二人で会う約束をした。具体的な時間を数えることもできないくらいたくさん話して、飽きることなくゲームをして、揃えて買った同じ酒を画面越しに一緒に飲んで。友人と呼ぶには大切になりすぎてしまったその人と、直接会うことを断るのに十分な理由が見つけられなかったから。
ネットで知り合った人と会う、いわゆるオフ会なんてことを俺はしたことがなかったし、そもそも人付き合いが得意でもないから友人もそう多くはない。それでも大切な家族である大型犬と二人で静かに暮らすだけで満たされていた。
そんな俺に愛犬と同じくらい大切な存在ができたのはきっと喜ばしいことなのだろうけれど、久しぶり過ぎて怖いというのも事実だった。自分が持てるだけの持ち物で生きてきた俺に、彼の存在は大きすぎる。大事にしてやれる自信がないなら最初から手に入れない方が良いんじゃないかと、そう思っていた。
『俺のこと大好きってこと?』
「……すごいな、おまえは」
『それ褒めてる? ……俺のこと大事にできるか分からないから本当に付き合うのは嫌って、それ、もう俺のこと大事に思ってるじゃん。違う?』
「……、……だいじだよ、すごく」
『……ふ、へへ。ねえ、だから諦めて俺のこと恋人にしてよ。ふーふーちゃんの宝物の中に俺も入れて? ふーふーちゃんからしたら子どもっぽいところもあるかもしれないけど、俺もちゃんと大人だよ。自分のことくらい自分で大事にできるから、ふーふーちゃんが俺の全部を守る必要ないし』
「俺がおまえのことを全部守ってやりたいだけなんだ」
『……、ふーふーちゃん』
「……」
『……好きって言え、ばか』
「……好きだよ」
アイラブユーの言葉はクッションにでも顔を埋めているのか少しこもった音で何度も繰り返され、俺はその声を聞きながら今すぐ抱きしめたいなぁと考えていた。
浮奇は俺のことを好きだと飽きることなく繰り返してくれる。俺はそれを時々笑って流したり、時々同じ言葉を返したりしていたけれど、たぶんそれももう終わりだ。自分を誤魔化すのも限界で、直接会えば溢れてしまうに決まってる。
ソワソワと落ち着かなくて一向に眠れそうになかったから、気を紛らわすために夜遅くまでゲームをして気絶するように眠ったのに、俺はアラームより先に目を覚ました。窓の外は雲ひとつない晴天で、寝室を出た途端愛犬が散歩に連れて行けと飛びついてくる。ああ、もちろん、おまえの望むことを。散歩に行ってからのんびりと準備をしても大丈夫なくらい約束の時間までは余裕がある。今日だけは、浮奇みたいに寝坊助でいたかったよ。
普段より長めに散歩をして、朝食を買ってから家路に着いた。満足した様子の愛犬と共にゆっくり食事を済ませても鼓動はテンポが速いままだ。落ち着けるはずなんてない。好きなやつに会うんだから。
「ワウッ」
「ん? どうした?」
きっと俺の緊張を感じ取っているのだろう。優しい大型犬はソファーに座る俺に飛びつきのしかかってきて、そのままそこで眠る体勢をとり始めた。……すこしだけ、俺より高いその体温に甘えることにしよう。抱きしめて頭を撫でれば「フンッ」と鼻息で返事をされる。出かけた帰りに良いオヤツを買ってこないとな。
いつ目を瞑ったのか、次にパチッと目を開けた時、部屋に入る陽の光の様子が変わっていて俺は勢いよく飛び起きた。必然的に俺の上から落とされることとなった愛犬はそれに文句を言うこともなくのそのそといつも眠っているクッションとブランケットがある場所まで歩いて行った。部屋の時計を見上げれば既に正午を過ぎている。まだ約束の時間を過ぎていないことに胸を撫で下ろしたのも束の間、俺はすぐに立ち上がって出かける準備を始めた。着ていた服は毛だらけだけれど幸いこれは散歩に行くために適当に出しただけの着古した服だから構わない。クローゼットから引っ張り出した服を二、三着見比べて、結局無難な物を選んで身につける。身支度を整えてから愛犬に「行ってくる」と声をかけ、戸締りをして家を出た。
