全世界ネロ会議 気が付くと真っ白い部屋にいた。
壁も床も天井も白く、窓もないのにやけに明るい部屋だ。
部屋には木製の椅子が五つ。
そのうちの一つに、ネロはゆったりと腰かけていたのだった。
椅子はやけに座り心地がよくて、それは大変結構なのだが、問題はこの部屋にいるのがネロ一人ではないことだ。
円形に椅子が配置されているので、同じく椅子に座っている他の四人の顔がよく見える。
どうやらこの部屋にいるのは全員が同じ顔……、すなわち、ネロ自身と同じ顔の男だと認識せざるをえなかった。
もっとも、変身魔法を使えば容姿を変えることはできるのだから、同じ顔の男が何人存在しようとあり得ない話ではない。
だからネロが一番気にかかっているのは、自分たち五人をこの部屋に閉じ込めた存在の思惑だ。
昨夜はいつも通り、朝食の仕込みをしてから自分の部屋で就寝したはずで、ここにいたるまでの記憶がまるでない。
賢者の魔法使いを狙う存在としては真っ先にノーヴァが思い浮かぶが、だとしたらさっさと殺すなり痛めつけるなりしているはずだった。
それともこれは、ただの奇妙な夢だろうか。
最近は変な夢を見るほど疲れてはいないはずなのにと内心で首をひねるネロの前では、同じ顔が四つ、それぞれ困惑を浮かべている。
動揺に満ちた沈黙をおずおずと破ったのは、そのうちの一つ、黒い羽根を背中から生やしているネロだった。
「あー、ここに俺たちが集められてる理由がわかる奴はいるか?夜の仕込みがあるからさっさと帰りてぇんだけど」
顔こそ同じだが、この部屋に集められた者はそれぞれ、服装や雰囲気はまるで異なっていた。
中でも差異が大きいのがこの男で、まるでいつか見た天使の彫像の如く、鴉のように黒い羽根を背負い、目元には紅を引いている。
纏う服も見たことがない形状をしているが、動きやすそうなのでおそらく体を動かすような職業に従事していると思われた。
何より、この部屋の中でネロ自身以外に唯一、魔力に近しい気配を感じる。
両隣の二人と比べて動揺が薄いあたり、不測の事態というものにそれなりに慣れていることを感じさせた。おそらく戦闘慣れもしているだろう。
「俺に心当たりはないな」
「俺も」
「俺もない」
「俺もないけど……仕込みって、何か用事があるのか?」
心当たりはないと答えたネロを皮切りに、次々に同様の声が上がる。
最後の一人、やけに立派な服装とは裏腹にどうにもぽわぽわした印象の男が、おっとりと隣に座る鴉羽根に尋ねていた。
黒い大きな帽子に上質な生地が見て取れる上着。
華やかな装いは、どうにもとある男の趣味を思い起こさせる気がするが、それよりも特異なのは首をぐるりと一周している奇妙な黒い印だ。
刺青のようにも見えるそれを中心に、うっすらと精霊の気配に近い何かを感じる。
「そりゃあ、おかげさまでうちの食堂は繁盛してるからな。開店前から仕込んでおかねぇと揚げ鳥が間に合わねぇよ」
「へぇ、あんた自分の店持ってるのか、すごいな!」
黒帽子はきらきらと子どものように目を輝かせている。
成りこそ大人だが、どうにも中身は幼いのかもしれない。
鴉羽根もおそらくそう思ったようで、やんわり苦笑すると、俺一人の店って訳じゃねぇけどな、と続けた。
「『山賊食堂』は桜雲街でもそれなりに名が知られてきたんだが……あんたたちは誰も知らないみたいだな。そもそも妖怪には見えねぇし」
「妖怪?!あんた妖怪なのか?」
ヨウカイという聞きなれない単語に首をひねるより早く、ネロの隣に座っていた男が素っ頓狂な声を上げる。
こちらは赤い服の上に白いシャツを羽織っており、ネロと似た格好と言えなくもない。
