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    らぶなホテル編!
    個人的に(いろんな意味で)玖朗さん回だと思ってます
    これで全体三分の二終了かな~ってくらい!
    まだまだ続くぜ…!がんばるぜ!!

    #うちよそ
    atHome
    #うちよそBL
    privateBl
    #うちよそCP
    privateCp

    うちよそ第2話【第8幕】 会場を出ると途端に喧騒は遠のいた。ベルボーイと微かに会話を交わした玖朗は、恐らく行き先の階層を告げたのだろう。乗り込んだエレベーターは相も変わらず滑らかに上昇していく。追眠はちらりと隣を窺ったが、玖朗は視線を合わせてくれなかった。するりと、腰に添えられていた手が離れていく。
    「20階です。ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
     一礼するベルボーイに見送られてエレベーターを降りると、周囲は一層の静けさに包まれる。エレベーターホールを挟んで、左右に真紅の絨毯が敷き詰められた通路が細長く伸びていた。先ほどまでの人だかりが嘘のように人影が一切見えない。無言でつかつかと歩き出す玖朗に、追眠は慌ててついていく。
    「なぁ……なんでさっきから黙ってんの? なんか怒ってんのか」
    「怒ってないよ」
     先を行く玖朗が、ぼそりと付け加える。
    「むしろ、怒らなきゃいけないのは猫の方でしょ……」
    「は?」
     怪訝に思って首を傾げた追眠が隣に追いつくと、玖朗は顔を逸らした。追眠は一瞬言葉に詰まったが、妙な空気になる前に間髪入れずに告げる。
    「あのなぁ、蒸し返すなよ。怒ったりしねェわ。むしろ、上手く場を切り抜けてくれて感謝してる」
    「えっ……」
    「だっから! 落ち着かないっつってんだよ、普通にしろ普通に」
    「いや、俺だってそうしたいけど……どんな顔していいか分からないんだよ」
     徹底的に顔を背け続ける玖朗に少し腹が立って、追眠は反対側にさっと回り込むと玖朗の顔をちらりと覗いた。玖朗は珍しいくらいに困り果てた表情をしていた。心なしか、頬が赤い気がする。一瞬だけ合った視線はすぐに逸らされた。
    「なんだよ、なんで……」
    「つ、ついたよ!」
     追眠の声に被せるように玖朗が放った声は妙に大きく、静まり返った廊下に思いの外わん、と響いた。大きな声は自分でも予想外だったのか、玖朗は咳払いしてからカードキーを通して扉を開けた。しかし中に足を踏み入れようとはせず、何故か無言で立ち止まる。
    「なんで入らねェんだよ」
    「あぁ……多分そんなことだろうと思ってたよ……」
    「ハァ? なに、急に日本語で喋るなよ。なんだって?」
    「いや……なんでもないです……」
    「なんで敬語……ん?」
     玖朗の体の隙間から部屋の中を覗き込むと、ホテルのひと部屋とは思えないくらい広い空間が広がっていた。
     35、6畳くらいはありそうな室内は、壁やドアで仕切られていないため広々とした開放感があった。4人くらいまでなら一堂に会しても狭さを感じないだろう。
     エントランスと同じ白い大理石の床の上に、サイズは小さめながらきらきらと美しいシャンデリアが瞬く。だが光量は控えめだった。他にも光度を落とした間接照明があちらこちらにあり、部屋は心地よい薄暗さが保たれている。
     入ってすぐのところには複雑な文様のベージュのラグが敷かれており、猫足のテーブルと艶々したワインレッドの布地が張られた大きなソファが向かい合わせに一つずつ鎮座していた。こちらはいわばリビングルームと言ったところだろうか。
     奥が寝室なのだろう、馬鹿でかいベッドがこれでもかと存在を主張していた。ソファと色を統一した天鵞絨製の豪奢な天蓋の下、ベッドを隠すように淡いワイン色の薄いレースカーテンが下がっている。タッセルで留められたレースの奥に、真っ白なシーツが見えた。その上には何故か、ひらひらと薔薇の花弁が散らされている。
    「すげー……」
    「う、わッ」
     頑なに足を踏み入れようとしない玖朗の腰にひっついて追眠が呟くと、驚いたように玖朗は数歩進み自動的に部屋へ足を踏み入れた。
