【何でもない日に】
神代類が、普段はほとんど寄りつかないそのきらびやかな店頭に足を向けたのは、たまたまだった。
人を待っていたのだ。正しくは、同行者が他店で精算を終えて戻ってくるのを待っていた。暖かなショッピングモールの中で人を待ちながら人間観察をすることに苦はなかったが、ほんの気まぐれが起きてぶらりと周囲の店先を見て回っていたにすぎない。それでも視線はあっという間に釘付けになった。
立ち止まってわずかに長身を曲げて覗き込んだのは、宝石店のガラスのショーケースだ。
それぞれの魅力を放つ宝石が収められたケースを眺めるのは、舞台を俯瞰で見るのにどこか似ている気がした。仕立てた舞台上に居並ぶ役者達。彼らがいかに輝けるか、観客がいかに物語の世界へ没入できるか。それらは全て演出家の腕にかかっている。
このケースの陳列を担当した人間は、腕の良い演出家だといえた。光を眩く弾くダイヤモンド。艶やかな光沢のパール。鮮やかな輝きのルビー……。ガラスケースの中に広げられた純白のサテン地の上で、宝石達は何一つ魅力を損なうことなく、指輪やネックレスといった形状で整然と並んでいた。特に目を引いたのは隣同士に置かれたシトリンとアメジストだ。明るいシトリンからの輝きを受けてアメジストは一層美しい深みを増し、対極の色と並ぶ事によりシトリンが際立って見えて──目が離せない。
ターコイズブルーに染めた横髪の一部を指先にくるくる巻いて──まるで誰かさんみたいだ──そんなことを考えていると、小走りで足音が近づいてきた。
「類、待たせたな!」
片手に茶色い紙袋を持った、司だ。類はケースを覗き込む為に曲げていた腰を伸ばし、出迎えた。
「もう用は済んだのかい?」
「ああ。四回もメモを見直したからな、もう買い忘れはない!」
腰に手を当てて大仰に胸を張る。四回という具体的な回数から鑑みるに、二度も何かを買いそびれたと言って長々と類を待たせてしまった自覚はあるらしい。
もっとも、ライフワークにも近い人間観察に勤しみ、こうして店頭を見ながら思索を深めていた類に『待たされた』という意識はない。ただ、存外気にしたんだなぁ、程度に理解してうなずいて見せる。
「それは良かった。なら、移動しようか?」
「んっ? だが……あぁいや……」
「どうかしたのかい?」
「もう少し見ていかないか、ここ」
思いがけない申し出に一瞬、返答につまる。
裁縫の店で見かけた、糸に通されたジルコニアのパーツに司が目を輝かせていた事はある。が、司も類同様、宝石にそこまで興味を示した事は無い。商品の価格帯としても高校生には不釣り合いなのだから当たり前かもしれないが。
ともあれ。
不思議には思えど、見たいと言うのを拒む理由も必要もない。類がそうだねと応じると、司はケースの端から端までをくまなく眺め始めた。
「おお……二色になってるのか。綺麗な宝石だな」
司が目を止めたのは紫と黄色の二色で構成された石だった。二つの石をくっつけているのではなく、同一の結晶の中で、中央を境にして綺麗に二色に分かれている。しかし吸い込まれそうなほど透明で、かつ鮮明な色合いのそれは浅学な類の目から見ても実に見事で、傍らにはやはり相応の値札が添えられていた。
「これはバイカラークォーツと言って、別名は──」
「知っているぞ! あー確か……そうだ、アメリトソンと言うのだろう!?」
「惜しいね。アメトリン、だよ」
どこかの国名か人名と混ざったのだろうか。思うが、敢えてそこには触れずに訂正だけすると、司は噛み締めるように数回小さく繰り返して咳払いをした。
「そう、アメトリンだっ。前に咲希から聞いた事はあるが、こうして見るのは初めてだな」
「僕は今まで何度か見た事はあるけど、ここまでの物は初めてだ。宝石に興味がなくても心惹かれるものがあるね」
「……欲しいか?」
どこか真剣な口調に聞こえて顔をあげた。が、司の目は類ではなく、フェニランでのバイト代では到底まかなえない金額の値札をじぃっと睨み付けていた。言葉よりも雄弁なその様子に司の思惑を──ついでに、二度も買い漏らしをした本当の理由まで──悟った類は、ついくすりと笑ってしまった。
「美しいとは思うけれど、欲しいとまではいかないかな」
「そ、そうか」
ほっとしたような残念なような、微妙な顔で小さく息を吐いた司を横目に、類は視線を店内へ走らせる。中には、奥のカウンターに引っ込んだままあくびを噛み殺す男性店員がいた。他には一組のカップルに付きっきりで応対している女性店員が一人。どちらも、店頭に張りついている二人には見向きもしない。
が、
「さて……あまり長居すると冷やかしになりかねないし、そろそろ行こうか」
場を離れる口実。とはいえ、店側に聞こえてしまうといささか角が立ちかねないそれを小声で囁いた類は、司の手を取るとさっさと歩き始めた。
……司は何も言わなかった。店を離れて一分、二分と過ぎても、黙って手を引かれている。
『思惑』をふいにされたと不機嫌になってしまったのだろうか。さすがに不安に駆られた類が肩越しに様子をうかがうと、繋いだ手の先には──難しい顔を斜め四十五度にあげて額に指を置く司がいた。片手が繋がれて塞がっている為に紙袋は持ち上げた腕へさげられていたものの、歩く振動に合わせて身体に当たり、ガッサガッサと賑やかに鳴っている。それでも本人は極めて真面目な顔で、類の視線にも気づかず一心にポーズを続けるばかりだ。
──面白いから続けて構わないけど、危ないから前は見て欲しい。
そう言いたいのをぐっとこらえて歩く速度を落とした。そして隣同士に並んだところで、やっと類に見られていると気付いたのか慌ててポーズを解除する、司。
類は怪我の心配が無くなった事に安堵しつつ、声をかけた。
「ねぇ司くん」
「……ん? なんだ?」
「僕に何かを贈りたい時は、さっきみたいに正面から聞いてくれて構わないよ。僕は物に頓着する方じゃないし……買った品物でサプライズ感を出すのは難しいんじゃないかな」
「………………は……?」
──ぼんっ!
