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    はねた

    @hanezzo9

    あれこれ投げます

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    はねた

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    おうちのことが終わったあとのあくつくんと、おうちのことを聞いてしまったという感じのあしとくんを書きました。

    #aoas
    #あくあし

    誠実な詐欺師 制服の上着を脱げば、香の匂いがふいとくゆった。
     母親の葬儀からしばらくが経つ。面倒がってクリーニングに出さずにいたものが、いまさらになって染みだした。
     上着を椅子の背に放る。目測を誤ったか床に落ちる、それを叱言まじりに拾いあげる手ももはやない。床はゴミ箱でも箪笥でもないんだからなんでもかんでも置きっぱなしにするなよという、声ばかりが耳の底に残っている。いもしないものに従うのは癪だったけれども、なんとはなしおさまりが悪くなって阿久津は上着をハンガーにかけた。
     二段ベッドと机がふたつ、あとはモニターがあるきりの簡素な部屋だった。ベッドも机も自分がひとつ使うばかりで、かつてあったひとの気配はほとんど失われている。そのくせたった一日きりの香の匂いがいつまでもこびりつくのだから妙なものだった。
     窓の外は暗い。
     かがみこんだ拍子、ぱらぱらと砂が床に落ちる。練習場からついてきたものか、見れば左手首のあたりが赤くこすれている。
     葬儀のあと、加瀬とともに母親の住んでいたアパートにいった。ブランド品のバッグも賞味期限切れのパンも一緒くたに積み重なった、その光景を見て加瀬はひどいものだと顔をしかめた。これはひどいものなのだと、その言葉にいまさら教えられた気がした。
     カーテンの閉じられた部屋は昼だというのに薄暗く、うずたかく積みあがったものものが黒ぐろとした影をつくっていた。コンビニのビニール袋から染みだした得体の知れない液体が床にへばりついていた。嫌悪の底に、ふいとしっくりくるものがあった。この妙な安堵ばかりはかたわらにいるひとにはけしてわからないのだろうと、そんなことを考えた。
     母親の部屋に籠もっていた饐えた匂いは一週間経ってもからだのあちこちにこびりついたまま、教室や練習場でもふいと鼻をかすめた。けれども目に映る光景はいつも清潔で、そのたび自分が場違いなような妙な感じがした。
     床に落ちた砂をティッシュで集めて捨てる。母親の部屋にはごみ箱なんてなかったといまさらのようにおもいだした。
     さて寝るかと制服のシャツを脱ぎかけた、そのときとんとんとドアを叩く音がする。
     時計の針は八時をさしていた。
     こんな時間にだれだと悪態をつきつつドアを開けた、そこにある姿に阿久津は眉を顰める。
    「何の用だ」
     問えば青井はびくりとする。ちいさな体をぎゅっとまるめて、怯えているようなそぶりをした。練習後いちど部屋に戻ったのか、Tシャツとハーフパンツという部屋着になっている。
     差し迫った課題も、試合もない頃合い、なにがあったか知らないが面倒ごとをもちこまれるのは御免だった。びびるなら来んなやと言いかけた、けれどその声にかぶさってくるものがある。
    「俺、あんたに何があったか聞かんって言うたのに、すいません、あの、聞いたんや」
     は、と首を傾げれば、青井は俯いたままぼそぼそと続ける。
    「おっちゃんと望さんが話してるの聞いて、いや、ふたりが悪いんやのうて、俺が、たまたまふたりがしゃべってる部屋の外で靴紐結んどって、窓開いてて、それで」
    「ハア」
     申し訳なさそうにうううと唸る相手に、阿久津は腕組みをする。福田と伊達の話というなら心あたりはひとつしかない。とはいうものの、母親の葬儀を終え、今更ひとになにを知られようと構う気はなかった。
    「だから?」
     そんだけなら帰れ、と言って扉を閉めようとするのに、けれど青井は動こうとしない。それどころかこちらをぐいと睨みつけてくる。
     ぎゅっと拳を握り、そのまま意を決したように青井はずかずかと部屋に入ってきた。  
    「おっちゃんがなんかかっこいいこと言ってて、あんたのこと、ロナウドとかモドリッチとかになれるって」
     それは出会った頃からの福田の常套句だった。だからなんだと眉をひそめれば、知っとったんかと青井は目をまるくする。ころころ表情の変わるやつだと、そんな場合でもないのにすこし感心した。
     騒ぎになるのも面倒だと、ため息をつきつつドアを閉める。
    「勝手にしろ」
     部屋に戻り、構う気はないと見せつけるように阿久津は着替えをとりだす。
     青井は靴脱ぎに立ったまま、しばらくしてぽつりとちいさな声がした。
    「俺よくわからんけど、あんたがそれでええならええけど、でも俺、」
     口元をへの字にし、青井はなにやら言葉を選ぶようにする。鬱陶しいと怒鳴りつけてやろうとしたところで、あの、とひときわ高い声がした。
    「むかし、母ちゃんの店で働いとったひとが」
     阿久津はシャツを広げる手を止める。
     青井がどのような環境で育ったのか、噂で聞いたことがある。自分には関わりもないこととそのときは切って捨てた。けれども店というその口つきに、母親のアパートに置いてきたはずの安堵めいたものがふいとよぎった。
     青井は拳を握りしめたまま、ゆっくりと言葉を重ねていく。うつむいた、その目はこちらの足元あたりにある。
    「ええひとで、俺にも瞬兄にもやさしくしてくれて、店あがるときにまたあしたねって言ってそれっきり、こども置いてどっか行ってしもうたひとがおる」
