Cross Love Together 天井から吊るされたライトが、ステージに立つ私達をじりじりと照らしている。ふと隣を見ると、眩い笑顔を放つ彼女の肌から伝った汗が、まるで宝石の欠片のように煌めいていた。
……ああ、なんて綺麗なんだろう。
この幸福な時を永遠のなかに閉じ込めたい。
ずっとずっとあなたと共に歌い踊る時間が続けばいいのに。
だから――この先もあなたは私だけを見て。私だけに憧れて。私に向かって手を伸ばし続けて。私をどこまでも深く求めて。
あなたが私を好きでいてくれるなら、私はあなたに絶対負けないから。
Cross Love Together
その仕事のオファーを知らされたのは、大型音楽番組の収録を終えた楽屋でのことだった。
「私とギャリーが共演!?」
くろむはマネージャーであるマルさんに渡されたオファーの詳細に目を通し、驚きの声を上げた。ひとまず浮かんできた疑問を、そのまま口に出す。
「あ、あの、マルさん。私、あの子との共演はNGを出してましたよね……?」
何せくろむは、人気が出て仕事がある程度選べるようになった頃から、自分に求婚してくるギャリーとの共演依頼はお断りするよう、マルさんにお願いしていたのだ。それによって不仲説に拍車がかかってしまったけれど、この先も当分解除する予定はなかったはずなのに。いつもはくろむに確認を取らずとも、マルさんが断ってくれているはずだ。
すると、マルさんは申し訳なさそうにこちらを見た。
「ごめんなさい。この一件だけはどうにか受けたいと思ってるの」
「……えっと、どうしてですか?」
マルさんはくろむの意見を何より尊重してくれるマネージャーだ。悩み抜いた末の決断であることは分かるが、そこまでして自分にこの仕事を受けさせたい理由はなんだろう?
くろむが首を傾げると、マルさんはその訳を説明し始めた。
「この前のアクドル[[rb:大武闘会> だいうんどうかい]]でギャリーが大観衆の前であなたにプロポーズしたでしょう?」
「ええ……はい」
「実はね、あのプロポーズが魔界でとても話題になって、最近くろむとギャリーのセットでの出演依頼が殺到しているの」
それだけじゃないわ、とマルさんは真剣な顔で続ける。
「業界内で共演NGが周知される分には構わないけど、世間やファンにまでその事実が公になると厄介でしょう?ギャリーのプロポーズはかなり評判になっているし、こちら側が一方的に無視してるようにとられてしまったらあまり良くないのよ」
「ああ、なるほど。それはちょっと心配かも……」
確かに、くろむは近頃メディアに出るたびにギャリーとの結婚騒動について訊かれている。
これまでの不仲説が一転、実際は真逆で求婚をしてされての仲だったのだ。注目度と話題性は良くも悪くも抜群であり、共演NGが週刊誌にでも載ってしまえば、くろむのかわいい小悪魔系アクドルとしてのイメージに影響を及ぼしかねない。
ギャリーとの共演を断る理由は、何も彼女からの好意を拒否しているからではないのだが、世間がどう思うかは別問題だ。
まったくギャリーったら……と、くろむはここにはいないライバルを思い浮かべて溜息を吐いた。視聴率の高い年末のテレビ番組の生放送でプロポーズするなんて、当然大きな反響があるに決まっている。まあ、ギャリーの場合はそれも計算に入れたのかもしれないが。
「だから、くろむにはこのオファーを受けてほしいの。大きな案件だから世間にもっとあなたの顔を売れるし、ギャリーと一緒に仕事をすれば良くない勘繰りはきっと落ち着くと思うわ」
額に手を当てながら悩ましげな表情で話すマルさんの目元には濃い隈があり、疲弊しているのが見てとれた。近頃のくろむはいつにも増して仕事が忙しい。大武闘会で活躍し、大注目を浴びてから、オファーが途切れないのだ。
