Treat me like a Halloween candy 小さないたずらおばけが集う日。外からは、いたずらもお菓子も大好きなおばけたちの楽しげな声が聞こえる。
「マーヴ、これで全部だっけ?」
ブラッドリーは彼らの襲来に備え、キッチンにお菓子を並べていた。恐ろしいおばけたちのいたずらを防ぎ、ご機嫌に帰ってもらうための毒々しい色のお菓子たち。少し前からブラッドリーはあれこれと買い集めていた。紫色やオレンジ色のマシュマロ、真っ黒なチョコレートクッキー、おばけや目玉の形のグミ、どれも同じ味がしそうなハロウィンカラーのジェリービーンズ。
「たぶん、それで全部だと思うよ」
「マジ? もっと買ったと思ってた……やばいな、足りないかも」
「だから言ったろ、ハロウィン用のお菓子はつまみ食いするなって」
ブラッドリーは先日僕の警告を無視した時と同じように黙って腕を組んだ。すると彼は出し抜けにお菓子の袋を一つ選んで開封し、口に入れた。
「マーヴも食べる?」
言いながらブラッドリーはジェリービーンズの小袋をこちらに差し出した。
「……足りないかもって言ってたよな?」
今の会話はなんだったのか。
「でも先に味見しとかないと、子どもたちに不味いものあげたくないでしょ」
真面目な顔でそう答え、彼は袋を傾け僕の手のひらにオレンジ色のジェリービーンズを三粒出した。
「あ、待って」
それから彼は袋に手を入れ紫色と緑色のジェリービーンズを探り出し、僕の手のひらに乗せた。三色食べ比べてみると、やっぱり味は同じだった。
「どう?」
「うん、これなら小さなモンスターたちもお気に召すんじゃないか?」
ブラッドリーは満足げに頷いた。彼はすべてのお菓子の小袋をジャック・オー・ランタン型のバケツに入れ、それを玄関のコンソールに置いた。彼は今朝から着ているホラー映画のTシャツ姿で、鏡の前で髪を整えた。彼からは秋限定のスパイシーなシャワージェルの香りが漂う。外は暗くなり、ハロウィンの電飾や飾り付けが楽しげに輝き始める。我が家のカボチャのランタンも、仮装した子どもたちを惹きつける頃だ。
ブラッドリーがそろそろかと玄関のドアノブに手をかけた時、ベルが鳴らされた。ドアの向こうでガサガサと音が聞こえる。
「はーい」
ドアを開けると、整列した小さな子どもたちがブラッドリーを見上げて叫んだ。
「「「トリック・オア・トリート!!」」」
「おお……元気いいな」
ブラッドリーを圧倒するのは城に住む吸血鬼、プリンセスを眠らせる悪い魔女、13日の金曜日に思い出す殺人鬼。みんなどちらかといえば可愛らしいのだが、お菓子をたんまり集めてやろうという気概は強く感じる。彼らの背後では付き添いの親や、トリック・オア・トリートが気恥ずかしい年頃の兄や姉が三人を見守っている。
「よし、君たちが最初のお客さんだ。好きなものを選んで」
僕がバケツを差し出すと、各々が好きなお菓子を求めてバケツに手を突っ込んだ。ブラッドリーはその様子を微笑ましく見守る。
「私これにする!」
「お、それ好き? センスいいね」
一番乗りだから、という理由でブラッドリーは三人にそれぞれもう一つお菓子をおまけした。いよいよお菓子が足りるのか不安になったきたが、彼はもうそんなことは忘れているようだ。それにこういう時のブラッドリーは気前がいい。だってもう一つ貰えたら嬉しいでしょ?なんて言うのだ。
「ハッピーハロウィン」
三人に手を振り見送ると、ブラッドリーは玄関先に座った。バケツに手を入れ、マシュマロを食べ始める。
「ブラッドリー、本当に足りなくなるぞ」
「その時はなんとかするよ」
マーヴも食べる?とマシュマロを僕に差し出した。開けてしまったものは仕方ない。僕が口を開くと、彼は口の中にマシュマロを入れた。キャラメルパンプキン・ラテの味が口いっぱいに広がる。市販のキャラメル味のマシュマロとの違いが僕にはわからないが、ブラッドリーにはわかるらしくいたく気に入っている。