何の魔力も感じないのでおそらく人間だろう。
この中で見た目からして一番幼いので、もしかしたらヒースやシノと同じくらいの年齢かもしれない。
「俺は妖怪の鴉天狗だよ。それ以外の何にも見えねぇだろ」
「いやそもそも妖怪とか天狗とか、今まで見たことねぇよ……」
「俺は逆に、何の妖力も感じないおまえさんたちが不思議だよ。……いや、聞いたことあるな。まさかニンゲンってやつか?」
「普通の人間なのはたぶんこいつだけなんじゃないか?」
赤服を指し示しながらネロが口を挟むと、ばっと同じ顔が四つこちらを向いて内心たじろいだ。
鴉羽根、黒帽子、赤服と並んで最後の一人、妙に生気が感じられない男は、あんたも人間じゃないのか、と冷静な声で問うてくる。
答えるように右手に魔導具のカトラリーを出現させると、四対の瞳が驚愕に見開かれた。
余程の演技派でなければ、魔法の存在そのものを知らないのではないかと思われる反応である。
ネロはそういう存在を知っている。異世界から召喚された賢者だ。
賢者と同じく、彼らは別の世界から来たのではないだろうか?
「俺は魔法使いのネロ・ターナー。昨日の夜は普通に自分の部屋のベッドで寝たはずなんだが、気が付いたらこの部屋にいた。おまえは?」
当たり障りのない基本情報を告げて隣の赤服に振ると、カトラリーを見つめて固まっていた彼は、はっとして喋り始めた。
「俺の名前もネロ・ターナーだよ。フォルモーント学園の二年生で、あんたが言う通り普通の人間だ。テスト勉強してる最中にちょっとうとうとして、気が付いたらここにいた」
名前と顔が同じでも、どうやら境遇には大きな差があるようだ。
学校には全く縁がないネロと違って彼が学び舎の学生をやっているというのは、何やら妙な心地だった。
「俺の名もネロだ。さっきも言ったが、桜雲街で食堂をやってる。今日は昼の営業が終わって一休みしてたところだ。マホウとやらは使えないが、鴉天狗なんで竜巻ぐらいは起こせるよ」
鴉羽根の指先から小さく風が流れて消える。
精霊の力を借りている訳ではないようだが、別の方法で魔法に近しいことができるらしい。
すごいなぁと呑気に目を瞬かせていた黒帽子は、鴉羽根に促されて次は自分の番だと気づいたようだった。
「俺もネロ・ターナーだよ。俺は、ほ……えっと、スクアーマで、海賊。昨日の夜にいつも通りハンモックに入って……その後の記憶はないな」
「あ、やっぱりその恰好って海賊だったんだ」
「わかるのか?!」
何となしに呟いた赤服の言葉に、黒帽子の顔がぱっと輝いた。
顔は自分と同じといえど、この二人は特に幼い印象を受ける。
まだ全員の自己紹介が終わっていないのだが、情報収集も兼ねて二人の会話を黙って見守った。
「俺も映画や漫画で見た程度で詳しくは知らないけど、なんか海賊船の船長ってそういう恰好だよなーって」
「エイガ?はわかんないけど、俺は船長じゃない。この服は、俺が拾われた時にまともな服も持ってなかったから、キャプテンがくれたんだ」
「へぇ、海賊って荒っぽいイメージだけど、結構優しいんだな。どんなやつなんだ?」
「キャプテンは強くて格好良くて優しくて、とにかくすごいスクアーマだよ。あ、スクアーマっていうのはウンディーネと人間の血を引いてる奴のことな。今の俺はまだ海賊見習い件料理番だけど、いつかあの人に認められて『ブラッド』って名前で呼べるようになるのが目標なんだ」
「……ブラッド?ブラッドリー・ベイン?」
聞き捨てならない名前に思わず肩がはねる。
聞き返している赤服だけでなく、他のニ人も明らかに『ブラッド』に反応していた。