くろむのスケジュールがそれだけ埋まっているということはつまり、アクドルの仕事管理や体調・精神面のケアをするのが仕事であるマルさんはそれ以上に忙しいということだった。
そんなマルさんの頼み。引き受けたいと思うのは当然だった。
「わかったわ、この仕事受けます! マルさんが選んだ仕事なら間違いないもの。内容は対談?コラボ?それともモデルかしら……?」
思えば、まだ企画書のキャスティング予定欄しか見ていなかった。用紙をめくり、二枚目に書かれた内容詳細に目を移すと、そこには予想外の仕事内容が記載されていた。
◇
「よお、くろむ!久々だなァ!今日もお前は最高にかわいくて綺麗だ。よし、このあたし様と結婚しよーぜ!」
心の準備を無理矢理しているうちに、あっという間にきてしまった撮影当日。
前の仕事が押したのか少し遅れてスタジオ入りしたギャリーは、いつもと同様にくろむを見るなりするりと腰に手を回して求婚してきた。そしてくろむも、いつも通りギャリーの身体を押しのけながら返事をする。
「お断りします!!それより……今日は、よろしくね」
普段より幾分か硬くなりながら挨拶するくろむとは反対に、ギャリーは溢れんばかりの笑みを浮かべた。
「おう!今日はすげぇうれしいよ。まさかお前とこういう仕事ができるなんてな」
「……ええ。あなたと二人でCMに出演する日がくるなんてね」
そう。今回くろむとギャリーにオファーがきたのは、魔界で大人気の遊園地『ウォルターパーク』のCM出演だった。
ウォルターパークは毎年新しいCMを作ることで有名で、放映されるたびに魔界で大きな話題となる。出演者は人気の有名人のなかでも特に前年度に話題になった者が選ばれるため、選ばれた者は「この一年の魔界の顔」と呼ばれることもある。
つまり、このCMにキャスティングされたことはアクドル界の若手のホープであるくろむにとってはこの上なく名誉なことであり、さらに名を上げるためのまたとないビッグチャンスであった。いくらギャリーとは共演NGだったとはいえ、この規模の仕事を断るのはさすがにもったいない。
それにマルさんが言っていた通り、共演することによるメリットがある。
これまでくろむとギャリーは犬猿の仲や不仲だと思われてきたが、アクドル大武闘会の公開プロポーズによってその誤解はなくなった。しかし注目を集めすぎた今、面白おかしくゴシップを書き立てられるのは勘弁したい。だからこそ今回のオファーを受けたのだが――。
「じゃあ、あたし様はメイクしなきゃなんねーからまた後でな。楽しみに待ってろよ!くろむ。お前を腰砕けにしてやるからな」
「……ええ、やれるものならね」
ヒールの音を鳴らしながらメイクルームに向かうギャリーの後ろ姿が見えなくなった後、くろむはへなへなとその場に座り込んだ。その体勢のまま事前に渡されていた撮影用の台本を開く。文章を目で追いながら、くろむは唇を震わせた。
「……んで、なんで私がギャリーに恋する役なのよ……!?!」
膝の間に吐き出すように呟いて、頭を抱える。
一体どういう経緯でそういうことになったのかは知らないが、CMのなかでのくろむは「ギャリーに恋している」という設定なのだ。
正確に言うと、くろむとギャリーは互いに恋をしている、つまり両片思いという役どころ。この「恋する女の子」という設定に、くろむは大きく戸惑った。
だって、何を隠そう、くろむはこれまで誰かに恋したことがないのだから。
これまでの人生、くろむが少しでも微笑めば男子は全員くろむを好きになった。だから、恋される側の役だけなら自然体のままで完璧だ。
しかし、今回は恋する乙女の役。恋を「された」ことは無数にあっても、「した」経験がないくろむには難易度が高かった。勿論、仕事なので役に徹するために最大限の努力はするが、よりにもよって相手はギャリーだ。そう考えると、どうしてかくろむの胸には大きな緊張が走った。
