二人でベッドに入って過ごした後、寝落ちた浮奇に布団をかけて俺はバスルームに向かった。サッとシャワーを浴びて水を飲み、物音を聞いて起きてきた愛犬におやすみを言って寝室に戻る。
髪を濡れたままにすると怒ってくれる恋人はもう夢の中だし気がつかれないだろうと、そう思ってベッドに近づいたのに、壁の方を向いて眠っていたはずの浮奇は予想外に目を開けていてその瞳に涙を浮かべていた。
今にも泣き出しそうなその横顔を見てギョッとし、俺は何も考えずに「浮奇」と声をかけた。ぱちっと瞬きをしても涙は溢れずに浮奇は潤んだ瞳のまま俺を見上げる。
「ん……あ、おかえり」
「ただいま……どうかしたか? 腹が痛いとか?」
「ううん、ちがう、ごめんね」
なんでもないよ、なんて、そんな言葉信じられるわけがない。
俺はベッドに腰掛けて浮奇の頬を撫でた。寝返りを打ってこちらを向いた浮奇はやっぱり泣く直前みたいな顔をしてる。優しく頭を撫でて「言いたくないなら聞かないけど」と、攻める口調にならないように気をつけて柔らかい声を落とした。
「うん……ううん、だいじょうぶ」
それがどっちの意味か考えているうちに浮奇は俺の手首を掴み、硬い指に唇を押し付けた。それに性的な様子はなく、ただ存在を確認するような、祈りのような神聖なキスに思える。
「ちょっと寂しくなっちゃっただけ」
「……少しの間シャワーを浴びに行っていただけだよ。俺はどこにも行かない」
「ん、わかってる。さっきまでいっぱい愛してもらってたのに、わがままでごめんね?」
「謝るな。……わがままでいいんだよ。寂しがりでも、わがままでも、それを全部ひっくるめて浮奇で、俺はそんな浮奇が好きなんだから」
俺を見上げる瞳はいよいよ決壊しそうなほど涙を湛えている。こうなったら思い切り泣かせてやろうと思った俺は、いつかの配信のように俺が好きな浮奇がどれだけ世界に愛されている素晴らしい人間なのかを言い聞かせてやった。あの時との違いは画面越しではなく目の前に浮奇がいて、まっすぐに目を見つめて言葉を届けられること。それと、溢れた涙をすぐに拭ってやれることだ。
あっという間に顔中を涙でぐしゃぐしゃにした浮奇は体を起こし、俺をギュッとキツく抱きしめた。残念、もっと泣き顔を見てやりたかったのに。イジワルなことをからかう口調で言えば、浮奇は弱々しくFワードを呟いて一層腕の力を強くした。
浮奇に抱きしめられたくらいで弱音を上げるわけもなく、俺はふわふわの髪を撫でながら引き続き浮奇を泣かせるために口を動かした。だんだんと反論する浮奇の声はなくなって、最後には赤くなった顔を上げて両手で俺の口を塞ぎ「それ以上言うと殺す」と魅力的な低い声で俺を脅した。つい目を細めてしまった俺を睨みつけてくる視線すら怒気を孕んで美しい。
「帰る」
「ストップ。悪かった。もうしない」
「……」
「喜んでない。いや、喜んではいるが、もう喜ばない。おまえを怒らせることはしない」
「……ばか」
「悪かった」
浮奇は俺の腕の中から抜け出し、壁の方を向いてベッドに横になってしまった。背中から拒絶の空気は感じない。そっと覗き込んだ横顔は泣きそうな、というか、ついさっきまで泣いていた名残でまだ涙の色が残っていたけれど、もういじめるのはやめておこう。
浮奇の体に布団をかけて俺もその隣に寝転がり布団を分けてもらう。耳の後ろにキスをして「ごめんな」と言うと、浮奇は顔だけ振り向いて拗ねた顔を見せた。
「本当に反省してる?」
「ああ、悪かった。でも怒ってる浮奇はセクシーで美しい」
「……反省してないじゃん」
「感想を言っただけだ。抱きしめて、宥めさせてくれるか? 今度は怒らせない。約束する」
「……ん」
ぐるりと体を反転させて、浮奇は俺の胸に顔を埋めた。温かい布団の中が一層温度を上げる。つい一時間前はもっと熱かったけれど。今日はこれ以上浮奇に負担をかけられないから、俺は邪な考えを頭の隅に追いやって浮奇の背中を愛情だけを込めた手で撫でた。
涙はもう出し切っただろうに、浮奇は顔を見せてくれない。まだ怒ってるかな。泣いた後の顔を見せたくないのかもしれない。そういえば泣いた後は目を冷やした方がいいんだっけ?
「浮奇」
「……」
「水で濡らしたタオルを持ってこようか。保冷剤とか、探せば冷凍庫の中にあるかも」
「……大丈夫だよ、ありがとう。……もうちょっと、ふーふーちゃんのこと抱きしめてたい」
「……もちろん、いくらでも」
「そんなこと言うと明日も一日中離してあげないからね」
「いいよ。明日も一日中浮奇を独り占めできるなら悪くない」
「……そんなの、こっちのセリフだよ、ばか」
ようやく顔を上げてくれた浮奇の目元はやっぱり赤くなっていて、俺は自分の手をそこに当てた。浮奇の体温で温まってしまっているにしても少しはひやりとしていて冷たいはずだ。
「……きもちいい」
「よかった。応急処置にもならないかもしれないけど」
「いいよ、どうせ明日は出かける予定も配信の予定もないし。……でもふーふーちゃんにもあんまり見られたくないから、さっさと帰ろうかな」
「だめ」
「……」
「明日も一日、独り占めしてくれるんだろう?」
「……泣き腫らしてて可愛くないよ」
「そんなことない。可愛いよ」
浮奇の目元を覆っていた手を離し、瞼にちゅっとキスを落とす。そっと目を開いた浮奇と視線を絡ませてもう一度「可愛い」と囁いた。濡れたまつ毛がパチパチと上下して、星空よりも綺麗な瞳が俺を見つめる。
俺の恋人の全ては可愛いなんて簡単な言葉で表現し切れるものではないが、それでも、浮奇はその言葉を聞くと幸せそうに笑うから。
「可愛いよ、浮奇」
それ以上の感情をぎゅっと詰め込んだ言葉を伝えて、キスを送る。浮奇は俺を見つめ、もう涙の溢れない瞳をふわりと細めた。