「門から50歩はまっすぐ進む。大きなドングリの木を右に回って30歩、ハスマリー中央市場への行き方の看板のところから左に5歩進んでから左に15歩、それから……」
青年の体に、どこか拙い喋り方。
本人の希望で退行催眠を行い、幼い頃の心を宿したルーク・ウィリアムズは地雷原の安全地帯の情報を惜しげもなく語っていく。
「貴重な情報をありがとうございます」
「きれいなお兄さん。おれ、役に立ったかな」
「ええ、この上なく。小さなヒーロー、あなたの証言はこの地域の平和にかかせないものですよ」
「良かった!」
眩い笑顔はこの頃から変わらない。
彼が大切に食べ進めるクッキーのかけらが口の端についているのをそっとハンカチで拭った。
「そろそろ眠そうですね。お話のお礼にあなたが眠るまで、どんなことでもお願いを聞くと言う約束でしたね。何をお望みか決まりましたか?」
「うーん、ルークのことも気になるけど…あのね。おれ、うたが知りたい」
「歌、ですか?」
「うん。ちょっとだけしか分からなくて、いっつもひっかかってるんだ」
「以前聞いた曲の正しいメロディーが知りたいと言うことでしょうか。
では、覚えている範囲を歌ってみてもらえますか?」
「うん!」
らーらら、らーらら……る…ぅ?
辿々しくて、おそらく音程もリズムも合っていない稚拙な歌声。
歌詞も分からないとはなんとも難易度の高いクイズだ。
だが。
「……子守唄、でしょうか」
「わかんない。それに、きっともうすぐ全部忘れちゃう」
「……いいえ。あなたが歌ってもらった事実は消えませんよ」
「そうかな」
「そうですとも。」
ピアノの元に移動して、隣にヒーローを座らせた。
指慣らしに気まぐれに鍵盤を鳴らして。きらきらと輝く瞳で鍵盤に向かう指を見つめた。
それから、彼の音、ハスマリーの民謡の知識を組み合わせて思い当たった曲を奏でる。
ピアノの伴奏に、主に伝わっている歌詞を乗せて。
短い唄を弾き終え、ヒーローへと向き直った。
「ごめんね、すごく上手だけど、合ってたのかはわかんないや」
つう、と涙が一滴こぼれた。
きっと、これが正解なのだろう。ただ、これをかつて歌った人はなにかアレンジをしていたのかもしれない。歌い方なんて千差万別だ。
合っていたから泣いたのか、唯一の正解へ辿り着かないことを察したから泣いたのか、それは読み取れなかった。
「では、これは私からあなたへの子守唄として覚えてくれればいいですよ」
「……そっか。そうだね。あのさ、もう一度うたってくれる?」
「ええ、何度でも。」
繰り返しの三度目の途中には、腕に寄りかかる重みを感じてそっと音量を落とす。
ゆっくりと寝息を立て始めたのを確認し、鍵盤をなぞる指を止めた。
「おはようございます、ボス」
「おはよう、チェズレイ。無理を言ってごめんな」
「いいえ、私としてもとても有意義な時間でした。
ですが、たとえあなたの望みでも、叶えられるかはわかりません。それはご承知おきくださいね」
「ああ、わかってるよ」
「シナリー地区の地雷の撤去。私どもとしても実現させれば美味しい案件なのはわかっています。それを実現するための予算を捻出するのも不可能ではない。ですが」
「…僕にわかるのは地雷を踏まないルートだけだもんな」
「ええ。しかも当時の目印は今となっては役に立たないものばかり。あなたの体格から歩幅に対する距離を類推することは可能でも、確実なものではない」
「……うん。無理を言っているのはわかってる」
「本当に必要なのは安全な道ではなく、すべての地雷の位置ですからねェ。当時のヒーローも、いいえ、だれも知り得なかったことですから。全ての地雷が撤去されたと確証がなければならないとはなかなかの難題です」
「だよな……」
「ですが、ねェ。私の唯一無二のボスが望むことですから手は尽くしますよ」
「ありがとう」
「それはそれとして、退行催眠でお疲れのようですね。今日はもう休みますか?」
「また歌ってくれるってことか?」
「ええ。今度はベッドで、あなたを寝かしつけながらにしましょうか」
「……それは、……うーん…」
さすがに子供扱いがひどすぎるのではないかと思ったのだろう。滅多にない歌を聴く機会との天秤が傾くのにはもう少し時間がかかりそうだ。
鍵盤のキーカバーの布を敷き、ピアノを片付ける間に百面相をする様を覗き見て楽しんだ。