今だってノースリーブの衣装から剥き出しになっている腕が、その上に乗せられた頬の熱さを感じ取っている。
……何故ギャリーが相手となるとこうなってしまうのだろう。
そう考え込んでいると、撮影スタッフからくろむに声がかかった。どうやらカメラ機材のセットが終わったらしい。
くろむはそのままスタッフのいる方へと向かおうとして、近くに立てかけてある大きな鏡に気づいた。わずかに乱れた前髪を直そうと近づくと、鏡に映る自分の表情に驚いた。
何故なら、そこに映っているのは「傲慢の歌姫」くろむの顔ではなく、一般人のクロケル・ケロリという少女の顔だったのだから。
このままではダメだ、咄嗟に感じたくろむは、心を落ち着かせようと、目蓋を下ろして思いっきり息を吸い込んで深呼吸をした。
……これからするのはプロの仕事だ。
衣装に袖を通したら自分はその瞬間から完璧にアクドル「くろむ」にならなければならない。しかも今日は、恋する女の子役を演じるのだ。
そのかわいさで誰もが魅了されてしまうようなナンバーワンのアクドルになる――今日の仕事は、その野望を叶えるためにも重要なもの。
メディアに出るたびギャリーとの関係にばかり注目されるようではまだ全然ダメだ。
いつか誰も皆アクドルくろむの存在だけに注目するような、そんな眩い輝きを放つために。最強に美しく最高にかわいい姿で、ファンを笑顔にするために。そして、アクドルという名のつく分野では誰にも負けない最強無敵にかわいいアクドルくろむの[[rb:誇り> プライド]]のために。今日という一日を、完璧にやりとげなければ。
そう決意して次に目を開けたとき、先程鏡に映っていた緊張気味の少女の姿は見る影もなかった。
◇
最高にかわいく映る角度を計算して、アップになるタイミングを狙って上目遣いであまく微笑んで。カメラの前に立つくろむは、自分の持つ最大の武器である「かわいい」を惜しみなく披露していく。
フリルのついた白いスカートの裾の広がりも、ウィッグの髪の一本一本の動きすらも、全てがくろむ本人のかわいさを引き立てる道具でしかなくなるように。
その様子を見たスタッフ全員が感嘆してしまうほど、アクドルくろむの「かわいい」はまばゆく光り輝く才能だった。
「はいカットー!!オッケー!くろむちゃん、今の表情サイコーだった!」
「ありがとうございます!」
今撮っていたのは、パークにそびえ立つ入場門の前で待ち合わせをしているシーンだ。これはくろむ単独の出番であり、CMの最初を飾る重要な場面だった。
そもそも今回のCMは、ウォルターパークに訪れたくろむとギャリーが、さまざまなアトラクションで遊びながら想いを強くしていき、最後には晴れて両思いになるという流れになっている。
しかし、撮影にあたって、監督から演者に対する細かい注文はなく、ただ二人が自然体で楽しむところを撮影したい、と言われていた。
つまり、演者であるくろむとギャリーが楽しむ姿を通して、視聴者に「ウォルターパークに行きたい!」と思わせたいというわけだ。しかし勿論、全てが「自然」なわけではない。おおよそ台本で決められた流れのなかで、「自然体で楽しむ姿」を見せることを要求されていた。
さらに、くろむにはもう一つ現場から期待を寄せられていた。
ラストシーンで「どう」二人が両思いになるのかを、くろむだけ知らされていないのだ。何やらくろむの自然な表情を引き出すためにサプライズが仕掛けてあるらしいのだが、その内容を一人だけ全く知らされていない。勿論ギャリーもその内容を知っているのにもかかわらず、だ。
したがってくろむには、段取りも何も知らない状態で最高のラストシーンを残さなければいけない、という多大なプレッシャーが与えられていた。
だが、難題を課せられるのは望むところだ。ハードルが高ければ高いほど燃えるのがくろむという[[rb:問題児> アブノーマル]]なのだから。
