そんなところもだいすきです きっと一目惚れだったと思う。同時に、一目惚れ、とあまりにも簡単な一言で表してしまっていいものか、と頭を悩ませてもしまうけれど。
猫が騒ぐ、明るい満月の夜に、俺はこの世界にやってきた。夢みたいな出来事の連続で、そんな状況だったから余計に目に焼き付いたとも言える。初めて出会った魔法使いは二人だった。どちらにも目を奪われたけど、俺の腕を引いた冷たい指の感触を、俺の視線から逃げるように俯いたヒースクリフの綺麗な横顔を、今でも昨日のことのように鮮明に思い出せる。もちろん、その時は彼の顔をじっくり見るような余裕も図々しさもなかったけれど、映画の一コマ一コマのように、脳裏に焼き付いているのだ。美術品のように整った横顔、明かりに照らされてうっすらと輝く髪、宝石みたいな美しい瞳。初めて会った時、その肌は作りもののように青白く、だから余計に美術品みたいだと思ったけれど、魔法舎で生活するようになってからは、彼の年相応の純朴さだとか、控えめな性格だとか、かと思えば大胆な行動に出るところもあるのだとか、頬に赤みがさしている時の方が人らしくて可愛いとか、そういうことを知っていった。それからやっぱり、何をしていても綺麗で、でも彼は美術品ではないから、ふとした瞬間にこちらを向いてはにかんだり、声をあげて笑ったりするので、その度に心臓はドキドキとうるさくなる。
彼に一目惚れするのは自分だけじゃないだろうな、とも思う。ヒースクリフは誰が見ても綺麗で、あの夜じゃなくても、俺が賢者じゃなくても、きっと恋に落ちていたに違いない。特別なことじゃない、と思うと、残念なような、誇らしいような複雑な気持ちになった。でも事実だ。ヒースクリフ・ブランシェットは誰が見ても綺麗で美しくて、もちろんその魅力は見た目だけに留まらず、透き通るような耳に心地よい声も魅力的だし、穏やかだけど芯があって、かと思えば情熱的で優しいところもあって、俺は何度も彼に救われた。救われた分だけ、俺も彼の力になりたいと思う。賢者の俺にできることが何なのか、今はまだわからないのがもどかしい。けれど、賢者でなくても、俺は彼の力になりたい。それを伝えれば、彼はきっと困った顔をするだろうけれど、そういうところも含めて、俺は、
「け、賢者様、あの、分かりました、から」
か細い声に、はっとして顔を上げた。浮かんだ言葉をつらつらと声に出してしまって、気付けば息切れするほどだ。そんな俺の目の前には、首から耳まで真っ赤になったヒースクリフがいる。
「だ、」
手遅れだ、と思いながらも、俺は言わずにはいられなかった。
「だから、言ったじゃないですか…!」
そんな俺の声も、ヒースクリフと同じ位か細く、掠れていたけれど。
***
おしゃべりなローズ。それが全ての元凶だった。
口にすると愛を伝えずにいられなくなる、という特徴を知った時は震えたけれど、分量を間違えなければローズクレープの良いアクセントになる。実際、俺が作った時は万が一にも入れすぎてしまわないように気を付けたし、食べてくれた魔法使い達も別段変わった様子はなかったので完全に油断していた。魔法使い全員に行き渡るように作ったローズクレープ。バラの香りがするお菓子なんて食べたことがなかったので、少し多めに作って、自分用にも取り分けておいたものを口にしたはずだった。
「「賢者ちゃん、賢者ちゃん」」
クレープを少しずつ食べているスノウとホワイトが、それぞれにっこりと首を傾げながらこちらに微笑みかける。あまずっぱいクリームがのったクレープを飲み込んでから、なんですか、と俺も首を傾げた。
「賢者ちゃんに質問!」
「賢者ちゃんは、スノウと~」
「ホワイト、どっちが、どれくらい~」
「「好き?」」
お茶を口に含む前でよかった。二人の脈絡のない発言には随分慣れたつもりだけど、それでもよく似た美少年が顔を並べて「ねえねえ」と迫ってくればびっくりするし、ドキドキもする。ただ、今日が初めてでもないので、躱し方もそれなりに分かってきたつもりだった。だから、俺はスノウのこともホワイトのことも、言葉で言い表すのはむずかしいくらい、好きですよ、と、そう伝えるつもりで口を開いたのに。