行く途中で何か腹に入れておくべきか考えたけれど、おそらく浮奇は何も食べないで朝食をコーヒーだけで済ませるだろうから、会ってから遅めの昼食を取ればいいだろう。待ち合わせたのは商業施設も併設されている大きな駅だから飲食店の選択肢は多いはずだ。もし起きたばかりならあまり食べないかもしれないからカフェで軽く食べるだけでもいいし。
電車に乗ってからスマホを確認したけれど特に浮奇から連絡は入っていない。ちゃんと起きたか?とゲームの前ならお節介な兄のようにメッセージを送れるのに、今日はチャット画面を開いたところで指が止まってしまった。きっと、浮奇は起きているだろう。俺がいちいち気にかけなくても自分でなんでもできる大人だと分かっている、それでも気にかけたかったんだと、今さら気がついて息を吐いた。自分のことは知っていたつもりだけれど、どうやら俺は好きな人を甘やかしたい質らしい。
約束の駅で電車を降り、今度は迷うことなく【着いたよ】とメッセージを送った。約束の時間までまだ十分以上あるけれど、早めに着くことくらい良いだろう。俺は待たせるより待ちたい派なんだ。
【はやい】【ちゃんと時間ぴったりにきてよ】【すぐつくから待ってて】【どこかお店入っててもいいよ】【やっぱり駅の改札のとこいて】【もうつく】
俺が返事を打つ間もなく次々と送られてくるメッセージに思わず小さく吹き出して口元を手で覆った。改札を出たところで足を止め、待ち合わせをしている人がたくさんいる大きな時計の前から離れた壁際に場所を決める。改札から見えづらいということもないしきっと浮奇なら見つけてくれるだろう。メッセージを見返して口元を緩め、電車に乗っている間もバクバクとうるさかった心臓がずいぶん落ち着いていることに気がついた。浮奇のおかげかな。浮き足立っていたのだって浮奇のせいだったけど。
【えきついた】
【改札を出たところにいるよ】
【すぐいく】
スマホをしまい顔を上げた。どっちが先に見つけられるかな? 会う約束をした時、浮奇は絶対俺だよと自信満々に言っていたけれど、俺も自分が負けるとは思っていなかった。おまえのことを見間違えることも見逃すことも、ありえない。
改札の向こう、エスカレーターで上ってきたその頭を見つけた途端胸が高鳴って、俺は自分に感心してしまった。ほんと、さっさと諦めるべきだよな。
「浮奇」
改札を出てからあたりを見渡した浮奇をずっと見ていたって良かったのだけれど、早く俺の名前を呼んでほしくて、その瞳を見つめたくて、俺は彼の名前を呼んで自分の居場所を知らせた。声が届きこちらに顔を向けた浮奇は、一瞬で俺を見つけてパッと笑顔を咲かせる。
高いヒールを物ともせず駆け寄ってきたのに俺の目の前で躓いた浮奇を咄嗟に抱き止めると、浮奇は体を震わせて楽しげにくすくす笑った。ああ、きっとわざとだったんだろうな。そんなことしなくたって抱きしめてやるのに。
顔を上げた浮奇は緩んだ表情で俺のことを見つめた。真っ直ぐに見つめ返し、言葉を待つ。
「ふーふーちゃん、だいすき」
「……俺も好きだよ、浮奇」
星が瞬く瞳が俺だけを映していた。俺はその目に映るのに相応しい人間だろうか。今でもそんなことを考えてしまうけれど、どうしたって浮奇のことを大事にしたいから諦めた。もうとっくに、おまえは俺の宝物だよ。