七風リレー小説⑥ 一度だけ響いた鐘の音に惹かれて風真は歩を進めていく。理事長の方針なのかは知らないが目的地までの道は舗装されておらず、人工的な光もない。すでに陽は沈みきってしまっているため、風真は目を慣らしつつ〈湿原の沼地〉を進んでいく。草木の茂る中ようやく着いた開けた場所にぽつんとあるそこは、予想はついていたが建物に明かりなどついておらず、宵闇にそびえる教会はいっそ畏怖さえ感じる。……大丈夫。俺は今無敵だから。そう心で唱えた後、風真は教会の扉に歩みながら辺りを見回して声を上げた。
「七ツ森。いるのか?」
――返事はない。
シン、とした静寂のみが風真を包み、パスケースを握った右手を胸に当てて風真は深くため息をついた。あれだけ響いた鐘の音も、もしかしたら幻聴だったのかもしれない。そもそもこんな闇の中、虫嫌いの七ツ森が草木を分けてこんな場所にくるはずもなかった。考えてみたらわかることなのに、やはり少し冷静さを欠いていたようだ。風真はそっと目の前の扉を引いてみる。……扉は動かない。
(そりゃそうか、扉が開くのは卒業式だけだって話だ)
長い間語り継がれてきた伝説だ。自分だけ特別扱いされるはずもない。それでもここに来たのはなぜか七ツ森が呼んだ気がしたから。七ツ森のパスケースが、それを握る小指がそう訴えていたからだ。だからきっと七ツ森はここにくる……そう、思った瞬間。風真の顔の横から腕が伸びてきて、扉に手を付く。その手に風真は見覚えがあった。……見覚え、なんて軽い言葉で表せるものではないけれど。何度も、何度も見蕩れた手だ。間違えるはずがない。
「……っ、は……いた……」
背後で荒い息と共に絞り出された声に風真は身体を反転させ、その首にむしゃぶりついた。気配なんてなかった。本当に突然、七ツ森はそこに現れたのだ。それが何故かなどはどうでもよくて、ただ風真は七ツ森を抱き締めた。
「わ? ……どしたの、熱烈じゃん」
「うるさいよ、勝手に居なくなりやがって。おまえを見つけたら俺の気が済むまでこうするって決めてたんだよ、俺は」
「……なる。じゃあいっぱいギューってして。『寂しい』なんて思わなくていいぐらい」
七ツ森の言っている意味は風真には分からない。だがそう言った七ツ森自身の腕が風真に絡みつき、そのまま強く抱きしめられた。七ツ森の体温を感じ、心臓の音を感じる。自分の心臓の音と混じり合い、一つになったような錯覚を感じ、心地よくて目を閉じると七ツ森の頬が風真の頬に擦り寄せられる。何事かを訴えようとしているその素振りに目を開けて七ツ森を見ると思ったよりも近いその顔の位置にまた心臓が跳ねた。分厚い眼鏡の奥で長い睫毛が上がり、手入れされた艶やかな唇が薄く開く。
「ここ、って教会。……だよな。あの、伝説の」
「あ、ああ」
「……じゃあ」
緊張した様な掠れた声で呟いて、七ツ森はまたその長い睫毛を伏せる。
(……あ)
何をされるか、分かったのに避けられなかった。避けなかった。七ツ森の顔が近づくにつれて自分の瞼を伏せた風真のその唇に思ったより柔らかな感触が触れる。唇の膨らみを摘み咥えるように挟み込んだその唇はほんの一瞬、空気を吸う暇も与えない間にもう一度押し付けられ、そして離れた。唇の距離に比例するように瞼を上げた風真に七ツ森は照れくさそうに笑いかけた。
「これで伝説成就?」
「だったらいいな」
風真が笑みを返すとどこか安心したような七ツ森は風真から身体を離す。そのまま風真の右手を引いて歩き出した。
「七ツ森、その……手」
「誰もいないんだからいいでしょ。帰ろ。もう真っ暗だし」
「……ん。……あ、待て。俺、お前のパスケース拾って」
「パスケース?」
そういえば。パスケースを握っていた右手は今七ツ森の左手に握りしめられている。背後を振り向くも扉の前にそれらしき影はない。確かに七ツ森が来るまではこの手に握っていたものなのに。
「パスケース、ってコレ?」
「えっ」
七ツ森が自身のスクールバッグのポケットから取り出したのは確かに先程まで風真が握っていたそれで。どうしてそれが七ツ森のバックのポケットから出てくるのか。風真が目を白黒させていると、七ツ森がクスリと笑った。
「俺ら二人で化かされたみたいだネ」
「化かされた……?」
「そ、逢魔ヶ刻に。でもまあ、もしかしたらいつまでも進まない俺たちを応援してくれたのカモ」
そう言って自身の唇を指でトン、と突いてウインクをする七ツ森。言わんとすることを察した風真は微笑み、そして七ツ森の手をぎゅっと握り返した。
「帰ろう、七ツ森」
「ん。そーだ、どこか寄って帰ろって話だったじゃん」
「そうだったな……あー、でも」
「でも?」
「離したく、ないかも」
言葉と同時にもう一度七ツ森の手を握る。このまま、人目に付く場所に出ればこの手は離さなくてはいけない。離れ難くて、ただそれだけで風真は七ツ森に訴えた。すると七ツ森は大きくリーチをとっていた足を止め、そしてまた歩き出す。今度は、ゆっくりと。
「七ツ森」
「よかった。カザマ、嫌じゃないんだ」
「嫌なわけないだろ」
今だって緊張はする。それでも唇の感触を知った後である今はその緊張も解れて、繋がる手から伝わる体温が心地いいとさえ思ってしまう。手の甲に浮かぶ骨の固さも自分の手を包み込める大きさもすべてが男のそれだと理解しているのに、繋がった手は確かに風真を安心させ、心を溶かした。
(……俺は一人じゃない)
隣にいるのは幼馴染の〈あの子〉ではないけれど。今日は卒業式の日でもないし、教会の中でもなかったけれど。それでも自分たちが信じていれば伝説はきっと成就する。
(隣に……一緒に、七ツ森がいる限り)
きっともう、煢然たる思いは感じなくなるだろう。そうでありたい。視線を感じて顔を見た風真は七ツ森と視線がぶつかり、そしてそのままくすりと笑いあった。
終