女のことは前々からお茶にお誘いしたいと思っていたのだが、それではまたの機会にぜひ。」
    「へえ、あんたほどの別嬪に誘われちゃあ、そりゃ断るわけにはいかねえよ。こんなときでなければあんたをもでるにこのまま一筆描かせてほしいところなんだけどなァ…」

    悔しそうに唇を噛む彼女にフィンはからからと笑う。それはそれは楽しそうなその様子は側から見ている分には微笑ましい。応為はそのままひらひらと手を振りながら遠ざかり、フィンはランチの注文を待つ列に舞い戻る。

    「我が王、彼女はついこの間召喚された日本の方ですよね?いつの間に親しく?」
    「あぁ、大し 6655

    eats_an_apple

    TRAININGお題は「記憶」です
    軽率にご都合記憶喪失ネタ。薄味。
    「……すみません、とんと記憶がなくて」

    そう言われた二人の表情は各々だった。
    まるであり得ないとでも言いたげに、しかし言葉を忘れたようにぱかんと口を開いたフィン。太い眉を顰めて精悍な顔立ちに疑念の表情を滲ませるディルムッド。
    そしてそんな二人を見て申し訳なさそうに眉を下げるディルムッドがもう一人。一見混乱を余儀無くされるこの絵はカルデアでは至って日常のものだったが、一つだけ常と違うものがこの片方のディルムッドの言葉だった。

    「…………記憶が、ない……?私の?」

    次に独り言のように口を開いたのは意外にも、他のすべての感情が抜け落ちたように驚愕の表情を浮かべていたフィンだった。

    「俺のこともわからないというのか?」

    続いて双剣の戦士の方のディルムッドが尋ねる。

    「その姿を見るに、何らかの形で現界している別の俺であろうことはわかる…しかしその経緯もおまえとの今までのやりとりも……すまない……」
    「そうか……」

    納得したかのように頷いたセイバーのディルムッドは眉間に寄せていたしわを伸ばし、隣に立ち尽くしたままふるふると震える男を見た。その視線をランサーのディルムッドも追って恐る恐 9754

    eats_an_apple

    TRAININGほんのちょっとだけ背後注意(??)なシーンがあります。
    なんでもいい人向け。
    「王よ…その、装備の…ええと、胸当ては…着けないのですか…?」

    部下からの奇妙で唐突な質問にフィンは首を傾げる。
    質問者のディルムッドはというと、非常に言いにくそうにあからさまにフィンから視線を逸らしているので見つめ返しても目は合わない。彼が何を考えているのかフィンには図り兼ねた。

    「…?もちろん戦闘時の霊衣を変更するにはマスターに申し入れるのが作法だと知らないこともなかろう、今すぐには着けられないな。なぜそんなことを聞く?」

    素材集めと戦闘訓練のための招集命令に応じていた2人はちょうど管制室に向かう途中だった。ディルムッドはその正論に一瞬言葉を詰まらせたが、ぐっと息を飲み込んでから食い下がった。

    「今すぐに、ということではありません。普段からその装備でいるのはなぜかと…」
    「む…私の言葉を聞いていたか?質問に質問で返すんじゃない。」

    おちょくっているのか、とフィンが顔を顰めるとディルムッドは途端に表情をぱっと困ったようなそれに変え、とんでもありませんと弁明する。普段通りのやりとりを一通り済ませた後、フィンは目を伏せて部下の妙な観点にため息をついた。

    「なぜもなにも。マスタ 9915