明日は、水曜日 最近、スーパーに行くと目に留まるものが増えた気がする。前までは気にもしなかった食材を手に取って考えるようになった。
入り口を抜けて、買い物カゴを手にとり、キャベツ、にんじん、タマネギ、ピーマン、エリンギ、しいたけ、と通り過ぎて少しだけ笑いそうになる。
三ヶ月前、気まぐれに年の離れた兄によって詰められた弁当の蓋を開けた時だった。
いつも通り前の席の椅子に横向きに座っていた浮奇が、スマホから顔を上げて、心の底から羨ましそうな声を出した。
「いいなぁ!」
「そう、かぁ?」
「あ、自分で作ったの?」
「いや……」
「いいなぁ……」
ため息でも聞こえてきそうな顔で、浮奇は弁当の中身を眺めている。別にめちゃくちゃ豪華だってわけでもない、ハンバーグがメインの普通の弁当だと思ったが、言葉には出さなかった。
代わりに箸で卵焼きを摘まんで、食べるか?と差し出してみたけど、浮奇は少し寂しそうな目をしてから首を横に振った。
「ううん、いい。ふぅふぅちゃんの為に作られた物なんだから、ふぅふぅちゃんが食べた方がいいよ」
「あぁ……」
なるほど、そっちなのか。
「早めに言ってくれて助かる」
「なにが?」
「いや、こっちの話」
おかげで、自分で作れば良いじゃないか、なんて失言をしないで済んだ。
浮奇はいつも通り鞄からコンビニの袋を引っ張り出している。
「今日は?」
「サンドイッチと、メロンパン」
「……と?」
「別に……」
「今日もあるんだろ?」
「もーうるさいなぁ!いいでしょ、別に!
あるよ!プリンだよっ」
浮奇は普段は眠たそうな、ぼんやりとした目をしているのに、怒るとガラリと表情が変わる。眉をつり上げて、しかめっ面になるのが面白くて、ついからかってしまう。
「ははは!絶対デザートはつけるんだな」
あげないから、と睨んでくる浮奇は、まだふくれっ面をしているように見える。
二年に上がってからできた友人は、今まで身の回りにはいなかったタイプだった。
周囲の男は好んで黒だの紺だのを着ている中で、彼は柔らかい色のカーディガンを着たり、教師に目をつけられると注意受けそうなヘアピンをしたりしていて、全体的に可愛いものを好む。そしてそういうのが似合いそうな友人が多い。彼らが廊下に集まっていると、だいぶかしましい。
話す機会なんて無いだろうなと思っていたのに、気がつくと下駄箱や、出入り口で挨拶を交わすようになった。そこから、時々好きな本や漫画の話をするようになり、度々感想や情報を交換するようになり、今に至る。
それまで浮奇は、昼になると他のクラスの友人と学食に行ったり、教室から離れて食べていたのに、最近はもっぱら教室で俺と食べることが多くなってきた。俺は大体食べるのが遅いし、食べた後は本を読むことが多いから、別に楽しい時間を提供出来ている気はしないんだけども、前に尋ねたときは「静かな方がいいから」と言われた。意外ではあったけど、それならいくらでも協力できる気がする。
「珍しいね、お弁当」
「ん?あぁ、そうだな。明日は無いと思うぞ」
ハムサンドとメロンパンを机に出してから、浮奇は先にメロンパンの袋を横に引っ張って開いた。大事なプリンは袋にしまったままパンの横に置かれていた。
「初めて見たかも。お弁当持ってるの」
「んー?入学してすぐは、結構持ってきてたかもな……っていうか、これその頃に使ってた弁当箱じゃないか」
白くて高さのあるその入れ物は、久々に目にするものだった。
「別のがあるの?」
「あぁ……ちょっと足りなくなったから替えてもらったんだ」
「ふぅん……一年の時って、ふぅふぅちゃんは一組だったよね」
「そうだな」
「……」
もう、羨むような顔はされなかったけど、どことなく、まだ寂しそうな目をしている気がした――ので、食べすすめながらも、訊いてしまった。
「……一応聞くけど、それは自分で作るのとはまた違うんだよな?」
「え?あ、お弁当?」
「そう」
「うーん……」
ゆっくりとメロンパンを咀嚼しながら、浮奇は目を上に向ける。
「そうだね……そういうのじゃないと思う」
そういう彼の声は、いつもよりも随分と低く、いつも以上に静かだった。
「……わかった。じゃあ、交換するってどうだ」
「え?」
我ながらとんでもない提案をしたなと思った。俺は普段料理なんてしないし、なんならこの先もできるだけ避けたいと思っているのに。率先して何かをしても良いと思うのは、焼き肉屋にいるときくらいだ。でも、しょうがないだろう!?その時はそうすべきだと思ったんだ。
その代わり、リクエストは聞けないし、満足できるかは知らないし、毎日は無理だから週一回でどうだと後から付け足しても、浮奇はまるでプレゼントを渡されたみたいな顔をしていた。
実際、翌週の水曜に、ついこの間自分が使っていた弁当箱を渡すと、大事そうに両手で受け取っていた。
「……本当に、そんな良いものじゃ無いぞ」
「そんなことない!そんなこと……言わないでよ。いま、俺、すっごく嬉しいんだから」
「浮奇がそういうなら……」
じゃあこれね、と渡された、四角く平べったい黒の弁当箱は、意外に大きかった。あぁ、でも、そうかと一人で納得はした。
どちらかというと小柄で、持久走では大体最初から歩いているくらい体力がなくて、小食でも全く驚かないが、彼とファーストフードを食べに行くと、ポテトとナゲットで出来た丘とか、ドーナッツの山だとか、ちょっと面白い光景が見られる。
そんなことを考えながら蓋を開けた弁当箱は、豚の生姜焼き、ブロッコリー、マカロニサラダ、卵焼きが入っていた。
「うわなんだコレ美味そう」
「本当?良かったぁ」
「うっ……」
こんなものを見てしまうと、嬉しそうに弁当箱の包みを開けようとしている浮奇の手を掴みたくなる。
「……なぁ、これ一緒に食べないとダメか?」
「なんでそんなこと言うの!?」
お前に渡した弁当がサラダチキンとブロッコリーとプチトマトしか入ってないからだよ!