「では、次はパーク内の撮影になるので移動しまーす!」
パーク外での待ち合わせシーンが撮り終わったため、続いてはいよいよパーク内での撮影になる。
撮影機材を移動してる間にくろむがスタッフにメイク直しをされていると、そこへギャリーがやってきた。
「おー、予定より随分と撮影が巻いてんじゃねーか。さすがくろむ!お前のかわいい表情ばっちり目に焼き付けてたぜ。やっぱりお前はあたし様が欲しがるにふさわしい、最高の女だよ」
くろむへの称賛の言葉とともに現れたギャリーは、バッチリとメイクを決めて、全体的に黒で纏めたパンツスタイルの衣装に着替えていた。ギャリーのスタイルの良さが際立ち、よく似合っている。
「はいはい、わかったから。というか、もしかしてずっと私の撮影見てたの……?」
「トーゼン!仕事で演技とはいえ、お前があたし様を恋しく想う顔だろ?いずれお前を娶って、演技じゃねえ『ホンモノ』の恋しがる顔を毎日見ることになるんだし、演技で見られるなんて今のうちだからな」
なんとまあポジティブな……と呆れたものの、そうやって本気で自分に向かって手を伸ばしてくるギャリーがいるからこそ、撮影に気合いが入るというものだ。
機材の移動が終わり、くろむとギャリーがパーク内に入ると、そこは閑散としていた。これは人気の低下によるものなどではなく、閉園することが滅多にないウォルターパークが本日のCM撮影のために丸一日貸切になっているからだ。
たった一日で莫大な利益を上げるウォルターパークが休園までする、それほど力が入っている撮影。なんとしてでも成功させなければならない。
それにここは以前[[rb:問題児> アブノーマル]]クラスのほぼ全員と一緒に遊びに来たり、アクドルとしても何度もステージに立ってきたりと、何度もお世話になってきた馴染み深い場所だ。その恩は返したかった。
早速始められた撮影は、監督の方針通りくろむとギャリーがただ「遊んでいる」ところをカメラで追いかける形となった。
台詞のあるシーンとアトラクションについては指定された通りに動くものの、そこから先は演者の自由だ。
「くろむ、まずあれから乗ろーぜ!!」
「え、ちょっと……!」
いきなりギャリーに手を繋がれて、連れられるまま初めに乗ったのは、一番人気の「絶叫コースター」。悪魔はスリルを快楽の一つとして好む傾向にあるため、こういったアトラクションは人気になりやすい。間違いなくこのアトラクションに乗る様子は使われるはずだ。
ギャリーはそれが分かっているのかいないのか、繋いだ手を離そうとはしなかった。
「あなたわかってる?これはお仕事なのよ」
「わかってるよ、だからこうしてんだろ?」
そう言われてしまえば、くろむは何も言い返せない。
コースターが急降下するときにバンザイしたときでさえ手は繋いだままだったけれど、さすがに絶叫したままで演技は難しい。それでもなんとか笑顔は作っていたけれど、カメラが回っていなかったら自分はどんな表情をしていただろう。そう考えると、カメラが回っていて良かったと思った。
次に二人がまわったのは、こちらもパーク内の人気スポットである「血みどろプール」だ。
早速二人はスタイリストに用意された水着に着替えた。くろむは露出が少なめかつ胸元が大きなリボン型になっている水色のかわいい水着に、ギャリーは黒い布地にゴールドのヒモがアクセントになっているセクシーな水着に。ちなみにこの水着は実際にパーク内で販売されているものだ。マーケティングに余念はない。
ギャリーは水着に着替えたくろむを見て、興奮しながら手を握ってきた。
「すっげぇかわいい。ああ、お前とはやく結婚したいよ」
「か、顔が近い!!まあ、褒めてくれてありがと。それにしても、あなたは本当にスタイルが良いわね…」
