遠雷その日のミオリネは、そわそわと落ち着きがなかった。
窓の外をチラチラと見やりながら、イエルが根城にしている廃墟の一室から出ていこうとしない。なんだかんだ理由をつけて、ミオリネがここに居座ろうとするのはいつものことだったが、今日はいっそうのこと警戒心の強い猫のようだった。
外ではゴロゴロと雷鳴が轟いていた。びくりと怯えたように跳ねた肩を見てイエルは寝そべっていたソファの上から、ははーんと口の端を釣り上げる。
「さてはお前、雷が怖いのか?」
「は、はぁ⁉︎そんなわけないでしょ!」
揶揄うような響きに、ミオリネは反発する。
「子供じゃあるまいし!それに建物の中に居れば安全って…」
どこかで聞きかじった知識を披露する前に、カッと窓が光る。
間髪入らずに、雷鳴が空気を裂いた。
「んぎゃあああっ!」
んぎゃああって。
色気のない叫び声を上げて、ミオリネが胸元に飛び込んできた。今のは結構近くに落ちたな。
「しょ、しょうがないじゃない!フロントには雷なんてないんだから…」
寝そべるイエルに覆い被さってきたミオリネが気まずそうに、もぞもぞと言い訳をする。
宇宙を牛耳るベネリットグループ総帥のお嬢さんの弱点が、雷ねえ…。普段すました顔が、不貞腐れたみたいにそっぽを向いていて、喉元からくっと笑いが込み上げる。
「ちょっと!」
「ああ、悪い悪い」
顔を赤くして怒るミオリネをいなしながら、脱いだ上着を頭から被せて手で耳を覆ってやる。
「ほら、こうすれば少しはマシになるだろ」
覆われたミオリネの耳の中で、雷の音が遠くなる。何より煙草の匂いが染みついたジャケットで作られた小さなテントは、ミオリネを害するあらゆるものから守ってくれているという安心感があった。
「思い出すな。イリーシャやレネにもしてやったっけ」
「…それっていつの話?」
「うんと昔。子供の頃」
「……子供扱いしないで」
何を勘違いしたのか昔の話と聞いてほっとしたらしいミオリネは、拗ねたように口元を尖らせる。
外ではまだ黒い雲が、機嫌が悪そうにゴロゴロと唸り声を上げている。
子どもの頃、眠れない夜は薄い毛布の下でこうして仲間たちと身を寄せ合って、嵐が通り過ぎるのを待っていたっけ。
「…あなたは?」
「俺?」
「イエルも雷が怖い頃があったの?」
「俺は…」
どうかな。どうだっただろう。
「…あったかもな」
あったとしてもずっと昔の話で、お前ほどじゃなかっただろうけど。と続けると怒ったミオリネに鳩尾を小突かれた。地味に痛い。ミオリネにはああ言ったものの、正直なところあまり覚えていなかった。あの頃は生きることに必死で、雷鳴よりよほど恐ろしいものから、自分と仲間を守ることの方が大事だったから。
「それに、リーダーが怖がってたら、他の奴らが安心出来ないだろう?」
ふうんと合槌を打ったミオリネは、何か考えこむように押し黙る。
そしてふと思いついたように、上着の中から手を伸ばした。
「じゃあ、はい」
小さな手が、ぽすりとイエルの耳を覆った。あまりにも不意打ちで、とっさに言葉が出てこない。
ちょうど雷鳴が窓の外で轟いた。
その音は遠く、どこかやわらかく。
人の手のひら越しの雷は、こんな風にきこえるのか。
覆われて触れられているところが、じんと熱をもった。
「…っ、昔の話だって言っただろ!」
「わっ」
被せていた上着で、ミオリネを頭の先からすっかり覆ってしまう。
自分がどんな表情をしているかわからないなんて、初めての経験だ。わかるのは、今自分はとても人には見せられない顔をしているに違いないということだけだ。
丸く膨らんだ上着が不満を訴えるようにしばらくもぞもぞと蠢いていたが、やがて諦めたのか大人しくなった。
あの頃は早く過ぎ去って欲しいと思っていた雷雲も、今だけは暫くは通り過ぎないで欲しいと、熱を持ったままの耳が早く冷めることを祈った。