カラン、と氷が溶けるような涼しげな音のベルが鳴る。視線を向けた店の入り口には昔馴染みの男が立っていて、俺と目が合うと彼はふわりと表情を緩めた。
「こんばんは」
「こんばんは。今日は店は休みか?」
「うん。ふーちゃんのお酒が飲みたくなってね。一番乗り?」
「ああ。お好きな席に」
「わーい、お邪魔します。あとでルカも来るかも」
「オレンジジュースを冷やしておこうか」
「あはは!」
ケラケラと楽しそうに笑い声をあげシュウはいつも飲む酒を頼んだ。それを作っている最中も、サーブした後も、妙にニヤついた顔で遠慮のない視線を寄越すから、俺はため息をついてから仕方なくシュウと目を合わせる。
「なんだ」
「浮奇とどうなったの?」
「ああ……そういえば元はおまえの店の客だったな」
「そういうわけでもないけど、まあ今はただの友達。この前酔った浮奇をふーちゃんに押し付けたでしょう。あの後なにかあった?」
「なにかって?」
「なにか。浮奇の気持ちは知っているんだろう?」
「……」
「ふーちゃんが話してくれないなら浮奇を酔わせて聞き出すけど」
「やめろ……。……べつに、本当になにもない」
「本当に? だってふーちゃんも浮奇のこと、……え、浮奇のこと、どう思ってるの?」
「……好きだよ」
「……、……好き同士なのに、何もないの? あの浮奇と?」
「ルカとおまえに比べたら0と100くらいの違いはあるけどな」
「うわっ、人の嫌がること言うのやめたほうがいいよ」
「自分の発言を振り返ることをオススメする」
むすっと怒った顔を作り、シュウは乱暴に酒を煽った。すぐに酔って顔が赤くなるんだから下手な飲み方はしないほうがいいのに。早くルカが来てくれないかなと思いながら度数の低い酒に切り替えてやり、入り口に視線を向ける。シュウと違って、俺が待っているのはルカじゃないけど。
「……もしかして今日浮奇も来る予定?」
「ああ」
「ふーん。仲良くやってるんだね?」
「そうだな」
「……ふーちゃんって恋人のことあんまり話したくないタイプ?」
「浮奇の可愛いところをおまえが知る必要があるか?」
「お、あ、……オーケー、もう聞かない。……まあ、たしかに僕もルカのことあんまり話さないか」
「おまえは特に話すことがないだけだろう」
「失礼だな。この前ルカと映画を見に行ったよ」
「それで?」
「……それだけだけど」
「ほらな」
「じゃあふーちゃんと浮奇は何をしたって言うのっ」
「だから何もないって」
シュウからしたらキスだって「何か」の一つなのだろうけど、俺は自分の話を酒の肴になんてしてやらない。浮奇が酔ったらペラペラと話してしまいそうだから今日は度数の高い酒は飲ませないようにしよう。本当はシュウから離れた場所に座ってほしいくらいだけれど。
「浮奇のこと考えてる?」
「は?」
「あれ、あたり? ふーちゃんって言葉にはしないけど、……なんか雰囲気? 目が違うのかな? 優しい感じだったよ、今。本当に浮奇のこと考えてたの?」
「……」
「へえ〜可愛い〜」
「こんばんは、シュウ、人の男口説くのやめてくれない?」
「っ! 浮奇、いつのまに」
「こんばんは、ふーふーちゃん。話し声が聞こえたからこっそり入ってきたの。それで、俺はシュウのこと店から追い出したほうがいい?」
ニッコリ笑う浮奇はシュウの肩に手を置いていて、冗談だと思うけれど一応「今日はシュウもお客様の一人だから」と嗜めた。フンッと不満げにシュウを見下ろし浮奇もカウンター席に座る。友達、なんだよな……?
