「長生きはするものだな」
─俺はお前の剣の一振だ
「……」
特異点修復後かの剣士から掛けられた言葉に果たしてどの意味を当てはめれば正しい意味になるのか。そのまま取れば数ある英霊の内の一騎とすればまぁ話は早かったかもしれない。そうか、それじゃあ宜しくと握手のひとつでも交わせば終わったのだろう。
伊織に他意が無いことぐらい分かっている。記憶が無いと言ってもかつての友とは親しい様だしカルデアで目にする彼の隣には大体ヤマトタケルがいた。
「脈ナシ、そりゃそうだよね」
あれだけ仲睦まじい姿を度々見ている身としては微笑ましいと笑みも浮かぶのだがそんな時に限って伊織はなんとも言えない表情をしていた。憂いているような落胆もしたようなそんな。
飼い主に構えと迫る忠犬のようだと思ったが知られてしまえばきっと彼はそんなことは無い!と語気を強めて言うのだ。そしてそれを窘める伊織、そんな関係が出来上がってる以上マスターたる立香からは何も言えるはずも無い。
「明日どうしようかな」
明日を飛ばして明後日にしてくれないだろうかと突飛でもない思考をする位には彼に肩入れしている自覚があった。とはいえそれも時間の問題だろう、何せ種は芽吹く前に栄養不足で萎れる事が決まってしまったのだから。
◇◇◇
製菓会社の陰謀とはよく言ったものである。元来の愛を確かめ合う日とは打って代わりとりあえずチョコを渡せば事が済む風潮だがそれはあくまで日本の話。男性から女性へ花を送る事が盛んな地域のサーヴァント達はこぞって意中の相手へ花を送っている。そんな光景も珍しくはないのだ。
と言っても立香が人数分用意するのは勿論型で作るチョコレート。ただし量が量なので厨房の一角を間借りしてせっせと勤しむのが毎年の慣習になってしまった。1人あたりの量を計算して作る為に余剰分は無い。なのでもっと欲しいとせがまれたり少ないと嫌味を言われることもある。しかしこればっかりは誰にも平等をモットーにする立香のポリシーだ。今までそれを崩したことは無かったがもう実らないと確定した事実を前に脳裏を掠める邪なアイディア。
「教授に似てきたのかな…」
あの犯罪王に限って…とは思ったが案外そういう風に人間関係を拗らせるように仕向けるのは両の手で足りない程には致してきたかもしれない。実際そこまでする気は無いがちょっとした意趣返しだ。彼に対して恨みも憎しみもない。ただ伽藍堂と言ってのける割には大事な人は隣にいるでは無いかと水風船でも投げてやりたい気分になっただけだ。それは本人からすればはた迷惑には違いないのは十分承知の上で。
「あんなに言うけどさそれでも好きな人は居るんだよ…………伊織」
誰もいない空間に放った言葉は宙で霧散して消える。そう、それでいい。所詮一般人に過ぎない自分には過ぎたる夢だったのだ。今この時を過ごしているだけでも過分な恩情といえる。
手のひらに乗せたこの1口サイズのチョコのように僅かに膨れた気持ちを大事に大事にしたのが間違いだった。
だからちゃんと処理する。この先もマスターとして立っていく為に。
包み終えたチョコレート達を前にふうと息をついた。
本当はチョコレート作りを習いたいと言う正雪の提案を受け入れて一緒に作る予定だったのだがどこから話を聞きつけたのかカヤだったり槍ジャンヌだったりとどんどんその数を増やして収集が付かなくなった辺りでエミヤ達厨房組が面倒を見ると言って事なきを得た。
そういえばその輪の中には何故かタケルの姿あってその好奇心旺盛さと人懐っこい性格も相まって楽しんでいた。そういう所が伊織との仲の良さに繋がるんだろうと勝手に落ち込みはしたがそれは彼の良さであって僻むのはお門違い。実際何度も助けられているしそれに見合う活躍もしているので本当に頼りになる。
「俺すごい嫌な奴」
「そうだろうか」
口から心臓が飛び出るかと思う程に驚きすぎて呼吸が止まった。気配遮断なんてスキル持っていないだろうに立香の背後に急に現れたソレは心臓を抑えながら肩で息を大きく吐いている立香に大丈夫か、と声を掛けてくる。
