横顔横顔
沢北栄治の顔は整っている。普段、真正面からじっくりと見ることがなくても、遠目からでもその端正な顔立ちは一目瞭然だった。綺麗なのは顔のパーツだけではなくて、骨格も。男らしく張った顎と、控えめだが綺麗なエラからスッと伸びる輪郭が美しい。
彫刻みたいだ、と深津は、美術の授業を受けながら沢北の輪郭を思い出した。沢北の顔は、全て綺麗なラインで形作られている。まつ毛も瞼も美しく、まっすぐな鼻筋が作り出す陰影まで、沢北を彩って形作っている。
もともと綺麗な顔立ちの人が好きだった。簡単に言えば面食いだ。それは、自分が自分の顔をあまり好きじゃないからだと思う。平行に伸びた眉、重たい二重瞼、眠そうな目と荒れた肌に、カサカサの主張の激しすぎる唇。両親に文句があるわけではないが、鏡を見るたびに変な顔だなと思うし、だからこそ自分とは真逆の、細い眉と切長の目、薄い唇の顔が好きだと思った。それは女性でも男性でも同じで、一度目を奪われるとじっと見つめてしまうのが悪い癖。だからなるべく、深津は本人に知られないように、そっと斜め後ろからその横顔を眺めるのが好きだった。松本の横顔も、河田男らしい顔も悪くないが、1番はやっぱり沢北の顔だった。
「ひでえ!なにするんすか!もうー」
沢北がまた、河田に絞められている。もはやこれは恒例行事となっており、今となっては可愛いじゃれあいで、誰も止めるものはいない。
「お前がくだらねぇこと言うからだべ」
「だって本当じゃないっすか!バスケ部始まって以来の二枚目とか言われたら、そりゃちょっとは自信になりますよ」
「その自信をバスケに使え、浮かれてんじゃねえ」
「わーってますよ!」
噂によると、沢北はまた他校の女子生徒に告白されたらしい。校門から体育館に向かう短い道中、誰かに呼び止められているなとは思っていたが、やはり告白されていたか。
深津は人知れず小さなため息をつく。握った体育館モップの柄をぎゅっと握りしめ、胸にのぼった鈍い不快感をやりすごした。
そりゃ、女の子なら居ても立っても居られないだろう、あんなに綺麗な顔なら。
深津でさえたまに見惚れているんだから、沢北に憧れを持つ女子生徒ならば、一目だけでもその顔に微笑みかけてもらいたいと願い、淡い恋心を抱くだろう。その土俵に、何の抵抗もなく立てるのが羨ましい。せめて深津の顔がもう少しマシであれば、なんとか沢北のお眼鏡に叶うよう努力するのだが、何度見ても自分の顔は男らしくゴツゴツしていて、到底無理だなと一気に無力になるのだった。
「でも、正直に言っただけじゃないっすか!顔が好みじゃないって」
聞こえてきた沢北のそのセリフに、深津の胸がドッと熱くなる。
「おめ、よくそんな事言える立場になったもんだな」
河田の言うことはごもっともである。最近の沢北はどこか調子に乗っていて、自分の思ったことを率直に、素直すぎるぐらいに話す傾向がある。ただの後輩であれば、調子に乗るなと一喝して終わりなのだが、沢北に不純な気持ちを抱いている深津にしてみれば、その素直さが逆に深津を追い詰める。お前じゃないと言い聞かせられているようだ。
「そもそも、オレはずっと言ってるじゃないですか、ただ可愛いとか綺麗とかじゃなくて、自分とは正反対のものに惹かれ───」
「いい加減にするピョン沢北」
意識したよりも怖い声が響いて、深津は内心で焦ったが、顔には出さずにそのまま続けた。
「いつまででかい声でお喋り続けるピョン?今日はAチームしか残ってないんだから、全員で片付けして体育館閉めるピョン。マネージャーの話聞いてなかったのか?」
「き、…聞いてました、すみません」
子犬の耳が見えそうなほどしょんぼりとした沢北は、少し俯いて頭を下げた。隣の河田は気まずそうにしている。そもそもこの話を持ちかけたのは河田だった。
「河田も、指導するのはいいがやりすぎピョン。さっさと寮に戻ってミーティング、明日は練習試合の準備もあるんだからふざけすぎるな。」
「…すまん」
深津の言葉は正論だったし、さすがにそろそろ2人を黙らせないと主将として格好がつかないので、少しキツめに説教した。少しだけ力がこもっていたのは、沢北の続きの言葉を聞きたくなかったから、というのには目を背けて、深津は主将として当たり前だと自分に言い聞かせる。
やっと静かになった2人が、黙々とモップがけを始めた。冷や冷やしながら見ていた他のAチームメンバーも、いそいそと片付け作業を再開する。
やりすぎたかな、とは思わないでもない。けれど、優しくしても意味がない。練習とプライベートのメリハリはつけないといけないからだ。