    「ま、猫……ひっつかないで……!」
    「っ、とと……だから、なんなんだよさっきから」
     玖朗に寄りかかっていた追眠は、よろけそうになりつつも体勢を保ち、ぶつぶつ言いながら今しがた入ってきた扉を閉めて内鍵とドアチェーンを閉めた。これは潜入調査、警戒を怠らないことは大切だ。
     視線を部屋に戻すと、玖朗は相変わらず呆けた顔で立ち尽くしている。つんつんと背中をつついてみると、ものすごい速さで追眠から離れていった。
    「や、やめてってば」
    「いやさっきから挙動不審が過ぎるだろアンタ。豪華過ぎてびびってんのか? らしくもねェ」
    「いや、だから、そうじゃなくて……」
    「は?」
    「ええと……」
     どうにもはっきりしない玖朗に片眉を上げつつ、追眠は再度室内に目をやる。テーブルセットの向こう側、大きな窓ガラスの外側に、真っ白なバスタブが見えた。間接照明で煌々と照らされているうえ、バスタブ部分が床より少し高くなっているため、室内からもよく見える。美しい円形のバスタブもまた、二人くらいは悠々と入れるくらいに大きかった。お湯が常時入れ替わっているのか、流れのある水面が、黄色や淡い紫や桃色にころころと色を変える照明に照らされてきらきら光っている。
    「すげー! あれ見ろよ玖朗、ロテンブロ? ってやつか? いやでも、こんな窓越しであんな明々と照らしてたら全部丸見えじゃんか、なぁ?」
    「っ……」
    「しかもなんか、いろんな色に光ってるし。あっ、ピンクになった……キレーだけど、風呂光らせるとか変わってんな」
    「ぐッ……」
    「あとさ、あの馬鹿でけーベッド、なんで上に花びら散らされてんの? 高ェホテルってそういう仕様なのか?」
    「な、な、なんでだろうね……?」
    「てか、ベッド一つだけなんだな。まぁあんだけ広かったら別に一個でも困らねェけど」
    「いッ……いや、ま、猫……い……一緒に使うつもりなの……?」
    「あぁ、はいはい。俺は別に平気だけど、アンタは嫌だろ? いいよ、デカいソファがあるし俺はそっち使うわ」
     追眠は肩を竦める。それにしても先ほどから、玖朗の歯切れが悪すぎる。どうも何か思うところがあるらしいが、それについて問い詰めるよりも先にやることがあった。追眠は玖朗に身を寄せる。
    「なッ、ま、ま、まお……」
     耳打ちしたいのに、追眠が近づくと玖朗が後ずさりして距離を取り、まるで話にならない。面倒くさくなった追眠は、ぱしりと玖朗の腕を掴むと無理やり玖朗の上半身を引き寄せた。
    「ちょっと、待って、猫……!」
    「あ? ……いいからとりあえず家探しするぞ」
    「は……?」
     やっと動きを止めた玖朗の耳元で、追眠はひそひそと続ける。
    「ここになにか仕掛けられてないか探す。盗聴器とか監視カメラとか」
    「えっ……こ、この部屋を……?」
    「当たり前だろ。他にどこを探すんだよ」
    「いや、でも……」
    「アンタ、さっきからおかしいぞ。どうしたんだよ? もしかして、もうなんか見つけたか?」
    「いや……そういうわけじゃ……とっ、とりあえず! ベッド周りは俺に任せてほしいかな!」
     はっきりしない態度かと思いきや、玖朗は急に声を張り上げてそう主張した。
    「ん? まぁいいけど。任せるわ」
    「いやほんとはどこも猫に探して欲しくないんだけど……どうだろう、どこがヤバい……? いやどこもヤバいよね……」
    「だから、さっきから何をぶつぶつ言ってんだよ?」
    「な……なんでもないよ……」
    「じゃあ、家探し開始な」
     両手を腰に当てて追眠が言い放つと、玖朗は消え入りそうな声で「うん」と頷いた。

    「なーきいてくれ!」
    「なぁに?」
     ベッドの脇にあったガラス張りの出入り口から、追眠は顔を出してわくわくと告げる。
    「風呂が! 蛇口捻ったら泡が出てくる!」
    「そっかぁ」
    「あと変な形の椅子がある! ほら、真ん中部分がこんな風に凹んでて……」
    「気にしなくていいんじゃない!? 怪しいものは何もなかったんでしょう!?」
    「お、おう……」