「…っ、な…何、伊織。どかした?」
「退かした?」
「ど、う、か、し、た!」
「ふむ…」
まだ現代を生きる自分とのコミュニケーションには齟齬がある。タケルなら細かい事は気にしないタチなのでそのまま流されるが伊織は違う。分からない事柄があれば逐一人に聞くなり自分で調べる位には勤勉だ。そのせいか最近は図書室に篭もることもままあるという。
「女性陣の小間使いをしていたのだがお役御免になったのでな」
「あぁ、大量の砂糖とか運んでたもんね…」
「中々骨の折れる仕事だった」
「お菓子作りって体力勝負な所あるから」
「俺からすれば金子を運んでいる気分だ。金に目が眩むとはこの事かと」
「そっか、砂糖は伊織達の時代だとまだ高級品だもんね」
その日暮らしをしていた伊織らしい言葉だと思った。数十キロもある砂糖の袋を換金すれば下手すれば一生食べるのには苦労しなかったのかもしれない。適当に想像したがならば伊織の言う目が眩むとは比喩でもなんでもなく直截的に言ったつもりだったのだろう。どこまでも実直な人だと立香は思った。
「手伝う事があ『大丈夫』」
被せるようにして彼の言葉を遮る。
「もうあと仕舞うだけだしあんまり俺と居るとほかの皆から妬まれちゃうよ?」
「しかし、」
「いいんだ。もう終わったから」
片付けを始めた立香に対しまだ何か言いたそうな伊織だったが言葉を飲み込んだようだ。
「其れは?」
「ん、ああ。コレ?スーパーロックオンチョコ」
「すぅぱぁろっくおんちょこ」
「特別仕様だよって毎年箱だけ貰うんだ。だから中身は一緒だけど外見だけ豪華なハリボテ」
「張りぼてかどうかは兎も角貴殿から其れが貰える者は大層な幸せ者だな」
「(…ズルいなぁ)」
ツキンと胸が痛む。もう伊織の心にはタケルがいるのにそんな事を言われては勘違いしてしまいそうになるではないか。でも仕方がない自分が好きになった宮本伊織とはそういった人物なのだ。
「そうだ、ね」
包み終えたチョコレートを箱に閉まっていく。
途切れ途切れに返した言葉に気持ちは隠しきれていただろうか。
─2∕14当日
巌窟王から始まった当日は四方八方にチョコを配り歩いて手渡しできそうにないサーヴァントにはルーン魔術で各々の自室にメッセージを添えて送り届けて貰った。清姫に代表されるような過激派は兎も角ちゃんと列を作って貰いに来てくれる子もいる。ありがたい限りで300を優に超えるサーヴァントがカルデアには居るので一人一人探していてはキリがない。というか一日が終わってしまう。
あげるチョコレートも残り僅か。ロボにチョコ代わりの物をあげてガジガジと甘噛みをされべちょべちょになった所でようやく休憩を挟むことにした。
流石に唾液まみれのままでカルデア内を動きたくは無い。夜も更けて来たことだし今日はどの道オフの日なのでそのまま着替えもしてしまおうと自室に入りかけた所で背後から気配を感じた。と思えば身体を引き寄せられ挙句口を塞がれていた。
「!」
「マスター済まない。だが暫し静かにしててくれ」
「??」
伊織だ。しかしわざわざ立香の口を塞いでまでマスターの部屋で篭城する意味が分からない。苦しいとまではいかないがガッチリと後ろから抱きすくめられてはせっかく萎れていた種にみすみす水をやるようなもの。部屋の電気は付いておらず互いの顔も見えないが首筋に感じる彼の息遣いにどうしてこうなるのかと叫びながら逃げたい気持ちに駆られ鼓動が早まる。頼む聞こえてくれるな、そんな思いも虚しく「マスター」と小声で囁かれる。
「どしたの?みんなと宴会してたんじゃないの?」
立香の胴に回していた手が緩まりようやく向き直る。静かにと言われていたのに喋ってしまい思わず口を抑えるがどうやら危機は去った様だ。
「主を差し置いて宴席に興ずるのもどうかと思って適当に相手をした後貴殿を探していたのだが何故かセイバーに絡まれた」
