消えちゃいたい!②購買で、ポテトチップスやら炭酸飲料やらを買い込む。普段部活の時にタオルやらシューズやらを詰め込んでいるエナメルバッグの中身はそれだけでいっぱいになって、これから向かう場所への期待感も膨れていく気がした。
隔週に一回、デュースはとある場所へ一目を盗んでその場所へ向かう。これももしかしたら、一種のオフ会というやつ……なのかもしれない。
「シュラウド先輩、遅くなりました!」
「……デュース氏……? って、ああ……もう【今日】か」
「えっ、忘れてたんですか!?」
イデアの素っ気ない態度に、思わず大きな声が出る。煩いよ、と釘を刺されて、人の部屋に上がり込んでいるという後ろめたさもあってデュースは口を噤んだ。
デュースが今いるのは紛れもなくイグニハイド寮の、イデアの部屋だ。今日のような用事でなくとも何かと来ることの多いそこは、何度訪れても慣れない。赤や黄色、加えて白や黒で統一されたハーツラビュルとは何もかも違って、電子の青いスクリーンが占める光景は何度見ても圧巻だ。
それでも慣れた様子でバッグから買い込んだ商品を出して床に並べるとイデアの眼はキラリと輝き、デュースの方へ興味を持ち直してくれたようだった。
――デュースとイデアは、言ってしまえばオタク友達だった。と言ってもデュースはあくまで漫画をメインにBLを好み、イデアはゲームをメインに恋愛ごとには興味が無い。だがお互い話が合うはずもない……と思っていたのは最初の方だけで、お互い話を聞いて聞かれてをしているだけで楽しく、いつしかこうして定期的に会うようになっていた。「オタク同士は相手を否定しないで受け入れてくれるから嬉しい」というのは、二人の共通の意見だ。
「ヒヒッ……デュース氏もイグニハイドに転寮しちゃえば、毎回こんなコソコソ来ることもないのでは?」
「いや……はは、なんだかんだハーツラビュルが合ってるんで、僕には」
「ふぅん……拙者にはあんな陽キャ集団、絶対言語道断で無理ですわ」
苦笑するデュースに、イデアはすぐに興味を無くしたようだった。すぐさまその話題は変わって、イデアが最近クリアしたゲームの話になる。こんなストーリーがよかったとかキャラクターの関係性がいいだとかの話を聞きながらそのゲームのホームページを見ていると、可愛いキャラクターからカッコいいキャラクターが揃っていて目が奪われる。主人公の親友が死んでしまうシーンはさすがの拙者も涙なしには、というイデアの発言を聞いて注目すれば、赤茶髪の少年が微笑んでいた。
「絶対このキャラクター人気っすよね、しかも幼馴染なんて……」
「いや~、ホモに興味なんてない! なんて言ってる僕でさえ、この二人は親友を超えた何かがあるだなんて思っちゃったね、正直。デュース氏も流石、お目が高い」
そのキャラクターをクリックすると様々な表情が出てくる。普段のいたずらっ子のような笑みを浮かべた立ち絵とは異なり、戦闘シーンではキリリと勇ましい顔つきをするようだ。
うーん、攻めだ。そんなことを心の奥で思いながら、イデアの話を聞いていく。帰ったらこの二人のファンアートを覗いてみようなんて計画を立てていると次はデュース方へと話が移った。そもそも入学と同時に腐男子を卒業しようと思っていたデュースはイデアほど新しい情報があるわけではないが、これまで好きだった漫画を話すだけで楽しくなっていく。イデアと話をしていると好きだった漫画が読みたくなって電子書籍を購入して隠れて楽しむぐらいには、所謂「隠れオタク」化が進んでいる気がした。
「このBL漫画、今度アニメ化するって見たよ。デュース氏もオススメだって言うなら一見の価値ありですわ」
「!! 是非!! この主人公、なんかローズハート寮長みたいな、所謂ツンデレなんすよね……段々穏やかで気の優しい攻めに絆されていくのが溜まんなくて……」
「……デュース氏って、なんていうかリアル? っていうか身内のそういうのもイケる口なんだね……」