     ベッド周辺をごそごそしている玖朗は、やはり何か怪しかった。先にリビングルームのチェックを終えた追眠が、バスルームのチェックを終えても尚、時折何か呟きながらベッドルームをうろうろしていた。そしてとうとう、追眠の前に立ち塞がったのである。
    「猫は見なくていいよ」
     そう繰り返して、玖朗は先ほどからベッドルーム脇にある収納扉の前にがんとして張り付いていた。
    「なんで」
    「とにかく、見なくていいってば。中は俺がちゃんとチェックしたし」
    「別に俺が二重に調べたって損するわけじゃねェだろ? アンタを信用してないわけじゃない。ただ、そこがこの部屋の中では一番仕掛けやすそうだし怪しいんだよ」
    「でも……」
    「なんでそんなに渋るんだよ」
     執拗に食い下がる玖朗の様子に、流石に不審に思った追眠は眉を顰めた。すると、少し躊躇った後、玖朗は諦めたようにずれる。
    「……分かったよ。まぁ、俺たちには関係ないしね、猫も気にしなくていいからね」
    「は? ……あぁ」
     妙な念押しをする玖朗を横目に、追眠は釈然としないまま収納を開いた。
    「ん?」
     中を開くと、目の前には何やらいろいろな道具が垂れ下がっていた。手錠や足枷や鎖など、とにかく様々な種類の大量の拘束道具、それから太さや長さ等々バリエーション豊かな鞭。
    「……ハァ? なんだこれ?」
     訳が分からず声を上げる追眠の横で、玖朗は無言を貫くことにしたらしく、一言も言葉を発しなかった。首を傾げつつも追眠がさらに中を覗き込むと、垂れ下がるそれらの下に棚があり、優雅な筆記体で何某か書かれた紙切れが張り付けられているのに気づく。
    「……なぁ、これなんて読むんだ?」
    「……さぁ……?」
    「嘘つくな、絶対分かってる反応じゃねェかアンタ」
    「……テイクフリーって……書いてあります……」
     玖朗は絞り出すように言葉を漏らした。
    「やっぱり読めてんじゃねーか。で? どういう意味なんだ?」
    「……『ご自由にどうぞ』」
     どうぞ、と言われても。追眠は首を捻りつつしゃがむ。棚の中身を確認するためだ。
    「ねぇ猫……もうやめない……?」
     追眠の袖を引いてくる玖朗を無視して、追眠は棚を覗き込む。細かく仕切られている棚はガラス張りになっていて、中に収められているものが確認できるようになっていた。
     一番上の列には、綿棒から鉛筆くらいのサイズまでの太さの小さな金属の棒がずらりと並ぶ。それから下の列に続くのは、真っ赤な蝋燭だったり、野球のバットのように太くてごつごつした突起のある、無骨な黒い物体だ。
    「なんだこれ? よく分からんけど、拷問が趣味なのか? ここのホテル作ったやつは」
    「ど、どうだろうね……」
     玖朗の声が引き攣っていることなど気にも留めず、追眠はさらに下の列を見ていく。鞭や手錠と同様、てっきり拷問道具かなにかが並んでいるのかと思いきや、どうやらそれだけでもないらしい。ピンクや赤など、えらくファンシーな色をしたシリコン製の棒状の物体がたくさんあった。まっすぐなものから、曲線がかっているものまで形も太さも様々だ。何かスイッチらしきものが付いているが、どうにも使い方が判然としない。光ったりするのだろうか。
    「この辺は、子ども用のおもちゃとかか? あっこれは知ってる、エアコンよく壊すじーさんが持ってた。マッサージ器だろ」
    「あーうん……そうね、間違ってはない……」
     呟いた玖朗は、何か諦めた様子でがっくりと肩を落としていた。
    「んー、拷問道具に子供のおもちゃにマッサージ器って……よく分かんねェな、金持ちのホテルってのは。数的にはおもちゃが一番多いな、宿泊客の子ども用か? つっても俺たちは、おもちゃほしい年でもねーけど」
    「そうね……猫にはまだ早いかな……」
     玖朗はしおしおと俯いている。この男は先ほどから、何をそんなに意気消沈しているのだろう。ただ玖朗の今までの様子から、訊いたところで素直に答えもしないだろうと思った追眠は、とりあえずオモチャらしきものを棚から一つ取り出してみた。
    「これは? なんか動かして遊ぶやつ?」
    「うわッ、ちょっ、猫!」