くろむは水着がよく映えるようにカメラを意識していたけれど、ギャリーがその姿のまま必要以上に密着してこようとするものだから、結局必死で泳いで逃げ惑うはめになった。血のように紅く染まったプールが、赤くなった頰を隠してくれたと信じたい。
しかし結局逃げてばかりでうまくカメラに映れた自信がなかったのに、何故かくろむは撮影スタッフ達に褒められた。
その他にもいくつものアトラクションを回って撮影も半ばを過ぎた頃、二人は台本通りに指定されたショッピングモールに入った。
アトラクションやパレードの他にも、ウォルターパークには様々な種類の店が揃えられた人気のショッピングモールがある。宣伝は当然、欠かせない。
二人が向かったのは、色んな系統の服や靴、アクセサリーやバッグなどがなんでも揃えられている人気店だった。気に入ったものがあったら何着か買っていいと言われている。資金は全てスポンサー持ちだ。
「あ、これかわいい!」
「へぇ、くろむに似合うと思うぜ」
「……そう?」
店に入り早速くろむが手に取ったのは、スカートがふんわりとしたバルーン型になっている、パステルピンクのワンピースだった。くろむ自身は美しい衣装もかっこいい衣装も何でも着こなせるよう努力しているけれど、やっぱり自分に最も似合うかわいい衣装が一番好きだ。
くろむがそのワンピースを買おうか迷っていると、隣にいたギャリーも何か見つけたらしい。
「お、これスゲー良いな!あたし様に似合いそうだ」
くろむと違って最大の武器がカッコよさであるギャリーが手に取ったのは、赤が基調のパキッとした色合いのジャケットだった。値段を見ないままギャリーはスタッフの女性の元へ行き、彼女の顎を掬って口説くように囁く。
「なぁ、嬢ちゃん。このジャケット、あたし様がくろむに愛を伝えるのにピッタリだと思わねぇ?」
「は、はいっ!とっても良くお似合いです…!」
「そうだろ?じゃあこのジャケットに合うパンツを見繕ってくれたら、嬉しいんだけどなァ……?」
「はい……!喜んで……!」
「あ、あと、あそこの――」
ギャリーと会話したスタッフの目には特大のハートマークが浮かんでいる。
その光景を眺めていたくろむは、今さっきまでレジに持って行こうか迷っていたワンピースを数秒見つめたあと、ハンガーにかけて戻してしまった。よくわからないけれど、さっきまで膨らんでいたふわふわとした気持ちが一気に萎んでしまったような。そんな感覚になったのだ。
一方、ギャリーは新しい服に着替えて、意気揚々とくろむの前にやってきた。
「どうだ?くろむ。このあたし様もカッコいいだろ!?」
モデルのようにくるっと回ってくろむに見せつけてきたコーデは、いつもの黒で纏めたスタイルとはまた違ったギャリーの魅力を引き出すものだった。赤いジャケットが差し色になって目を引く上に、ダークな紫のパンツと編み上げの長ブーツを合わせることによって下半身のシルエットが引き締まり、全体的なバランスも良い。
おそらく、くろむと並んでも互いのコントラストが際立って画面映えするだろう。さすがプロの仕事というべきか。ギャリーに見惚れていても、いや、彼女に魅了されていたからこそ最高の仕事が出来たのだろう。
「……そうね。ギャリーにとてもよく似合ってると思う」
「……!!ハハッ、お前がそう言ってくれるなら買うしかねぇな。そうだ!いっそこれを衣装にしちまうか……」
「ええ!?ちょ、そんないきなり…?!」
「おーい!そこのスタイリストの嬢ちゃんに頼みがあるんだけどさ…」
自分で決めたことに一直線になれてしまうギャリーを見て、さすがだな、と思う。
自分勝手で自由なギャリーだけれど、それは彼女の欠点ではなく、魅力以外の何ものでもないのだ。そして、自分を輝かせるために周りを虜にしてしまう。
ギャリーはまさに、主人公になるために生まれてきたような悪魔だった。
――ああもう!私も負けてられない!!
