そして俺だけを見て なんてことはない、一人の休日。カレンダーは空白で、冷蔵庫の中身も殺風景で、次の休みにやろうと決め放置していた用事と顔を突き合わせ数時間経っていた。
「よし、やるかぁ」
一人の生活に慣れるにつれ、独り言の音量は日々大きくなっていく。
外食続きで蔑ろにしていた冷蔵庫の中身を充実させるため、そしてその他諸々の用事を済ませるため車を走らせた。郵便局へ寄り、私書箱から郵便物を受け取りスーパーへ。一週間分の食料と日用品で両手をいっぱいにして帰宅した。
買い物後の片付けを終え郵便物に目を通していると、一際重い封筒が床に落ちた。
「うお、なんだこれ」
拾い上げ読み上げた差出人の名前には、自分でも驚くほどの甘い感情が乗っていた。
「ピート・ミッチェル…」
厚みのある封筒はマーヴからの贈り物だった。当たり前だが、封筒に貼られたラベルには"マーヴェリック"とは書かれていない。郵便制度の前ではマーヴもただの一市民であり、コールサインは通用しない。
「ピート・ミッチェル…ピート…ミッチェル…」
中身がどんな物であるか知りもしないうちから愛しい人の名前を繰り返し、ガッツポーズで喜びを噛み締めた。マーヴ、何を送ってくれたんだろう。婚姻届にしては重量があるけどな…。
浮かれて跳ね回る胸を抑え、いつもより慎重に封を開けた。中を覗くとカードのようなものが数十枚入っている。
「写真…?」
写っているのは美しい砂漠の景色とマーヴと俺。前回の休暇でマーヴのハンガーを訪ねた時のものだ。数えきれないほど写真を撮った記憶はあるが、こんなにあったとは。すべて見るにはとてつもない時間がかかりそうだが、それでも構わない。今日は恋人との思い出に浸る日にしよう。さっそく1枚目を手に取ると、それは砂漠に佇む俺の後ろ姿だった。
「1枚目はマーヴの写真にしてよ」
思わず笑ってしまった。ブラッドリーの写真をブラッドリーに送ってもしょうがないよ。とはいえとても綺麗に撮れていて、これなら本人に送りたくなる気持ちもわからないでもない。
見たものから裏返して脇に置くと、裏面にはマーヴの手書きでメモが書かれていた。
『入れてあった順番で見てね』
ついさっき落としてしまったが、中身は動かないように梱包されていたため無事だったようだ。そして彼の手書きのメモは他のすべての写真にも添えられていた。マーヴにしては凝った演出だな。写真を見て感じたことを書いているようで、まるでマーヴと2人で一緒に見返しているみたい。
数枚目に写っているのも、マーヴの愛機を見上げる俺。…俺のことばかり撮ってたんだね。この写真にも例に漏れず裏面にメモ書きが添えられている。
『次こそ2人で飛ぼう』
前回訪ねた時はメンテナンス中で、マーヴ自慢のマスタングでは飛べなかったのだ。
さらにめくると、ようやくマーヴが写っていた。俺が後ろから抱きついて自撮りしたものだ。マーヴのスマホで撮ったものだが、これを送るためにスマホの写真をプリントアウトする方法を学んだのだろう。マーヴはきっと今までその方法を知らなかったはずだから、この1枚を手に取れるのはとても嬉しい。だって、慣れないことに挑戦してでも"これをブラッドリーに送りたい"と思ってくれたってことだ。写真の中のマーヴは照れ臭そうにはにかんでいて、後ろから回した俺の腕を掴んでいる。
『君のたくましい腕に包まれると安心する』
ここまで成長した甲斐があったよ。もはやこの大きな身体はマーヴを守るためにあるのだから。
その次は俺の手料理。マーヴは何度も美味しいと繰り返し、きらきらと光る目で俺を褒めてくれた。俺を"坊や"と呼ぶこともある彼こそが、この時は子どものように喜んでいた。
