深夜小話 ずずず、と音を立てて麺を吸い込む。初めの頃はちゅるちゅると丁寧に食べていたが、今となっては慣れたものだ。豪快な食べっぷりにこちらまで満足してしまう。
「美味しいか?」
「うん」
口の端にスープの油を付け笑う浮奇が先ほどまでの色っぽい姿と相反して愛らしく、思わず笑みが溢れた。
「それは良かった」
いつからだったか、深夜のカップラーメンは恒例の二人の至福時間となっていた。
普段美容に気を遣っている浮奇は、初めこそ時間帯とカロリーのバランスに抵抗したものの、彼氏による悪魔の囁きと中毒的な背徳感に負け今に至っている。
「ふーちゃんのは?おいしい?」
「ああ、美味いぞ。食べるか?」
「うん」
カップを交換して汁を啜る。表情を見るに、かなり気に入った様子だった。
「そのままそっち食べてもいいぞ」
「いいの?」
「もちろん」
えへへ、と笑う顔はやはり無邪気。たまらず唇を寄せた。
「もう一回する?」
躊躇う様子もないその言葉も彼らしい。
「いや、食べたら寝よう」
「えー」
「明日昼から予定あるだろ、外出するなら無理させられない」
「……してっていっても絶対限界まではしてくれないくせに」
「ん?」
「べつにー」
聞こえているのにいないふり、それに口を膨らませる浮奇、という流れもお約束だ。
気怠い体とくしゃくしゃの髪。二人だけの空間が愛おしい。
ファルガーは隣で拗ねる恋人を宥めるように耳を弄った。耳たぶを優しく揉んで耳の穴に指をゆっくりと差し込む。
「〜〜だから、する気がないならそういうことしないでってば…!」
「はは、すまない」
怒っている君はこんなにも愛らしい。巫山戯た真似を懲りずにする自分に呆れながらも、この可愛さを独り占めできる幸せに浸る。
深夜のワンルーム、穏やかな争いはこじんまりとした一つの窓をぽつり照らした。
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ジジジ、蛍光灯の音が薄く響く店内。中にはスマホを見ながら暇を潰す店員とスウェットを着た二人の客。
「ふーちゃーんこれで合ってる?」
目当ての品物を確かめるべくファルガーに向けて問いかける。
「浮奇、そんな見せびらかすような真似するな」
「だって他に誰もいないし」
「店員さんがいるだろ」
「気にしてないよ、きっと」
徐に袖を口元に寄せると、ファルガーの匂い。出掛けに適当に借りて着てきたスウェットから香った。数十分前のファルガーの色っぽいあれそれが思い出され、耳が覚えている彼の吐息に脳が侵食された。早くも彼の体が恋しい。
「ねぇ、これで合ってるでしょ。早く帰って続きしよ」
「サイズは合ってるが、ちょっと待て、他にも買うものがあったはずだ」
「いいよ、明日買えば」
「そう言ってまた面倒になるだろう」
「んん"〜」
こちらだけ発情しているような状態が気に入らない。さっきまで自分だって汗かいてたくせに。
「スイーツは?」
「んー、いらない」
カゴを持つファルガーの反対の腕にぴとりとくっつきながら、買い物が終わるのを待つ。
飄々とその他生活用品を選んでいく彼の横顔は、悔しいかな格好いい。
いつだってときめき負けてしまう彼の魅力に精一杯負けじと頑張るのに。ありのままが一番素敵だと囁いてくる彼のせいで、素の自分を愛される幸せを知ってしまった。
「ふーちゃん、すき」
「はは、ありがとう」
「だいすき。キスして?」
「戻ってからな、」
「……はーい」
いつもは釣れないこの男も、ベッドの上では自分だけを瞳いっぱいに映すのだから、今は容赦してあげようと心に留めた。
深夜のコンビニ、蛍光灯が照らす二人は緩やかな空気を纏って静かに笑い合った。
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ピピピ、おもちゃの縦笛のような音が数字をディスプレイに映し出した。浮奇が最近買ってきた電子の体重計だ。
「……太った」
明らかにワントーン下がった声で浮奇が呟いた。
「ただの数字だろ、気にするな」
本音で言ったつもりだが、妙なところを気にする彼のスイッチを押してしまったらしい。
「数字だけじゃないよ、最近お腹ぷよってきてるの、ふーちゃんだって気づいてるでしょ」
「いや、特に気にしたことはないが」
「してる時よくお臍にキスしてくるじゃん、触ってたら分かるでしょ」