そう思うと、一気に気持ちが奮い立った。
そうだ。ギャリーが「カッコよさ」という武器に磨きをかけてくろむをその手におさめようとするならば、くろむはギャリーの手の届かない高みへと登らなければならない。
先程くろむが一度戻してしまったパステルピンクのワンピースを手に取る。これは、間違いなくもっとくろむ自身の「かわいさ」を最強にする戦闘服だ。正体不明のもやもやした感情に振り回されて、手放すべきじゃない。
「すみません!私もこのワンピースに着替えます!」
くろむが目指すのは魔界でナンバーワンのアクドルだ。
その野望を果たす日まで、誰にも、何にも揺らがされるわけにはいかないのだ。それが例え、くろむ自身の心だったとしても。
その後、撮影はトラブルもなく滞りなく進んだ。
そして日が沈んできて辺りが暗くなってきた頃、とうとう台本に書かれた全行程が終了した。つまり、この先はくろむにとって未知の時間が待っているのだ。
プレッシャーと期待を感じて、緊張感がどんどん高まる。
しかし、少し前からギャリーの姿が見えない。
休憩時間に入ってすぐどこかに行くのは見ていたけれど、それはよくあることだと気にしていなかった。けれど、休憩が終わってからも戻ってくる気配がないのはおかしい。もうすぐラストシーンの撮影が始まるというのにどこに行ったのだろうか。
くろむが不安に思っていると、ギャリーが揃わないまま移動することになった。どこに向かうのかはくろむには知らされていない。
ギャリーがいないということは、もしかしたら個別のカットを撮影しているのだろうか?でもそんなシーンは絵コンテになかったはず……そう思いながら歩いていると、眼前には「ある場所」が見えてきた。
それは、アクドルにとっては馴染み深い場所。
「ここは……大広場のフェスステージ?」
くろむが広場に足を踏み入れた途端、辺りにあったすべてのライトが消えた。一気に薄暗がりが一帯を包み込む。
「キャア!?な、何……!?」
煌びやかなパーク内が静寂に包まれ、暗闇に慣れない目を懸命に瞬かせて状況把握に努めていると、数秒後、ステージ上のスポットライトが一斉に灯った。
光のある方へと顔を上げると、その眩いステージには一人佇む人影が見えた。
「ギャリー………!?」
あのシルエットは間違いない。ギャリーだ。
「くろむ!!はやくこっち来いよ!!」
マイクを通した大声で、ギャリーが呼びかけてくる。満面の笑みを浮かべながら、思いっきり手を振って。ステージ上でスポットライトの光を全身に浴びながら。
くろむは自然と駆け出していた。
地面を蹴って、真っ直ぐ前だけを見つめる。光がどんどん強くなり、頰には自然と赤みが差す。何十回、何百回と味わってきたのに、未だ慣れることのない胸のドキドキが、心を支配していく。
ああ、そうだ。
ステージこそが、「くろむ」の居場所だ。
ステージの上からギャリーの手が伸ばされる。
期待に満ちた、ギラギラとした眼差しがくろむに突き刺さった。それに応えるように、くろむは口角を上げて、にこっととびきり可愛く微笑む。
しかし、伸ばされた手は取らなかった。
いつだって自分に向かう手は自分を求め、追いかける手だけでいい。引っ張り上げようとする手は、くろむには必要ないのだ。
だから、ダンスを踊るために鍛え上げた足で思いっきりジャンプする。バルーン型のスカートが、ふわっと跳ねるように舞い上がった。きっと今くろむはとびきりかわいい。
そう、くろむは最強にかわいいのだ。
ステージの上で、ギャリーと対峙する。
ギャリーは目を細め、満足気に微笑んでいた。すでにギャリーの手はくろむに向かっていない。きっとギャリーは、くろむが手を取らないことをわかっていて手を伸ばしていたのだろう。
ギャリーは持っていたマイクを一本投げ渡しながら、くろむに問いかけた。
「驚いたか?」
「ええ、とっても!……これがサプライズだったのね」
「ああ、そうだよ。あたし様がプロデュースしたんだ。今のあたし様とお前が愛を交歓する場所っていったらここしかないだろ?」
「……ふふっ、そうかも。私に着いて来られるアクドルはあなただけみたいなんだもの」
スピーカーから音楽が流れ始めた。
アクドルなら誰もが歌える有名曲だ。ギャリーがまだデビムスに所属していた頃、この曲に合わせて何度も共にステップを踏んだ。
何度も練習を重ねた思い出の曲。
「くろむ!!」
