マフィア小説2雪も降り始めたある冬の日
一本の電話が"ボス"の部屋に鳴り響いた。
ため息をつく。そのため息には疲れが滲み出ているようにも感じた。
重たい腕もあげ、取りたくないと思いながら、受話器を耳に当てる。
「ーー…。」
淡々と告げられる結果報告に、心が重くなる。
電話の話に、あぁ…わかった。と短く返事を返し、受話器を置く。
髪をかきあげ、長く深いため息を吐き出す。
それでも、心の重しは軽くはならず、疲労感は増えていくばかりに思えた。
また、部下が死んだ。
これで何人…いや、何十人になるのだろうか。
ボスである俺の知らない所で、敵マフィアとの抗争が起き、俺の知らない所で仲間が死んでいく。
頭がどうにかなりそうだ。
俺は、ボスだ。ボスなのに……。
俺が敵マフィアとの抗争を知ったときには、もうその抗争は落ち着いていた。解決したわけではない。
いつ、何が、火蓋を切るか分からない状況で緊張状態が続いている。
"ボス"である俺が何も知らないのは駄目だ。と抗争のあった場所へ向かうことにした。
クラッドは危険です。と止めようとしたが、ならお前が守ればいい。と制止を振り払った。
渋々といった様子で、クラッドはついてきて、
二人で車に乗り向き合う形で座る。
「メルセデス装甲車か…」
「ご不満でも?」
「いや…ありきたりな車だな、と」
俺がそういうと、クラッドはクツクツと笑い始めた。
「ありきたり、ね…。えぇ、でも…貴方はマフィアのボスですよ?目立ってどうするんですか」
それもそうか。
このマフィア時代と呼んでも良い程マフィアの抗争が絶えない御時世、ありきたりな車の方が安全なのは確かだろう。
ただ、俺はもう少し派手なのが好きだった。
……いや、そう思うだけだろう。
この車を作らせたのも俺なんだろうから。
「見えてきましたね」
クラッドのその言葉で、顔を窓に向けた。
第一印象は、のどかな所だと思った。
女が花を売り、子供が花を買う。
どこかで見たような絵画のような平和が目に入る。
本当にここで抗争があったのだろうか?
「平和だな」
俺がそう呟くとクラッドは「ええ、ここは」と返した。
ここは…?
「この先ですよ、抗争があった場所は。もうすぐです」
彼がそういうと、流れる景色は見る見るうちに変わっていった。絵画のような景色から一変したそこは貧民街だった。
言葉を失う俺にクラッドは「ここが、抗争のあった地域です」と言った。
車から降りれば、倒壊仕掛けた建物に無数の血痕が飛び散っているのがみえた。
ここか…と呟いた時、無数の視線を感じ取った。
周りを見渡しても俺とクラッドしかいないはずの空間でも、確かに視線を感じる。
よく目を凝らしてみれば、窓の隙間、建物の影、俺たちから隠れている住民達を見つけた。
「ここは私達と敵対しているファミリーの縄張りなんですよ」
クラッドの言葉に目を見開く。
「敵の縄張りだと?!」
「あぁ、でも、安心してください。あのファミリーはここには滅多に来ないんですよ。彼らの拠点は有福層側にありますから」
「だが、敵の縄張りなんだろう?」
俺の言葉にクラッドは頷いた。
「ここは、彼らのゴミ箱。いらないものを始末するためのゴミ箱なんです、だから敵を始末する時しか使用しないときいてます」
「だから、抗争もここで起きたのか」
だが、なぜだ?なぜ、敵陣地で抗争が起きたんだ?
