指先の熱を分け合ってクリスマスイブの夜。
往来の激しい大通りの隅で、HiMERUはスマホ片手に待ち合わせ相手を待っていた。
ふと顔を上げるとカップルや友人同士が楽しそうに横を通り抜けていく。
スマホのメッセージの着信音が鳴り、辺りを見回す。待ち人が近くまで来たようだった。
少し先に目当ての人の姿を確認して、心なしかほっとする。
見慣れたスーツ姿にロングコート。いつもは後ろでひとつに結ばれている髪が今は下ろされている。それだけでも印象は違い、同じスーツ姿でも体温が上がるのを感じた。
「あんずさん」
「HiMERUくん!」
名前を呼ぶとぱっと表情が明るくなって、駆け足で向かってくるその顔に口角が上がる。
「お疲れさまです。すみません、分かりにくい格好で」
「ううん。こんなに人がいるんだもん。私こそごめんね、待たせた?」
「いえ、HiMERUも先ほど到着したところです」
人混みの中、あまり身バレすると良くないと思い顔が見えにくいバケットハットにネックウォーマーをしていた。
おかげで待っている間も声を掛けられることはなかった。
「行きましょうか」
「うん」
今日はこの先にある大規模なイルミネーションを見に行くことになっている。
ESも関わっているらしく、BGMにESアイドルの楽曲も使われているらしい。
先日、プロデュースしたのになかなか見に行く暇がないと彼女が溢していたのを聞いて、こんな日取りしかなかったが誘ってみるとOKをもらえたため一緒に行くことになった。
大通りの建物を活用したイルミネーションは遠くから見ても綺麗なもので、近くに行くと撮影をしようとしている人でごった返すようになっていた。
イルミネーションに魅入っているとはぐれてしまいそうだ。
「他意はないのですが…はぐれてしまいそうなので手を繋ぎませんか?もちろん嫌なら断っていただいて結構です。上着の裾でも掴んでいてください」
「い、嫌じゃないよ?むしろHiMERUくんが嫌じゃなければ…」
「では」
「…っ」
すっと彼女の手を取る。思っていたよりもか細くて滑らかな手触り。そんなことを言うとセクハラになってしまうので心の中だけで留めておいた。
「手、冷たいですね」
「ご、ごめんね…!?」
「いえ、それなら尚更繋いでいた方が温かくていいでしょう?」
「う、うん、ありがとう…」
イルミネーションの施されている建物郡を抜けると公園があり、そこにもイルミネーションされたオブジェの他、屋台の出店がある。所謂クリスマスマーケットというものだ。
「ねえ、せっかくだから写真撮ってもいい?」
「ええ。構いません。荷物、持ちましょうか?」
「だ、大丈夫!そこまでしてもらわなくても…」
「手が空いている方が撮りやすいでしょう。大丈夫です、盗んだりしませんので」
「そこの心配はしてないんだけど、じゃあお言葉に甘えて…」
広場に出てからの方がイルミネーションの全体を撮影しやすい。
記録用でもあるのだろうか。真剣に、けれど楽しそうに撮影をする横顔を見ていると、その姿を撮りたくなってしまってカメラを向ける。
響くシャッター音に彼女がこちらをぱっと振り向いた。
「あ」
「ふふ、すみません。あなたが楽しそうで、つい。残されたくなければデータは消しますが」
「…別にいいけど…その、せっかくならHiMERUくんも撮りたい、な」
「構いませんが…」
「イルミネーション見てて。カメラ目線もいいんだけど自然な感じにしたいから」
「わかりました」
撮られることは慣れている。こんな注文もよくあることだ。少し顔が見えるように帽子の角度を変えておく。
数回シャッター音が鳴って、満足したのかあんずがOKのサインを出した。
「HiMERUくんって、何撮っても画になるからずるい…」
「HiMERUはアイドルですからね」
撮影した写真を簡単に確認している画面を見ながら、そういえばと思い直す。
「…あんずさん」
「ん?」
ぐいっと肩を引き寄せると、ふわりと髪から良い香りが鼻を掠める。
香水ほど強くない、きっと普段使っているシャンプーの香りだろう。
空いた手でスマホを内カメラにして構えると、画面に映る密着した二人の姿が映し出されていた。
「え!?」
「笑ってください」
「そ、そんな急に言われても…っ!」
「ではこのまま撮りますが」
「そ、それはやだ!ちゃんとする…!」
数枚シャッターを切って、抱き寄せていた肩から手を離す。
写真がブレていないかだけ確認して頭を下げた。
「…ありがとうございます。後で送りますね」
「……」
アイドルと…ツーショット…どうしよう…などという呟きが聞こえて、何を考えているのだろうと声を掛ける。
「あんずさん?」
「う、うん!ありがとう!私も撮ったやつ送るね…!」
同じ学校の学友、アイドルとも写真を撮ることはあるだろうに。
