可愛いマグカップに入った赤ワインを一口飲んでホッと息を吐く。白い息が空気に散らばっていくのを見ていたらちょうど視線の先からふーふーちゃんがやってきて、俺は場所を知らせるように手を上げた。
「良かった、席空いてたんだな」
「うん。食べたいの買えた?」
「ああ、浮奇も食べるか?」
「一口ちょうだい。ホットワインは? 飲む?」
「甘い?」
「ちょっと。スパイスも入っててあったまるよ」
「じゃあもらう。……ん、うまいな」
口元を緩めたふーふーちゃんと見つめ合うだけでホットワインを飲んだ時より体が温まる気がした。キスしたいなぁ。こんなに人がいっぱいいたら手を繋ぐこともできない。俺がクリスマスマーケットに行きたいって誘って彼を連れてきたのに、二人きりの場所に帰りたくなっちゃう。
「ん! これうまい。浮奇も食べてみろ」
「……ふ、うん、食べる。あーんしてくれる?」
「ノー」
「えへへ、はぁい、自分で食べるよ」
ふーふーちゃんが楽しんでくれてるなら良かったかな。おいしそうな顔でもぐもぐしている大好きな人を見ていたらそれだけで心が満たされて、まだ食べていないのに「おいしい」って笑った俺にふーふーちゃんは不思議そうに首を傾げた。
ふーふーちゃんが食べている間に俺もホットワインを飲み終わり、またお店を見て回ることにして二人で席を立った。大きなクリスマスツリーの前には写真を撮っている人がたくさんいる。来たばかりの時に何枚か写真を撮ったけれど、陽が落ちたからイルミネーションがもっと綺麗に見えた。
ツリーの写真、後でまた撮ろうかな。ふーふーちゃんの隠し撮りも増やしたい。
俺は隣を歩いているふーふーちゃんをそっと見上げた。可愛いものや綺麗なものが好きな彼のことだからこのキラキラした景色を楽しんでいると思ったのに、どうしてか俺のことを映すグレーの瞳と目が合う。目を見開く俺と反対に彼はふわりと優しく目を細めた。
「ん? どうした?」
「……クリスマスツリー、すごく綺麗だね」
「ああ、そうだな。飾りの一つ一つも凝ってるみたいだ。でも俺は紫色が少なくて物足りない」
「……赤がいっぱいで、俺は好き」
「ふ」
ふーふーちゃんはポンポンと俺の肩を叩いてからお店が並ぶ通りのほうへ向かって歩き出した。俺は一瞬立ち止まり、すぐにその背中を追いかける。
どうしよう、手を繋ぎたい。自分の欲望を抑えられる自信がなかったから、俺はふーふーちゃんに触れてしまいそうな手をぎゅっと握って自分の上着のポケットの中に隠した。家に帰るまでは我慢しないと。いいんだ、帰ってからいっぱい甘やかしてもらうもん。
「浮奇?」
「うん?」
「何か言いたいことでもあるのか?」
「え……なんもないよ?」
「嘘をつく時の顔だ」
「……分からなくていいのに」
「分かるよ、おまえのことだから。それで? 何か我慢してるなら言ってごらん」
「言っちゃダメなことだから言わない」
「ダメなこと?」
「ダメなこと」
むーっと唇を閉じて言わないってアピールしたら、ふーふーちゃんはからかう顔をして俺の肩に触れた。それから顔を近づけて「例えば……」と言った後、耳元でとんでもなく卑猥な言葉を囁く。驚いて目と口を丸くした俺を見てふーふーちゃんは楽しそうに笑った。は? 全然笑い事じゃないんだけど?