『君の手料理、また作ってくれる?』
「作るに決まってんじゃん。一生好きな時に好きなものを食べさせてあげる」
無言の写真に向かって返事をする。その四角い平面の世界に飛び込めば、マーヴは頬をいっぱいにしながら一口食べるごとに感動してくれる。"すごいなブラッドリー!"と手放しで褒めてくれる彼を思い出すことだってできる。
その他にも、街へ出て通行人に撮ってもらった観光客風のツーショット、バーで名前も知らない人と写ったものや、愛車の運転席に座るマーヴなど、休暇の大切な一瞬一瞬がその輝きを保ったまま閉じ込められていた。マーヴが指示した通り、順番を守って見ることで鮮明に当時を思い出すことができた。
そうして日を浴びる砂漠の砂のように熱く眩い瞬間を眺めた後、そこに写っていたのはマーヴ一人だった。明らかに"お楽しみ"の後に撮ったもの。うん、よく覚えてるよ、たしか俺が撮りました。ベッドシーツを掛けた彼は頬をほんのりと赤く染め、カメラの奥にいる人間を何か言いたげに上目遣いで見つめている。髪こそ乱れてはいるものの、この時は体力がまだ有り余っていたようで、こちらが羨ましくなるほど肌艶が良い。もちろん服は脱ぎ捨てられている。
『この1枚は君に必要だと思って…』
欲しがると思って、ではなく、必要だと思って。的確な表現だ。
「よくわかってるね、欲しいなんてレベルじゃなくて生活に必要なものなんだ、って」
察しのいい恋人にさらなる感謝を抱きつつ、この素晴らしい1枚をどこへ置いておくべきか思案した。写真立てにはさっきの自撮りのツーショットを飾るとして、これはどうしようか。大切に仕舞っておきたいが、すぐに見られるようにもしたい。ベッドサイドのチェストに入れる?今読んでいる本に挟む?今すぐには決められそうもない。
数十枚目にあったのは、ソファで昼寝する俺。口は薄く開いていて、とてつもなく無防備だ。こんなのいつの間に撮ったんだろ。自分の寝顔写真を見せられ顔が熱くなるのを感じながら裏面を見ると、他のものに比べて少し長いメモが書かれていた。
『今の君のことを学ぶのはとても楽しいけれど、君の変わらない部分を見つけることも幸せだと感じる。例えば君の寝顔は幼い頃と同じ。不思議な寝言も昔と変わらないね。もっと他にも見つけるべきことがあるのなら、どれほどの時間がかかろうともすべて僕に見せてほしいんだ』
口髭をたくわえた30代半ばの男が子どもの頃と同じ寝顔をしているとは到底思えないが、俺だってマーヴの笑顔を見て、あの頃と何も変わらないと呟いたことはある。それと同じことか。
「その言葉、マーヴにもそっくりそのまま返すよ」
マーヴの変化したところや、頑固で変わらない、あるいは変えられないところ。いくつあっても構わないから、全部俺に見せて。
次に写っていたのは突拍子もなく、休暇中に撮った覚えのないものだった。それはPCの写真。画面の文字はぼやけていて、何をしているのか、どういう意味があるのかわからない。やはり裏面にはメモがある。
『僕からのお願い: 君はそこにいて』
「そこにいて…?」
頭を捻るも答えが浮かばない。そこってどこ…?どういう意味…?
マーヴは意味のないことはしない。困惑させるためだけにヒントの少ない写真を送ったりする人じゃない。その確信以外は何も持てないまま次を見ると、ベッドに積まれた服が写っている。畳まれていたり、ハンガーに掛けたままだったり。わかることは、すべてマーヴの服だということ。
『動いちゃダメだよ』
動くなとは、どこから?
