【フリ坊】今夜、小さなこの部屋で この酒場はチーズが美味いらしいと聞いて、盛り合わせを頼んだ。いつもは連れがいるから食べたいものは片っ端から頼むのだが、生憎今は一人。食べられる量を考えた結果の注文だ。あいつとはもう少しで合流するから、そしたらまた気の向くままに頼めるようになるかなと、そんなことを考えながらフリックは食事が運ばれてくるのを待った。食事を終えたらこの街では何をしようか。路銀は多少余裕はあるから、無理をして外に出て稼ぐ必要はない。宿を探してベッドでのんびりするだけで良いかと決めかけていた所で、テーブルに影が落ちた。料理が来たのかと顔をあげると。
「あぁ、やっぱりフリックだ」
「……アルト」
そこにいたのは、かつて自分が属していた軍の主だった。
フリックが密かに想い続けている少年だ。
「こんな所で会うとは思わなかった」
見知った相手に表情を和らげ、座っても良いかと聞いてくるから、フリックは構わないと頷いた。
「お前もこの街に来ていたのか」
「さっき到着したばかりだ。食事をしようとここに入ったら、知っている顔が見えたから。ビクトールは?」
「あいつとは、今別行動中。ちょっとそれぞれやることがあってさ。この先の街で合流する予定になってる」
「君達が別行動とは珍しい」
「ニコイチみたいな言い方するな。たまたま一緒に動いてるだけだ。たまたま」
注文を聞きに来た店員に、アルトが注文をしていく。何を飲んでいるのかと聞かれたからワインの銘柄を答えると、じゃあ同じものを、と伝えているのが聞こえた。それを見ながら、アルトももう酒が飲める年なのか、と改めて思う。外見は変わらない。その身に宿した真の紋章がアルトの成長を止めているから、その姿は初めて会った頃のままなのだ。本来なら身長も伸びて筋力ももっとついていたかもしれないのに。その事が、少しだけフリックの心に影を落とす。
だが、会えたことは素直に嬉しかった。何せ、アルトが解放軍の軍主の座にいた頃から密かに想っている相手だ。最初こそわだかまりがあったが、懸命に戦い続ける姿に惹かれ、守りたいと、今でもそう思っている。だから元気な姿で自分に話しかけてきて、言葉を交わす、それはこの上ない喜びだ。
例え、アルトの胸の内には別の相手がいて、この想いを告げることはできないとしても。
互いの近況を語り合いながら、食事をしていく。過去に何度も行動を共にしていたが、その時は戦乱の最中。明日の戦いを気にせず、ゆっくりと二人だけで食事をするのははじめてかもしれない。
「この間、海を見に行ったんだ」
「あぁ、そういえばずっと見たいって言ってたな。どうだった」
「広かった。どこまで水が続いているのかと思った。船にも乗ってみたかったのだが、悪天候でそれは叶わなかった」
「待たなかったのか?」
「長雨が続くと聞いて。特に早急に対処が必要な目的があったわけではないが、流石に何日続くのかわからない中、ただ待ち続けるのもと思ったんだ」
また何かの折に再度訪れて、その時に乗れれば、と言う。そんな近況報告をしばし続けた後で、これからの話となった。
「それで、この後はどこに行くんだ?」
「まだ決めてはいない……のだが、フリック、君はどこへ?」
「今日はここで泊まって、それからこの先にある街に行く。そこでビクトールと合流する予定なんだよな」
アルトはそれを聞くとふむ、と僅かな時間考える素振りを見せてから、再度フリックに目を合わせた。
「僕も行く」
「え?」
「せっかくだから、ビクトールにも会いたい。同行すれば会えるのだろう?」
「まぁそれは、構わないが……あいつもお前の顔見たら喜ぶだろうし」
少しだけ、鼓動が跳ねた。二人だけで、しばらく行動するということだ。嬉しさと、二人きりの中想いを隠し続けなければいけないという戸惑いが、フリックの脳裏でぐるぐると踊る。だが、断るという選択肢はなかった。上手く隠し続ければ良い話だ。いや、隠し続けなければ。フリックはそう思いながら、了承の意を伝えた。