そう聞こうと口を開きかけた時、パチッと石同士が当たる音がした。
住民が石を投げつてけきたのだ。
「なんだ…?」
眉間にシワを寄せ、近づこうと足を動かした時クラッドに肩を掴まれた。
「彼らは怯えているんですよ。"ボス"、落ち着いて」
何故か下を向き顔を背けていたクラッドは、苦笑した顔をあげる。
「こんな派手な抗争があったばかりですし、仕方ないですよね」というと続けて「少し場所を変えましょう」と腰を押される。
まるでエスコートされているかのような動きに、体は自然と歩みを始めた。
貧民街を歩きながら、景色を見渡す。
どこか、懐かしい感じがした。
あの住民達の視線もどこかで…。
「落ち着きましたか…?」
クラッドの不安そうな声に意識を戻す。
あぁ…。と短く答えれば「良かった」と安堵したような声が耳に入った。
「で、なぜここで抗争が起きた?」
俺は先程の質問をクラッドにぶつける。
俺達ファミリーの領地で抗争が起きるのならば、良くある縄張り争いだとわかる。
たが、敵ファミリーの領地に喧嘩を仕掛けに行くような馬鹿な仲間は俺は一人も知らないのだ。
「モハン・ダスという男を知っていますか?」
俺は首を横に振った。
「彼はここ貧民街の指導者です」
「彼とこの抗争に関係が?」
「ええ。私達はダスの協力者なんですよ」
協力者?とオウム返しのように呟けば、可愛いものを見るような目で微笑まれた。
その反応に俺は眉間にシワを寄せる。
時々、クラッドはこの目で俺を見てくるのだ。
見てくる、といってもクラッドの両眼はほとんど髪で隠れている為、そう見える。というだけだが。
最初のうちは苛立ちもあったが、もう慣れてしまった。
なんだ?と聞けば、別に。と返される。それがお決まりの流れなのだ。
「ここは敵ファミリーのゴミ箱だと紹介しましたね?それは彼らが敵を始末する為だけでそう呼ばれているものではないんです。
ここは、この街も住民も全てが彼らにとってはゴミなんですよ」
「故に、彼らに人権など無い。彼らに自由などない、生きる資格さえない。だから、私達ファミリーは彼らを救う手助けをしていたんです」
「ですが、彼らはそれが気に入らないようで、こうですね」とクラッドは両手の指で×をつくる。
剣が交わる事を意味しているのか、抗争が始まったと指で伝えた。
「なるほど。だが、なぜ俺に知らせなかった?」
俺は立ち止まり、少し怒りを混ぜてそう聞くと、クラッドは苦笑した。
「それは…私の誤ちです。申し訳ありませんでした。
この任務は"ボス"が記憶を失う前から始まったものなんです。だから、昔の感覚でボスはもう知っているだろうと思い違いをしていました」
すみません。ともう一度頭を下げられる。
ため息を一つこぼし「もういい」と歩みを再開した。
「抗争のあったのは、ダスと情報交換をしている時でした。敵ファミリーには気付かれないように動いていた筈なんですが…どうも、彼らは私達が思う以上に、私達の事を監視していたようです」
これもわたしのミスです、情けない。とクラッドは顔を顰める。
起きてしまったものは仕方ないだろう。と背中を叩くと、クラッドは目を見開いた後またあの愛おしそうな目で見てきた。
俺は更に顔を顰めた。
「で、次はどうする予定だったんだ?俺は記憶がない。だから、クラッド…、教えてくれ」
「はい、勿論です。"ボス"」
作戦を聞いた後「わかった。ありがとうな」というと、クラッドは「"ボス"のためですから」と返ってきた。
あぁ、こういうのも良いものだな。と彼を見ると、目が合いお互いに自然に笑みが溢れた。
二人が小さく笑みを浮かべた後、「ところで、少し聞きたいんだが」と俺は一つ気になっていた事をきく。
「俺は、ここに来たことがあるか?」
枯れた花壇に囲まれている錆びれた教会の前で、そう聞いた。
「…さぁ……?」
口角を上げ、こちらを向いているクラッドの瞳は、教会に向いているようにみえた。
結果的には、成果は上乗といったところだ。
住民、仲間の死者は少なくはなかったが、こちらが勝機を掴んでると言っていいだろう。
だが、俺の心は晴れないままであった。
敵ファミリーの領地で見たあの景色がずっと忘れられないのである。
この気持ちを晴らすために現地に向かおうとクラッドに相談をした事があるが
