アポトーシス 宗主としての役目を終えた時、初めに考えた事が藍渙の事だった。彼は自身より先に宗主の座を退き、今はご意見番の様な立ち位置で藍氏を支えている。幾分か自由が利く様になったお陰で、頻繁に蓮花塢に訪れてくる彼は今日も勿論来ていた。
「随分、待たせたな」
「阿澄を待っている間も幸せだったよ。君の宗主の仕事ぶりをすぐ側で見れたからね」
そう言って微笑んだ藍渙の頬には深い皺が刻まれている。ただの笑い皺ではない。度重なる苦労の末に出来たものだが、江澄にとっては愛しくて仕方がないものの一つである。
目元や頬だけではない。世家公子格付ではあんなにも持て囃された自分達であるが、今はもうこんなにも年老いてしまった。それでも背筋は伸び、主だった病は未だない。いい歳の取り方を出来ているのではないだろうか。
「これまでは雲夢やその民の為に生きてきた。時には貴方よりも優先させてしまったが……これからの人生は全て貴方のものだ」
そう言って江澄は素気なくではあるが掌を差し出した。ゆっくり慈しみながらその掌を握り返す。何度も体を重ねて愛を分かち合ったというのに、まるで初めて手繋ぎするかの様だ。
「晚吟、さよならはいつか確実に来てしまう」
藍渙が江澄のことを晚吟と呼ぶ時はいつだって真剣な話をする時だ。江澄は肘をついて曲げた背中を正し、隣の彼を見た。どこか遠くを見た彼の横顔はいつも通り微笑んでいるのに、淋しさも見える。
「それは私が先か、君が先かは未だわからないけど……晚吟、君は私を簡単には諦めたりはしないだろうね」
勿論、そのつもりである。それが彼に巣食う病であろうと、彼を苛むものならば江澄は簡単に藍渙を諦めるつもりは毛頭ない。
「それでも最後は来るものだから、その時はあまり悲しまないでね」
わかったと言う代わりに握った掌の力を少しだけ強めた。互いに顔を見合い、微笑む。
夜が来て、朝を拒んでも意味はない。その朝を共に迎えられずともいいんだ。それまで沢山愛して、目一杯に愛されよう。