そこで食事を済ませ、それぞれ宿に泊まり、明朝集合するということになった。
なったのだが。
「――一室だけ?」
二人共まだ部屋を確保しておらず、共に宿を探した。街にある二つの宿のうち、片方は満室。もう片方の宿に行ってみると、一人用の一室だけが空いていたらしい。つまりは、どちらかは泊まれないということで。
「……仕方ないな。アルト、お前部屋使え。俺は適当に野宿でもするさ」
「君の心遣いは嬉しいが、それなら僕も野宿でいい」
アルトに部屋を譲ったつもりが、固辞された。アルトの性格を考える限りそんな答えが返ってくるような気はしていたが。昔遠征に出ていた頃は、確かに共に野宿をしたことは何度もあった。そうするしかないか、とフリックは思い始めたが。
「あの」
宿の主人がそっと声をかけてきた。
「一緒の部屋で良ければ、二人でその部屋を使われても良いですよ」
このままお返しするのも心苦しいですし、こちらは二人分の料金をいただければと主人は言う。フリックはアルトと顔を見合わせた。
「どうする? お前が良ければ、俺はそれでも構わないが……」
「僕も構わない。雨風を凌げる方が有り難いのは確かだ」
いくら野宿に慣れているとはいえ、部屋で休めるならそれに越したことはない。宿の主人の申し出を有り難く受けることにした。
(大丈夫。俺が平静を装えばいいんだ)
フリックはそう心の中で呟く。一部屋で一晩二人きり。その状況に少し不味さを覚えなかったわけではない。だが、一晩程度なら、やり過ごせると踏んだ。長年の片想いだ。それくらいなら余裕で隠し通せるだろうと、この時のフリックは思っていた。
想いを伝えるわけにはいかないのだ。困らせるだけだ。
アルトの心の中には、今でも亡き親友がいるのだろうから。
*****
部屋は、一人用というだけあってやはり狭かった。だが、外よりはましだろうとアルトは思う。少し困ったのは、ベッドだ。
「やっぱり狭いな……」
フリックが苦笑する。当然ベッドも一人用なのであって、男性二人が眠るには手狭だった。自分が平均的な成人男性より小柄なのが、せめてもの救いかもしれない。
「俺は床で寝るから、アルトがベッドを使え」
フリックならそう言うだろうなとアルトは思っていた。この男は、優しい。そういうところが好きなのだ。だがこちらとしても、フリックを床に寝かせて平然とベッドを使うわけにはいかなかった。
「狭くても、寝られない程ではないだろう。せっかくベッドがあるのだから、二人で使えば良い。互いに普段は野宿が多いんだ。休める時に休んでおかないと」
完全に休めるかは別として。心の中でだけアルトはそう呟いた。意識しているのは、自分だけだと思うのだが、だからこそそんなことを声に出すわけにはいかない。何もない、平気だと装って寝なければ。
フリックに対し、欲を含んだ『好き』という感情を向け始めたのはいつからだっただろう。大切な人を失った当初こそ混乱はしていたものの、すぐに前を向き強く優しくあり続ける姿に惹かれた。だが、その想いは伝えられるはずがないと思っていた。フリックは今でもオデッサを大切に想っているということは、折りに触れ目にしてきた。それに、あの時オデッサを救えなかった自分に、何が言えるというのか。フリックを困らせるだけだ。
「多少狭いけど、床よりはましだろう。それとも僕が隣にいると落ち着かないか?」
わざと茶化すようにそう言うと、フリックは慌てて首を横に振った。
「そうは言ってない。いつからそうからかうことを覚えたんだお前は……シーナか?」
「シーナとも色々苦楽を共にしてきたから」
「全く……わかったよ。狭いって文句言うなよ」
「フリックこそ」
