青春狂想曲 類に告白されたのは、雲ひとつ無く澄み渡った晴天の屋上で、いつものようにランチを食べたあとのことだった。
「司くんのことが好きなんだ。……その、そういう意味で。僕と恋人になってくれないかい」
頬を少し赤く染め、照れくさそうに言う類の表情は初めて見るものだった。
思わず口をついて出そうになった、オレも好きだ、という言葉をすんでのところで飲み込み、代わりに出した言葉は、
「……すまん。お前と恋人にはなれない」
類の告白を断る言葉だった。
***
それから一週間後の朝。
いつも通りの時間に登校したオレは、級友達と挨拶を交わしながら昇降口をくぐり、下駄箱を開いた。
すると、
ぼふん
と大きな音がし、けむりがもくもくと発生する。
突然の出来事に周りがざわざわと騒がしくなる中、けむりの向こうから飛び出してきたのは、類の姿をしたパペットだった。
「司くん、好きだよ!」
と類の声で繰り返すそれを掴み、急いで上履きに履き替え、廊下を走る。本来ならば廊下を走るのは好ましくないことだろうが、緊急事態だから許してほしい。目指すは2-Bだ。
「類!」
勢いよく扉を開け、周りの視線は気にせず、一直線に類の席に向かう。
「やあ、司くん。おはよう」
「おはよう。ではない! なんだこれは!」
手に持ったパペットを類に突きつける。パペットからは依然としてオレへの告白が流れ続けていた。
類はオレの言葉なぞどこ吹く風でパペットを受け取ると、ごそごそといじり始めた。すると、ようやく音声が止まり、オレはほっと胸を撫で下ろす。
「センサー付きのパペットなんだ。今回は司くんが下駄箱を開くと音声が流れるようにしてみたんだけど、どうだったかな。これを上手く使えば疑似的な一人二役ができるかもしれないよ。ほら、司くん前にやってみたいって言ってただろう?」
楽しそうに語る類に、思わず身を乗り出す。
「ほう、一人二役。おもしろそうだな。それができれば脚本の幅も広がりそうだ。……ではなくてだな!」
危ない、ついごまかされるところだった。オレが声を荒らげたにもかかわらず、類のやつはにこにことした表情を崩さない。ぐぬぬ。
「この音声はなんだ!」
「何って告白だけど。やだなあ、忘れてしまったのかい? 君が許してくれたんじゃないか、君のことを好きでいてもいいって。僕のことフッたあの日に」
類の言葉に、ぐっと息を飲む。確かに許した。が、こんなことをされるとは聞いていない!
言い返そうと口を開いたオレを先んじるように類は言った。
「僕が君のことを好きでいていいなら、告白するのだって自由だろう? ……それとも君は、僕のことをフッた上にただ何もせず悲しみに沈んでいろって言うのかい。ひどいなあ。しくしく」
わざとらしく顔を両手で覆い下手な泣き真似をする類に、人聞きが悪い! と叫んだところで、予鈴のチャイムが鳴った。
「ほらほら、ホームルームが始まってしまうよ」
類から手渡されたパペットをとっさに受け取る。まだ話は終わっていなかったが、ホームルームに遅れるわけにはいかない。しぶしぶ類に背を向けたオレに、後ろから声がかけられる。
「司くん」
振り返ると、とろけた甘い笑みを浮かべた類がそこにいた。
「好きだよ」
そんな類にオレは、何も返事を返せずに、そのまま教室を後にした。
自分の教室に入り、席に着くと、前の席の級友がにやにやとした笑みを浮かべて声をかけてきた。
「神代も毎日がんばるよなー。お前もいい加減応えてやればいいのに」
「オレは類とそういう関係になりたいわけじゃないからな」
「え、そうなの? でもお前、」
級友が驚いたように何かを言いかけた時、がらりと扉が開いて担任が入ってきたため、そのまま話はうやむやになった。
号令をかけ、ホームルームが始まる。担任の話を聞きながら、類に初めて告白された日のことを思い出し、ひっそりとため息をついた。
オレが類の告白を断ると、類は何も言わず、あごに手を当てて何事かを考え始めた。ぼんやりとその様子を眺めていると、ふいに顔を上げた類が言った。