「なら、敵ファミリーがいない時を探ってみます」
と言ったっきり何も進展はなかった。
それもそうだろう。あと少しで敵に勝利できるかもしれないのだ。
クラッドも忙しいんだろう。
そう割り切りもう一度、執務に集中しようと書類に手を伸ばすが頭がうまく回らない。
ぐるぐるとあの町が頭から離れないのだ。
ふと、コンピューターが視界の端に映る。
椅子をずらし、身体を捻りコンピューターに手を伸ばし、片手で敵ファミリー領地を検索する。
結果は0。何もなかった。
検索の仕方が悪いのか?と身体を向きを変え、別のワード、方法で検索を重ねる。
だが、幾ら検索しても結果は0であった。
まるで、敵ファミリーなど存在しないかのようだ。
「…まさか」
自分の考えに自嘲気味に否定する。
先程よりも気分が重たくなったように感じ、背もたれに身体を預け、深く深呼吸を行い、目を瞑る。
こうしていても仕方がない。
記憶喪失の自分が考えても何も答えは出ないのだ。また、クラッドに聞くしかないのだろう。
そう考え立ち上がり、気分転換を行う為に外へ向かう。
仲間に「どちらへ?」と聞かれ「散歩だ。気にするな」と返す。
「付き添はいらない。すぐ戻ってくる」
ここは自分達の領地、危ない事などないだろう。
だが、俺の考えが甘かったようだ。町を歩き出してすぐ、誰かに付けられている気配を感じ取った。
歩きながら前方に停車している車のサイドミラー越しに相手を確認すると、服装からして敵ファミリーの者だと分かった。
気づかれないように、そっと懐の銃に手を伸ばす。
相手を誘い込むように路地裏にはいり、足音がした瞬間振り返り銃を突きつけた。
敵の男は少し驚いた顔をしたが、すぐに顔は緩み涙を流し始めた。
なんだ…?と困惑する俺に、男は縋るように腕を掴んだ。
向けた銃口が男の胸部に当たる感触に身体が震える。
「ご…、御無事で…っ」
「っなに?」
引き金を引かなければ…。と思った時、男にそう言われ困惑により力が抜けた。
俺の目をしっかりと見据え「俺と一緒に」と彼がそう言った時、二人に影がかかった。
ハッとした時には、男の首は後ろに垂れ下り、口から血液と泡を吐き出し鼻に流れ落ちていた。首から吹き出すように流れ出す血は、俺と男の服を濡らしていく。
パクパクと開閉する口は、何かを伝えようとしているようにもみえた。
男の後ろにいる、影を作った人物に目をやれば、そこにはアラクネが立っていた。
アラクネは、俺の腕に縋る男を抱き抱え、まるでゴミを捨てるように道端に落とした。
バクバクと鳴る胸を押さえ、アラクネの名前を呼ぶと、彼は「無事でしたか」と俺に向けて言う。
ナイフから血を拭き取り、アラクネは俺にそっと手を差し出した。
「かえりましょう。"ボス"」
屋敷に帰るとクラッドが駆け寄ってきた。
「無事だったんですね!」
良かった…と声を震わせるクラッドに「迷惑をかけたな」と言えば、「貴方が居てくれたらそれで良いんですよ"ボス"」と返される。
「どこか、怪我をしていませんか?」
心配そうに俺を見るのは腹部に付着した血液を見てだろう。
「いや、この血は全て敵のものだ」
そう伝えるとホッとしたようにクラッドは息をはいた。
「着替えてくる」と足を動かした俺の腕を「待ってください」とクラッドが掴んだ。
「その前に報告したい事があります。"ボス"に関わることです」
「なんだ?」と眉間にしわを寄せて聞けば「すみません」と言葉を続けた。
「ボスが記憶喪失だということを敵ファミリーが知ったようです。情報操作はしていきますが、今回のように敵がまたボスに近づくこともあるでしょう」
クラッドは「だから…」とおれの両肩を掴んで、目を見据える。
「あいつらに何を言われても信じないでください。記憶をなくした貴方を騙し陥れることなど、敵には容易でしょうから」
その言葉に苛立ちをおぼえる。
「お前らには、そんなに俺が愚かに見えているのか?仲間と敵の区別もつかないやつだと」
眉間にしわを寄せ、怒りを混ぜてそう言えば
クラッドはいいえ。と首を横に振る。
「違います。ただ、不安なんです。私達には、貴方が必要だから」
「私達を見捨てないで "ボス" 」
俺の肩に額をつけ悲痛な声色でそう言うクラッドに対し、俺は何故か身体がこわばった。
心臓が波打ち、全身が不安と恐怖に包まれていた。