また別のモンスターのグループが我が家の前で立ち止まった。ハロウィンの飾り付けと手を振るブラッドリーに気がつき、二人の妖精がこちらに駆け寄る。
「「お菓子くれなきゃいたずらするぞ!!」」
「いたずらは嫌だから、これで許して!」
妖精たちはグミとジェリービーンズを選び、次のお宅へと飛んで行った。魔法のラメが輝く小さな羽で。
その後も小さなおばけたち(時折ハイティーンの集団)は玄関に座り込む僕たちを訪ねてトリートを受け、代わりに僕たちはいたずらを免れ安全に過ごしていた。トリック・オア・トリート! はいどうぞ、ハッピーハロウィン。楽しいのはお菓子を貰う子どもたちだけではなかった。肌寒い外ではしゃぐ子どもたちの声を聞き、ハロウィンの月を眺めて星を探し、ブラッドリーとたわいない話で笑い合う。魔物が蔓延る暗い夜を怖がる隙さえなかった。
そろそろおばけたちの活動時間も終わろうかと言う頃、一人の少年が僕たちを訪ねた。
「こんばんは、トリック・オア・トリート」
この日一番丁寧でおとなしい合言葉だった。
「ああ、ハッピーハロウィ……うおっ」
ブラッドリーは言い切る前にのけ反った。少年の仮装があまりに手が込んでいてリアルだったからだ。彼は狼男に扮していた。人間がまさに狼に変わらんとする瞬間を見ているようで、鼻や口などのパーツはDIY好きの両親による特殊メイクだと後で教えてくれた。
「すごいな、本物の狼男みたい」
「僕、本物だよ」
「ああそっか、ごめん」
あまりの感動にブラッドリーはハロウィンの設定を忘れていた。
「君の名前は?」
「リアム」
「リアム、実はな、俺の隣にいるこのおじさんも狼なんだよ」
言いながらブラッドリーは僕の肩に手を置いた。
「そうなの!?」
「そう、マーヴェリックっていうんだ。かっこいいだろ? しかも空を飛ぶ」
「それを言うならこのお兄さんも空を飛べるよ」
「すごい…! 僕のママも空を飛ぶんだよ!」
リアムの母親は現役のアヴィエイターらしい。
「すごいだろ? 君のお母さんはマッハ10で飛べるか? このマーヴェリックは飛べるんだぜ」
子ども相手に対抗心を燃やすんじゃない。離れた場所から見ていた父親は苦笑いしている。しかもマッハ10は機密だ。きっとこの子にはまだわからないし関係者ではない父親も信じていないだろうが、そんなことはあまり気軽に話すもんじゃないぞ。
ブラッドリーは僕の自慢話を続けつつお菓子を渡すためバケツに手を入れた。しかしバケツは空だ。彼は申し訳なさそうに言葉を詰まらせた。
「あー……どうしようかな、お菓子がもうないな……」
「もうないの?」
リアム少年は明らかにがっかりした様子でお菓子を集めたバスケットを抱え直した。その様子を見て僕とブラッドリーはいてもたってもいられず、互いに目を合わせた。するとブラッドリーは軽く頷き、リアムに不敵な笑みを見せ立ち上がった。
「ちょっと待ってて、いいもの持ってくる」
「いいもの?」
「お兄さんの言う"いいもの"は信用していいよ」
ブラッドリーは家に入るとお菓子を片手に戻ってきた。それはハロウィン仕様ではなかったが、彼が気に入ってよく食べているチョコバーだった。
「これでいたずらは我慢してくれるか?」
「うわ〜! これ食べてみたかったんだ!」
「マジ?」
「まじだよ! このデッカいチョコバー、パパから僕にはまだ早いって禁止されてるんだ!」
リアムは目を輝かせ大ぶりなチョコバーを受け取った。子どもの小さな手には大きすぎるため、彼の父親が禁止する気持ちがわかる気がした。きっと僕も、坊やがこれを食べたいと言ったら止めると思う。これをおやつにしたら、夕飯が食べられなくなるよ。グースとキャロルに怒られる。
「なら今日は特別、パパにバレないようにここで食べちゃえ」
ブラッドリーは人差し指を口にあてた。彼のずるさは大人になっても変わらない。