『君の気持ちはわかった。けど、僕も簡単には諦められない。君のことを好きでいるのは許してくれないかな。もちろん、ショーに影響を及ぼすつもりは無いよ』
真剣な表情でこちらを見つめる類に、ダメだ、とはどうしても言えなかった。
『それはいいが……、オレはお前の恋人にはなれないぞ』
『わかってるよ。ありがとう、司くん』
脳内でにこりと微笑む類に、なにもわかってないではないか、と心の中で叫ぶ。
類の連日の告白攻撃が始まったのは、その翌日からのことだった。ある時は下駄箱にラブレターが入っていたり(家で開けたら音声とBGM付きの飛び出す絵本だった)、ある時は授業中に好きだと書かれた垂れ幕を窓からドローンで噴射されたり(思わず真面目に授業を受けろと叫んだ)。
受け取ったものを返すわけにもいかず、オレの自室の机の上には日に日に類からの気持ちが増えるばかりだ。
素直に諦めてくれればいいのに、と思う。
類はオレの次にかっこいい。顔がいい。身長だって、悔しいがオレより高い。なにより、類はとても優しい。誰かの笑顔を本気で願えるやつだ。きっとそのうち、類のことを一番大事にしてくれる良い人が現れるはずだ。だから、オレのことはさっさと諦めてくれればいい。
じくじくと痛む胸には、気づかない振りをした。
***
オレの思いとは裏腹に、相変わらず類からの告白は続いていた。
そんなある日の昼休み。
類とランチを食べるために屋上へ続く階段を昇っていると、扉の向こうから誰かの話し声が聞こえてきた。
「類もよくやるね~。学校中の注目の的じゃん。司先輩が折れるのが先か、類が諦めるのが先かって」
突然出てきた自分の名前に、ピタリ、と扉を開こうとした手を止める。
この声は暁山だろうか。ダメだと思いながらも、足が動かずそのまま話を聞いてしまう。
「まあでも、その様子じゃ諦める気無いんでしょ? 安心したよ」
「……いや、とっくに諦めてるよ」
「え?」
暁山が驚いたように声を上げたところで、オレは急いでその場を離れた。……自分勝手にもほどがあるが、その先の言葉は類の口から聞きたくなかった。
「司くん、大丈夫かい?」
突然聞こえた類の声に、ぱちくりと瞬きをする。目の前には心配そうな表情でオレのことを見つめる類がいた。
あの屋上での出来事のあと、どうしたんだったか。ひとりで中庭でランチを食べて、午後の授業に出て――。
「練習に行く時間だから迎えに来たんだけど……。何かあったのかい」
ぼーっとしていたら、ホームルームも終わってしまっていたらしい。類を安心させるように、無理矢理笑顔を作って答えた。
「大丈夫だ! 昨晩少し夜ふかしをしてしまってな。だが、練習は問題なく行えるぞ!」
我ながら下手くそな芝居だと思ったが、押し通した。類は納得できないという顔をしていたが、オレがそれ以上何も言う気が無いのがわかったのか、
「それじゃあ行こうか」
とだけ言ってオレに背を向けた。
慌てて支度をしながら、これで良かったんだと、自分に言い聞かせる。
その日から、類が告白してくることは無くなった。
***
類のオレへの日課のような告白が無くなり、すっかり元の日常に戻ったころ。
あれは夢だったんじゃないか、なんて思っても、机に並ぶ類からの気持ちがそれを許さず、オレは類への気持ちを持て余していた。
そんな時、練習の無い放課後に類に呼び出された。いつものように何か実験でもするのかと思い、屋上へ向かうと、そこには真上を向いた大砲のようなものと類が待っていた。
「やあ、司くん。呼び出してすまないね」
「それはかまわないが……、そこにあるそれはなんだそれは」
まさかその大砲からオレを飛ばす気か! と頬を引きつらせるオレを見ながら、類は楽しそうに言った。
「まあまあ、それは見てのお楽しみさ。……それじゃあ準備はいいかい? イッツショウタイム!」
類が何やら操作し、大砲が音を立て始める。オレはとっさに耳をふさいだ。
ぼふん、と大きな音がし、大砲から吹き上がったものを見て、目を見張った。
