恋とはどんなものかしら③ 一晩、悩んでみた結果、やはりスーパースターには失恋は似合わないのではないか、ということだった。
何を隠そうこの平滝夜叉丸は、あろう事か同室の綾部喜八郎に懸想していた。けれどまぁ良く考えれば、自身の次に容姿が整っているようにも思うし、マイペースではあるが天才トラパーと名高く才覚に溢れている。私が、私の次に好ましく思うのは仕方がないことである。
しかし、私の優秀な脳はあることにも気づいていた。それは、彼が先輩である立花仙蔵を慕っているということだ。
ならば、どうすればいいか、二択だった。
よし、と腹を括るなり、滝夜叉丸は読みかけだった本を捲り始めた。どうすれば喜八郎が私に恋心を向けるのか、学び、作戦を立てなければならないと思ったからである。
まずは、相手の好みを知ることだ。言わずもがな、麗しの彼の先輩を頭に思い浮かべてその特徴を紙へと書き出した。
・美しい
・優秀である
・実技も秀でている
ふむ、と顎に手を当てた。キャラが被りすぎている、し、ただ若さゆえに及ばない部分こそあれど決して劣っているとは思えなかった。これでは参考にならない、とその紙をくしゃくしゃと丸めて、次の紙に筆を乗せた。
違う点をみつけなくては、でなければその差を埋めることは出来ない。
・清廉な美しさである
自身を大輪の華やかな薔薇だとすると、仙蔵はさながら水仙や白百合である、と思う。もしかしたら喜八郎にはあまりにも眩し過ぎたのかもしれない、と申し訳なくすら思う。見た目だけならば、喜八郎もまるで牡丹のような可憐さを持っているのだから、釣り合うだろうとも感じてはいたのだが。
・上品な振る舞いをしている
決して、私が下品だという訳では無いが、たしかに計算され尽くした身振り手振りは人によっては刺激が強すぎたのかもしれない。対して仙蔵の動きはさり気ないながらも嫋やかで、しかし決して弱々しい訳では無い。流石作法委員会委員長というところで、同じ志があるのならば憧れても仕方がないのかもしれない。
だからといって自身が七松体育委員会委員長のようになりたいかと問われるとそれは正直言って否ではある。
・毎日顔を合わせてはいない
はっ、と閃いた。読み終わった本の中には「会えない時間が愛を育んだ。」と書かれてもいた。毎日、顔を合わせることによって、喜八郎の中で「平滝夜叉丸」という存在の有難みが薄れてしまったのかもしれない。対して仙蔵は同じ委員会の先輩後輩という関係であれど、互いに実習などがあれば毎日会う、というわけでもない。貴重だ、という気持ちが特別感を抱かせてもおかしくはない。
分かってしまったぞ、と首だけで振り向くと、衝立の片側でスヤスヤと眠っている渦中の男は昨日滝夜叉丸が拭ってやった踏子と眠っていた。戸の向こうが僅かに明るくなっていて、空が白んできたのを察する。思い立ったが吉日、喜八郎が起き出す前にと、滝夜叉丸は本を数冊と輪子を携えて、静かに外へと出た。
「今日は、随分早かったんだね」
昼時になり、食堂でいただきます、と手を合わせていると向かいに座った喜八郎が尋ねてきた。普段、別に共に食べている訳でもないというのに、何故今日に限ってお前は来てしまうのだ、と頭の中で文句を言った。口に出さなかったのは、作戦がバレてしまうから、というのと、立花先輩宜しく嫋やかに振舞ってみよう、と決めたからである。
「まあな」
何故だか聞きたいか、という言葉は飲み込んだ。本当は話を聞いて欲しくて堪らないけれど、きっと今までのように振舞ったら、今までのままになってしまう。好きになって貰わなければならないのならば、これぐらいのことなど平気だ。
ヒソヒソ、と周りの生徒の声がした。何かを感じとっているらしいが、私は生まれ変わり、更に魅力的になろうとしてるのだ、と言わんばかりに凛とした態度を崩さなかった。
「なんだ喜八郎、お前、私が恋しかったのか?」
少しだけ聞いてみても、バチは当たらないだろうとひと言だけ口から滑り出しでしまった。でも、それが良くなかったのかもしれない。
「……誰が、お前なんか」
恨めしそうな声で、ハッキリと、そう聞こえた。その瞬間、周りで様子を伺っていたらしい三木ヱ門がばっと両手で喜八郎の口を抑えた。