「僕たちがパパを誤魔化してあげるよ」
「わあ、ありがとう!」
僕たち二人の言葉にリアムは大きく頷き、こそこそと包装を開けた。向こうで父親が笑っている。ハロウィンに子どもを止めるなんて無理な話だ。
「ねえ、マーヴェリックとお兄さん」
「ルースターだよ、俺の名前」
リアムはルースター、と言い直した。
「二人はいたずらしたことある?」
そう尋ねる彼の目は好奇心でいっぱいだ。
いたずらか……。隣を見ると、ブラッドリーは穏やかな目で何かを思い出していた。
「俺はしたことあるよ」
「どんな?」
「マーヴおじさん、今白いTシャツ着てるだろ?」
ブラッドリーは僕を見つめて笑った。漏れた息は優しく僕の肩を撫でた。
「この人の白いTシャツを全部カラフルに染めるいたずらをした」
少年はチョコレートまみれの口をポカンと開けた。
「……それすごいね」
「そうか?」
「そんなの聞いたことない」
「へえ、今どきの子は優しいんだな。俺が子どもの頃は普通だったよ」
そんなことはない。昔だって君のいたずらには困らされたよ。クローゼットを開けて驚愕する僕の顔もちゃんと覚えているだろう? 忘れてたとは言わせない。
「ルースター……こんな年上のおじさんにそんなことしたら可哀想だよ……」
リアムは僕に同情の目を向け呟いた。するとブラッドリーは勢いよく吹き出し、声をあげて笑った。
「あははっ! 大丈夫だよ、このおじさんだって昔は若かったんだ」
「若けりゃいたずらしていいってことでもないよ」
僕が口を挟むと、ブラッドリーは僕の肩に顔を埋めてまた笑った。彼は一度深呼吸をして落ち着くと、僕の肩に体重を預けて言葉を続けた。
「リアム、君は好きな人にはいたずらをしたいタイプか?」
「好きな人いないからわからない」
「そうか、もちろんいなくても構わないんだ。この先一度も好きな人ができなくてもな。だけどもし好きな人に自分を好きになってほしい時、このアドバイスを思い出せよ」
「なに?」
「好きな人にはいたずらしないこと。めいいっぱい優しくするんだ」
ブラッドリーはそっと僕の腰を抱いた。
「いたずらで好きな人の気は引けない。そうでしょ、マーヴ?」
「そうなの?」
リアムは僕に視線を移す。
「そうだなぁ……少なくとも僕はいたずらっ子より心優しい人が好きだよ。ルースターみたいなね」
「ほらな、思いやりが大事なんだ」
「マーヴェリックも優しい?」
無垢な視線がブラッドリーに戻る。
「もちろん、マーヴより優しい人はいない。だからマーヴのことが大好きなんだ」
「お互いを大切にするんだよ」
リアム少年は真剣な面持ちで頷いた。
「まあ、まずはママとパパを大切にすることだな」
そう言ってブラッドリーは空になったチョコバーの包装紙を受け取り、カボチャのバケツに入れた。チョコレートまみれでは秘密のおやつがバレバレだと、僕はキッチンから持ってきたペーパーを渡して口を拭かせた。綺麗になったリアムは笑顔で手を振り父親の元へと走った。
「チョコバーありがとう! じゃあね!」
「「ハッピーハロウィン!」」
内緒のはずだったトリートを最後にバラした少年は、一瞬の間の後「あっ!」と口を覆い、大げさに怪しむ父親と追いかけっこをしながら帰っていった。
最後のお客さんを見送り立ち上がりかけると、ブラッドリーはぎゅっと僕の身体に抱きつき玄関に座らせた。
「ブラッドリー、中に入らない?」
「んー、もうちょっとこのままでいようよ」
ぴったりと寄り添う彼にはシャワージェルの香りが残っている。彼の肌に残るシナモンとジンジャー。
「ブラッドリー」
「ん?」
彼の甘い声が返事をする。
「ここからは大人だけの時間だよ。だから、ランタンを消してくれる?」
「……ふふ、わかった」
こうして僕たちの役目は終わる。
"トリック・オア・トリート"
好きな人にはトリートを選ぶんだ。
僕が教えたことをよく覚えているね、ブラッドリー。