「そんなこと俺が言うわけないでしょ!?」
「なんだ、じゃあ言ってもいいことなんじゃないか?」
「外で言っちゃダメなことの最大値持ってこないでよ!」
「ふっ、ははっ! それで、浮奇の言っちゃダメなことはどんな可愛いことなんだ?」
「かっ、……かわいく、ないし」
「今のに比べて?」
「今のに比べたら全部可愛いじゃん。……ふーふーちゃんのバカ」
「ああ、その通り」
「…………て、つなぎたい」
「……ふ。それは、かわいい」
ふーふーちゃんは肩に触れていた手を上着の表面をなぞるようにして二の腕、肘、手首とたどり、俺が手を隠したポケットの中に指先を潜り込ませた。冷たい手が、ポケットの中でじんわり熱を持っていく。
「外だよ……」
「誰も周りのことなんて見ていない」
「……いいの?」
返事の代わりに彼の指が俺の手に触れ、あたたかい場所から引っ張り出していく。手のひらが重なったらすぐに寒さをわすれてしまった。
「……まだクリスマスじゃないのに」
「クリスマスプレゼントにしてはささやか過ぎるだろ」
「そんなことないよ。最高のプレゼントだ」
「……他には?」
「え? なにが?」
「欲しいものとか、やりたいこととか。おなかはまだ空いてる? 甘いものも何か食べるか?」
もしかしてまだ俺のワガママを聞こうとしてる? もうこんなに幸せなのに? これで十分だよと言うように繋いだ手をぎゅうっと握ってみても、彼は質問を取り下げようとしなかった。
高い背を活かして人混みの上からお店の看板を見渡し、俺の手をちょんと引いて「ワッフルだって、食べるか?」と聞いてくるふーふーちゃんに、俺も手を引っ張って「さっきフィッシュ&チップスのお店見たから行こ?」と誘う。振り向いたふーふーちゃんと数秒甘い睨み合いをして、俺が「一緒に食べたいから」と上目遣いでお願いをすれば、ふーふーちゃんは一瞬ムッとした後「わかった」と頷いた。きっと俺の食べたいものを優先したかったんだろうけど、残念ながらそんなの俺も同じだ。ワガママを言うフリしてふーふーちゃんのこと甘やかすの、得意なんだからね?
「次は浮奇の食べたいものを買いに行くからな」
「考えておく」
「ホットワインはまだ飲むのか? 店舗ごとに色々な種類があるみたいだよな」
「そうなんだよね、全部おいしそうで悩んじゃう……」
「今度家で作ってみるか」
「え! ほんと?」
「材料さえ揃えれば作るのは難しくないからな。俺と浮奇とじゃ味の好みが違うから何種類か作ってみよう」
「いいじゃん、そうしよ! 一緒にいっぱい作って一緒にいっぱい飲も」
「それで一緒にいっぱい酔うのか?」
「ん、へへ、うん、それと、一緒にいっぱいいちゃいちゃしよ?」
ふーふーちゃん、俺にだけ見せてくれる最上級に甘い笑顔、こんなに人がいるところでしちゃダメだよ。独り占めしたくてふーふーちゃんを道の端っこに押しやって、キラキラ輝くイルミネーションから隠れた暗闇で背伸びをした。怒られちゃうと思うからキスはしない。だけど、ふーふーちゃんの可愛い顔を一番近くで見たい。
「帰りたくなっちゃうなあ……」
「……キスをされるのかと思った」
「我慢した。えらい?」
「……」
「ふーふーちゃ、っん」
ちゅっと、一瞬だけ触れて離れた柔らかい唇。え、待って、俺我慢したのに?
「……ふーふーちゃん」
「悪い」
「もういっかい」
「しない」
「ズルくない?」
「……浮奇が悪いんだ、可愛いこと言うから」
「……もう、帰る?」
「フィッシュ&チップスは」
「おいしいお店のデリバリー頼むよ」
クリスマスマーケットで買って食べることに意味があるんだよ、なんて、今日ふーふーちゃんを連れ出す時に言った自分の言葉をまるっきり覆すことを言った俺にふーふーちゃんは目を丸くした。でもふーふーちゃんが悪いでしょ。俺はちゃんと手を繋ぐのも、キスも、我慢したのに!
「……帰るか」
「うん。あ、俺はちゃんとクリスマスマーケット楽しめたし、ふーふーちゃんと来れて良かったって思ってるから、変に反省しないでいいからね?」
「……本当に?」
「本当に。ふーふーちゃんは楽しかった?」
「あー、……クリスマスマーケットというか」
「うん?」
「……楽しんでる浮奇と一緒にいるのが楽しかった、から、……あ、いや、ごはんだっておいしかったしクリスマスツリーとかも良いと思ったからな?」
「……チッ」
「は?」
「早く帰るよ」
ふーふーちゃんが可愛すぎて思わず舌打ちをしてしまった。驚いている彼の手を引いて人混みを通り抜け、会場の入り口にある大きなクリスマスツリーを越えれば一気に人通りが減る。
足を止めてくるりと振り返り、キラキラ眩しいクリスマスマーケットを背にしたふーふーちゃんを目に焼き付けた。
「浮奇?」
「……なんでもない!」
大好きだって思っただけだよ。帰ったら呆れるくらい伝えるから、覚悟してて。