【Simple is best?】
眠そうに目を擦る者、あけっぴろげにあくびをする者、友達と楽しげに笑い合っている者……。朝の登校ピークを迎えた下駄箱は色んな生徒が多く行き交う。
そんないつも通りな光景の中。司は必死に寝癖を直した髪を、ことさら撫でつけながら自分の下駄箱に辿り着いていた。寝癖直しに奮闘したせいで普段より登校時間が遅くなってしまい、一時は遅刻すら覚悟したが、わずかな時間の余裕すら生んで到着出来たことに一人胸を撫で下ろす。
(予期せぬアクシデントすら、いとも容易く乗り越えてしまう……さすがオレ!)
上履きに履き替え、額に指先を当てて顔を斜め二十五度上に傾ける『靴をしまう時のカッコいいポーズ』を機嫌良く決めて歩き出そうとした。その時だった。
不意に、先程まで撫でていた後頭部へ──すこんっ──尖った何かが当たった。
「ん?」
足元を見ると、そこには紫色の紙飛行機が落ちている。その先端はわずかにひしゃげていて、恐らくそれが頭に衝撃を与えた主であろうことは容易に想像がついた。
「全く、こんな場所で誰が──」
ぼやきながら拾い上げると、少し離れた場所から聞きなれたくすくす笑いが聞こえてきた。もはや誰何する必要すら感じずにそちらへ視線を向ければ、目の合った類が通学カバンを肩にかけた出で立ちでにこやかに手を振り、やってきた。
「やぁ司くん、おはよう」
「ああ、おはよう……というか、もしかしなくてもこの紙飛行機はお前か、類」
拾ったそれをぷらんとぶら下げ、半眼でうめく。類はあごに軽く手をやり、素直に首を縦に振った。
「たまにはアナログなのもいいかと思ってね」
「……? 朝の挨拶にアナログだとかあるのか?」
「フフ、こちらの話だよ。さあ教室まで一緒に行こうじゃないか」
「お前のクラスは隣なんだが……」
そんな言葉が聞き入れられるわけもなく、類は司の肩を押してさっさと歩き始めてしまう。司は触れる類の手にむず痒い気分を覚えながらも押されるがままに歩き、傍らで手の中の紙飛行機をどうしたものかと一瞬迷ったが──教室についてからどうにかすればいいか──ひとまずズボンのポケットへと押し込んだ。
が。
類とあれこれやり取りをした末に教室へ着いたその時には、綺麗に忘れてしまっていたのだった。
それは、迎えた一時限目をつつがなく終え。二時限目の数学に突入して間もなくだった。新しく出てきた公式での計算が早速理解出来なくなってきたところで、司は教師の説明だけが響く静かな教室内を軽く見回した。……クラスメート達のペンの動きは総じて軽い。順調に問題を解いているようだった。もしや不理解に陥っているのは自分だけなのでは──そんな危惧と、次回の定期試験での赤点への恐怖が頭をよぎる。
伝い落ちかけた冷や汗を拭おうと、ハンカチを入れた側のポケットに手をつっこんだ。と、指先にかさりと何かが触れた。
(ん? なんだこれは?)
人差し指と中指で挟んで引っぱり。そうして紫色の紙の端が見えたところで、ようやく朝の紙飛行機をしまいこんだきりだったのを思い出す。
あんな短時間で忘れるとは。さすがに自分の忘れっぽさに内心呆れてしまった一方で、芋づる式に思い出した類の不可解な──アナログがどうとかいう──言葉がなんとなく気にかかり。すっかりくしゃくしゃになった紙飛行機をしばらくじいっと見つめてから、何とはなしに紫の片翼を開き始めた。
余分なしわがついてしまった為に若干開きづらくはあったが、なるべく音を立てないように静かに解体出来たところで紫の文字が現れた。
──『ようやく気づいたかい?』
類の筆跡だ。間違いない。まさか、ともう片翼も開くと、そこにもやはり文章が綴られていた。
──『君に伝えたい事があるんだ』
──『放課後、屋上まで来て欲しい』
そして。
折り紙の角のひとつに、さらに小さく文字が。
──『追伸』
──『この恋文に気づいてくれて嬉しいよ』
その追伸に含まれていた一単語で、司はやっと類の言葉と行動そのものの意味を理解した。アナログというのもそうだが、混雑しているにも関わらず、わざわざ下駄箱で紙飛行機をぶつけてきたのにも意味があったというわけだ。紙とペンを使った所はアナログなのかもしれないが、類らしいといえば類らしい素直ではないギミックについ頬が緩む。
しかし、もし気づかずに捨ててしまっていたら。……嫌な想像に身体がぶるりと震えた。
(オレだって伝えたい事はあるんだぞ……ばか類)
くしゃくしゃのラブレターを丁寧に折り畳んで、間違って捨ててしまわないよう──ついでにシワ伸ばしも兼ねて──教科書の適当なページに挟むと、司は机に大きく伏せた。どうせ授業の内容などもうわからない。勝手に熱くなってにやけるのが止まらない顔を級友や教師に晒してしまうくらいなら、話の分からない授業など潔く諦めた方がいっそマシというものだ。
──類には責任を持って試験勉強を手伝ってもらわねばな。
半ば八つ当たりじみたことを考えながら完全に現状を放棄した司は、放課後の返事を何度も頭の中でシミュレーションする事に注力したのだった。