「言われてみれば少しは柔らかくなったような…?」
腹を摘んでできた餅と睨めっこをしている。確かに摘めるくらいは増えたらしいが、行為の最中、浮奇の体や仕草全てに愛おしさしか感じないこちらとしては大した問題ではなかった。
「ぁぁ…もう、絶対ラーメン食べてるからだ」
「頻度を減らせばいいんじゃないか?」
「………そうする。というかしばらく止める」
思った以上に落ち込んだ表情の浮奇にどうしたものかと顔を窺う。しゅんと耳の垂れた浮奇もそれはそれで可愛いのだけれど。
「あとは、二人で朝ウォーキングでもするか?」
「……する」
浮奇は拗ねた顔のままハグを求めた。下着だけのような格好で、抱き合う二人の唇が自然と重なる。
「もう一回するか?」
珍しいファルガーからの問いかけに、浮奇はこくこくと頷いた。
どんな姿でも愛らしい恋人は、自分が好きな自分でいられるよういつも懸命に前を向く。
言葉にするには重すぎる愛情を抱えて、心ごと抱きしめられるようにともう一度深く口づけた。
深夜の浴室、舌の混ざる水音は二人の密度だけを濃くして溶けていく。
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トトト、喉を伝うミネラルウォーターの音が心地よい。潤い満たされた彼はシンクにもたれ掛かった。
「浮奇も飲むか?」
「うん」
渡されたコップから水分を補給する。からり乾いた喉がじんわりと潤っていくのがわかる。
向かい合ったファルガーの手が丁寧に浮奇の髪の毛を整えた。
「言ってたアニメ何時からだっけ?」
「あと、数分後だな」
リアルタイムで見るのだとファルガーが数週間前から楽しみにしていたアニメ。深夜までどう時間を潰そうと言うので、浮奇から誘い、二人はベッドの上で甘い空気を貪った。
「俺も一緒に見ていい?」
「もちろん」
少年のように期待を膨らませる彼の顔に唇を落とす。
キスもセックスも、何度したってし足りない。瞬間ごとに愛おしさが増して、いつかこの心臓が彼への想いで膨れ上がり、破裂してしまったらと杞憂を手持ち無沙汰に掲げる。
ソファに移動する彼の手を握って確かめる。この人との繋がりはいくつあっても物足りない。こんな贅沢な悩みをどうでも良くしてしまうのもまた彼なのだから、もうどうしようもなかった。
深夜のリビング、暗い部屋に付けられたテレビを眺める二人の体がゆっくりとソファに沈んでいく。
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んんん、と唸りをあげた恋人はうたた寝から意識を戻したようだ。
「……ふーふーちゃん」
起きて最初に自分を探す彼が雛鳥のようで、思わず口づけをして答える。
「どうした?まだ夜中だし、寝てていいぞ」
「……俺どのくらい落ちてた?」
「数十分くらいじゃないか」
「そっか」
「疲れただろう、無理させてすまない」
「今日のふーちゃんさいこうだったんだけど」
「はは、俺は浮奇が意識飛ばしてから無理させたと反省してたよ」
「いつもあれくらいしてくれていいのに」
「意識が飛ぶのは、心配になるから…たまにな」
ふわふわの滑舌で変わらず攻めた口調の浮奇は徐に携帯に手を伸ばした。
「…あ。今日流星群の日だった」
「あぁ、あの何百年かに一度っていう」
「見逃した…」
「まぁまたニュースで流れるだろ」
「そうじゃなくて、ふーちゃんと一緒に本物見たかったの」
「そういうものか」
「そういうもの」
自分にはないロマンチックさを持ち合わせた浮奇の心は、ファルガーの目にいつだって新鮮に映る。
励ますように頬に添えた手に、浮奇は幸せそうに顔を擦り寄せた。
「ふーちゃんは流れ星見れたら何を願いたい?」
「そうだな……あのアニメの続編制作が決まるように、とかか?」
「ははは、前から言ってるもんね」
本当の願いは他にある。
「浮奇は?」
「うーん……秘密」
珍しく口慎む様子の浮奇の目には外の星空が反射する。
触れるもの全てを美しく見せてしまう浮奇との何気ない時間。そんな時間が、一生続けばいい。その願いはあまりにも切実で、口には出来なかった。
せめて、彼の秘めた願いが叶うよう、流れた先の宇宙へ祈りを込める。
深夜の寝室、カーテンの先に広がる光の粒が二人の未来を優しく照らした。