ここにいる五人が全員ネロ・ターナーであるのと同じく、それぞれブラッドリー・ベインを知っているということだろうか。
となると、変身魔法で同じ顔を五人揃えたというより、理屈は不明だが異世界からそれぞれの世界のネロ・ターナーが集められているのかもしれない。
そんなことをして何になるのかはわからないが。
「キャプテンのこと知ってるのか?」
「いや、あんたのキャプテンは知らないけど、俺の幼馴染もブラッドリー・ベインっていうんだよ。灰色と黒の髪で、目が赤っていうかピンクで、鼻のあたりに傷跡がある」
「キャプテンと同じだ!もしかして、肉ばっかり食べて全然野菜は食ってくれないのも同じ?」
「同じだよ。そっちのブラッドも野菜食わねぇの?あいつどんだけ野菜嫌いなんだよ」
「こっちのブラッドも食わねぇわ」
「うちのも食わねぇ。そのうえ出前の最中に味見とか言って揚げ鳥ばっかりつまみ食いしやがる」
「わかるわ、少し待てば出来上がるって言ってんのにすぐつまみ食いしに来るよな」
「何食いたい?って聞いても基本的に肉かフライドチキンとしか言わねぇしさ」
「わかる」
「めっちゃわかる」
「本当にそれな」
「野菜の肉巻き作ったのに周りの肉だけ食ってた時は殺意わいたわ」
「あるある」
「俺も最初に甘唐辛子の肉詰め作った時、あいつが肉だけ食っててぶち切れたな、これは緑色の皿じゃねぇんだよっつってぶん殴った」
「それは殴るわ」
「ああ、しょうがない」
「こっちでもほぼ同じことしてたな」
「なんであんなに緑の野菜が嫌いなんだろうな?航海中は野菜なんて食えないから、陸にいる間にちゃんと食ってほしいのに」
「あいつは好みがおこちゃまっつーか、栄養とか考えるの嫌なんだよ。野菜とらなくても気合でどうにかなると思ってるから」
「ブラッド、普段は頭キレるのに、時々野菜を回避するために謎理論展開してくるんだよな」
「あー、本人だけ納得してるやつね」
「死ぬほど聞いたことある」
「そっか、どこのブラッドも意味わかんねぇ屁理屈こねるんだな。俺がわかってやれないだけかと思ってたよ」
「ブラッド、高校生でも天狗でも警察でも同じようなこと言ってんの?ウケる」
「そういや、小さく刻んだ野菜をミートソースとかに投入してじっくり煮込めば気づかずに食うよ」
「マジ?今度やってみよ」
「ほんと手間かかるなーあいつ」
気が付いたらブラッドリーの愚痴大会兼気づかれずに野菜を食わす方法の情報交換会になってしまった。
結構な時間話し込んでしまったが、お互い打ち解けられたのである意味よかったのかもしれない。
どの世界のネロ・ターナーも料理が好きであり、ブラッドリー・ベインによく振舞う間柄であるのは共通しているようだった。
気を取り直して、そういやあんたの自己紹介がまだだったよなと最後の一人に振ると、当人も今気づいたというように瞬きする。
「そういやすっかり忘れてたな。俺もネロ・ターナー、フォルモーント・シティでポリス……犯罪者を取り締まる組織に所属してる」
「ポリスって警察か。いろんな職業の俺がいるんだなぁ」
「つっても、もともとは違法アシストロイドだよ。犯罪組織で下働きさせられてた時に事故で壊れて、スクラップ寸前だった時にブラッドに拾われた。ブラッドが署長だから、今は人間の振りして俺もその部下をやってるんだ。非番で家に帰って、スリープ状態になったのが最後のメモリの記録だな」
「アシストロイド……?アンドロイドみたいなもん?え、ロボットってことか?!」
「ロボットってなんだ?」