「だめだ、それは、だめだ喜八郎。」
焦ったように、端的に三木ヱ門が呟いている。でも残念ながら、それはもう遅かった。
滝夜叉丸は、目の前の盆の上にある昼食を急いで口の中にかき込んだ。
お淑やかでいようと思ったのにそんなことも型なしで、特別になろうとしたのに嫌われてしまった。でも我こそはスーパースターの滝夜叉丸、まだ人前であり、幕は下りていない。
「ごちそうさまでした!」
パシン、と手を合わせて大きな声で挨拶をした。食堂のおばちゃんに感謝を伝えると、呆気に取られたような表情で彼女は相槌をうって盆を受け取った。
そして流れる様に廊下に飛び出した、まだだめだ、まだだと自分に言い聞かせながら。
気づくと、長屋の一室の前に立っていた。戸を叩くと「はーい」と気の抜けるような明るい声が中から響いた。戸が滑るその瞬間、無意識にポーズを決める自分がいて、それを見たタカ丸が目を細めて笑いながら優しく「滝夜叉丸、どうしたの?」と尋ねた。
そうだ、自分は滝夜叉丸なのだ、当たり前だけれど。
視界がぼやけて、自分が泣いているのだと気づいた。目頭の熱さも、ツンとした鼻の痛みも、今の今まで全く気づいていなかったというのに。
「良かったらどーぞ」
動揺も見せないまま、タカ丸は自室へと招き入れてくれた。悩みを持つ同級生が、ここへと集ってしまうのを、今更実感として理解をしていた。
「これね、落ち着くんだよ」
あま酒を湯呑みに注いで渡された時に、自分の指先が冷えていて、ずっと緊張していたことが分かる。ずっと平気だったのに、恋を自覚して完璧な自分がガラガラと崩れていくような感覚がしていた。
「タカ丸さん」
「なぁに?」
「私の、何がいけなかったんでしょうか。」
1年生から、ずっと喜八郎と一緒に過ごしてきた。彼の自立した所を尊敬もしていたし、特異な彼の技術は目を見張るもので、それを褒めると彼だって嬉しそうに笑っていた。でもマイペースな彼に手を焼くこともしばしばで、煩わしそうにされたことはあっても拒絶されたことはなかった。分かりづらいとみんなが言っても、自分だけは、喜八郎の気持ちはすぐに分かると自負はあったし、ずっとそばに居たのも他でもない滝夜叉丸だった。
「滝夜叉丸は、いけなくないでしょ」
タカ丸は変わらない口調で穏やかに、ハッキリとそう言った。涙と支離滅裂な言葉が、滝夜叉丸の口からこぼれ出していた。
喜八郎の隣は居心地が良かった。喜八郎は「滝夜叉丸」を否定しないでそこに居てくれたから。でも、好かれる為に自分をねじ曲げることも出来ないと、今は強く思う。そして既に、嫌われてしまった。
「滝夜叉丸は、どうしたいの?」
結局、滝夜叉丸が好かれないと意味がなくて、でもきっとそれは無理なのだろう。
どうすればいいか、は、二択だ。そして、そのもう一択をあえて無視しつづけてきた。
「喜八郎を、諦めます」
そう、諦めるべきだ。そして平気な顔をして自室に戻って、あと2年だけ、共に過ごしてやればいい。だって4年間、大丈夫だったのだから。
綾部喜八郎とは、自身の次に容姿が整っていて、天才トラパーと名高く才覚に溢れている。
でも酷くマイペースで、興味が無いことはありえないぐらいに忘れっぽくて、分かりづらいと言われる割に、不機嫌なことは信じられないぐらい不細工な顔で拒否を示す。生意気で、先輩だろうが物怖じせずに舐め腐る。実力も相応しくいっそ謙虚に思える私とは対照的なほどの唯我独尊ぷりだ。土に塗れたまま部屋に入ってくるし、言われないと風呂にいかないこともしばしばで、時には帰ってくることすら忘れる穴掘り狂いだ。
上げればキリがないほど、どうしようも無い男だ。
「そっか、じゃあ、諦めきれるの?」
嫌う理由なんて山ほどある。だってさっき、私にも酷い言葉を吐こうとしたのだ。
(無理だな)
それでも、恋しいと思ってしまった。この期に及んで、食堂に置いてきてしまった喜八郎が気がかりで、朝に一緒に長屋を出てやれば良かったと後悔すらしている。
こんなことならば、恋なんて知らなければよかった。そう呟いた言葉は、滝夜叉丸の背中をさすっていたタカ丸だけが聞いていた珍しい彼の弱音だった。