ステージ真正面に設置されたカメラを見据えたまま、ギャリーはくろむの名前を呼んだ。
「勿論お前はあたし様と踊ってくれるよなァ!?!」
くろむも、観客がスタッフしかいない客席に向き直った。カメラの位置の把握もバッチリだ。
たとえ観客が一人だったとしても、その誰かを笑顔にするために全力でパフォーマンスするのが、くろむの憧れたアクドルだ。
「ええ、当たり前よ!!」
色とりどりのスポットライトがふたりを包む。アップテンポの音楽を追い越してしまうくらい、胸の鼓動がドクドクと音を立てる。マイクに乗せた音がどこまでも広がっていく。ステップを踏む足は、疲れを知らないようにどんどん軽くなっていく。
ステージで歌い踊るこの瞬間は、いつだって楽しくて仕方ない。
隣を見ると、ギャリーの汗が光を反射してまるで宝石の欠片のように煌めいていた。
ああ、なんて綺麗なんだろう。
思わず見惚れてしまうほど、ギャリーは輝いている。出会った頃から、ずっと。
――テレビで見たくろむを目当てにこの世界に足を踏み入れたギャリーが、ずっと今まで追いかけてきてくれたこと。それがくろむにとってどれだけ嬉しいことなのか、きっとギャリーは知らないだろう。
努力知らずだったギャリーが、くろむに食らいつくために一生懸命練習に励んでくれたことも、ヘルダンスに挑戦して最後まで共に踊り切ってくれたことも、本当は心が震えるほど嬉しかった。
出会ったときからこれまでずっと、くろむだってギャリーのことが[[rb:愛> ほ]]しいと思ってる。
サビに差し掛かり、二人の視線が交差する。
向かい合ったギャリーの表情はキラキラと輝いていた。ギャリーの瞳に映るくろむ自身も同じような顔をしている。
……同じ目線を共有できる存在がいるって、なんて幸せで、怖いことなのだろう。
アクドルのトップを目指すくろむに待ち受けるのは、頂きに立つ孤独だ。家族を見返すためにアクドルになったくろむは、とうの昔に独りでいることに慣れていたはずだった。孤独になる覚悟もできていたはずなのに。
ギャリーがくろむを欲しがったりしたから。くろむの左手の薬指を噛んで、ギャリーがくろむを超えたら結婚するなんて約束を結んでしまったから。
ギャリーに負けるわけいかないと足掻いているうちに、いつの間にか自分の側にギャリーがいない未来が想像できなくなってしまった。
だから――ギャリーにはくろむをそうさせてしまった責任を取らせなければならない。
ずっと、この先も続く時間を、全てくろむを欲しがり続けることに費やして。
私だけを見て。
私だけに憧れて。
私に向かって手を伸ばし続けて。
私をどこまでも深く求めて。
そうして、ずっと共にアクドルでいることが、くろむが勝手にギャリーに課した責任だ。
これは秘密にしていることだけど、くろむはアクドルのギャリーが好きなのだ。そのステージを、表情を、くろむだけを求める手を、一番の特等席で眺めていたい。
きっとこの気持ちを伝えるのは、少なくともアクドルを引退した後だろう。もしかしたら、一生言わないかもしれない。だって、この幸福な時を永遠のなかに閉じ込めていたいから。ギャリーと共に歌い踊る時間を、簡単に捨てたりなんかしたくないから。
だから、ギャリーがくろむを好きでいてくれる限り、絶対に誰にも負けたりなんかしない。
ギャリーには、絶対に負けてなんかあげない。
音楽が止む。
この光景の真っ只中にいた皆が興奮に包まれていた。弾む息が苦しくて、だからこそ心地良い。流れる汗で髪が肌に張り付いて、メイクも少し崩れているだろう。
それでもきっと、くろむはかわいい。
心は十分なほど満たされていた。まるで喜びで全てが溢れ出してしまいそうなほどに。
今、魔界で一番最高な場所は、間違いなくこのステージだった。
「楽しかったか?くろむ」
目の前のギャリーが、興奮を浮かべた燃えるような目でくろむを見つめてくる。その眼差しで全身が焼かれてしまいそうだ。
「ええ!すっっごく楽しかっ――」
くろむがギャリーに駆け寄ったとき。いきなりギャリー手を引かれた。一気に体が傾く。一瞬何が起こったかわからなかったけれど、ギャリーがくろむを抱き寄せたのだ。
顔を上げると、互いの息がかかるくらいギャリーの顔が間近にあった。
しかも、まるでこの世で一番愛しいものを眺めるみたいに、熱く、甘く、くろむを見つめている。くろむが驚いて固まってしまった隙を見逃さず、ギャリーの顔がどんどん近づいてくる。
もしかしてキスされる……!?