「あー、なんて言えばいいかね。俺はあんたたちみたいな生き物じゃないってこと。機械とか……むしろ絡繰り人形って言った方がわかる?俺のことは、人間みたいな感情があるでかい人形とでも思っておいてくれ」
確かにおかしな雰囲気だと思っていたが、まさか生き物ではないネロ・ターナーがいるとは驚いた。
会話や動作からはとても機械とは思えない。
聞けばそちらの世界では、西の国とは別系統の科学が発達して多くのアシストロイドが存在するらしく、正直どんな場所なのか想像さえうまくできない。
そして彼らの暮らすフォルモーント・シティでは、アシストロイドは人間のマスターが登録されなければ違法として取り締まられ、ネロを主人として所有しているのがブラッドリーであるらしかった。
しかしブラッドリーは、ネロのことをまるで一人の人間のように扱ってくるのだと言う。
「あいつ、俺にシティポリスとして働けって命じたのに、自分の意思を持って好きに行動しろって言うし。その癖俺があいつを守ってちょっと壊れたりすると滅茶苦茶怒るんだよな。言動がちぐはぐでよくわかんねぇよ。まあ、感情任せで論理的じゃないからこそ、人間なんだろうけど」
突き放すような言葉の割にその表情は穏やかで、その瞳には隠し切れない情がはっきりと滲んでいる。
やはり、どう見ても機械には見えない。
まあ拾われた時から俺はあいつのものだから別にいいけど、とどこか照れて呟く彼に、俺も同じだと黒帽子が言った。
「海で遭難して浜辺で倒れてたところを、キャプテンが拾ってくれたんだ。行く宛てがないなら俺の船に乗れって言ってくれて、本当は俺は行かなきゃいけないところがあったから一度は出て行ったんだけど、……帰って来いって迎えに来てくれて、本当に嬉しかった」
こちらも何やらいろいろあったようだが、自分と同じ顔が頬を染めている姿は、あまり見たくないものである。
これは共感性羞恥というやつだろうか。
きらきらと目を輝かせて『キャプテンのブラッド』を語る姿に、もしかして盗賊団に入りたての頃の自分もこんな感じだったのでは?と考えると恥ずかしさで気を失いたくなってくる。
反対に赤服にはその心情に思い当るところはないようで、普通にやや引いていた。
「え、おまえらのところってそんな感じなの……?こっちは物心つく前からずっと一緒にいるだけだから、そういうのなんもないよ」
「子どもの頃からキャプテンと一緒にいたのか。いいな」
「いいかぁ?毎日のように家に入り浸って飯食べてるし、勝手にストリートチームのNo.2にされるし、振り回されっぱなしだって」
「ストリートチームってなんだ?」
「えーと、なんか敵と殴り合ったりして戦う集団、みたいな?」
「そうか、じゃあ俺たち海賊と同じだ。この前も別の海賊船がうちの船に襲ってきたから返り討ちにしたよ」
「同じか……?」
胡乱な顔をする赤服に、鴉羽根が俺もおまえと似たようなもんだと話しかける。
「俺は親の顔も知らない孤児で、同じような奴らと群れて行動してたんだよな。その集団の頭がブラッドだった。それがそのままでかくなって、気が付いたら山賊団とか呼ばれててさ」
「山賊かぁ」
「一気に治安悪くなったと思ったけど、元から海賊いるからそうでもないな」
「気に入らねぇ偉そうな奴らをぶちのめして宝を奪うのはそれなりに楽しくもあったんだが、段々空しくなってくるんだよな。あいつは怖れ知らずだから、どんどん危険な山場につっこんでは血塗れで帰ってくるんだよ。いくらもっと慎重に行動しろっつったって聞きゃあしねぇ。うんざりしてきたんだ。もともと俺は、戦うよりも料理を作ってる方が性に会ってたからな」
