邂逅「私は東京都呪術専門学校の教師、夜蛾だ。突然のスカウトで申し訳無いが、一度、我が学校に足を運んではくれないか?」
そう強面の男に言われて、懐かしいあの匂いのする門をくぐった。覚えのあるこの床は歩く度に軋んだ音を立て、窓越しに靡く木々が青い風を運んでくる。なんとも言えないこの新鮮な空気を肺いっぱい吸い込んで、知っている気配に耳を澄ませた。
「一通り学校内を見てもらったが、呪術の授業とは別に一般の教育もしていく。普通の高校と違う点は皆術師、それから人数が少ないと言ったところだ。一般の出という事で不安な事は多々あるかもしれないが是非、君のような術師には我が校で学んでもらいたい」
聞き覚えのある言葉を聞き流しながら、夜蛾の後をついて行く。
「そして、ここが寮だ。今この階は誰も使ってないから好きに見てもらっていい。私は一度職員室に戻って資料の準備をしてくる。見終わったら職員室に来てくれ」
「はい、分かりました。それではまた」
そう言ってニコリと微笑む。これは正夢というやつなのか、前世の記憶と言うやつなのか、この人生は二度目だった。夏油傑として、呪霊操術を使える者として、一度終えたはずの人生をまた繰り返している。二度目の2004年、二度目の呪術高専、二度目の私の部屋。歩き慣れた廊下に、慣れた仕草でドアノブを捻った。
「は?」
扉を開けた瞬間に吹き込んでくる温い風に目の前の真っ白な髪が靡き、振り向き際にちらりと覗くその海にも空にもない綺麗な青がこちらを捉えて、時が止まった。音が止み、感覚という感覚が麻痺してしまったような感じだ。
「……さとる、?」
その言葉に瞳が大きく見開かれる。そして、その大きな目元からホロホロと、大きな雫が何滴も落ちていく。
「なに?幽霊?」
「人を幽霊呼ばわりするなんて、失礼だな」
「じゃあなんだよ、俺の都合のいい夢?」
「夢でもないよ。でも、夢だったら永遠に覚めて欲しくはないなぁ」
そう軽口を叩いて、悟の頬に触れた。確かに感じる熱に手のひらが震え、涙で濡れていく。
「……すぐる、すぐるっ」
「悟、久しぶり。少し涙脆くなった?」
ぎゅっと、首に回る腕に応えるように背中にしっかりと腕を回した。
「俺さぁ泣かなかったんだよ。オマエがいなくなった時も、オマエを殺した時も。また会えるって信じてた。また、一緒に居れる日が来るって信じてたから、泣かなかった」
肩を震わす悟の涙で、Tシャツがぐっしょり濡れていくのがわかる。
「っだから!また傑と会えてから、もう我慢なんてできねぇ」
止まない涙と鼻水を啜る音と、不規則な心臓の音と、時折びくつく肩の動きを全身で感じて、また抱きしめ直した。
これは願いなのか、呪いなのか。
「私も次の人生があるのだとしたら、君の隣に居たいとそう思ってたよ」
「思ってたんなら、そう言えよ」
「大好きだからこそ、縛りたくなかったんだ」
「は?なに?」
「なに?」
突然悟が、驚いた様に短い言葉を発してグイグイと体を離す。真っ赤になった鼻先と頬に濡れた睫毛が顕になる。サングラスはいつの間にか床に落ちていたらしい。
「もう一回さっきのやつ言って」
「?…大好きだからこそ、縛りたくなかった」
「俺、オマエに大好きなんて、言われた事ねぇし」
「あぁ」
「あぁ。じゃねぇよ!オマエは大事な事はなんも言わねぇの。分かるわけねぇだろ?なぁ傑、もう隠し事は無しだかんな?」
「うん、そうだね。ちゃんと君に話すよ」
「もう、離れんなよ」
「離れない。誓うよ」
「オマエは知らねぇかもしんねぇけど、大好きな奴に置いてかれんのは、寂しいんだよ」
置いてかれる、なんてそんな気持ちを持ち合わせていたのも同じだった事に驚いた。
「悟も私の事大好きなんだ」