    「なんだよ、『ご自由にどうぞ』なんだろ」
     リモコンらしきものがついていたためとりあえずボタンを押してみると、コードの先にあったピンクのつるりとした楕円形のものがぶーぶーと音を立てて動いた。
    「これの何がおもしろいんだ?」
    「やめよう!」
     突然玖朗が叫んで、追眠の手の中のものをひったくった。
    「ああああああのね、俺、すっかり忘れてたけど! あのメガネから盗聴器発見器のいいやつ預かってたんだった! こういう時のためにって!」
    「え、そうなのか?」
    「そう!! いや忘れててごめんね、今からそれ使って俺が隈なく調べるから! 猫は座ってて! ベッドの脇にね、俺と猫の荷物あったから、持ってきたものの確認とかしてて! ベッドの方も俺が改めて調べるし気にしなくていいから!」
    「お、おう……」
     あまりの剣幕に、追眠は思わず素直に頷いてしまった。ちらりと適当に視線を上げた先、収納の奥に服が吊り下げられているのが目に入る。
    「ん? あれって、セーラー服ってやつ、だよな……? でも、なんでこんなとこに」
    「ああああああああ!!!!」
    「うわッ、なんだよ」
    「いいから!! 猫は!! あっちに!!」
    「わ、分かった、分かったから落ち着けって……」
     玖朗に追い立てられて、追眠は慌てて謎の収納から離れた。

    「つかれた……」
     部屋のチェックを終えると、玖朗はベッドに腰掛けて両手で頭を抱えた。狐面が、ベッドサイドのスツールに乗せられている。玖朗の奇々怪々な振舞いの理由は結局さっぱり分からないままだったが、ひとまず室内に盗聴器の類は見つからなかったらしい。顔を晒しても安全であると確定したため、玖朗は仮面を外したのだろう。
     リビングルームの方に追いやられていた追眠は、そんなに疲れる作業だったろうか、と不思議に思いつつ、玖朗に近づいた。
    「あー……お疲れ。一人でやらせてごめんな」
    「いや……預かった機械一つしかなかったしね……俺は全然……」
     そう呟く玖朗の声はしかし、げっそりと疲れ切っている。
     いやまぁ、会場で気を張ってた分の疲れが今来たって感じなのかもしれねェな。
     追眠は一人で納得した後、玖朗が座るベッドの一画に腰を下ろす。座っても音も立てないのは流石、高級ベッドと言ったところだろうか。
    「とにかくこれで、会話も安心してできるな」
     追眠もやっと半面を外しシーツの上に放ると、チャイナ服の胸元の留め具を外していった。ぺらりと薄く白い服が捲れる。
    「ちょちょちょっと待って猫……」
     顔を上げると、明後日の方向に目を逸らした玖朗が吃っている。
    「なんだよ?」
    「な、なにするつもりかな……?」
    「戦利品の確認」
     追眠は服の中に手を入れる。固形物に手が触れると、それをずるずると引き出した。はじめに現れたのはピンクレッドが眩い大粒ルビーのブレスレットだ。その後も薄い衣服のあちこちからジュエリーを引っ張り出していく。ベッドの上に、きらきらのジュエリーが並んだ。
    「いつの間に……」
    「はん、アンタも俺も変態共にクソみたいな視線をずっと向けられてただろ。見学料だよ、あいつらまじで隙だらけだったぞ」
    「それはそれは……流石は“風猫”、転んでもタダじゃ起きないわけね」
    「そりゃな、盗ってやるくらいしなきゃやってらんねェよ。ただ、根こそぎ取ってやれなかったのは惜しいけどな……この薄っぺらい服じゃしまう場所がない。それに」
     追眠は並べたジュエリーの中からひとつをつまみ上げてみる。それは、玖朗に一晩中鞭で叩いてほしいなどと宣っていたあの男から掠め取ったネクタイピンだった。恐らく純金製だろう枠に、ネクタイピンとしては大きすぎる大粒の真っ赤なガーネット。周囲を囲ったダイアモンドが、存在を嫌と言うほど主張している。追眠は軽く溜息を吐いた。
    「どれもこれも、宝石の質はいいけどデザインの趣味が悪い。成金思考が滲んでる。はー、売っぱらうかァ」
     ごろんとベッドに倒れ込むと、隣に並べたジュエリーがちゃりんと少しだけ跳ねる。追眠は自身の側頭部に手をやった。
    「これが一番の収穫だな」
