そうして始まる日今日という日は、何の日か。
世間的には七夕。
俺にとっては生まれた日だ。
知人友人に祝われて、少しほろ酔い気分で街中を歩いていた。
家に帰ったって、男やもめに待つ人はいない。
1人でいる事の…余りにも当たり前な日常を、今更変えるつもりもない。
寂しさも特に感じていない。
40も後半になって、未だ誕生日を祝ってくれる知人友人の顔を思い浮かべて、思わず笑う。
俺には前世の記憶というものがある。
明治時代を生きた記憶が。
知人友人というのは、何を隠そうその時に出会った仲間達だった。
名前が同じ者もいれば、まったく違う者もいる。それでも、集まりの時には昔の名前で呼び合うのだ。
心安まる瞬間。楽しい一時。
俺にはこんな風な繋がりだけあればいいと、そう思っていたのに…
「…門倉部長?」
背中の方から、聞き覚えのある若い男の声がした。
その声に俺の脳内には警報が鳴り響き、身体は走り出そうとしたが、足を捻って躓きかけた。
こんな時についてない。
…俺らしいっちゃ、俺らしい。
すると呼びかけてきた声の主が、俺の二の腕を摑んで支えてくれた。
「やっぱり!門倉部長だ!」
ああ…やばい。
「あれ?僕のこと分かりませんか?…いや、そんなわけないですよね。だって…」
耳元で低く囁かれる。
「逃げようしましたもんね」
完全に初動を間違えた。
振り向きたくない…でも、振り向かないと命が無い。
仕方なく凝り固まった首を捻る。
大きな目に、特徴的な両頬の黒子。
艶のある口角が上がった唇。
「宇佐美…」
前世の記憶にある男だ。
元部下で、敵で、殺されそうになった相手。
こうして今世で出会ったとしても、決して和やかに話せる相手じゃ無い。
スーツ姿だが、間違いなくあの宇佐美だ。
内心落ち着かなくて仕方が無いが、なんてこと無い風を装って口を開いた。
「あー…久し振り?」
「そうですね。100年ぶりかと!」
ニコニコ笑って俺の腕を強く握りしめる手。
痛い痛い!食い込んでるって!!
顔をしかめて腕を放そうと藻掻くが、全く微動だにしない。
今世においてもこの男は、えらく力が強いようだ。
というか、何がしたいんだコイツ?!
「えっと…離してくれない?」
「逃げないと約束してくれるならいいですよ」
「……分かったよ」
やっと離された二の腕がズキズキと痛む。
これ、絶対アザになってるだろ…
「今日はこの後、何かご予定は?」
「は?」
なんで予定なんて聞かれるんだ?
嘘ついて逃げようかと思ったが、約束した手前、そんな事をしたら後が怖い。
「別に…無いけど…」
その答えに、宇佐美の目がギラリと光る。
…あ、やっぱ嘘ついときゃ良かったか…?
「足元フラフラじゃないですか。ほら…」
そう言いながら、宇佐美の肩に腕を回された。
捻ったばかりの足首が、鈍い痛みを訴えている。ここは素直に頼るしか無い。
「…足痛いんでしょう?僕の家近いんで、手当てしますよ」
朗らかに笑う横顔に、先程のような怖さは無かった。
…まぁ、善意なら受けるべきかな?
そう思いながら曖昧に頷くと、手が腰に回るのを感じる。
酔いで少し思考が単純になっているのもあって、俺は素直に身体を預けた。
本当に宇佐美の住むアパートは近かった。
鍵が開く間、ボンヤリと宇佐美の横顔を見つめた。
こんな近くで、コイツの顔見たこと無かった。
前世では……ああ、でも背後から耳元で話された事はあったっけ…
でも、今はあの時と状況が違う。
今は俺を気づかって、親切心で介抱してくれようというのだから。
…でも、どうして親切にするんだ?
だって、前世で俺はコイツに殺されかけただろ?
足が縺れるくらいだし、どうも飲み過ぎていたらしい。頭が正確に物事を考えられなくなっている。
「顔か赤いですよ?ずいぶんと飲んだんですね。まあ、無理も無いか…楽しいお酒だったみたいですもんね」
なんで…そんな事を知ってるんだ?
宇佐美の顔が頬に近づく。
温かな息が、耳殻を擽る。
「お誕生日おめでとうございます。門倉さん」
なんで…俺の誕生日知ってるんだ?
「…っ!」
気付いたとて、後の祭り。
有無を言わさず、塞がれた唇の熱。
背後で閉まるドアの音。
もう逃げられないと本能で悟る。
今日会ったのは、きっと偶然なんかじゃ無かったんだ。
…きっとコイツは、ずっと罠を張っていたんだ。
そして今日、とうとう俺は捕まってしまった。
全ては、俺とこれから始めるために。