「はぁ?当たり前だろ?」
「キスしていい?」
「……それ聞く?」
少し俯いた悟がそう言う。照れ隠しなのかぶっきらぼうな口調に思わず微笑んでしまう。
「私も君も、前世より半年前に出逢えたんだ。私にとって今の悟は初めてだからね」
身長もさほど変わらなくて、少し前髪の短い悟は新鮮で、柔らかな唇を指の腹で撫でた。キュッと結ばれたそこに顔を近づければ、ゆっくりと睫毛が伏せられていくのを見届けて自身の瞼を閉じた。感じるのは繋がる唇からの悟の体温だけで、それが何よりも幸福感を運んでくる。
数秒経って唇を離せば、とろんとした瞳がこちらを見据える。堪らずにまた抱き締めて大好きだよ、と伝える。
「ば、か!もう、言うな」
「はは、君が全部教えて欲しいと言っただろ?……あ、そう言えば夜蛾センに職員室に来いって言われてたんだった」
「はぁ?俺とヤガセンどっちが大事なのよぉ?」
いつもの、変わらない悟の調子に笑って何よりも思い出が詰まった部屋の扉を閉めた。
「結構時間経っちゃったけど、怒られるかな?」
「オマエ、ここに来たの初めてなんだから道に迷った〜とか言っとけばいいだろ」
「悟は何でここに来たの?」
「ん〜何となく。オマエに会えねーかなーって思って!あ、先生にはナイショだから俺がオマエと一緒にいたらビビるだろうね」
「君ねぇ……。それにしても、私の部屋も覚えてたんだね」
「……全部覚えてるよ。それに、オマエの前髪が変じゃなくなってても見つけ出したと思う」
「今世も変ですみませんね。悟が見つけやすいと思ってね」
「ドヤんなし」
「……あれ、二人ともいたんだ。おひさ」
『えっしょうこー』
職員室の前に立つ小柄の短髪の少女が二人を見つけて微笑んだ。
「お、何二人とも記憶ある感じなの?はは五条鼻真っ赤だぞ。泣きでもしたか?」
「は?泣いてねぇし、泣いてねぇよなぁ?」
必死になってこちらに同意を求めてくるが、傑の肩口は悟の涙の跡がまだ残っているからバレている。
「はは、どうだったかな。硝子、また高専に入るんだ?」
「うん。お前らもだろ」
「そうだね。もう一度、やり直すよ」
「今度は四年ぜってぇ遊び尽くす」
「そうだね。わたし達はきっと、これからできる事が増えたしね」
「次の夏は、前の続きだかんな」
「家入さんすまない。見学が重なってしまってな…遅くなった。お、夏油君は戻ってきたな……っな、なぜ五条家の君が!」
「何でって、俺、来年ここに入学するから」
驚いて開いた口が塞がらないとはこの様な光景なのだろう。お手本のようにポカンとする夜蛾先生の顔は前世では見る事の無かった表情で、思わず後ろを向いて方を震わした。
「ふふ、悟、本当にお忍びだったんだ」
「はぁ?そう言ったろ!」
「な、なんだ?オマエ達、もう仲良くなったのか?」
「ええ、親友なんです」
「そう、俺と傑は親友なの」
「君もか?家入さん……」
「私ですかー?彼らと一緒にしないでくださいよ〜」
「そ、そうだよな。まず夏油君に入学届けを渡して、家入さんは窓に頼んで学内見学して貰って、私は五条家に……っなんということだ!」
少しテンパった夜蛾先生の後ろでピースをして小さく舌を出す硝子にバレないようにピースサインを返す。
「あっ、夏油さん!ちょうど今ご両親への説明が終わり、理解して頂けましたよ……っと、二人とも新一年生っすか?珍しいですね、入学前に揃うなんて。
どうですか?やっていけそうっすか?」
真夏なのにスーツをビシッと着た補助監督が小走りでこちらに来てはそう尋ねる。
「ええ、とても。」
真っ直ぐな言葉を柔らかな声に出す。夏風に揺れる若い葉が三人の隙間を通り抜けた。燦燦と差し込む日差しに目を細め、二度目の人生、見据える未来は清々しく、そして青かった。