実質舌打ちもファンサみたいなものだよね それはもう、癖みたいなものだった。
度々指摘されてはいたけれど、政府所属で先行調査員をやっていた頃も、この本丸にきてからも、苛立つとつい出てしまう癖。本丸に来てからはむしろ増えたくらいだ。この場所では、人斬りの刀である肥前にはどうにもやりにくいことばかりやらされている気がしてならない。
「ちっ」
またやっちまった、とはいつも思っていた。
同室の刀の前であれば「おやおや」「まあた悪い癖が出ちゅう」とは言われるものの強く咎められることはない。初期刀兼近侍あたりだともう少しうるさく、「何だいその態度は」などと眉を顰められるが、それで終わりだ。多分、肥前の苛立ちを多少なりとも理解しているのと、この本丸の主である審神者の目がなければ、窘めこそすれ、矯正しようとまでは思わないのだろう。つまり、なんだかんだと肥前の癖は直ることなく、とうとう目の前にいる審神者に対しても出るようになってしまったわけだが。
出てしまったものはしょうがない。咎められるかと思いきや、顔を上げると、ぱちぱちと瞬きする審神者と目が合った。
「今、投げキッスした?」
「は?」
言葉の意味を理解するのに時間がかかった。審神者は頬をだらしなく緩ませてにやけている。
「ファンサってやつ? 肥前もそういうのしてくれるんだね」
「はあ?」
二回目の怪訝な声が出て、頭がようやく言葉の意味を理解する。投げキッス。ファンサ。そういったものを得意とする本丸が存在すると聞いたことがある。
「でもした瞬間見損ねたな。もう一回!」
「しねえよ!」
思わず言い返してから、そもそも、ともう一度声を張った。
「なげきっすもふぁんさもしてねえ!」
審神者は「またまたあ」とへらへら笑っていた。
癖なので、すぐに直るものでもない。その上、審神者は肥前に向いていないことばかり頼んでくるのでつい舌打ちする機会も多いのだ。
「ちっ」
あ、と思うともう審神者のにやけ顔が視界に入って心底うんざりする。
「投げキッスサンキュー」
この審神者はポジティブなのか何なのか、もう幾度となく肥前の舌打ちを正面から食らっているはずなのに、その度笑顔を返してきた。肥前もその度に訂正する。
「してねえよ」
審神者は耳に入らなかったかのようににこにこしている。
「ファンサうれしいなあ」
「してねえんだって」
「でもまた見逃したから、モーション付きでもう一回!」
「してねえって言ってんだろ!」
思わず強めに怒鳴ると、審神者は「ケチ」と拗ねた。
そんなことが続き、部屋でつい「なんなんだあいつ」と愚痴ると、陸奥守は声をあげて笑った。
「大俱利伽羅んことを思い出すのう」
「ああ?」
「おんしみたいに舌打ちして、主に『小鳥のさえずりが聞こえたな~』言われちょった。さすがの大俱利伽羅も、それからはいっくら気の進まんこと頼まれても、黙ってやり過ごしてたのう」
「……ちっ」
「おお、投げキッスじゃ」
「やめろ……」
散々審神者を怒鳴ってきた後なのでもう声を張る気力もない。
「ふむ」
黙り込んで長いこと手元を見ていたので聞いていないと思っていた南海が、手にしていた電子端末の画面をこちらに向けた。
「投げキッスというのは、これのことかね」
「……なんだこれ」
「おお、らいぶ、っちゅうやつじゃな。篭手切に見してもろうたことがある」
「そう、ふぁんさ、が何か僕も気になってね。詳しそうだったから尋ねたのだが、丁寧に参考映像まで貰ったよ」
映し出された映像は、噂には聞いていた本丸のものだ。耳馴染みのない音楽に合わせて踊っていた一振りがこちら側、カメラに気付くと、器用に片目を瞑り、口元に手を当てると、「ちゅっ」というリップ音と共に指先をこちらに向けた。確かに、舌打ちに聞こえないこともないが。