     指でつつくと、つるりとした感触がある。頭からバレッタをそっと外すと、追眠はそれを目の上に翳して覗き込んだ。
    「キレー……」
    「ふふ。結局あの卓も、猫に打ってもらったようなものだったね」
    「ンなことねェよ。決め手はアンタが揃えた緑一色だったろ。謝謝、玖朗」
     寝ころんだまま追眠が微笑むと、見上げた先の玖朗は小さく息を呑んで目を逸らした。すっかりいつもの調子に戻ったと思っていたが、そうでもないらしい。仮面越しでもサングラス越しでもないその顔には、決まり悪いような照れているような、微妙な表情が浮かんでいた。
    「アンタがなんもしてないの、珍しいな」
     にやっと笑った追眠は起き上がると適当に靴を放って、バレッタをシーツの上に置くとベッドの上に膝を立てて玖朗に近づいた。ボタンを開きっぱなしにしていた薄いチャイナ服が半分脱げかかっていたが、わざわざ戻すのは面倒だったし、それに何より、いつの間にか玖朗の手の中に現れていたサングラスを掠め取る方が優先だった。
    「よ、っ、と。……いつの間に出したんだよ?」
     丁番が開かれるよりも前にサングラスを奪った追眠は、首を傾げて笑ってみせた。玖朗が顔を顰める。
    「ちょっと。手癖悪いよ」
    「だって勿体ねェじゃん、こんなのしてるより、そのままのが綺麗なのに」
    「返して」
     すかさず手が伸びてきた。普段へらへらとしていて、あのくそみたいな会場でも少しも崩れなかった玖朗がこんなことでムキになっているのが面白くて、追眠はつい、その手をひらりひらりと躱し続ける。
    「なんでだよ? さっきは、好きなだけ、見ていいって、言ったのに」
    「っ……、蒸し返すな、って、言ったのは誰だったっけ? 返してってば」
    「俺だけど。ちゃんと返すから、な、アンタの目、見してくれよ、もう一回。ちょっとでいいから」
    「嫌だ」
     そう言うと、玖朗は伸ばしていた手を引っ込めて、ぱっと深く俯いた。
    「猫は、なんにも分かってない……」
    「分かってない、って……何の話だ?」
    「言いたくない」
    「悪かったって。これ返すから……ほら」
     サングラスを差し出しても、玖朗は何の反応もしない。こんなことは初めてで、追眠は玖朗の俯いた顔を下から覗き込んだ。
    「……玖朗?」
     目が合った、と思った瞬間。ぱしりと手首が掴まれたかと思うと、視界が反転した。押し付けられたベッドが常日頃と比較にならないくらい柔らかくて驚く。握っていたサングラスがころんと手から転げ落ちていった。ちろと見上げた先で、紫が瞬く。
    「えっと……疲れてるとこ揶揄って悪かった、ごめん。もう、目ェ見せろってしつこく言わねェから」
    「……違う」
     きゅっと、目の前の瞳がきつくなる。でもそれは何となく、怒りとは違う気がした。
    「猫は、危機感とかないの?」
    「は?」
    「それとも俺を試してる?」
     縫い付けられた手首を握る手に力が込められる。切羽詰まっているような、焦っているような、そんな余裕のない表情を見るのは初めてだった。けれど、その表情の意味が追眠にはよく分からない。
    「……試す?」
    「こんな場所でそんな格好で、そういう風に振る舞って……猫は、俺に何されたか忘れた?」
     こんなとか、そんなとか言われてもよく分からない。ただ、忘れたかどうか問われているのが何のことなのか、それだけは分かった。
    「忘れるわけねーだろ」
     そう、あれは——あの夜の出来事は、忘れたくても忘れられない。思えばあの日、もう二度と関わるものかと屈辱と恐怖に塗れて誓ったはずが、何故ここまで玖朗との関係を続けているのだろう。何故、契約なんて結んでしまったのか。追眠は玖朗の瞳を静かに見上げた。
    「アンタは何で、こんなことしてんの」
    「そ、れは……」
     くしゃりと歪んだ瞳はひどく苦し気で、しかし尚も美しい。この瞳に惹かれた。確かにそうだ。この美しい紫をこうやって覗き込めるなら、対価を払うだけの価値はあると思った。それ以上に深い意味なんてない、はずだ。そもそも、あの夜のことだって何だって、追眠は意味だのなんだのを考えることはしない。そんなこと考えたって意味がない。それでもふと気づいたときに、そう例えば今この瞬間に、考えてしまうのだ。
