七ツ森は職員室に向かう風真の背を見守る。当然だが影しかない廊下を歩いても風真の足が溶岩に沈む事もワニに食われる事も無い。職員室のドアを開け「失礼します」と声を掛けて中に入っていく風真を見届けた後、窓枠に腰かけるように寄りかかった。七ツ森は職員室に用はないので廊下でお留守番だ。
何気なく窓の外を見た時、さぁ…っと心地よい風が廊下に舞い込んできた。仄かに潮の匂いを乗せたソレは、風だけではなく光まで招き入れたようだった。今の時間は薄暗いだけの廊下に光を差し込ませ、窓枠の影を映し出し光と影の梯子が出来た。まるで先程まで風真と遊んだあの廊下のように。時間的にあり得ないはずなのに…と呆然と眺めていると、七ツ森の足元を誰かが通り過ぎた。そして振り向き七ツ森を見て。
『落ちるとワニに食べられるんだよ』
と言った。小学一年生位の子だろうか。子供だけれども十分整った顔立ちをしていて瞳は赤い。柔らかそうな黒髪はてっぺんの毛がぴょんと跳ねていて、愛しの相手を思い出させる。その子は影を踏まぬようぴょんぴょんと跳ねながら奥へと進み、早く来てと急かすように七ツ森を見て手招きしている。少年が進む先は真っ暗で何も見えない。
『…来てくれないの?』
一向に動かない七ツ森を見て、少年は足を止め、寂しそうに俯いた。可哀想に見えるけれども、安易に近づいていいものなのか、悩む。
『おれ…もう、あの子とは…いっしょには歩けないんだ』
自分の手を見ながら、寂しそうな声でそう語る少年。風真に似た子が『あの子』と語る相手、…思い当る子はいる。幼少期、ずっと風真と一緒に居たという女の子。あの子は今はもう風真の傍にはいない。だから、この子供の風真も、一人で居るのだろうか。
『ひとりは…さびしい』
「え?」
『いっしょに…いてよ』
差し出された少年の手は、教室で見ていたあの美しい文字を書き出す風真の手よりもずっと小さいのに、何故かこの手が風真の手に見えて、掴んであげなければいけない気がして、七ツ森はゆっくりと少年に向かって歩き出した。小指がピクっと後ろに引っ張られた気がしたけれども、足が止まる事は無かった。
「失礼しました」
無事に当番日誌を提出し職員室を出た風真は、廊下を見渡して首を傾げた。
「…七ツ森?」
光の差さない薄暗い廊下には、誰も居なかった。