「……全然違うだろ」
映像の中のその刀は楽しそうに歌い、踊り、カメラに向かって手を振ってまた笑う。よくやるよ、と思う反面、眩しくもある。そうなりたいとは思わないが、戦場以外に活躍の場所があり、それを心から楽しんでいるらしい刀剣男士達を、不思議な気持ちで眺めた。
癖は直らないまま、今日も仕方なく審神者の部屋を訪れている。必要以上に顔を合わせたくはなかったが、台所でつまみ食いを見つかり、見逃される代わりに審神者の昼食を運ぶように頼まれてしまったのだった。渡された盆には握り飯が五つ載っている。多いな、と思うと同時に見透かされたように「二つまでなら君も食べていいよ」と言われたので、廊下を来る途中で既に一つ腹に納めた後だ。
「おい、めしだってよ」
「あー、ありがと。そこ置いといて……おっかしいな……ここにしまっといたのに……」
審神者は食事を摂りに部屋から出る暇もないらしく、机には書類が散乱したままで、本人は本棚をひっかきまわしている。書類を適当に端へ寄せて盆を置く。審神者の視線がこちらに向いていなかったのもあって、肥前はふと、口元に手を当てた。指先を口元から、前へ。ちゅ、と舌を鳴らしてみる。意味があったわけではなかった。意識してやってみたところで、やはり自分がやるのでは舌打ち以外の何でもないだろう、と思う。
(……馬鹿らしい)
盆の上から二つ目の握り飯を取ると、あ、と口を開けたところで、いつの間にかこちらを凝視していた審神者と目が合う。
「……んだよ。これはおれのだからな」
「ち、ちがくて」
審神者の声は震えていた。
「いま、いま……ガチで投げキッスしたよね???」
「は、はあ?」
してない、と言おうとして、けれど実際してしまった後なので、とりあえず握り飯を齧り、口を動かして時間を稼ぐ。しかしその間に審神者は本棚から出しかけの資料やらファイルやらが落ちるのも構わず駆け寄ってきて、肥前の肩を掴んだ。
「今の! マジの投げキッスじゃん!! えっ? なんで?」
「ち、ちげえよ!」
「嘘だー! 俺見たもん!! 今のは絶対投げキッスだもん!!!」
「うるせえ!!!!……おい待てよ」
手に力が入り、握り飯がひしゃげる。零れそうになった一角を齧り、もぐもぐと口を動かす間にも審神者は肥前の肩をしっかり掴んだままだ。
「……舌打ちだって、分かってたってことかよ」
「え?」
途端に、やべ、みたいな顔をされて、露骨に目を逸らされる。
「じゃあ、今まで、わざと……」
「……だってさあ」
じろりと睨むと、肩を竦めた審神者は肥前から手を離して言った。
「肥前、舌打ちしたとき、しまった、って顔したじゃん?」
「……」
「俺は別に気にしてないのに、肥前が気にしてるのはなんか可哀想だなと思って、試しに投げキッスってことにしてみたんだけど」
「してみるんじゃねえよ」
「そしたら、言い返してきて、前より俺に構ってくれるようになったじゃん」
「構ってるわけじゃ……」
しかし、事実その通りだった。必要以上に関わりを持たないようにしていたのに、投げキッスだのファンサだのと言うからそれを逐一訂正する分、言葉を交わす回数は増えている。語気はどんどん弱まり、とりあえず手の中に残っていた握り飯を三口で片付けた。食べている間はしゃべらなくて済む。
「俺は肥前と、もう少し仲良くなりたかっただけだよ」
「……」
「それにまあ、舌打ちも一部の業界ではご褒美みたいなもんだからさ。そういう意味じゃー―」
「……」
口の中のものを全て飲み込んでしまっても、返事をする気になれなかった。