けれど少しだけ、深津の心に小さな棘が引っかかっている。聞きそびれた沢北の言葉。
正反対な物に惹かれる────。
なるほど、やっぱりな、と諦めのため息が漏れた。沢北の正反対なもの。可愛らしく女性らしい、丸くてふわふわと柔らかい女の子。きっと、今日告白してきた女の子は女性らしいというよりももう少し大人びた、スポーティーな子だったのかも知れない、と分かりもしない事を考える。
それでも深津は、沢北が好きだ。沢北の顔が、綺麗な所が好きだ。
「深津さん」
廊下で呼び止められて、深津は静かに振り返る。風呂上がり、ジャージ姿にメガネをかけた深津は、友人の部屋から拝借した漫画雑誌を小脇に抱えて自室に戻る所だった。
「今日、すみませんでした」
今日、と言われて、一瞬なんだったかと思考を巡らせた。
あぁ、と気の抜けた声が出る。片付けの時に叱った事か。
「別にいい。けど、監督もマネージャーもいないからってふざけすぎピョン」
「はい、すみません」
沢北はまだ風呂には入っていないようで、練習着のまま、深津とは対照的に少し疲れた様子だった。
「河田も悪い、お前だけじゃないピョン」
「河田さんは…、まぁ、オレがべらべら喋りすぎてたってだけなんすけど」
沢北が妙に静かだ。強く叱りすぎたか?と思ったが、それとはまた少し違う緊張感が漂っていて、それが何か分からず、深津は不思議に思った。
「告白はちゃんと断りました」
脈絡もなく、沢北がまっすぐそう言った。そんな話をしていたか?とまた深津は、沢北と話しているのに迷子になったような感覚になる。
「……バスケに集中できて偉いピョン」
苦し紛れにそう返したら、沢北が眉間に皺を刻む。どうやら言葉選びを間違えたらしいが、だからといって何を求められているのか分からない。
「オレは、好きじゃない子から何言われても何とも思わないんで」
「…だろうな」
その好きじゃない子、にはいつか深津も含まれるのだろうか。何を言われても、とは、例えば男の俺がお前を好きだと言っても、気持ち悪いとか思わないでいてくれるってことか?
変な思考に飛びそうになり、いや、そんな事は考えてないだろと深津は自分で自分に言い聞かせる。油断すると、つい恋する自分が夢を見ようとしてしまう。沢北の目が、魔力を持ったかのように情熱的に深津を見つめるからだ。
「オレ、昔から自分と全然違う物とか人を好きになることがあって」
「はあ」
何の話をされているのか分からない。わざわざ廊下で呼び止めて、真剣な顔で話し出すから何かと思ったのに。
「だからその、顔の好みとかも…オレみたいな薄い塩顔じゃなくて、黒い眉毛とか、平行な二重とか、そういう、キリッとした顔が好きで、河田さんとはそういう話を」
「…松本みたいな事ピョン?」
キリッとした顔、といえばバスケ部でも一・二を争う男前の松本が思い浮かぶ。沢北とはまた違ったタイプの美丈夫だ。
「違います!いや、松本さんもかっこいいんすけど!オレはその、もっと…具体的に言うと…」
「なんだピョン、はっきり言え」
ここまで来ると深津もイラついてくる。さっきから訳の分からない話ばかりされて、正直辟易としていた。沢北の好みを聞かされても、それと遠くかけ離れた深津は一体どうすればいいのか。
「…ふ、深津さんが横向いてる時の、ちょっと突き出した唇とか、可愛いなって」
「は?」
突然名前を出されて驚いた。その上、なんて言った?可愛い?
「それはどういう…」
「あーもう!すみません!忘れてください!」
沢北がガシガシと頭を掻いて、目線を逸らす。
「変なこと言った!いっつも深津さんのこと見てるのバラしてどうしたいんだオレ」
おそらく心の声の部分まで声に出してしまっている。沢北はそう言って、勢いよく深津に頭を下げた。
「おやすみなさい!風呂行ってきます!」
元気に宣言して駆け出していく。結局、何を言われたのか分からない深津は、ポカンとしてその背中を見送るだけ。
「正反対なものに惹かれるんじゃなかったピョン…?」
深津の唇から溢れた言葉は、誰の耳にも届かなかった。深津の思考が止まったまま、バサっと音を立てて小脇に抱えたマンガ雑誌が床に落ちた。
沢北は、深津の唇を可愛いと思っている…?
散らかった思考の中で、それだけが纏まって意味を持ってきた。
1人きり、残された廊下で深津は静かに赤面する。綺麗な横顔、輪郭、切長の目。大好きな沢北の顔が、薄くて綺麗な唇が、深津の事を可愛いとついさっき言った。
「どうすりゃいいピョン……」
頬の熱さが止まらない。
横顔に見惚れていたのは、どうやら深津だけではなかったらしい。