     玖朗の表情が示す感情は何なのか。——分かんねェ。
     なぜ自分は、玖朗を押しのけようとしないのか。——それも分かんねェ。
     まるで怒りが湧いてこないのは何故か。——それは、だって、玖朗はもう、あんなことしねェし。あの時とは違う。
     どうして確証なく違うと言える? 何故そんな風に信じているのか。分からない。分からないのだ。考えることは苦手だ。だから、追眠を組み敷いているにも関わらず、逆に追い詰められたかのような表情で押し黙る玖朗に向かって、追眠は単純な疑問として問うた。
    「悪ふざけなんてあの一回で充分だ。そうだろ? それともアンタは、俺にそんなに嫌がらせがしたいのか」
    「………嫌がらせ、したい、わけじゃない」
    「じゃあ何? 何にそんな苦しんでんの、アンタ」
     間髪を入れず尋ねると、玖朗は泣きそうに表情を歪めた、気がした。その瞳に浮かんだのが本当に涙だったのか確認できなかったのは、玖朗が追眠にのしかかってきたからだ。重たくて長い溜息が、耳元で聞こえてくる。
    「……おい、重いわ」
    「ごめんね。……ごめん」
     小さな声で囁いて、玖朗は追眠の手首を抑えつけていた両手をゆっくりと離した。あまりにも動作がゆっくり過ぎて、まるで両手が自由になった追眠から突き放されるのを恐れているかのようだった。そう、玖朗は何かを恐れている。そんな気がして、追眠はひとまずされるがまま、肩の力を抜いた。追眠が抜け出そうとしないことが分かると、ひっそりと玖朗が呟く。
    「ねぇ猫、専属契約、まだ有効だよね」
    「なんだよ急に」
    「……やめるって、言わないよね」
    「言ってねーだろ」
    「そっか」
     玖朗の口調は縋るように心細げで、何と声を掛けたものかと迷った後、追眠は口を噤んだ。少しの沈黙を経て、玖朗は聞き取れないくらい小さな声で囁く。
    「俺はね……俺は、猫の特別でいたい」
     追眠はただ、ゆっくりと目を瞬かせた。言葉の意味は分かっても、意図が分からない。でも何だか、追眠に覆いかぶさっている恐らく一回り以上歳の離れた大の男が、中華街でよく相手している小さな子どものように思えてしまって、気が付くと、あやすようにその頭を撫でていた。ぽんぽんと軽く叩いてやると、玖朗がゆっくりと起き上がる。そうして鼻先が触れるくらい近くで覗き込んできた。
    「猫、あのね……」
    「なに」
     吐息も感じられるくらいの至近距離なのに、追眠の心中は不思議なくらい静かだった。
    「……もう一回だけ。おねがい」
     掠れた声で、玖朗が囁く。それは、懇願だった。何を乞われているのか瞬時に理解したのに、その現実に対して追眠の心は拒絶をしていなかった。唇が近づいてくる。魔法にかけられたように追眠の身体は弛緩して、とろりと瞼が閉じていく。

     ——リーンゴーン。

     鳴り響いた重々しい呼び出しベルの音に、はっと目を見開いた。玖朗はすぐに起き上がり、リビングルームにある出入口の方を見つめている。追眠も跳ねるように起き上がり、音を立てずに素早く、ベッドから降りるとリビングルームへと移動する。くんと服の袖を引っ張られた。いつの間にやらサングラスをきっちりかけなおした玖朗がついて来ていた。
    「……ドアの両脇で迎え撃とう」
     追眠は、玖朗の囁きにこくりと頷く。そしてそれぞれ、扉の両脇の壁に張り付いた。扉は沈黙したままで、鍵が回る様子も、こじ開けられるような気配もない。ただもう一度、リーンゴーン、と呼び出しベルが鳴った。
    「鍵、開ける」
     音を殺して、ほとんど息だけで追眠は言った。
    「……危険すぎる」
    「けど、捕まえて話を聞き出せば事態が進展する」
     追眠は、荷物の中から回収しておいた愛用のナイフを既に握っていた。
    「大丈夫だ。奇襲すれば、一人は絶対仕留められる」
     玖朗と小声で会話を交わす間も追眠は扉から少しも目を離さなかったが、扉には何の変化もない。
    「ドアスコープは……相手が拳銃持ちだったりするとヤバいな。開けるぞ。いいな」
     追眠がそう言って、玖朗が否定か肯定か、何某かを答えようとした時だった。
    「たのもー!!!!」