軽口を叩き合いながら寝支度を整え、ベッドに潜りこむ。狭いが、何とか二人収まった。何とか、だが。
(フリックが、近い)
目と鼻の先に感じる気配に、緊張する。いくら軍に所属していた時期に数年行動を共にしていたといっても、ここまで近付くことはなかなかない。フリックの息遣いや匂いが、鮮やかにこちらに伝わってきそうで、アルトはそれを遮断するかのように、目を瞑った。眠ってしまえば良いのだ。そうすれば何も意識することなく、朝を迎える。朝になったらいつも通り外で朝稽古を行って、朝食を食べて、それから――。
ふと、髪に何かが触れた気がした。反射的に目を開けてしまって。フリックと、目が合った。髪に触れていたのは、フリックの手。驚いてそのまま見つめていたら、ただでさえ近い距離が、更に近くなる。フリックがこちらに身を寄せてきて、唇を重ねたことに気付いたのは、その感触を感じてからだった。数度触れて、離れる。アルトは只驚くばかりでそのまま見つめ続けていると、やがてフリックがすまん、と呟いた。
「見てたら……つい」
声が耳に、脳に届いたことで、アルトの思考もようやく動き始める。つい、とはどういうことだ。
「……何故、僕に?」
「それは、その……」
フリックは視線を彷徨わせながら言い淀む。そんなに言いたくないのか。都合の悪いことなのか。
「ただ相手が欲しかったのか?」
そう聞くと、フリックは様子を一変させ、強くアルトを見た。
「そんな訳ないだろう。お前だから」
「僕?」
フリックは一度言葉を切り迷いを見せたが、心を決めたようで、再度強くアルトを見据える。
「お前が好きだった。ずっと。そんな奴が隣りにいるから……少しだけ、起こさないように触れるつもりだったんだ」
アルトはフリックの告白を信じられない気持ちで聞いていた。誰が、誰を好きだというのか。
「フリックが、僕を」
「そうだよ」
フリックの心の中には、ずっとオデッサがいると思っていたのに。だが、続く言葉もアルトには寝耳に水と思えるような内容だった。
「でも、お前がずっと親友のことを想っているのは知ってるから。ずっと、言わないつもりだった」
「……親友?」
「テッドだろ?」
「え?」
何故、そこでテッドが出てくるのか。
「……テッドは、ずっと大切な親友だ。でもそれは親友としてであって」
「……そう、なのか?」
「君こそ……君はずっと、オデッサを大切にしていると思っていた」
今度は、それを聞いたフリックが驚いたようだった。こちらも寝耳に水だと言わんばかりに。
「オデッサは大切だ。それは今でも変わらない。だけど、それと今お前を好きなことはまた別で。いや、どっちも大事だけど浮気とかそういうことじゃなくて――あぁもう、どう言えばいいんだこれ」
フリックが唸り始める。自分の想いをまとめることに苦心し百面相をしている様子を見て、アルトはなんだか笑えてきてしまった。
「現状を整理しよう」
少し声に笑いが滲んでしまったことを自覚しつつも、アルトは続ける。この笑いがフリックの先程の様子が可笑しいと思ったところから来ているのか、それともフリックの想いに気付いた安堵から来ているのかは、アルト自身にもわからない。
「僕は、フリックのことが好きだ」
「……俺だって、お前が好きだ」
狭いベッドで向き合って身を寄せ合いながら、そう言い合う。不思議なものだと思った。自分もフリックも、相手の気持ちは別にあると思い込んでいたのだ。きっと互いにそう思わせるような発言や行動をしていたのだろうが、わかってしまえば随分と遠回りをしてしまっていたものだと思う。
これから自分達がどうなっていくのかは、まだわからない。とりあえず今は、二人で身を寄せられるこの時間で幸せを噛み締めたいと、アルトは思った。
「……なぁ、もう一度、触れても良いか?」
「構わない」
フリックの問いに即座に答えると、ゆっくりと手が伸びてきた。それから、重なる。
(了)