珍しい反応だなと思いつつ、頬を染めるあんずをもう少し揶揄ってみたくなりぽつりと呟いてみた。
「…なんだか、デートみたいですね」
「え!?」
「そんなに驚かなくても」
「へ、変なこと言うから…!デ、デートならもっとちゃんとした服とか着たかったな、仕事終わりでスーツのまま来ちゃったし」
「では、また改めてデートしましょうか?あんずさんの着たい服を着て出かけましょう」
「へ…」
半分、社交辞令。けれどもう半分は本心だった。
別に、本気で彼女と恋仲になろうという気はない。ただ近づいておけば今後のアイドル活動に有利だと思っただけだ。
好感を持たれている方がいざという時に動いてもらいやすい。
今日誘ったのもその打算のため。そのはずなのに、照れる顔も、嬉しそうな表情にも少しずつ惹かれている自分がいた。
またこの顔を独り占めするのも悪くない。断られるだろうと半分冗談で言ってみたが、その顔はやはり戸惑いで揺れていた。
「……いえ、言ってみただけなのでお気になさらず。今日はたまたま空いていたから付き合っていただけたんでしょう?」
「あ、う、うん、そうだね」
「クリスマス会など、お誘いはなかったですか?こんな日にHiMERUに付き合っていただけるとは思っていなかったので」
「誘われたんだけど…もう予定が入ってるからって言っちゃって。それに、イルミネーション行けるの今日しかなかったから!」
「HiMERUを優先したと?」
「もう行くって言っちゃったし、その…HiMERUくんと行きたかったし…」
「……」
胸の前で握られている手に、薄々感じていた予感が確信に変わる。
どうやら既に好意を持たれているらしい。
ああ、それなら。
もう少し深く踏み込んでも良さそうだ。
「ひ、HiMERUくんも誘ってくれたのは前にイルミネーションの話したから、たまたまだよね?そうじゃなきゃ私なんて誘わないだろうし…」
「…いいえ」
人混みで逸れそうだからと繋いでいた手。
人が疎らになった今は繋ぐ必要はないが、胸の前で握られていた手をそっと解いて指先に触れる。
再び取ったその手に冷たさはなかった。
「あなたと来たかったのですよ。だから誘いました」
それはまるで、ダンスに誘うような、告白のような。
酷いことをしていると思う。まだ決して本気ではないのに、こんなことを言ってしまうのは。
驚きに揺れる瞳。それからすぐに手を離し目を逸らして下を向いてしまった。
「顔、見せてください」
「や、やだ、絶対真っ赤だもん…!」
「おや…赤いとわかっているならそのつもりで見ますので大丈夫です」
「……っずるいよ…勘違い、しそうになる…」
ずるい。本当に、そう思う。
雰囲気に流されて、禁断の果実を、甘い恋の蜜を啜ろうとしてしまう。
肯定しようとして、ふとこの顔も、名前も自分自身のものではないと冷静に思い直す。
この感情は【HiMERU】には不要なもの。アイドルとして、彼女を手懐けられればそれでいい。
「…していただいても構わないのですが」
先ほど言った台詞を、違う意味を伴ってもう一度呟いた。
「HiMERUは、アイドルですから」
これは、自戒。誰のものにもならないし、させない。アイドルのHiMERUは、ファンのものであるべきだ。
「……うん、わかってる。知ってる…」
プロデューサーである彼女も、それを一番理解してしているだろう。
さんざん期待させておいて、突き放してしまったことへの罪悪感は募る。
無理矢理笑顔を作る彼女に、贖罪ではないが用意していたものがあるのを思い出した。
「それはそれとして」
「?」
「あんずさん。クリスマスプレゼントです」
「えっ!?」
鞄から縦長のジュエリーボックスを取り出す。
その場で見て要らなければ返してもらえばいいと、特にラッピングはせずに持参した。
ボックスを開けて中身を見せると、「あっ」と知っているような声を上げた。
「これ、HiMERUくんがイメージモデルやった…?」
「ええ。女性でも使えるデザインなのでお似合いだろうと思って」
ボックスの中にはシンプルなチャームがついたシルバーのネックレス。
このブランドのイメージモデルの仕事も、あんずの手配だった。
これも買ったものではなくブランドからもらったものだが、学生には少々手が伸びづらい価格帯。
日頃の感謝を伝えるには丁度いいだろうとプレゼントに選んだ。
多少高価なものでも仕事として関わったと言えば渡しやすい。
「い、いいの?こんなのもらって…」
「もちろん。シンプルなので、今の服にもよく合うと思います。つけてみますか?」
「うん、せっかくだし…」
スーツの下に着ているハイネックのニットにネックレスを重なる。思っていた通り良く似合う。
「どう?」
「ふふ、やはりHiMERUの推理は当たっていたのです。とてもよく似合っていますよ」
