降風ワンドロのはずだったもの(途中)「あぁ、もう、勝手にしろ!!」
「ええ、そうさせてもらいます!!」
今にして思えば、売り言葉に買い言葉、だった。
その日、いつもなら気にならない相手の言葉尻がなぜか喉に小骨のように刺さって、ちくちくと細かな傷のようにいつまでもまとわりついていた。そこへ追い打ちのように苛立ったような声がかかったものだから、風見はつい言い返してしまったのだ。
『降谷さんには、関係ないです』
完全に悪手だ。彼が部下兼恋人である自分の行動を把握していないと気がすまない質であると、知っていながら言ってしまったのだからなおさら悪い。
そこからはお互い何を言い合ったのか定かではない――風見よりよほど優秀な頭脳を持っている彼なら覚えているかもしれないが、と考えて、なんだかこの妙に卑屈っぽい自分が嫌になってくる。
なんでもないことだったのだ。ただ少し、ほんの少しだけ、優しくされたかっただけ。風見よりもよほど多忙を極めている彼に、そんなこと言えるはずもなかったのだけど。結局無駄な諍いを起こしてしまうくらいならば、素直に言えばよかったのかもしれない、とため息をついた。
「三十路すぎて素直もなにもないよな……」
「?どうしたんです、風見さん」
「いや、なんでも」
ことん、と首を傾げる部下に頭を振りながら、風見はジャケットに袖を通す。今日の捕り物はさほど手間がかからないはずだが、昨夜降谷に大見得を切ってしまった手前、些細なミスですら犯すわけにはいかない。
「行くぞ、油断するなよ」
……どの口がそんなことを言っていたのか、と数刻前の自分を殴りに行く想像をしてみたが、風見の心は晴れるどころか、ますますずしりと重くなる。
風見の右腕、手首と肘の間には、ぐるりと包帯が巻き付けられている。深くはないが、縦に長く斬りつけられてしまったためだ。けっして油断していたつもりはないけれど、一瞬反応が遅れたのは言い訳のしようもなかった。自覚はなかったが気が急いていたのだろうか、死角への対処が欠けていたと言わざるを得ない。
「……どうしよう」
風見は病院での処置を終えたあと、落ち着かない気持ちのままふらりと警視庁へ戻ってきてしまっていた。もう随分前に日は暮れていて、部下たちが心配の眼差しを向けつつ退勤していったのを見送ってしばらく経つ。
風見ひとりが怪我をしただけで、案件自体はつつがなく終わったのが不幸中の幸いだが、恐ろしく耳の早い上司にはとうに風見の怪我に聞き及んでいるに違いない。
怒られるだろうか、それともそんな言葉すらないのだろうか。
情けなくて、またひとつ自分のことが嫌になる。叱責されたいわけではないけれど、なにも言われなかったらそれはそれで寂しい、なんて。ほんとうにどの口が言えるのだろうか。
「……風見!」
言うが早いか乱暴に開けられた扉の前には、今まさに風見の思考を占めていた彼の姿があった。
「ふ、るやさん」
「聞いたぞ。怪我の具合は?」
普段よりやや歩幅を大きくした降谷が、風見に近づきながら問うてくるのに、風見は一度きゅ、と唇を噛み締めてから口を開いた。
「……縫うほどではなかったので、業務に支障はないです」
「それで?」
「、すみません、自分の過失です」
「そうじゃない」
扉から風見のデスクまであっという間に距離を詰めた降谷が、腕を組んで仁王立ちになる。椅子に腰掛けたままの風見をまっすぐに見下ろすその瞳は、いつもより鋭くて、けれど冷たくはなかった。
「ふるやさん、」
「僕のせいか」
抑揚のないその声からは、言葉の意味を正確に推し量ることができない。風見は降谷の顔を見ていられなくて、ふいと目をそらした。
「ちがいます、そんな訳ない。降谷さんには」
「『関係ない』って?あぁ、そう」
「……っそれは、」
後に続く言葉が吐き出せなくて、風見はもう一度唇を噛んだ。建前でもなんでも、とにかく何か言わなくてはと思うのに、焦るばかりで思考がまとまらない。
「問題ないならいい。……邪魔したな」
ふ、と降谷の気配が遠ざかる。その瞬間、だめだ、と考える間もなく、風見は腕を伸ばした。
「痛ぁっ!?」
「はぁ?なにをしてるんだきみは!!」
降谷のジャケットを掴んでいる右腕に鋭い痛みが走って、情けない声が出た。反射的に利き手を出したせいだ。
「あぁもう、馬鹿なのか!?」
「返す言葉もありません……」
振り返った降谷が風見の手をとった。口調のわりに丁寧な仕草で、包帯の下を検分するようにじっと見つめる。
「痛むか?」
「いえ、先程は急に動かしたせいなので……」
「はぁ、ほんっとうに……」
ため息まじりの声が落ちてきて、今度こそ怒られる、と風見は眼鏡の奥の瞳をぎゅっと閉じた。