桜の花びらが空からひらひらと舞い落ちる。ここは屋上で、桜の木なんて無いのに、まるで桜並木の中にいるように錯覚してしまいそうだ。
「どうかな?」
「すごい……、すごいな! さすが類だ!」
「フフ、去年よりももっとリアルに降らせられないかと色々試したんだ。自信作さ」
得意気に話す類の声を聞きながら、オレは束の間のショーに魅入っていた。
しばらくして、舞い落ちる桜の花びらが全て地面に散った。余韻に浸っていると、類が近づいてくる。類の手が頭に伸ばされ、ぴくり、と体を震わす。
「花びら、頭についてたから」
「お、おお。すまん」
なんとか平静を装う。類は何を思ったのか、くすくすと笑いだした。首を傾げていると、類が口を開いた。
「いや、前にもこんなことあったなって。桜並木で偶然君に会って、一緒に実験して」
「……ああ、あったな! お前の実験に巻き込まれて、結局、即興でショーをすることになった」
こちらに一目散に駆けてきた類の笑顔も、一緒にやった即興ショーでの高揚感も、今でも鮮明に思い出せる。
「ねえ、司くん」
思い出に浸っていると、類の声で現実に引き戻された。類の顔を見ると、その表情は甘やかにとろけていた。
「あの頃と変わらず、いや、もっとだな。君が好きだよ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。だってそれは、もう類の口から聞くことは無いと思っていた言葉だったから。
ぽかん、とするオレを微笑みながら見ていた類の顔が、急に歪んだ。
「つ、司くん!? どうしたの!?」
「へ?」
類が何を慌てているのかわからず間抜けな声を上げたオレの顔に、類の手が伸びてきて、思わず目をつぶる。
「これは喜びの涙ってことでいいんだろう? そうだよね!?」
類に目元を優しくぬぐわれ、わけがわからずとりあえず自分でも目元を触ると、手に水滴がついていた。
「うおお、なんだこれは!」
「いや、司くんさっきからぼろぼろ泣いてるんだけど。自覚無かったの」
類に言われて、ようやく自分が泣いていることに気づく。気づいたところで、一向に涙が止まらない。
「と、止まらん……」
「あ、こすると目が腫れるよ! 待ってて、タオル持ってくるから」
ふたりで慌てていると、遠くから声が聞こえてきた。
「天馬、神代! お前らなにやってるんだ」
馴染みのある生徒指導の教師の声だった。おそらく、先ほどの桜吹雪の噴出音を聞きつけてやってきたのだろう。
「ああ、もう、タイミングが悪いな。……司くん、僕の背に乗って」
「は?」
「その状態じゃ走れないだろう。僕がおぶって逃げるから」
こちらに背を向ける類に、数瞬迷ったが、無言の視線で類にせかされ、どうにでもなれと体を類に預けた。
「しっかりつかまっててね」
そう言われて、ぎゅっと両腕に力をこめる。感じる類の体温は温かい。
いつのまにか、涙は止まっていた。
「はい、タオル」
「すまん……」
無事に教師から逃げおおせたオレ達は、空き教室に隠れていた。目を冷やすオレの隣に類が座る気配がした。
「君に告白して泣かれたのは初めてだね。理由を聞いてもいいかな」
「……」
無言を貫くオレに、類も何も言わずに黙っていた。ちらりと類を見ると、その瞳は不安に揺れていて、このままやり過ごすという選択肢をオレから奪った。
タオルを下ろし、類に向かい合う。
「……前に屋上で暁山に言っていただろう。とっくにオレのことを諦めていると」
類は目を瞬かせ、少しだけ考えたあと、ああ、とひとつ言葉をこぼした。
「なるほど、あれを聞いていたのか」
「立ち聞きしてすまん」
「いや、それはいいんだけど……。そのあと僕が言ったことまでは聞かなかったんだね」
何のことかわからず首を傾げる。類はそんなオレに微笑んで言った。
「あれはね、君を諦めることをとっくに諦めてるって意味だよ」
類の言葉を頭の中で反芻し、噛み砕く。オレを諦めることを諦めてる。つまり、類はオレのことを諦めていない……?
