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    motsunabe26

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    motsunabe26

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    光鹿はじめました

    「どうやら俺はお前に懸想をしているらしい」
    「へぇっ?」
    脈絡も前振りもない光秀の告白に、鹿介は素っ頓狂な声を上げた。夜の闇に存外大きく響いたそれはそこかしこで鳴く虫たちを驚かせるには十分だったようで、あたりはぴたと静まり返る。
    今宵の月のようにまん丸くした目を数度瞬かせ、鹿介は光秀を凝と見つめた。光秀も鹿介の視線を真正面から受け止め、ひとつ大きく頷く。そうして先ほどよりも強く真っすぐな声で、言った。
    「鹿介、俺はお前に懸想を、」
    「待て待て待て、それはさっき聞いた。ちゃんと聞こえたから」
    馬鹿正直に繰り返される二度目を、鹿介は両手を振って遮る。光秀は「そうか」と呟いてそれきり黙って空を仰いだので、鹿介はなぜと問う機会を逃してしまった。
    二人の間でもはや恒例となっている月見の最中であった。縁側に並んで座り月を眺めて、他愛のない話に華を咲かせていたはずである。
    これまでの話題は、いつぞやの饅頭をまた食べに行きたいとか朝倉の何某と酒を交わしたとか、利三は連歌のことになると人が変わったように厳しくなるだとか、そういう色気もへったくれもないことだったように思う。そう、どう考えたって好いた惚れたの話につながらないのだ。なぜ光秀が突然そんなことを言い出したのか、まったく分からなかった。
    鹿介は光秀をよき友と思っていたし、今の今まで光秀も同じなのだと信じて疑わなかった。そんな友の思いもしなかった言葉になんと返せばよいのか見当もつかず、鹿介はらしくもなく口をつぐんだまま視線を伏せた。
    ちょうど雲が月にかかり、周囲は薄墨を掃いたように一段暗くなる。が、尚も夏の満月は大きく明るく力強く、互いの表情を隠すまでには至らなかった。
    「……すまない鹿介、困らせるつもりはなかった」
    そう言う光秀こそ、眉を八の字にしてその秀麗なかんばせを損なわせている。どちらかと言うと表情が豊かではない彼の、初めて見る顔だった。
    「そうと自覚をしたのは最近なのだが、この想いを抱えたまま黙って傍にいるのはお前に対して誠実ではないと思って、な」
    「光秀……」
    「だが、どうもただの自己満足だったようだ」
    「……」
    「すまない、忘れてくれ。今宵はもう休もう」
    自嘲めいた笑みを乗せ、矢継ぎ早にそう口にすると光秀は片膝を立てた。鹿介は咄嗟に手を伸ばしてその下衣を掴み、引き留める。
    「……鹿介?」
    光秀がその手と顔を交互に見やり、怪訝そうに鹿介を呼ぶ。
    「ごめん、俺、光秀がそう思ってくれてるなんて全然知らなくて」
    「もういいんだ鹿介、忘れてくれ」
    「よくないよ、俺だって光秀には誠実でいたい」
    下衣を掴んだ手はそのままに、鹿介は光秀を覗き込んだ。吐息がかかりそうなほど近い。驚きに目を見張りながらも、光秀は先ほどのように静かに鹿介を見つめ返した。
    音もなく雲が流れ、月がゆっくりと顔を覗かせる。明るく照らされていく互いの顔は、普段のそれよりも白く見える。
    「……なあ光秀、俺に時間をくれないか?」
    「時間?」
    繰り返された疑問の声に、鹿介は首肯をひとつ返した。
    「俺、光秀をそういうふうに見たことがないから」
    「ああ、そうだろうな」
    「だから、ちゃんと考えてみるよ。光秀のことどう思ってるのか、そういう対象になりうるのか」
    光秀が向けてくれた真っすぐで誠実な想いに、自分も同じ誠実さで応えたい。そのために、少し時間が欲しい。
    今の鹿介が出せる精いっぱいの応えだった。
    「……それじゃ駄目かな?」
    歯切れの悪い言葉が続くのは即断できない自身の不甲斐なさと申し訳なさからだったが、光秀はゆるりと首を振り、
    「いいや、十分だ。ありがとう鹿介」
    そう、淡く微笑んだ。漆喰のごとく白く硬かったその頬は薄く色づき、彼の美しく整った顔立ちをより一層魅力的にさせる。
    その一部始終を間近で見ていた鹿介の頬にもかあ、と熱がほとばしり、まるで飛び火したように頭も首の後ろも、胸の内側さえもみるみる熱くなった。
    「お、おう、じゃあ今日はもう遅いしこの辺で……」
    これは拙い。なにかは分からぬが本能的にそう悟った鹿介は、視線を泳がせしどろもどろに言いながら寄せていた身体を離す。と、光秀の下衣を掴んだままだった手を掬うように取られたため、立ち上がることはかなわなかった。
    今度は光秀が鹿介を引き留める形になる。
    「鹿介」
    「な、んだよ」
    未だ頬の熱は引かず、まともに光秀の顔が見れない。
    「俺とのことを考えてくれると言ったが」
    鹿介の手を取っている方とは逆の手がそっと重ねられる。それは童が掌に宝物を閉じ込めるような所作だった。
    「俺は“そういう対象”としてお前を見ていることも忘れないでくれ」
    言うなり、硬い指先がすーっと鹿介の手を撫で滑っていく。先ほどとは異なり、明らかに情感を煽るような手つきだ。ぞわぞわと触れられた手から背すじへ怖気に似たなにかが走る。鹿介は反射的に手を強く引き、庇うように胸の前に抱いた。
    「はっ!? な、おま……!」
    それまでとは比べ物にならないほどに頰が頭が首が胸が、熱を持つ。それらすべてが心の臓であるかのようにどくどくと激しく脈を打っている。
    戦で気が昂ぶることはあるが、高揚していく心と身体とはべつに頭だけは冴え、俯瞰で物事を捉えているそれとはまるで勝手が違った。なにもかもがままならず、心も身体も頭も他のなにかに支配されているようだ。
    そして困ったことに、それは不思議と不快ではなかった。
    驚愕と混乱に言葉を紡げない鹿介をひとしきり眺め、光秀は満足気に目を細める。
    「色好い応えを期待しているぞ、鹿介」
    満月に余すことなく照らされたその顔も、鹿介が初めて見る“男”の顔だった。
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