「それで、逃げ出したのか?」
細部は異なるが余りにも心当たりのある語りに思わずネロが口を挟むと、鴉羽根はとんでもないと鼻を鳴らした。
ばさり、と黒い羽をはばたかせて、勝気に唇の端を引き上げる表情は、ブラッドリーにとてもよく似ている。
「こそこそ逃げ出すなんてするかよ。てめぇに愛想が尽きたから出ていくっつったら、ブラッドはそんなの認めねぇずっとここにいろの一点張りだったから、最終的には拳で解決した」
「こ、拳で……?」
「三日三晩殴り合った」
「三日三晩?!」
「うわやば」
「えっ、キャプテンと殴り合い?!」
「おまえさんのキャプテンじゃねえだろ。で、勝ったのか?」
「まぁ俺が勝ったっていうかあいつが折れたって感じだけどさ。今は二人で食堂やってるって言っただろ。俺が料理担当で、ブラッドが出前担当の店長。あいつ飛ぶの早いんだよなぁ、よくつまみ食いするけど」
「……すごいな」
「すごいけどさ、今の話のどのあたりが俺と似てたんだよ」
「幼馴染なんだろ?一緒じゃん」
「そこかぁ……」
どうやら各世界のネロとブラッドリーは、それぞれ異なる環境において異なる関係性であるらしい。
特に鴉羽根の世界では、ブラッドリーの方が強いとはいえ実力差は自分たちよりも小さいのだろう。
それにしても、堂々と足抜けを宣告して拳でブラッドリーに認めさせるネロがいる世界があろうとは。
自分が一度だけブラッドリーに店でもやらないかと持ち掛けて、一笑に付された時のことを思い出して、胸の奥が鈍く傷んだ。
「あんたは?さっきから、何だかんだ自分のことは話さないよな」
機械の自分に覗き込まれ、慌てて感傷を押し込める。
正直このインパクトのある話の後では大したことは言えないのだが、自分だけ言わないのはフェアではなかろうと口を開いた。
「俺も、ガキの時に行き倒れてたところをブラッドに拾われたのは同じだよ。あいつはその頃もう盗賊団のボスだったから、俺も盗賊団の下っ端になった。最初はほぼ専属で料理番だったけど」
「山賊、海賊、盗賊で全部揃った感じあるな」
「……なんか俺とブラッドって、警察のとこ以外はどの世界でも治安悪くない?」
「悪いけど、ブラッド筆頭にうちのポリスは、どっちがギャングかわかんねぇって言われるぐらいには柄悪いよ。まれに爽やかな奴もいるけど」
「そっかぁ……」
何やら遠い目をしている赤服に対して、黒帽子はどの世界でもキャプテンと一緒にいられるのは嬉しいけどなとにこにこしている。
あまりにも純粋な発言の数々は、拾われるまでの暮らしぶりをかなり不安に思わせた。
同じ顔といえど中身は幼子のような彼に来歴を赤裸々に語るのは忍びなく、できるだけ自分の話はかいつまんで終わらせようと決める。
「まあ何だかんだで生き延びたしあいつと戦闘の相性もよくて、そのうち相棒って言われるようになってさ。結構長い間、盗賊団で№2なんかもやってたよ」
「やっぱ相棒って言われるよな」
「俺も相棒になれるように頑張ろう」
「おお、頑張れ頑張れ。ただ、俺も段々だめになっていって、……いろいろあって盗賊団を抜けて、あいつもそのあたりで捕まって、最近、百年ぶりぐらいに再会したところ」
「百年ぶり?!十年とかじゃなくて?」
「今何歳なんだよ?」
ぎょっとしたように赤服に叫ばれ、細かく覚えてないけど六百歳は超えていると言うと他の面々も目を向いていた。
薄々感じていたが、どうやら自分が最年長らしい。
鴉羽根は人間より長寿の種族のようだが、そんなに長くは生きられないのだと言う。
逆にアシストロイドは稼働年数がまだ五年程度だと聞いて驚いた。
