天井を見上げて 星空に縁のある人生を送ってきたと思う。
ミドルスクールの課外活動では、人工的な光から隔絶されたキャンプ場で流れ星を追いかけた。夜間飛行では何千フィート上空が深海へと変わり、星々と泳いだ。そこは平衡感覚が失われていく恐怖と向き合い続ける孤独な世界だった。
しかしどういうわけか最も鮮明に覚えているのは、そのふたつよりも前に見た、マーヴと通ったプラネタリウムと、マーヴがプレゼントしてくれた家庭用プロジェクターの星空だ。その後に見た流星群や真っ暗な空の美しさは、その星空には敵わなかった。プラネタリウムの学芸員の穏やかな声、隣で寝落ちしたマーヴの微かな寝息や、帰り道に食べたサンデーの真っ赤なイチゴシロップも、星々と共に輝いている。
…そして今再び、1台の家庭用プロジェクターを手に入れた。
「マーヴ、これこれ」
「プラネタリウム?」
ダイニングカウンターに座るマーヴは、受け取った箱の文字をぶつぶつと読み上げながら嬉しそうに笑った。
「もしかしてこれって、あの時の?」
顔を上げたマーヴの表情があまりに明るくて、説明するのが気まずくなるほどだった。
「いや…あれはマーヴが遠くに飛ばされてる間に壊れちゃって。あれ以降新しいものは買わなかったんだよね」
新しいものを手に入れたって、マーヴと一緒に見られなければ意味がないのだ。
「まあ、あれは君が小さい頃に買ったものだからなぁ」
呟くマーヴの視線の先には、パッケージに写る家族がいた。子どもたちがベッドルームで星空を見上げている写真だ。
「たまたま連れて行ったプラネタリウムを坊やがとても気に入って、その後も何度も一緒に見に行ったんだ」
「その坊やって俺のことだからね」
懐かしそうな顔をしているが、その坊やはまだここにいる。しかもあんたの隣に。
「君があまりに気に入ったものだから、家庭用のプロジェクターをあちこち探し回ったんだよ。キャロルにも手伝ってもらってね」
「…ありがとね」
当時の俺はマーヴが家に来るたび一緒にプラネタリウムに通い詰め、遂には学芸員の解説をすべて覚えてしまった。一通り楽しみ尽くし、解説を誦じる坊やから飽きる気配を感じ取ったであろうマーヴは、次は家で鑑賞しようかとプロジェクターを求めて走り回った。
「あの時の君はまだ幼かったから、空には光る生き物がいると思ってたんだよ」
「…まあ俺にもそんなピュアな時代くらいあるよ」
マーヴはそうだね、とくすくす笑った。今は彼の方がよほど純粋そうに見える。
「初めてプロジェクターを使った時、君は僕にお星さまの話をしてほしいってお願いしたんだ」
それも覚えている。俺は施設で聞いたみたいな話を期待していたのだが、マーヴは何度も聞いたはずの学芸員の話を覚えていなかった。いつも疲れた身体で俺を連れ出してくれていたマーヴは、ほぼ毎回同じタイミングで居眠りしていたからだ。
「だからって、宇宙人に会った話とか異星人と戦った話ってどうなの?」
「空を飛んでいれば色々なものに遭遇するんだよ」
おっとこれも機密だった、とマーヴは人差し指を唇に当てた。…俺も同じ空を飛ぶアビエイターなんだけどな。しかも30歳をとうに過ぎた大人。
「"マーヴは宇宙人と仕事をしているんだ!"って自慢してくれたんだよね、友だちに」
「…まあね…」
幼い頃に何度も聞いた話は、その子に対し相当の影響を与えるものだ。マーヴのおかげで俺は宇宙人の存在に関しては肯定派だった。今でも決して可能性を捨てる必要はないと考えている。
勢いづいたマーヴがさらなる思い出話に口を開きかけた時、俺はようやく本題を切り出した。
「マーヴ、これ、今から使おうよ」
プロジェクターの箱にポンと手を置き、カウンターチェアに座るマーヴを覗き込むと、マーヴは顔を輝かせ頷いた。
「よし、じゃあベッドルームに集合ね」
「リビングでしたら?」
「あの頃2人で見てたのは?」
「…君のベッドの上か」
マーヴはふっと笑い、カウンターチェアから立ち上がった。
白い天井に広がる人工的な星空。しし座流星群が降る大地にも音速で泳ぐ海底にも無かったものが、2人の寝室にはある。
両手にマグカップを持ち寝室に入ったマーヴは足でドアを閉めた。カーテンを閉め電気を消した暗い部屋で、マーヴはベッドに乗って俺の隣に寝転んだ。ああ、これがノスタルジアというものだろうか。
「最新の機械は映像が綺麗だね」
「機械の話はしないでよ…一応星空を眺めてる設定なんだから」
「だってすごいじゃないか、昔のものとは大違いだ」
ノスタルジアと聞けば、どこかほろ苦く切ない感情を引き起こされるような感じがする。うん、確かに苦い。もう二度と星なんて見るかと沸き上がった怒りと、押し退けるには言い訳が必要な彼の底知れぬ慈愛を同時に思い出してしまうから。
「ブラッドリー」
「ん?」
「音声解説はどうする?」
「ああ、マーヴに話してほしいからミュートにしてあるよ」
「そうか、ならどんな話をしようか…。さそり座は夏に見られる星座です、とか?」
「なんだ、プラネタリウムの解説覚えてるじゃん」
「いや、これしか覚えてないからもうネタ切れだよ」
苦笑するマーヴにそっと腕を回すと、小ぶりな頭が腕の中に収まった。自分の身体に感じるささやかな重み。これが数十年の時を経た結果だ。
「ああ、あと、」
何かを思い出したマーヴが一点を指差し口を開いた。
「あの星」
「俺を見守ってくれる北極星、でしょ」
「…覚えてたんだね、僕の言ったこと」
彼はこちらを向いて控えめに笑った。
「忘れたくなかったんだろうね」
「…そうか」
北極星は通年見られる星。あの星は、自分を見守っていてほしい何者にもなってくれる。こっちの世界の人も、あっちの世界の人も、星になって君を照らせる。君が望む人はそこにいて、どこにも行かずにそばにいる。そう言ってくれたんだっけ。だけど結局、自分を見守っていてほしかったのはマーヴなのではないか。あんたこそがグースはそこにいると信じたかったんじゃないのか。
「あの星が見てるのはマーヴだよ」
「僕?」
「マーヴのこと見ててあげなきゃって思う人、俺も含めてたくさんいるから。だからあんなに輝いてるんじゃない?」
「そうかなぁ」
そうだよ、マーヴは危なっかしいから。最近はマーヴを見てなきゃいけない人が一気に増えたし。でも誰かに見守られてると安心出来るのは、マーヴだって同じでしょ?
「俺が仕事で一緒にいられない時は、俺があの星になってマーヴのためだけに輝くから。マーヴは俺を探してね」
彼は一瞬目を丸くして、そしてゆっくりと目を閉じた。
「…それも僕の言葉だ」
「そうだよ、でも今度は俺がマーヴを見守る番だから」
僕がいなくて寂しい?大丈夫だよ、見てごらん、あの星は僕とブラッドを繋いでくれるんだ。僕は君のためだけに光る星だ。もしかしたらパパもそこにいるかもしれない。夜になったら外で同じ星を探して。君を守ってくれる存在は君が思うよりたくさんいる、それを忘れないで。
こぐま座が白い天井で駆け出そうとしている。無数の星々の中で二つとない存在、おおかみ座に出会うため。そして彼を見守るため。