「紛らわしい!」
「君が勝手に勘違いしたんじゃないか」
「じゃ、じゃあ、あの日から告白してこなかったのは?」
「桜吹雪の装置を作るのに集中してたからね。あとは、司くんの様子がおかしかったから少し様子を見た方がいいかと思って。逆効果だったみたいだけれど」
全て自分の早とちりだったことに頭を抱えたくなる。そんなオレにかまわず、類は続けた。
「僕の告白に泣いて安心するくらいならさ、そろそろ僕の気持ちに応えてくれないかな」
そう言うと、類はスマホを取り出して、何やら操作し始める。
「司くんは自分では気づいていないみたいだけど……、はい、これ」
言われるままに、スマホの画面をのぞきこむ。そこには、顔を赤く染め、怒ったように眉を吊り上げながらも、口元を幸せそうに緩ませるという、なんとも器用な表情をしたオレが写っていた。
「な、なんだこれ!」
「僕が告白するたびにこういう顔してるんだよ。これはドローンで告白した時かな」
「さらっと盗撮してるんじゃない!」
つまり、最初から類には――、
「おそらく、僕どころか周囲の人にもばればれだったよ、君の気持ち」
衝撃の事実に、今度こそ頭を抱えて唸る。
しばらくして、類が静かに聞いてきた。
「なんで、僕の告白断ったんだい?」
類の顔を見ると、今日こそは逃がさないという決意がありありと浮かんでいるようだった。
「これも気づいてなさそうだけどね、司くん、一度も僕のこと好きじゃないとは言ってないんだよ。ずっと恋人になれない、って、それだけ」
いよいよ観念したオレは、全てを話すことを決めた。
「オレはスターを目指す身だ。この夢は諦める気は無い」
突然違う話を始めたオレに、少しだけ驚いたような表情を見せた類は、けれど何も言わずに、先を促すように頷いた。
「これからも前だけを見て進んで行くつもりだ。だから、……お前のことを幸せにする自信が無い」
類が大きく目を見開いた。それを見ながら、自嘲の笑みを浮かべる。
「……怖かったんだ。そんなオレにいつかお前が失望するのが。なら、このままの関係でいいと思った。この先離れることになっても、お前の思い出の中でオレが輝いていてくれれば、それだけでオレは……」
それきり、お互いに何も言わず沈黙が落ちた。いつのまにか、類は目をつぶって何事かを考えていた。
「正直な感想を言っていい?」
「……ああ」
呆れられたのか、がっかりされたのか。床に視線を落としていると、突然、ぐっと体を引き寄せられた。ぱちり、と目を瞬き、ようやく類に抱きしめられていることに気づいた。
「どうしよう、すっごく嬉しい」
「へ?」
予想していなかった行動と言葉に、思わず声を上げる。顔を上げると、頬をうっすらと赤く染めた類がそこにいた。
「司くん、僕が思ってる以上に僕のこと好きでいてくれたんだね」
「いや、そんなことない、こともないが……」
改めて類に言葉にされると、恥ずかしくてたまらない。顔が熱くなる。そんなオレに、類はさらに爆弾を落とした。
「安心してよ。僕は君に幸せにしてもらうつもりはないから」
「はあ!?」
こいつの考えがさっぱりわからん!
混乱し切ったオレを見て、類は苦笑して言った。
「ああ、違う、そういう意味じゃなくて。……僕は君の隣で勝手に幸せになれるから」
類はオレを抱きしめていた手をほどくと、そっとオレの両手を握った。
「僕は君の隣をともに走りたいんだ。演出家として君を輝かせたいし、ただのひとりの人間として君のことを支えたい。だから、こちらを振り返ってくれなくていい」
あまりにも熱烈すぎる告白に絶句する。やっと絞り出した声はひどく小さかった。
「けど。それじゃあまりにも自分勝手だろ」
「そんなことないよ。これは僕のエゴでもあるんだから。それに、君にはたくさんのものをもらっているから。今までも、きっとこれからも」
オレの手を掴んだ類の両手に力がこめられる。痛いくらいだ。
「ね、そろそろ諦めてよ。嫌だって言っても僕は諦めないけど」
「……ははっ」
類の言葉に、自然と笑いがこぼれた。
「お前も大概自分勝手だな」
「だったら自分勝手同士、お似合いだね」
悪戯っぽく笑う類に、目を細める。
きっと、ここで断っても類はオレを追いかけ続けるだろう。だったら、どれだけ自分勝手でも、オレはこいつと一緒に走りたい。
握られた手を、ぎゅっと握り返す。
「類、オレもお前のこと――」
「天馬、神代! ここか!」
突然聞こえてきた声にぎくりと体をこわばらせる。類と顔を見合わせ、慌てて教師のいる扉と逆の扉から逃げ出す。
「あ、こら、待ちなさい!」
教師の声を背に受けて、廊下を走る。
「ああ、もう、今日はほんとにタイミングが悪いな!」
自分の悪行は棚に上げて文句を言う類を見て、次に、握られたままの右手を見る。そういえば前は逃げ足の早いこいつによく置いて行かれたな、と思い出した。
なんだか泣きたいような笑いたいような、そんな気持ちのまま声を上げた。
「類!」
「なあに!」
「好きだぞ!」
オレの声に足を止めた類は、そのままオレを強く抱きしめた。
その後、あえなく教師に捕まったオレ達だったが、書かされた反省文の量は、いつもよりずいぶん少なかった。青春だなぁ、とぽつりと呟いた教師に、オレは顔を赤く染め、類は頬を緩めたのだった。