「あんた、見た目は俺たちとそんなに変わんないし全然ジジイじゃないじゃん」
「魔法使いはある程度成長したら見た目が止まるんだ」
「はぁ、すごい仕組みだな」
「耐用年数長すぎだろ。盗賊辞めた後はどうしてたんだよ」
「あちこち旅したり、小さい飯屋をやったりしてたよ。賢者の魔法使いに選ばれて店は畳んだけどな」
賢者の魔法使いについては、世界を滅ぼそうとする月を年に一度迎撃する役目だとざっくり説明した。
晶が生まれた世界と同様、他の世界では月は夜空に浮かぶだけで厄災ではないらしい。
薄々感じていたが、継続のために他の世界の存在を必要としている時点で、ネロがいるのは妙な世界である。
「俺もだけど、ブラッドが世界を救う役目についてるのが意外だな」
「強制的に選ばれるから拒否できないんだよ……。まあでも、気を抜いたら死にそうな場面もあるし、それなりに真面目にやってるよ。ブラッドも気が向かなかったらすぐどっか行くけど、逆に気が向けば若い奴らの面倒見ることも結構あるし」
「あー、それは想像できる」
「なんだかんだで面倒見いいもんなぁ」
「こっちでも、見込みあると思ったら新入りでも他部署の奴でも目を掛けてるよ。自分も忙しいくせに」
それぞれが内心思い描いているのは自分が知るブラッドリーのはずなのに、会話が成り立っているのは奇妙な感じだ。
種族も境遇も能力も異なっていて、それでもどの世界のネロも結局はブラッドリーと共にいるのが可笑しかった。
「えーと、今が六百歳で、百年離れてたんだよな?ってことは、五百年くらいキャプテンと一緒にいたってことか?」
「そうだな。この年になると数十年は割と誤差だけど、だいたい四、五百年はあいつと盗賊やってたよ。相棒だったのは精々二百年くらいだけどな」
「二百年でも十分長いんだよなぁ……」
自分と同じ顔の奴が俺の世界の誰より年上だって考えると変な感じだよ、と苦笑した赤服が、しばらくの沈黙の後、真面目な顔でネロに問うてくる。
「あのさ、ブラッドがいない百年間ってどうだった?」
その顔を見て、わかった。
きっとこのネロも、ブラッドリーから離れて生きることを考え始めている。
そこに至る過程はきっとネロとは違うだろうけれど、もしかしたらネロ・ターナーはどの世界でも、ブラッドリー・ベインの隣にいられなくなる日が来るのかもしれない。
だから、あの日ブラッドリーにも告げたことを言ってやることにした。
今のこの奇妙な状況がただの夢だという可能性も常に頭の隅にあるけれど、それならばそれで、ただの独り言になるだけだから構わなかった。
「盗賊団から逃げた後、世界中のいろんな国を巡って、いろんな魔法使いや人間に会ったよ。素性はバレないようにしてたから、特別親しくなった奴はほとんどいないけど。それでも、俺の料理を美味いって言ってくれる奴はたくさんいたし、馬が合う相手も尊敬できる奴も案外いるもんだなって思った」
帰ってこない男の無事を祈って氷柱を立てる日々は遠くなり、路銀を稼ぎつつ気の向くままにあちこち旅する生活は悪くはなかった。
北の国以外の料理のレパートリーが格段に増えた。
本でしか見たことがなかった食材の味を確かめ、各地の調理法や独自の調理器具に触れ、料理人としての腕は上がった。
あの頃の経験があったからこそ、雨の街で店を開く決心もできたのだ。
「その後、魔法使いが嫌われている街で、人間の振りをして小さい飯屋を開いた。仕入して、料理して、客に食べてもらって……待ち望んだ、盗賊やってた頃とは比べ物にならないくらい穏やかな暮らしだったんだけどな」