「どのくらい、だなんて俺が自分で判断するのは難しいですよ。二人のこと、どちらも同じくらい素敵だと思ってるし可愛いと思ってるしかっこいいと思っています。あ、俺よりずっと年上だということはもちろん分かっていますけど、分かった上で可愛い、って思っていますよ。どんな服も着こなしていていつも見惚れちゃいますし、大人の姿もかっこよくて、でも子供の姿の時にも、傍にいて貰えると安心感があるし、だからどっちがどのくらい、とかじゃないんですよね……スノウがいれば安心、ともホワイトがいれば安心、とも感じるし、二人が揃っていると安心感が二倍です、し」
おかしい、と思って口元を押さえたものの、時既に遅し。自分の口から出る言葉が自分のものではないみたいで、頭の中で反芻すればするほどに頬が熱くなっていく。なんだこれ。
「わー! 嬉しい!」
「どっちか選ぶとか、賢者ちゃんなら、ないかな~と思ったけど、これはこれで、じゃな!」
きゃっきゃと手を叩いて喜ぶ双子に、失言はしていないらしい、と思うものの、確実に様子がおかしい。もちろん、俺の。
「ど、どうして」
おそるおそる声を出す。思い当たるのはもちろん今食べたばかりのローズクレープだ。でも、分量は間違えなかったはず。間違えていたら、他の魔法使いに影響があったはずだし、そもそも口にする前に誰かしら気付いたはず。あ、西の魔法使いだったら気付いてもそのまま食べてしまうかも…。そんなことを考えていたけど、二人はあっさりネタばらしをしてくれた。
「賢者ちゃん、味見してたでしょ」
「……あっ」
「一皿分なら全く効果はないんだけどね~」
「賢者ちゃん、結構しっかり味見してたからね~」
「ああ……」
言われてみれば当たり前のことだけど、どうして気付かなかったんだろう。一人分の容量にはあんなに気を付けたのに。でも、普段から料理が得意というわけでもないし、ネロの腕には及ばないにしても、魔法使い達においしくないものを食べさせたくないという気持ちでいっぱいで、そういえば味見の段階でとっくに一人分の量は口に入れていたかもしれない。
「そういうところあるよね、賢者ちゃん」
「まあ我らも分かってて止めなかったし」
「「ごめんね?」」
「……二人とも、顔が笑ってます……」
謝っている割に嬉しそうな双子にもごもごと言いつつも、俺は立ち上がった。一度口にしてしまえば、勢いがついたみたいに言葉が漏れそうになって、ぎゅっと唇を引き結ぶ。おしゃべりなローズの効果は長くなかったはずだけれど、それでもこれ以上誰かに、特にヒースクリフに会ってしまう前に食堂を離れなければ。もう行っちゃうの~?と相変わらず楽しそうな二人を置いて、俺はひとまずお茶を口に流し込み、空のお皿を流しに下げに行く。これを片付けて、元々そうだったように部屋にこもって夕飯の時間まで書類仕事を片付けることにしよう。双子に言ってしまった言葉を反芻するに、友人相手であっても感じている”愛”の部分を正直に伝えてしまう、という効果のようだと身をもって知った。正直、恥ずかしくて仕方がないけど、これがヒースクリフだったらと思うと恥ずかしいだとかそういう問題ではない。だって、俺がヒースクリフに抱いている思いは友人に対しての情ではないから。友人に対して相手の好ましいと思っている部分を全て言ってしまうのと、片思いをしている友人に対して言ってしまうのでは全然わけが違う。前者も恥ずかしすぎて避けるにこしたことはないけれど、ヒースクリフだけは、
「賢者様?」
「わあ!」
突然背後から聞こえてきた声に、思わず飛び上がった。振り返ればそこには、まさに今思い浮かべていたその人の姿があって、俺は咄嗟に口を押さえた。
「な、な、んでしょう」
ローズの効果に抗えているのか、意識して慎重に声を出すとどうにか普通の返事を口に出来たけど、正直喉元まで「好きです」が出かけてる。それなのに、ヒースクリフに話しかけられたのが嬉しくて、つい返してしまった。ヒースクリフは挙動不審な俺を不思議そうに見ながらも、花が綻ぶような尊い笑顔を俺に向けてくれる。