     扉の向こうから聞こえた、緊迫した空気をぶち壊す柔らかい子どもの声に、二人は思わず顔を見合わせた。

    「おおすげ〜、二人ともぴっかぴかじゃん」
    「ぴかぴか〜!」
    「……何もいなかったね閉めよう」
    「いや待て待て待て待て!」
     霊霊とマツリの姿を確認した途端、二人の鼻先で扉を閉めようとした玖朗を、追眠はひとまず抑えた。追眠と玖朗の攻防戦を前に、霊霊はいつもの調子で笑う。
    「アッハ! グラサンの機嫌わっる、ウケる~」
    「ウケる~!!」
    「……マジで死ね」
    「アッハ、キャラ崩壊してんじゃん。てか意外、お前のシュミってそういう感じだったのかよ」
    「……あ?」
    「風猫脱がしてたんだろ? おっ始めてたところ悪かっ——」
     霊霊の言葉が終わらないうちに、ひゅん、と風切り音がした。霊霊が身を捩って、それからけたけた笑っている。
    「あっぶねー」
     玖朗が舌打ちをした。いつの間にか、その手には手術用のメスが一本握られている。
    「こんなとこにまでそんなモン持ち込んでんのかよ? あー、ワーカーホリックってやつ? カワイソ~」
    「……護身用だよ、下手な武器より握り慣れてるものの方が扱いやすいから。喉仏切り刻んで呼吸できないようにして、一番苦しい方法で殺してあげるから次は躱すなよ?」
     二人の会話の内容は分からないが、とにかく玖朗の笑顔の迫力がものすごく、大変腹に据えかねていることは追眠にも分かった。
    「あぁ、何度も殺そう殺そうとは思ってきたけど、もっと早めに殺しておけばよかったな……」
    「アッハ、ガチギレだわ~」
    「らんらん、ごらんしん~!」
    「……金づるは別に確保したらいいしね。うん、一遍殺そう」
     悪意はなさそうだが、目の前の二人はどうも玖朗の火に油しか注いでいないような気がする。追眠はメスを構える玖朗を慌てて抑えにかかった。
    「待て待て待て、ちょっと一旦落ち着けって」
    「猫どいて? そいつ殺すから。大丈夫だよ、すぐ終わる」
    「やめろって! なんでキレてんだよ!?」
    「アッハ!」
    「わはは~!!」
    「そんでアンタらは殺されそうなのになんで笑ってんだ!?」
     一触即発の二人と一人を何とか引き離し抑え込みながら、ひょっこり劉仁が現れて協力してくれないものかと、追眠は心の底から願った。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
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    Replies from the creator

    みなも

    DONEとんでもない書き間違いとかなければ!これにて!完結!
    7か月もかかってしまった……!
    長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました!!
    ウルトラバカップルになってしまいましたが、今の私が書けるウルトラスーパーハッピーエンドにしたつもりです!
    ものすごく悩みながら書いた一連の3日間ですが、ラストは自分でも割かし納得いく形になりました
    2024.3.24 追記
    2024.4.30 最終稿
    玖朗さんお誕生日SS・2023【後編・3日目】 ゆっくりと瞼を開けたその瞬間から、身体が鉛のように重く、熱を持っていることが分かった。たまにある現象だ。体温計で測るまでもなく、発熱していることを悟る。
    「ん……」
     起き上がろうとした身体は上手く動かず、喉から出た唸り声で、声がガラガラになっていることに追眠は気づいた。そういえば、引き攣るように喉も痛む。ようやっとのことで寝返りを打って横向きに上半身を起こすと、びりりと走った腰の鈍痛に追眠は顔を顰めた。ベッドサイドテーブルには、この状況を予期していたかのように蓋の開いたミネラルウォーターのペットボトルが置かれている。空咳をしてから水を含むと、睡眠を経てもなお疲れ切った身体に、水分が染みていった。
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