「…嬉しい。ありがとう」
ネックレスを見つめる彼女の瞳は、喜びとまだ戸惑いに揺れているように見えた。
「あの、ね。今日会うから私もプレゼント用意しようと思ったの。思ったんだけど、何がいいかわからなくて悩んでるうちにバタバタで買いにいけなくて…HiMERUくんに欲しいもの聞いちゃおうと思ったの。ほら、私が選ぶより絶対HiMERUくんのセンスの方がいいし…!」
正直、特段欲しいものはすぐに思いつかなかった。
少し悩んで、それならと言葉を続ける。
「お気遣いありがとうございます。今日この時間をあなたと過ごせただけで充分なのですが…そうですね、強いて言うなら…時間をくださいませんか」
「時間?」
「…先程の話、良かったらまた一緒に出かけませんか。少し買おうか悩んでいるものがありまして。あなたの意見を聞けたらと。ああ、それから…行きたいカフェもありますね。なので、良かったらお洒落をして来てください」
「……!」
揶揄い半分で言った「デート」という言葉はあえて使うのをやめた。それを使うと断られてしまいそうだったからだ。
そしてそれらしい理由も付け加えてみる。
あんずの私服姿を見たことがないのも本当だった。見かける時はほとんどがスーツで、数回だけ制服姿を見たことがあるくらい。
「あなたが頷いてくれたら、それが最高のプレゼントです」
「も、もちろん!HiMERUくんの行きたいとこ、全部付き合う…!」
「あんずさんの行きたいところでも構わないのですが」
「だってHiMERUくんへのプレゼントだし…!」
「ふふ、そうですか。ではよろしくお願いします」
お互い忙しい身ではあるが、どこかで予定は合わせられるだろう。
—それから、広場で開催されているクリスマスマーケットを回って過ごした。
目的のものを全て回り終えると人の少ない端の方へ移動する。
「今日は付き合っていただいてありがとうございました」
「こちらこそありがとう。見たかったイルミネーションも見られたし」
「仕事終わりでお疲れでしょう。ゆっくり休んでくださいね」
「うん、でもね、HiMERUくんのおかげで元気出たから明日からも頑張れる」
そう言って拳をぐっと握る仕草をするあんずは、大きく息を吐いて冬空を見上げた。
「…ああ、そうだ、あんずさん」
「?」
首の後ろに手を回して、声掛けに振り向いた額にキスをひとつ。
首に回した手で、この時間のために下ろされた髪をひと掬いして手を離す。
「メリークリスマス」
「え、あ」
またあんずの頬が朱色に染まる。
「メリー…クリスマス…」
消え入りそうな声で返ってきた言葉にふっと口角が上がる。
「…帰りましょうか。途中まで一緒ですよね」
「はい…」
「手、繋ぎます?」
「…や、やだ、なんか全部伝わっちゃいそうだから」
「ふ…っはは、では袖でも大丈夫ですので。逸れないようにだけお願いします」
一歩先を最寄駅へ向かって歩き始める。
クリスマスイブだからか、夜が更けてもまだまだ人通りは多かった。
ネックウォーマーを口元まで上げて、帽子を少し下げて顔を隠す。
広場から大通りに戻り、行き交う人と肩がぶつかるようになるとふいに小指をついっと掴まれる感触がした。
目線を下げるとあんずの人差し指が小指に絡まっていた。
視線は合わない。特に言葉を掛けるでもなくそのまま歩を進める。
想いを寄せられることは悪くない。
隣にいるのがプロデューサーでなければ、このまま一夜の関係になってもいいとさえ思う。
だが彼女は【HiMERU】を生かすために重要な存在だ。慎重に関係を築いていかなければ、この先のアイドル活動に支障をきたす可能性がある。
『俺』の中に生まれつつある想いを、今は見ないふりをする。
--だから、今は小指だけでちょうどいい。
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あとがき→
メリークリスマス!
SSがなくてクリスマスを一緒に過ごせた時空の話。
夏頃出会って、クリスマスくらいにこの距離感になってるのちょうど良いかなと思っています。
あんずもHiMERUが好きかもしれない、けど相手はアイドルだからと自分の気持ちを見て見ぬフリをしてたけどいざ誘われたら嬉しいしそれっぽいことを言われるとドキドキするし、と自覚はしてる。
HiMERUもリップサービスしすぎだろうと思うくらい、この雰囲気ならちょっといいなと思ってる人にはすると思う。
この二人はしばらくこんな感じでズルズルいって、お互い好意があるの分かってるのに立場を考えて伝えはしない。
そのうち周りから「まだ付き合ってないの?」と言われ世話を焼かれ…という感じで考えてます。
最後の小指はちょっとアリアドネ意識です。
この日、秘めた熱が溢れる時はいつか。
ありがとうございました〜