そう思って、くろむはギュッと目を瞑った。
しかし、それから数秒待っても特にどこも触れられた感触はない。意を決して、恐る恐る目を開ける。
「え………?」
真っ先に視界に映ったのは、小さな水色の宝石が中央はめられたハート型のネックレスだった。
もしかして、さっきはキスしようとしたんじゃなくてこのネックレスを着けようとしたのだろうか。いや、絶対そうだ。自分が盛大な勘違いをしていたことが恥ずかしく、一気に頰に熱が集まる。
ギャリーはその様子を愉快そうに眺めていた。
「ごめんな、くろむ。まだあのとき噛んだ薬指の約束を果たせてないから、それまで唇はおあずけだ。期待してくれたのに悪いな」
「なっ……!!期待なんてしてない!!」
「ハハッ!素直じゃねーなあ。まあ今はそれでいいけどさ。それより、そのネックレスは気に入ったか?さっきのショップでお前に似合うと思って買っておいたんだ」
いつの間に買っていたのか、くろむはまったく気がつかなかった。
くろむの瞳と同じ透き通った氷のような石が、照明に反射して煌めきを放っている。とても綺麗だ。くろむの瞳は、クロケル・ケロリが持って生まれた色。何も飾り立てていない唯一のものだった。
「すごくかわいい……。ありがとう、嬉しい」
「良かった。……でも、きっとこの撮影が終わったらお前はもう着けないだろ?」
「……うん、ごめん」
「いいよ。そういうお前だからあたし様はこんなに必死になって、人生を賭けてまで欲しくてたまらなくなるんだ」
「ギャリー………」
「まあ、安心しな!くろむがあたし様のものになったらいつだってつけられるようになる。絶対いつかお前を追い越して見せるから」
その指がくろむを指し示す。
「だから、ずっとあたし様を見てろよ!」
ギャリーは高らかにそう宣言した。
くろむには、その宣戦布告のような宣言がまるで永遠の誓いのように聞こえた。身も心も歓喜に震える。それは武者震いに近く、それでもやはり何にも代え難い喜びだった。
瞳が勝手に潤んでくる。でも、涙を流すわけにはいかない。
今すべきことは、ギャリーの誓いに応えることだけだ。
約束を果たそうと必死にもがいて、果てしなく強欲な、永遠にそんなギャリーでいてくれるなら――。
「――大丈夫。私は一生負けないから!」
「いいや、あたし様が手に入れてみせるよ。絶対。そのときを待ってろよ、くろむ」
「ええ、楽しみに待ってるわ」
アクドルくろむはこの先もずっと、美しく、かっこよく、そして最強で最高にかわいいアクドルで在り続けてみせる。
これが、くろむの愛の形だ。
◇
撮影から数ヶ月が経った頃、いよいよウォルターパークの新CMが流れ始めた。
放送されたCMは、スポンサーの期待を遥かに上回る大評判になった。なんといってもアクドル[[rb:大武闘会> だいうんどうかい]]を大いに盛り上げた結婚騒動組の中心人物であるくろむとギャリーが恋人役なのだ。元々人気の高い二人だったが、話題性も抜群だった。
特にくろむのリアルな恋する女の子の演技は評価が高かったのだが、実際に放映されたCMを見た本人が誰よりも自分の表情に驚愕して羞恥のあまり倒れかけたことは、彼女と親しい者にしか知られていない。
さらに、最後にギャリーがくろむに贈ったネックレスはあっという間に品切れとなるほどの大人気商品になった。瞬く間に魔界中のカップルの間でプレゼントの品として定番化した上、CMでのくろむとギャリーの格好を真似るティーンや、ウォルターパークでプロポーズをするカップルが続出するなど、もはや社会現象が起きているといっても過言ではなかった。
ただ――。
あまりの評判に再び共演依頼が殺到したことを、くろむはまだ知らない。