「あの、ローズクレープ、おいしかったです。さっきもお伝えしたんですけど……賢者様、すごく真剣に作って下さったって双子先生に聞いて……改めてきちんと御礼が言いたくて」
「そ、そんな、いえ、あの、わざわざいいのに、その……ありがとうございます……す、んんん」
「?」
気を抜くと本当にまずい。俺は誤魔化すように咳払いをして、それじゃあ俺はこのへんで、とヒースクリフの横をすり抜けようとした、が、しっかりと腕を掴まれて、それはかなわなかった。見れば、さっきまでの笑顔が消えて、うっすらと翳ってすらいる表情で、ヒースクリフは真っ直ぐに俺を見つめていた。そんな顔も綺麗だ、と思ってしまって慌てて目を逸らす。
「賢者様、俺、何かしましたか……?」
「えっ、なん、」
「さっきから、目が合わないので……」
それはあなたの目をしっかりと見たら絶対にその美しさについて言及した後告白してしまいそうだからです、とは言えない。
「い、まは無理なんです……ヒースクリフの、こと、っ、見られないので」
言ってから、いやこんな傷つけるような言い方よくない、と思うものの、限界だった。
「あ、あとで、後で話しますから、今は勘弁してください」
目を逸らしたまま、そう言うのが精いっぱいだ。けれど、今日に限ってヒースクリフは譲ってくれなかった。
「いやです」
「え?」
反射的に、声の方へ顔を向けてしまう。本当に、宝石みたいに綺麗で、けれどしっかりと意志を感じさせるような強い眼差しが俺を射抜くようだった。
「後回しにして、後悔したくありません。賢者様、俺が何か、賢者様を傷つけるようなことをしてしまっていて、それに俺自身が気付いていないのなら、教えて欲しいんです。身勝手なのは分かっています。でも、俺は賢者様に、その、嫌われたくない、ので」
「嫌いになったりしません!」
思わず大きめの声を出してしまって、それで、びっくりしたように怯んだヒースクリフの顔を正面から見据えて、それでもう、だめだった。
「だ、だって、ヒースクリフのことが、大好きですから……! きっと、俺……!」
一目惚れだったと思うんです、と続けてしまって、そこからはもう、言葉が後から後から溢れてくるのを止められず――
***
「……」
「……」
そうして、今に至るのだった。
俺が息切れしたから、というわけでも、ヒースクリフに止められたから、というわけでもなく、単純にローズの効果が切れたのだろう。意識しなくても言葉が溢れてしまう、ということはなかったけれど、もう少し早く効果が切れていれば、と思わずにはいられない。
「……おしゃべりなローズ」
「あ、ああ……あれ? でも、俺達はなんとも……」
「味見で……食べすぎて……」
「なるほど……」
伝えた言葉は最低限だったものの、ヒースクリフはそれで理解してくれたようだった。思えば、「おしゃべりなローズ」とだけ言えば事情は全部伝わったかもしれないのに、本当に色々と手遅れだ。
「忘れて下さい……」
掠れた声でそう言うのが精いっぱいだった。さっきとは別の意味で、ヒースクリフの顔を真っ直ぐに見られない。
「……わ、忘れません」
「そこを、なんとか……」
「いやです」
今度も、ヒースクリフは頑なだった。たまに、そういう頑固な部分を見ると、なんだか微笑ましい気持ちになってしまうけれど、今はそうなっている場合ではない。泣きそうだけど、そもそもヒースクリフが手を離してくれないので部屋にも帰れない。
「……賢者様、ローズの効果は、もう……?」
「はい、多分……すみません、へんなこと言って……」
「へん、なんかじゃ、ないです! あの、」
ヒースクリフの言葉が途切れる。顔を上げてちらりと見ると、真っ赤になったままの顔で、やっぱり俺を真っ直ぐに見つめていた。
「さっきの言葉、ローズの効果抜きで、もう一度、聞きたいです」
「……えっ」
気付けば、俺の腕を掴むヒースの手はじんわりと熱い。
「そうしたら、俺も、賢者様の、……あなたのどこが好きか、伝えます。……あっ、ずるい、ですか?」
眉尻を下げて、困ったように笑うヒースクリフにそんな風に言われて、俺はまた、思わず大きめの声を出してしまったのだった。
おしまい