東の国は魔法使いへの偏見がひどいが、正体を隠して幾重にも連なった決まり事を守っていれば、静かに暮らすことができる場所だ。
同じような日々を繰り返しながらゆるやかに流れていく時間の中で、それでも折に触れて思い出していた。
魔法舎で再会するずっと前から、本当はわかっていた。
「思い知ったよ。世界中のどこに行っても、ブラッドみたいな奴は他にいない。百年で、それがよくわかったんだ」
「……」
押し黙ってしまった彼が何を考えているかはわからない。
彼にとってのブラッドリーは幼馴染で、盗賊団の首領と右腕だった自分たちとはまるで違う日々を重ねているだろう。
それでも、別離を選んだところでこいつも忘れられないのだろうなと思った。
どの世界でも、ネロにとってブラッドリーとはそういう存在なのだという根拠のない確信があるからだ。
何となく流れる沈黙の仲、それまで聞き役に回っていた鴉羽根が口を開く。
「俺は結果的に今でもあいつといるけど、……どうせ忘れられないってわかってても、もうやってられねぇ、出て行ってやるって思うこともあるもんだ。だが、その時は骨の二、三本は折って折られる覚悟を決めな」
「えっ」
「まぁ、あいつ口で丸め込めないと見ると結局手や足が出るからな。三日三晩は殴り合わなくても、改心したって言うまで部屋に閉じ込められるとかは普通にある」
「監禁だろそれ……。まさかあんたの経験談なのか?いやそんなブラッドが、え??」
手下の人心掌握は上手い癖に俺を説得するのは妙に下手なんだよな、と鴉羽根とひとしきり盛り上がる。
こんなことを話せる相手は今まで誰もいなかったから、自分相手とは言え少し楽しかった。
一方、かわいそうに赤服は混乱しているようだ。
「一ミリも和やかに話せる内容じゃないだろ。何で盛り上がれるんだよ?!」
「そりゃあ、他の奴相手にはこんなこと言わないって。でも、ここにいるのは結局全員『俺』だろ?」
「そうそう。あんまり褒められた話じゃないけど……ブラッドが俺にだけ調子が崩れるの、結構気分がいいじゃん」
「ごめん俺ちょっとそういう性癖はない」
「喧嘩した次の日とか、自分も悪いと思ってたら、山ほど野菜出してもブラッドは嫌そうな顔で完食するじゃん。他の奴が作った飯なら絶対食べないけどさ。心当たりあるだろ?」
ぐっと押し黙りつつもまだ納得できなさそうな赤服に代わって、特別扱いが嬉しいって意味なら少しわかるかもしれない、と会話に加わってきたのはアシストロイドだった。
「うちのブラッドは、アシストロイド嫌いで有名でさ。身の回りをアシストロイドに世話させる奴なんてざらにいるのに、どんな高性能で多機能なアシストロイドを賄賂なんかで流されそうになっても、絶対に受け取ったりしなかった。それなのに、最新機種でも何でもない俺のことだけは、周りに嘘ついてでも傍に置いてるんだなって思うと、まあ……嬉しくは、あるよな」
合理的じゃない理由で俺を選んでくれたのかもしれないと思うと、そういうのは堪らないなって思うよ。
少し恥ずかしそうにそう続ける姿は初々しいと言えなくもなかったが、急にその胸元あたりが激しく発光しだしてそれどころではなくなった。
「うわっちかちかする!」
「眩しい!なんだ?」
「あ、悪い、俺、感情パラメータが一定以上高まるとタトゥーが発光する仕様なんだ」
「なんでそんな仕様?!」
「それは俺も知らない」
唐突な閃光が収まり、何とか全員の目が元の視界に慣れてくる。
まだ両目をぱちぱちと瞬きさせながら、あのさ、と口を開いたのは黒帽子だった。
「特別扱いが嬉しいのって、普通のことなのか?」
