その日、チェズレイとルークの行った捜査は空振りだった。
情報を得るチャンスはあった。
おそらく裏社会に生きるだろう男がチェズレイが一人で来るのであれば答えると言っていた。
だが、ルークは情報を得られなくなるのは承知でその場からチェズレイを無理矢理引き離したのだから、情報を捨てたとも言える。
その後も捜査は続けたが、他に手がかりもなく夜になり、不意の大雨で近くのホテルに避難せざるを得なくなった。
空いていたのは一室だけ。
ビジネスホテルの一室は清潔は保たれているがチェズレイから見れば最低限だ。
浴槽に湯を張る音が聞こえて、すぐにバスタオルをルークが差し出してきた。
それを受け取りはしたものの、雨に濡れた体を拭きもしないでチェズレイが呟く。
「……私を使えば良かったのに」
情報さえ手に入っていれば今頃はオフィスに戻っていて、雨にも濡れずに居られただろう。
批難めいた口調はしっかり伝わったのだろう。
「あの夕方のこと?」
「ええ。その結果がこうですから」
狭い部屋、窓に当たる大粒の雨。空調は強くしたけれど、濡れた衣服では肌寒い。
「それはそうだけど」
「私があの男の意図通りに全てを差し出すとでも思いましたか? そこまでの愚を犯すと侮られていたとは」
「君に限ってそれはない。もし任せていたら今回の聞き込み以外にもなんでも聞き出してくれたと思う」
「ならばそうすれば良かった」
「でも、嫌だったんだろ?」
チェズレイを見るルークの視線は真っ直ぐだ。
「おや、そう見えてしまいましたか?
ポーカーフェイスには自信があったのですが」
「表情を見てもなにも分からなかったよ。ただ、前の件もあるし、なんとなくそんな気がしただけ。違った?」
「別に否定はしませんが。嫌でもやらなければならないことなんていくらでもあるでしょうに。
ボスも情報の代わりに雑用をこなしたりしているでしょう」
「それとこれは違うじゃないか。僕は別にやっても構わないことしかしていないよ」
男に好き勝手されることを危ぶまれたのならば分かる。見くびられたのならば腹は立つが。
だが、そうではないという。そこには全く嘘がないと言うのは分かってしまった。
それならば任せておくのが最も効率的だと言うのはチェズレイでなくとも分かっただろう。
それなのに何故、今こうして不本意な宿泊を強いられているのやら。
道理に合わない状況に陥った理由を探せば、一つ思い当たった。
「……あァ。私ではなく、ボスが嫌だったと」
揶揄いを込めた瞳で見れば視線が合う。
「そうかもしれない。君は隠すのがうまいけど、傷つかない訳じゃないから」
「ご心配痛み入ります」
気遣いが故だと言うのはとてもルークらしい清廉さで好ましい行動のはずだ。
独占欲の発露とでも言うのあれば、それは夕方に会った男とそう変わらない。そんなものは求めていない。
そのはずだと言うのに、露ほども思わなかったと言う表情に苛立ちを募らせているのはどうしたことかと自問する。
今はまだ薄靄の先の答えに辿り着くにはまだ情報が足りないのだと結論づける事にする。
沈黙に耐えられなかったのだろう。
ルークが浴室を振り返った。
「……あ。風呂、そろそろお湯溜まったんじゃないかな。お先にどうぞ」
「ボスも随分寒そうだ。一緒に入ります?」
「え」
私の意図を探して表情をくるくると変える様を見て、ようやく溜飲を下げる事が出来た。
本気かどうか計りかねて困っている様子に小さく笑い声が零れたところでルークの眉が下がった。
「………………君、そういう冗談言うんだな」
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チェズレイを浴室に押し込んで、大きくため息をついた。
ものすごくチェズレイの機嫌が悪かった。
情報を集める邪魔をしたようなもの。
更に天気や環境も悪いのだから機嫌が良い方が後で怖いが。
苛立ちを表してくれるようになっただけ気を許してくれたことかと考えれば悪い気はしない。
そんなことを思ったなんて本人にばれたらどれだけへそを曲げられるかわかったものではないが、興味のないことに無関心な彼だ。
どうせ隠したってすぐにばれてしまう。後日、また機嫌が悪くなることは覚悟しておこう。
湯船にはたっぷり湯が張られているはずだが、シャワーの音はずっと続いている。
慣れない場所で湯船に浸かることはしない主義かもしれない。
であれば言い争いをする前にさっさと浴室に突っ込んでしまえば良かっただろうか。
落ち着いた所で先ほどのチェズレイの言葉について考える。
別に手を出されるような事にはならないと確信しているとしても、あんな場から少しでも早く引き剥がしたかった。
チェズレイの尊厳を切り売りするような真似はしてほしくない。
答えた時にはそこまでしか考えていなかった。
けれど、それ以外にも言語化は出来ない何かがひっかかっている気がしてもどかしい。
「まあ、目下の問題はそこじゃなくて…………」
部屋に一つだけのセミダブルベッド。
それから今いる、濡れたまま座ってしまったせいで湿気たソファー。
他に横になれそうな家具はない。
それを踏まえて今日はどうやって寝るべきか、だ。
ソファーに寝ることになるだろうに考えなしに座ってしまったのは随分疲れていたのかもしれない。
そう自覚した途端、くしゃみが出た。
「…ボス、大丈夫ですか?」
そう間を置かずにチェズレイが出てきた。
バスローブ姿の彼は、白い肌が上気している。
何度見ても綺麗な人はいつだって綺麗で、どうしたって目を奪われてしまう。
頭に被った巻いたタオルが左目を隠している。
整える間もなく出てきてくれたのだろう。
いつも完璧な人が身嗜みを整えるより早く来てくれた。
頬に熱が上がった気がした。
「あ、うん。風呂空いたなら入ってくるよ」
先ほどまで真っ直ぐ見ることができた顔を、なぜだか直視できなくて、浴室に逃げ込んだ。