「えぇ…って、あ!」
「どうした?」
「ごめん伊織、俺ロボに甘噛みされてべちゃべちゃだった」
「……」
伊織としても急な来訪だったのだ。セイバーに絡み酒をされた挙句なりふり構わずに宝剣を振るうものだから探し人の捜索も兼ねて一時的に逃げ込んだのが事の真相らしい。彼にとって幸運だったのはその探し人がたまたま居た事ただろう。ただ早急に風呂に入ろうとしていた事までは読み切れなくとも致し方ないが。
「着物汚してゴメンね」
「構うな、元より此方の落ち度だ。そんなことよりマスターに手荒な事をして其方の方が切腹ものだろう」
「…するの?」
「なるべくならしたくは無い。が、」
暗がり中やっと目が慣れてきた様子で。うーんとなんだか嫌そうな伊織の表情が読み取れる。
「お前が真に望むのであれば」
すっ、とまっすぐに立香を見つめる眼。
自分は今どんな顔すればいいのだろう。マスターとして?それとも藤丸立香として?何を持ってそんな事を言われなければならないのか理解が追いつかない。
本当に、本当に
「やめて」
「マスター?」
手のひらで転がされているみたいでばかみたいだ。
「俺じゃない人にそういうのは言ってあげなよ」
「何を、」
厚い胸板を少しだけ力を入れて押し退ける。それだけでは体制を大きく変えることは出来はしない。が、それでも伊織との間に多少なりとも距離は取れた。
まっすぐ彼を見据えると何処か焦っているような雰囲気だったがこの際だ、もうどうでもいい。
「伊織なんて大っ嫌いだ」
すぐさま床を蹴って通路に飛び出した。後方から自分を呼ぶ声がしたがもう振り返らずに足は駆け出していく。
あんな事まで言うつもりは毛頭無かった。だが、その心中に誰ぞ囲っているというのにいくらマスターと言えど不誠実にも程があると頭に血が上り瞬時に沸騰してしまい今は頭痛が鳴り止まない。
部屋の備え付けのシャワーを浴びようと思ったのに彼のおかげで来た道を戻る羽目に。結局別の区画にある大浴場まで足を運ぶ流れになってしまった。
頭はガンガンと痛むがそれよりも溢れる雫を一刻も早く止めたくて仕方がない。ここに来るまでに何人かとすれ違ったが全力疾走した立香の顔までちゃんと見れたものはいなかった。後で何事かと理由は聞かれるかもしれないが情けない顔を見られずに済んだのは幸いだった。
ちゃぽん、じゃばじゃば、ばっしゃん。
湯船に漬かりながら先程の事を思い返す。いくらなんでも言い過ぎた?でも伊織の物言いでは自分にもチャンスがあるんじゃないかって勘違いしてしまう。いつもならすんなりと流せるやり取りを今回ばかりは感情が先に出て上手くいかない。今後の事を考えれば伊織とは良い関係を築いておくに越したことはないというのに。
「無理だって、伊織は…あの人が」
想う人がいるならそれでいいはずなのどうしてこうも祝福できないのか。分かりきった答えに心底嫌気が差す。幼稚だから彼にだって子供扱い。そんな自分に伊織が心を明け渡してくれる訳が無いのに…。
「……い、お、り」
気持ちを落ち着けたくてここまで来たのにココロはぐちゃぐちゃで悲しみがまた胸の内を満たしていく。そうなるともう涙腺なんてバカになっちゃって止めようと思えば思うほど更に込み上げてくる悪循環しかない。
「…っあ」
「マスター…!」
本日2度目の息止まり。そのまま心停止するんじゃないかって思う位には心臓が痛覚を訴える。
そんな彼の声は浴室というのも手伝ってより大きくなって反響する。幾つかある湯船の中でも1番奥に入っていたが速攻で目が合ってこちらに向かって来た。一応履物は脱いでいるが見慣れた袴がみるみるうちに水分を含んでその色をより濃いものにしている。
そんな事しなくても逃げないのにとふと思ったがすぐに否定する、何せもうやらかした後だから。
泣いていたこととか息し忘れてたとか色んな方向にとっちらかってもう何が何だか。
「マスター」