「ここ…?もしかして、この家?」
新たな情報は頭をさらに混乱させるばかり。己の手はマーヴの意図を探ろうと、さっきより急いている。次は外から見たマーヴのハンガー。扉は閉められている。
『"考えるな、行動しろ"と言ったのは僕だけど、君が困るようなことにはならないといいな』
聞き覚えがありすぎるその言葉に手がかりを求めるも、なぜか不安になるようなことばかりが頭をよぎる。困るようなことって?まさか、遠くへ行ってしまうのだろうか。
「別れの挨拶だったらどうしよう…。追いかけてくるなってこと?そんなの無理だって」
もうあの人に怒りをぶち撒けるような真似はしたくないし、そんな事態になることも避けたい。さっきまでの穏やかな休暇を切り取った写真たちから一転、どうしたのだろう。答えを求めて次の写真を探したが、今のが最後の1枚だったようだ。
もうわからない、お手上げだ。そう呟きスマホに手を伸ばした瞬間、玄関のベルが鳴った。デリバリーは頼んでいないし客が来る予定もない。写真を置いて行こうとしたが、この手を離せばマーヴが本当に会えないほど遠くへ行ってしまう気がして、手放せなかった。結局最後の1枚を持ったまま、重い足取りで玄関へ向かった。
「はい?」
ドアの前に立っていたのは、十数センチほど下からこちらを窺うブルネットの男。この世の神秘を詰め込んだ目は緊張気味に揺れ、包み込めそうな小ぶりの手はボストンバッグを落ち着かない様子で何度も握り直している。
「マーヴ…!?」
「や、やあ」
ぎこちない笑顔で小さく手を振るマーヴに、驚きを隠せず先の言葉が続かない。マーヴは俺の右手に持った写真を指差した。
「ちょうどいいタイミングに来られたよ」
「は、え、なに?どういうこと?」
混乱する顔が険しく見えたのか、彼は指差した手をそっと下げ慌てて付け加えた。
「ごめん、やっぱり迷惑だったよな」
「いやマーヴ、全然わかんない、説明して」
「えっと…君に送る休暇の写真を確認していたらどんどん君自身が恋しくなって…。ならいっそ行ってしまおうって。すぐ帰らなきゃいけないかもしれないけど、一目会えたらと思ったんだ」
聞けばマーヴは、すぐに写真を使ったサプライズを思いつき、基地間の輸送便を検索したPC画面や荷造りの様子などをヒントとして撮影した。そしてそれらをプリントアウトしてメモを書くと、その足で他の写真と併せて最速便で送ったらしい。マーヴの突発的な閃きは、こうして実行に移されたのだった。それにしても、一目会うだけにしてはバッグが大きくないだろうか。しかしあえてそれを口にするのはなんとも野暮だ。
「封筒が届く頃に僕も到着できるようにしたんだ」
「俺が家に居なかったらどうするつもりだったの?」
「うーん…考えてなかったなぁ。ドアの前に座って待ってたかもね?」
これだけ言葉を交わしても、いるはずのない人が目の前に立っていることがまだ信じられない。何かしら意味はあるのだろうと確信はしていたが…。ごめんマーヴ、悪い方にばかり考えちゃって。気がつけばマーヴを玄関先で力一杯抱きしめていた。家の中へ入れることにすら思い至らず。
「嬉しい、嬉しいよ、マーヴ。こんな可愛いことしてくれるなんて」
「はは、慣れないことしたから驚かせちゃったみたいだね」
「だってサプライズでしょ?なら大成功ってことだよ」
「だけどドアを開けた時の君の顔、正直言って怖かったよ」
「ハンガー閉めてどこか遠くに飛ばされちゃうのかと思ってたんだよ」
そうか、心配かけてごめんね、とマーヴは笑い、バッグを置いて俺の背中に腕を回した。こちらに応えるように彼はギュッと腕に力を込め、強く背中をさすった。
「写真、一緒に見る?」
「いいね、君の感想が聞きたかったんだ」
「あれ最高だったよ、ベッドのマーヴ」
「ああ…そういえばそんな物も入れたかな」
自分でもどうにもできないほど強くマーヴを抱きしめたまま、あのベストショットを褒め称えた。あれはいつでも君のそばに置いててくれ、とマーヴは耳元で優しく囁いた。耳をくすぐるその吐息が、あの天上の景色のような1枚と重なることで甘美な想像を掻き立てる。
「ホンドーに連絡しなきゃ。マーヴはしばらく帰しませんって」
「こらブラッドリー、ダメだよ」
帰りたくないくせにって言ったらどんな顔するかな。写真には残せないマーヴの声は、ここへ来たことを微塵も後悔していなかった。
家の中へマーヴを案内し、キッチンカウンターに並べた写真をかき集めた。マーヴと共に何度も写真を繰りながら、これからも増え続ける思い出に期待を込める。まずは今この瞬間から、マーヴが西海岸に呼び戻される時まで。それから離れている間も、2人が生涯互いを離れぬことを誓う日も、真の永遠まで暫しの別れを惜しむ瞬間も。…先走りすぎかな。だけどマーヴのハンガーよりもたくさん写真を飾りたいし、そこに2人の人生を並べたいんだ。振り返られる記憶は多い方がいい。そう思わない?
「ねえ、マーヴのこと撮らせて」
振り向いた彼の視線は構えたスマホを飛び越え、俺の目を真っ直ぐ射抜き微笑んだ。
そう、考えないで、行動して。俺のそばに来て。