それなのに、浮奇は中を覗くと、また嬉しそうに目を細めた。
「やったぁ、俺チキン好き」
「そうか……」
「何味?」
「普通のやつ……」
「ふふ……食べるの勿体ないなぁ」
電子レンジで加熱しただけのブロッコリーを箸で摘まみながら、浮奇はまだ弁当を眺めている。
なんというか……そんなに嬉しそうにされたら、いたたまれないというか、申し訳なくなってくる。
「……来週もある、から」
「えっへっへ……そうだね!」
向けられる笑顔が眩しい。
その日はなるべく浮奇の手元を見ないようにしながら昼食を乗り切った。
作ってから思い当たるのもどうかと思うが、改めて、アレルギーの有無について確認をしてから、二つ目の弁当を作った。
「あっ、目玉焼き!」
「うん」
「やったぁ、俺たまご大好き」
知ってる。そしてその目玉焼きに至るまでに俺の家の卵は三つ、崩れるか焦げるか破裂するかして、お亡くなりになった。いや、後で自分で食べたけども。そして一気に四つも使うなと親に叱られた。
浮奇に渡された弁当は、今日は唐揚げが四つもはいっていた。しょうがと醤油の香りでご飯が良く進む。ふと、自分が持っている弁当と、浮奇用に詰めた弁当を見比べた。
「もしかして、俺が作ってるやつ、足りないんじゃ無いか?」
「えっ、どうだろう……この間のは、ちょうどよかったよ?」
「そうか。浮奇はもっと食べてる印象があったから……この弁当箱も結構でかいし」
「そ、れは……予備の、やつだから。普段あんまり使ってない」
「あぁ、そうなのか」
何が気まずいのか、浮奇はもごもごと口を動かしてから、「お昼はあんまり食べると眠くなるし」と付け加えた。
「それもそうだな」
お互いに弁当箱を空にしてから、再度交換をする。考えてみれば、教室の中で妙なことをしているなと思ったが、つっこんできそうな友人たちはみんな学食か別のクラスに行っているので特に困ることはなかった。
そうして、目玉焼きが二回成功してから、スクランブルエッグに代わり、とうとう卵焼きが作れるようになった時だった。
「あっ……」
「どうした?」
「ううん!今日は卵焼きだぁ、と思って。すごいね、ふぅふぅちゃん」
浮奇が両手で持っている弁当箱には、今日は卵焼き、椎茸のマヨネーズ焼きの他に鮭が二切れ入っていた。
「なんか、どんどんお料理が凝った物になってきてるけど、大丈夫?」
「っていってもなぁ……鮭もしいたけも焼いただけだし。浮奇みたいにこんな飾り切りとかは出来ないし」
「あっ、ごめんね、それ。つい、楽しくなっちゃって……」
持ち上げた短いソーセージは、六本の足がタコみたいに開いていた。
「え?別にいいんじゃないか。っていうか、俺は正直、もっとこう、デコレーションがもの凄く凝ったものを渡されるかと思ってたくらいだぞ」
「え」
飾りがついた爪楊枝?みたいなのとか、キャラクターを模したご飯だとか、そういうのが好きなのかと思った、と言いながらほうれん草を口に入れていると、浮奇は何故か目を丸く開いてこっちを見つめてきた。
「いいの?そういうのでも」
「浮奇が作りたいなら」
「そっかぁ……わかった」
何故許可を取られているのかわかりかねるが、浮奇が嬉しそうにしているのでまぁいいかと箸を進めた。その日の浮奇は考え事で忙しいのか、なかなか弁当を空に出来ていなかった。
五個目、六個目、と進む毎に俺の弁当はそこそこ見られるものになり、アスパラのベーコン巻きなんてものも作るようになった。一方で、浮奇に渡される弁当はどんどん見た目が複雑になり、鮮やかなピックで彩られるようになった。
一度、彼が気に入っているゲームのキャラクターの形をしたハムでご飯が飾られていて、暫く眺めてしまった。
「キャラ弁なんてネットでしか見ないものだと思ってたな」
「切り抜き用の型があったりするから、そんなに難しくないんだよ」
「あー、なるほどな」
ハムの下には海苔やケチャップが敷いてあって、切り抜かれた顔がくっきりと見えるように工夫されていた。
七個目、八個目になったところで、浮奇から実はきのこ類が苦手だと告白された。
「は!?」
「ご、ごめん……」
「いや、そうじゃなくて……何回か入っていなかったか!?」