「伊織…」
「ッ、お前は俺の忠誠を疑うか?」
「そんなんじゃない」
「なら何故俺を嫌う?貴殿では無い者とは一体何だ?」
「それは…っ、」
肩を捕まれもう逃げ場は無い。いや、厳密に言えば助けを目の前の人物以外に求めれば誰かしらは飛んでくる。しかしそんな事をすればもう二度伊織と他愛もない話もできないような修復不可能な関係しか結べない。例え実らずに萎れてしまうのだとしてもそんなのは嫌だ。
「…た、タケルが」
「セイバー?」
「タケル、とそう…いう仲、なんだと…思って。伊織が」
「………」
「あの…ごめんなさい!ちゃんと忘れるから。想わないようにするから。別に2人の仲を裂きたいとかそんなこと思ってないし」
荒立つ波に動揺は更に広がっていく。もう何を言っても弁明にすらなっていないかもしれない。2人の仲に嫉妬した挙句伊織を嫌う発言をしたのだ。もう避けられることも視野に入れておかないといけない。
「……はぁぁぁぁー」
浴室に響き渡る盛大なため息にびくりと身体を震わせる。
「い、伊織?」
「何故そうなる…いや俺が言葉足らずなせいか」
「あの…」
「マスター聞いてくれるか?俺はセイバーとは色恋の仲では断じてない」
「……」
「なんだその目は」
「説得力が無い」
「はぁ?」
それはそうだろう。10人が10人見てあれはそういう同士と思われて仕方ないような仲の良さに加えてあの距離感だ。間違えるなと言われてもその方が困ってしまう。
「俺が真に忠を尽くすのは貴殿だけだマスター」
あけすけに言ってくれたものだ。タケルとの関係はひとまず置いておいて伊織の言葉に嘘偽りはない。そんな分かりきったことすら今はこの上なく嬉しくて堪らない。そんな、狡いではないかせっかく諦めようと努力していたのに全てを無に帰された。この代償どうにかしてやりたくなる。
「今すぐは信じられないだろうが最善を尽くそう」
「本当に?」
「剣に誓って」
もう疑わなくてもいいのに試してやりたくてつい聞いてしまう。散々人の心を弄んでくれたのだちょっと意味は変わってしまうが例の意趣返しは敢行することにしよう。
濡れてしまった彼にお風呂を勧めて立香は先に出た。不安が混じった双眸で不安そうにしている彼に「部屋に着替え取ってくるから」と、逃げ出さない胸を説明しとりあえず時間は確保した。紅閻魔の話では伊織のバスタイムは烏の行水のように短いと苦言を呈されている。なら彼が大人しく風呂に浸かっている時間はそう多くはないだろう。なら最速で戻るのが吉。
「おまたせ」
「…マスター」
やはり伊織はもう上がっていて頭をタオルで拭いている場面に出くわした。着流しを来て髷を下ろした姿は新鮮で、当たり前と言えば当たり前だがそれなりに男性として憧れる割れた腹筋やら何やらが目に付いてあまり直視はできそうにない。ほっとしたように寄ってくる伊織を見て自分も大概だと苦笑した。
「はいコレ」
濡れた髪のまま髷を結わこうとしといたのを止めて備え付けのドライヤーで乾燥させる。主にそんな手間を…と遠慮する伊織を遮って問答無用で温風を浴びせてやった。硬めの毛質でごわごわとまではいなくともこれではあのハネ具合には納得がいく。
「之は」
「要らないなら言って捨て『有難く頂戴する』」
間髪入れずに言われてぽかんとしたがうんまぁ貰った貰えるならそれでいい。伊織はハートの形をした箱をまじまじと見つめ何処と無く目も輝いているように見えた。
「でもね、ハリボテなんだよそれ」
「うん?」
仕込みに自らが作ったチョコレートを口に含ませて彼をコチラに向かせる。そうしてふんわりと唇を落とした後隙間ができたところにまだ形状を保っているそれを舌で押し込む。完全に行き渡ったのを確認して今度は首筋にもう一度触れてやる。面白いくらいに固まり呆然としている彼に後ろから一言物申す。
「こっちが本命。伊織のばーか」
二の句が告げないでいる伊織は見たことのないくらいに顔を染めていた。