少しトーンの落ちたイデアの声に、熱が入っていたデュースは喉を詰まらせる。自分の趣味を熱弁出来る場がない分、こうして熱く語ってしまいがちだがイデアは腐男子ではない。そういった趣向のない人に向かって知り合いの話を出されるのは嫌だったろうと謝ると、別に気にしてないとイデアは両手を横に振った。
「まあ、あくまでファンタジーっていうか……実際に付き合ってるとか好き合ってるとかは思ってないですけど、二人が恋仲だったらとかは考えちゃいますね」
「へ、へえ……って、そ、それって僕も……?」
「まあ……例えば……」
「ヒッ! せ、拙者なんて陰キャ中の陰キャオタクにまで餌にするなんて冗談がすぎますぞ!!」
「い、いやっそんな風に思ってないっすよ! それにシュラウド先輩は陰キャでもオタクでもありますけど二次元顔負けのイケメンです」
「ヒィィ!!」
盛大に悲鳴をあげたイデアが自分のベッドへと逃げる。普段褒められ慣れていないイデアにはデュースの言葉は些か強すぎる言葉だったようだ。
いつもは頼もしい最上級生のイデアが恥ずかしがっている姿を見て笑いを零しつつ謝ると、やっと布団から戻ってきてくれた。
イデアの部屋に行った日は、どうしても夜遅くまで話し込んでしまう。リドルに怒られないギリギリの時間で部屋に戻ったデュースはそのまま寝落ちて、気付く頃にはもう朝になっていた。
「はよ、デュース」
「ああ……おはよう」
まだ重い目を擦って洗面台へ行けば、先客がいた。既に顔を洗い終わっているエースは首から掛けたフェイスタオルで濡れた手を拭いていて、デュースが鏡の前に立つとさっと避けてくれた。感謝の言葉もそこそこに冷たい水を顔にじゃぶじゃぶと当てていくと、段々残っていた眠気も無くなっていくようだった。
「昨日夜どこ行ってたの?」
「え!」
持ってきていたタオルで顔を拭いていると、もう居なくなったと思っていたエースの声が背中にかかる。まだいたのか、という驚きと答えられない質問への戸惑いで大きな声が出て、鏡越しのエースは不機嫌そうに眉根に皺を寄せた。
「な、何でもない。勉強してたんだ」
「……談話室も他のやつらの部屋も探したけど?」
「えっと……ジャックとだ、うん」
咄嗟に出た嘘に、後でジャックに口裏を合わせて貰わなければと心の中で溜息をつく。嘘が上手なエースと違って、デュースは嘘が下手だ。人の機敏を読み取るのがうまいエースにはデュースの嘘なんて紙切れ一枚ぐらいの効果しかないだろうが、それでも真実を言うわけにはいかなかった。
「二人で?」
「あ、ああ」
低く問われる声に、デュースはもう頷くしか出来ない。これ以上昨晩のことを探られないようにと振り返ってエースに向き直ると、またしても案外近くに顔があって一歩後ずさった。
「な、何か予定があったのか?」
「……べっつに」
口角を引き攣らせて逆に問うと、不機嫌なまま答えたエースは諦めたのかその場を後にする。朝から張りつめた空気を肌で感じたデュースは安心したように今度こそ大きなため息を口に出した。
エースとは何かと行動を共にすることが多い。変に隠していてもいつかはバレてしまいそうだから先にカミングアウト……というのを考えなかったわけではないけれど、こればっかりはどうしても守り通したかった。
「……いや、言えないよな。友達がBL好きとか……」
下手すれば絶交と言われても可笑しくない。いや、エースとは決して親友になったわけでも、ましてやエースがそう思っているかも怪しいところではあるけれど。
「(エースに嫌われるのだけは、嫌、だな……)」
洗ったばかりの顔を鏡で見ると、寝不足のせいか血色が悪い。せっかくあんな楽しい時間を過ごしたのにと、デュースはもう一度顔を洗いなおした。
――鏡越しに見たあの赤茶が昨晩見たキャラクターを彷彿とさせていることにデュースが気付いたのは、退屈な朝一の授業中だった。