そんな音が聞こえてきそうなほど瞬間的に、司の顔が真っ赤に染まる。端から見ても首の筋を痛めかねない勢いで、真っ赤な顔がぐりんっと類を見上げた。
「おっ……ぉぉお、おまおまぁいついいつ!?」
「いつから気付いて……って、欲しいか聞かれた時かな」
「ささ、さっ、さぷ、さぷっ!」
「サプライズは推測さ。司くんにしては色々と隠そうとしているからそうなのかな、と。でもわざと僕を放置して観察するのはいいけれど、僕がどこかの店先まで行かなかったらどうするつもりだったんだい?」
「~~~~~~っ!!」
司は何度も口を開閉させたが、いつもの大音声の一欠片分も音は出ない。
──全て図星か。
思うも、さすがに表情に出すのは申し訳ない気がして。類は苦笑いの上にいつもの微笑の仮面を被った。
そもそも買い忘れ自体、でまかせだったのだろう。類を一人にして物陰かどこかの店先にでも隠れ、何に興味があるのか、具体的に何を欲しいと思っているのかリサーチしたかったに違いない。もっと言うなら、その場でこっそり買って……とも考えていたかもしれない。ショーケースを見ていこうと提案された段階で類がそうと気付かなかったのは、単にどちらの誕生日でもなく、何の記念日が近いわけでもなかったからだった。
「プレゼントの動機くらいは教えて貰ってもいいかい?」
首をかしげて問うと、まだ赤い耳をジャケットの袖でごしごし擦ってうめいた。
「…………ない」
「え?」
「特にないんだ。ただこう、なんとなくお前の事をあれこれ考えていて……そういえば形に残るような物はあまり贈っていないなと思ったら、その……何か渡したくなって、だな」
なるほど。呟く。
二人の好きなことはショー。そして、人を笑顔にすることだ。お互いにそれが分かっているので、今まで相手に何かを贈る時には演出感を重視する傾向があったのは確かだ。
形として残るかどうかは二の次。少なくとも類はそれで構わないと思っていた。
だが──それを見ただけで当時の楽しい記憶や幸せな時間を鮮やかに思い出せるのなら──しっかり形として残る物を贈るのも良いのかもしれない。
数秒黙考した類が視線を落とすと、司は顔の火照りを冷ます為に手でぱたぱたと自分を扇いでいる真っ最中だった。いつも大きな声で話し、人目も気にしないような彼が恥じらいを見せてくれている、貴重な瞬間。もし何かを贈られたなら、きっとこんな些細な瞬間でも胸の暖かさと一緒に強く心へ刻まれるのだろう。悪くない話だった。
「……そうだね。僕も君に何か贈りたいな」
「だがオレも欲しいものはないぞ」
「だよねぇ。だからといってお互い適当に買ってしまうのもなんだし──ひとまず、今日のところは約束だけで手打ちとしようじゃないか」
「約束?」
「ああ」
笑顔でうなずいて、もう遠ざかって店先も見えない宝石店を指差した。
「大人になったら、さっきのお店で宝石をプレゼントするよ。指輪かブレスレットか……その辺りは渡すまで内緒でね」
と、司がぱあっと大輪の笑顔を咲かせた。
「おお! ではその時にはオレからもお前に贈るとしよう!」
「ふふ、じゃあ司くんにはアメジストをお願いしようかな。僕はシトリンを贈るから」
「ああ、任せておけっ」
どうやって贈ろうか。
こうするのはどうだろうか。
いや、それよりああした方が──。
目を輝かせて未来を話し合う二人の手は、互いに指を絡め合い、まるで一つに溶け合うように繋がっていた。