「浮奇、今ふーちゃんのこと人の男って言った?」
「言ったよ、なんか文句ある?」
「浮奇、本当にただ話していただけだ。そんなに怒る必要はないよ。何か飲むか? 今日はシュウが奢ってくれるみたいだから」
「言ってない、全然そんなこと言ってないからねふーちゃん?」
「シュウの奢りならワインが飲みたい。とっておきのやつ」
「それは今度誕生日の時に飲むって言ってなかったか?」
「誕生日の時までにもっと良いやつを見つけてきてくれるでしょう?」
「あー、……オーケー、約束しよう」
「待って、高いワインなんて奢らないからね?」
「ぐっどいーーーぶにーーーんぐ!」
「わっぷ!」
シュウの焦った声に被るように飛び込んできた元気な挨拶の声に、他の客がいなくてよかったと心の底から思いながらシュウの上に覆い被さって押し潰すルカに「いらっしゃい」と言って目を合わせた。
「ふーちゃん! 久しぶりだね!」
「ああ、元気だったか?」
「バッチリ! ふーちゃんは?」
「俺も元気だよ。ところで、シュウが潰れてる」
「おっと。シュウ〜そんなところで何してるの? 大丈夫?」
「ルカが潰したんだけど……とにかく、お疲れ様。順調に終わったみたいだね」
「イエース! シュウが待ってるって思ったから頑張れたよ、ありがと」
「俺にありがとうって言うの? 頑張ったのはルカ自身だよ」
「シュウのおかげで頑張れたから! ね、ところでこの人は? シュウのお友達?」
不意に話を振られた浮奇は綺麗な笑みを浮かべて「一応」と言った。一応って、おまえな。
「僕の店で見かけたことはあるかも。浮奇だよ、一応、僕の友達。それでこちらはルカ、ええと、……僕の恋人?」
「なんで疑問系? シュウの彼氏のルカです。よろしくね、浮奇」
「……ふーふーちゃん、ふーふーちゃんもルカに俺のこと紹介して」
「は?」
「いいから」
「……彼は浮奇。……俺の好きな人で、俺のことを好きな人」
「!」
「わお」
「へえ! ふーちゃんの好きな人! 浮奇もふーちゃんのことが好きなんだ、ハッピーだね!」
「ふーふーちゃん、俺、ふーふーちゃんのこと好きじゃなくて大好き!」
シュウとルカなんて目に入っていないみたいに俺だけを見つめて、浮奇は相変わらず真っ直ぐな言葉をぶつけてくる。オーケー、分かったから、今はそのくらいにしておいてくれ。自分で言い出したことだけれど二人の視線が、主にシュウの視線が痛い。
「ルカ、何か飲むか」
「飲む! お祝いになりそうなものがいい?」
「普通でいい」
「ルカはワイン飲める? 一緒に飲もうよ」
「いいね! 初めましてとこれからもよろしくとふーちゃんと仲良くね、のお祝いで俺が払ってもいい?」
「たくさんのお祝いありがとう、こんなカッコいい人に奢ってもらえたらもっとおいしいワインになりそうだ。お近づきの印にハグをしてもいい?」
「浮奇?」
「浮奇……」
「あはは、浮奇ってとっても楽しい人?」
「ルカ、浮奇に近づいちゃダメ」
「浮奇、俺を過去の男たちと同じにするつもりか?」
「ふーふーちゃんは特別だよ」
人に大好きだと言った直後にルカにハグをねだった男はニコニコと嬉しそうな顔で俺を見つめた。手を伸ばして頬をつねってやると「えへへ」ととろけた声を上げる。きちんと躾をした方がいいかもしれないな。
「浮奇、本当にふーちゃんのこと好きなんだね……そんな甘い声初めて聞いた……」
「ふーちゃんって浮奇のことすごく好きなんだね! いつも優しいなって思ってるけど、浮奇を見る目がとっても優しくて素敵だ」
「「……」」
シュウとルカの言葉を聞いて彼らに視線を向けてから、俺たちは目を合わせてお互いをじっと見つめた。シュウだけじゃなくルカにも気づかれるほど俺は分かりやすいのだろうか。浮奇の声は、俺も自分に向けられるそれが特別なものだとは気がついていたけれど。
「浮奇、俺の視線になんて気がついていたか……?」
「……俺のこと大好きって言ってるみたいだと思ってた、けど、そんなの俺の願望がそう見せてるだけかと思ってたよ。俺も、ふーふーちゃんにだとそんなに声が違う……?」
「……、ずっと大好きだって言われてる気分だよ」
今すぐキスをしたくなるような愛しい顔で浮奇は俺を見上げ、「だって、本当に大好きなんだもん……」と呟いた。その顔をシュウとルカに見せたくはないけれど、視線以外も誤魔化せなさそうな俺の顔を見られても困る。
「……ワインを取ってくる」
「あ、逃げた」
「俺も手伝う」
「ワインを取ってくるだけじゃないの?」
かけられた言葉を無視して酒の在庫が置いてある倉庫へと足を踏み入れる。俺の後ろから入ってきた浮奇が扉を閉めて、薄暗い中でも分かるくらい艶っぽい瞳で俺のことを見つめた。
「すぐに戻るから、一回だけ、キスをさせて……」
「……今したら一回じゃ済まない」
「じゃあ何回でも」
「シュウとルカが待ってる」
「少しくらい二人きりにしてあげた方がいいよ」
「……仕事中なのに、こんなんじゃダメだな」
「俺のせいでふーふーちゃんがダメになってるのなら、俺はすごく嬉しい」
「……キスだけ」
「ハグもつけていい?」
ダメなんて言われると思ってない顔でそう言った浮奇のことを抱きしめて、呼吸を奪うように唇を重ねた。