     青井の拳がいっそう強く握りしめられる。揶揄されたととらえてもおかしくはないはずの、けれどどうしてか胸はひとつも痛まなかった。加瀬がひどいと決めつけた、こちらの景色をおそらく青井も知っている。同じ場所にいるものからは殴られても傷はつかない。
    「おっちゃんは、あんたみたいな子どもは日本にそうそうおらんて言うた。望さんは自分のまわりにはそんな選手はおらんかったって言うた。俺はおっちゃんも望さんもすごい監督やしコーチやって思う。でも、それは違う。それだけはきっと絶対ちがう」
     いったん言葉を区切り、そうして青井はさきを続けた。泣くのをこらえているような顔をしている。震えるその拳を眺めながら、阿久津は戸惑いとすこしの安堵とを感じ、そうした自分を不思議に思った。 
    「置いてかれたこどもはただでさえしんどいのに歯ァ食いしばってみんなが認めるなんかええもんにならなあかんのか。そんなかっこよくならんでええんやないかって、かっこよくなられんかったやつらはどうしたらええんやっておもった。あんたがあんたでかっこいいって、それだけやったらあかんのかなって思ったんや」
     いまにも泣きだしそうな、ゆがむ口元でそう言いきって、青井はそれから深い息をつく。その涙はなにも自分のためだけではないのだろうと阿久津は思い、なのにわざわざご苦労なやつだとすこしおかしくなる。
     うつむいたままのそのつむじに声をかけてみる。
    「あのひとが天性の詐欺師ってのは、おまえのほうが身に染みてんじゃねえのか」
     え、と青井が弾かれたように顔をあげる。ぽかんとして、それからくしゃりと顔をゆがめた。こちらの言葉を認めたくはないがあながち間違ってもいないのではないかと悩むところもある、そんな表情をしている。あまりにもすべてが顔に出る、そのさまに阿久津はいっそ感心する。おまえマリーシアって知ってるかと言いかけて口をつぐんだ。押しかけ小僧に叱言をくれてやる義理などなかった。
    「詐欺師っていうか、確かに騙されたようなもんやけど、でもおっちゃんの言うこと結果的に合っとったっていうか」
     援護なのだか批判なのだかよくわからないことをぶつぶつと呟く、ちいさな姿を阿久津はぼんやりと眺める。
     安堵のようなものがちらりと胸をよぎっては消えていく。
     母ちゃんと呼んだ声に屈託はなかった。饐えた匂いからもこびりつく汚れからも、このこどもはきっと守られてきた。それでいて、清潔な場所で育った人びととはちがうものを青井は確かに知っていた。 
     妙なやつだと思えば、安堵がじわりと胸を満たす。
     言葉がふいと口をついた。
    「あのひとの頭んなかにある俺が、実際の俺よりいくらかマシだった」
     そう言えば、青井が目をぱちくりとさせる。
     すこしまえならこんなことは口にしなかっただろうと、頭の隅で考えつつ阿久津はさきを続ける。
    「俺にはあれが要る。すくなくともプロになるまではな。まあ、あのひとみたいに無邪気に夢は見られねェけどよ。ゴミ捨て場の成り上がりってか、育児放棄からサッカー選手、えらいねすごいねなんて世のなかの全員から褒められてハッピーエンドなんてありえねェしよ」
     スラムドッグミリオネアかと言いさして、そういえばそれも平がこの部屋で観ていたものだと気づく。体のあちこちにこびりつくのはなにも饐えた匂いだけではないのだと、そんなことにいまさら気がついた。
     見やるそのさき、青井は静かにこちらをみつめている。ビー玉のようなまるい目に、自分の姿が映っている。
     サッカーがなければ自分は死ぬとあたりまえのようにずっと思っていた。
     福田に拾われて東京にきてからというもの、胸のあたりに金属が貼りついているような、息をするだけで追い立てられるような感覚が常にあった。
     それがほどけたのはいつの頃だったろうか。
     なくなりはしない、けれども以前とはおそらくずいぶんと様変わりしたそれを、阿久津はどこかひとごとのように感じる。
     手にしたままだったシャツをベッドに放り投げる。そうしながら、いもしない男の叱言を耳に聞く。
     いくつもの声や手が、気づけば自分のまわりにはある。
    「でもまあ、あのお綺麗な目でな、おまえはヒーローになるんだって言われるのは悪くない」
     おい、と呼びかければ青井はぴょこんとはねた。いちいち子どもくさいやつだとじろりと睨みつけてみる。すぐに挙動不審になるくせ、こういうときばかり一人前に睨み返してくるのがおかしい。
    「俺はかっこいいか」
     訊ねれば、青井はふたたび口をへの字にする。そもそも自分で言ったことだろうに、不承不承というようにそっぽを向いてこくりと頷く。
    「……まあ、そこそこ」
    「そこそこねェ」
     ハッと笑い飛ばせば青井はさらにいやそうな顔をする。言うんじゃなかったという呟きは聞かないままに、阿久津はにいと口の端をあげる。
    「俺が俺のままでか」
     ずかずかと歩いていき阿久津はドアを開ける。へ、と瞬く青井を力いっぱい蹴りだした。
    「うわ何すん」
     じゃ、という語尾をかき消すように、阿久津はばたんと盛大に音を立ててドアを閉める。はあ!?という叫びがドア越しに、くぐもって廊下に響いた。
     納得がいかないのか青井はなにやら廊下で騒いでいたようだったけれども、こちらが取り合わないと気づいたらしい、しばらくして足音がばたばたと勢いよく去っていった。
     うるせえやつだと阿久津はひとり舌打ちをする。ベッドからシャツを拾いあげ、着替えにかかった。
     ひなたくさい、こどもの匂いがしばらくあたりに残っていた。
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