「はい……ってた、かも」
「なんで残さないんだ!?」
「ごめん……」
「こっちの台詞だが!?」
「食べられないわけじゃないし……ごめん」
しおらしく今日の弁当を差し出す浮奇に、それ以上なにも言えなくなって、黙って包みを受け取る。
考えてみれば、アレルギーは聞いたのに好き嫌いの有無は一度も聞いていなかった。そうか、人には好き嫌いがあるのか、なんて厨二病くさい台詞が浮かんでくるのを追い払う。
「……悪い、ちゃんと考えてなかった」
「そんなこと、」
「他には?」
「えっ……?」
まだしょんぼりとしている浮奇の横顔に「他に食べたくないものは?」と問いかけた。
「んー……別に、そんなにたくさんは無いんだよ?好き嫌いは……お弁当に入るような物は、もう無いと思うけど」
「わからないぞ?突然ひらめいてシェフ顔負けの創作料理をお前の苦手な物オンパレードで作り出したらどうするんだ」
「あはは!」
声を上げて笑ってから、浮奇は口許と目に笑みを残したまま、「やってみなよ、完食してやる」と返してきた。
「あっ、アスパラ」
「この間のが美味しかったから、お返し」
「あのなぁ……」
俺が作った物は、ただベーコンを巻いただけだったのに、目の前のものは、味付けをした薄切りの豚が巻いてあった。しかも一つはチーズが入ってる。
「……宣戦布告だろ、これは」
「えっ、違うよ!?」
浮奇が慌てている中、問題のおかずを口に入れると、甘辛い味がしみ出してきて美味かった。
「うーん……」
正直、そろそろ自分だけでは、これ以上の成長は難しい気がしているので、余計に悔しい。俺には醤油やみりんを適量扱うなんて出来る気がしない。
「ふぅふぅちゃん、怒ったぁ?」
ふと前を見ると、随分としょんぼりとした顔で、浮奇が前髪の間から見上げてきていた。
「……怒るわけないだろ。宣戦布告なんて言って悪かったよ」
「本当に、そんなつもりないからね?」
弁当を置いて、机に両手をついて弁明をしてくる浮奇を、わかったから、と宥める。
「わかってる。すごく美味しい」
「ふぅふぅちゃんのも美味しいよ」
「どうも」
それにしても、本当に、ここから先はどうアレンジしたものか、悩んでいる。はんぺんのチーズ焼きは随分と気に入っていて、魚のすり身の味が好きだとか言っていたから、明日はかまぼこでも使ってみようか。
練り物のコーナーには花形でウズラの卵が入った物もあって、形が可愛いから入れてやりたいものの、どう味付けをして使う物なのかよくわからない。見たことがないが、おでんの中に入れたりするのか?
慣れない一角でピンクやら白やらの塊を眺めていると、スマホの通知音が鳴ったので、尻のポケットから引っ張り出し、マナーモードに変えてから画面を開く。
兄から『ラタトゥユを作るがいるか?』と短いメッセージが来ていた。それだけなら別にただの好意として受け取れたかもしれないのに、後ろにニヤニヤとした絵文字をつけるのが、兄の悪いところでもあり、簡単に火をつけられる俺も俺だとは思う。
『明日は和食の予定だから、いい』
『そうか。作り方が必要ならいつでも聞いてくれ』
何故そこでウィンクの絵文字をつけるんだ。何が言いたい。
「ぐぅ……」
チャットアプリを閉じながらも、前にラタトゥユを一口食べて、目を輝かせていた浮奇の顔を思い出す。(バジルが利いていて美味しいのだとか。言われてみれば外で食べるものよりも、ハーブの味は強い気はする)
ふと、パンと合わせると喜びそうだな、なんて思ってしまう。
とはいえ、サンドイッチなんて、人に渡せるくらい綺麗に作ろうと思うと、買う物が多そうだ。いや絶対に多い。
気が遠くなりかけたところで、いつもいつも、弁当箱を嬉しそうに両手で持つ浮奇の顔がちらついた。
「……」
結局、兄に弟子入りを申し込む日も、そう遠くは無い気がする。けど、何故だかもう少しだけ、自分でなんとかしたい。
頼む、どうにか、何かないのか、アイデアは。この花形のかまぼこはどうしたら美味いんだ。
祈る思いでブラウザを開くと、すっかり見慣れたレシピサイトをスクロールし始めた。
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