船にはたくさん仲間がいて、キャプテンはみんなから慕われてて、それはすごいことだってわかってるのに、……たまに、俺にだけ何かくれたりすると、どうしようもなく嬉しくなるんだ。
ぼそぼそと落とされる言葉はあまりにも拙く純粋で、監禁云々を言い出した自分が恥ずかしくなる。
こんなに擦れていないネロ・ターナーが存在するとは信じられない。
鴉羽根が小さく、情操教育どうなってるんだよとこぼす声が聞こえた。
「普通のことではあるよ。好きなやつの特別になりたいってのは、誰にだってある感情だろ」
何故こんなことを言っているんだろうと思いながら噛んで含めるように教えてやるが、肝心の当人は好きなやつ、という言葉だけで顔を赤らめる始末だ。
海賊になる前は箱入り息子だったとでもいうのだろうか。
「確かに、ずっと閉じ込められてたよ。俺は、その日が来たら海の底に行かなきゃいけなかったから」
「海の底……?」
「俺の世界は嵐で壊れかけてたんだ。食い止めるためには『能なしのスクアーマ』が海の底で眠りにつかなきゃいけなくて、次は俺の番だった。だから、ずっと海軍に保護されてたんだ」
思いもよらない身の上話が始まって驚く。
それって生贄って言うんじゃないのかというアシストロイドに、黒帽子はそうだよとあっさり認めた。
「奴隷商から買われてからずっとそう言われ続けてたから、そういうもんだと思ってたんだよな。でもあの日、彗星が降った日に気まぐれで逃がされて……、キャプテンに出会った。行く宛がないなら俺の船に来てもいい、おまえはどうしたいって言われたんだ。そんなこと言われたの、生まれて初めてだった」
「あいつはどこの世界でも変わんねぇな」
おまえはどうしたいんだ、ネロ。
それは、折りに触れてネロ自身がブラッドリーに言われた言葉だった。
ネロの望みは一つだけで、それをブラッドリーは叶えてくれなかったけれど、問いかけてくれたこと自体にきっと意味があった。
「ブラッドの側にいれば、嫌でもいろいろ見えてくるよ。何であいつに特別扱いされたら嬉しくなるかは、ゆっくり考えればいい」
「そうそう、まずは料理と海賊稼業頑張れよ!」
「それは警察の前で堂々と奨励しないでほしいんだけど……」
アシストロイドの嘆きをスルーしながら、鴉羽根と共に黒帽子を励ましてやると、そうだな、ありがとう、と嬉しそうに微笑まれた。
自分がこんなに素直な時代は存在していただろうか、五百年くらい前なら少しはあったかなと考えていると、赤服がアシストロイドに話しかける声が聞こえてくる。
「なあ、薄々感じてたけど……、俺とブラッドって、年齢が上がるにつれてめちゃくちゃこじれてない?」
「それは俺も気づいてたけど、他の奴とこじれるよりマシだろ」
「それもそうか……」
この部屋に招集されてから、矢鱈と遠い目をしていたが、とうとう腹をくくったらしい。
「最近いろいろ考えて落ち込んで、いつかあいつの邪魔になって邪険にされるぐらいなら、今のうちに自分から離れた方がいいかもしれないって思ってたけど……。あんたたちの話を聞いて、俺とブラッドってまだ全然こじれてないんだなって思ったよ。ちゃんとあいつと話し合ってみる」
何やら散々な言われようの気がするが残念ながら事実なので、広い心で受け流した。
口々に頑張れよと適当に励ましていると、徐々に視界と意識が薄れてくる。
始まりと同じく唐突な終わりだ。
最後まで魔法の気配も敵襲もなかった。
ただの夢にしては奇天烈すぎるし一体何だったのだろうと疑問は尽きないのだが。
意識より先に覚醒しかけている体が間違えようのない唯一の気配を感じて、ネロはゆっくりと目を開けた。