紫煙と銀の迷い猫雑多な空気は気怠げな紫煙を纏っている。
少々いかがわしい店が建ち並ぶ路地裏で、イエルは女から頼んでいた物を受け取り、中身を確かめると着古した上着のポケットに捩じ込んだ。
「いつもありがとな」
「いいのよ。イエルの頼みだもの」
女は紅い口紅をひいた唇で、艶やかな笑みを返す。彼女はイエルの古い馴染みの娼婦で、時折こうして情報や物資を流してくれていた。
「それより、今日は寄ってかないの?」
スルリと慣れた手つきで女はイエルの肩に手を回した。女性特有の柔らかな肢体が密着する。大きく開いた胸元から押し付けられて形を変えた谷間が見えて、視線を上に泳がす。
「あー…」
正直、そういった欲はあった。
いつもなら礼も兼ねて一晩付き合う所だが、今夜は何故か気乗りしなかった。
「やめておく。家で猫が待ってるんでね」
「あら、あなた飼い猫は嫌いって言ってなかったかしら?」
「まぁ、ちょっとな」
「そう?残念ね」
口ではそう言いながら、さして残念でも無さそうに女は肩をすくめた。
「でもキスくらいは頂きたいわ」
それくらいなら、と絡められた腕に引き寄せられるまま唇を寄せる。重なる寸前、ふと人の気配を感じ視線だけ見やった。
表通りとの境目に、銀髪の少女が時が止まってしまったかのように立ち尽くしていた。
女の肩を掴んで少々乱暴に自分から引き剥がす。
「お前⁉︎なんでここに!」
気付かれた少女は弾かれたように、通りの向こうに駆け出していった。それを見て舌打ちをする。
「悪い!埋め合わせは今度させてくれ!」
イエルは少女の後を追うよう走り出す。
この場所には似つかわしくない騒動に置いてけぼりを喰らった女は二、三ゆっくりと瞬きをした。まるで遠い昔一度だけ見た映画のワンシーンのよう。薄暗い路地裏には、数分もしないうちにいつもの気だるい喧騒が戻っていた。
女は煙草を一本取り出し、フーッと肺に溜めた煙を吐いた。
「…イエルの猫?」
いつになく必死なイエルの後ろ姿を見送りながら、女は面白そうにクスリと笑った。
***
「おいっ!くそっ」
足の速さではイエルに分があったが、小柄な身体で人混みを縫うように走る少女に追い付くのは骨が折れた。
やっと追い詰めたのは人通りの少ない街外れの袋小路だった。
肩で息をする二人分の息遣いだけが路地裏に響く。
少女こと、ミオリネ・レンブランは先ほどから顔を逸らし目線を合わせようとしない。
「…さっきの女の人…誰?」
「あぁ?」
予想外な質問をされて、いつもより乱暴な聞き返し方をしてしまう。同時にやっぱり見られてたかと内心舌打ちをした。
「お前には…関係ない」
別に疚しく思う必要などないのに、妙に歯切れの悪い返事になってしまった。
「そんなことより一人で出歩くな!治安のいいフロントとは違うんだぞ!」
「…っ…レネ達とはぐれたの」
スペーシアンとの交渉材料として拉致してきた彼女には一定の監視下でかなり自由にさせていたが、これは看過できない。
「とにかく、レネ達と連絡を取るからそこにいろ」
「…あなたにだって、関係…ない」
「なに?」
「別に、私がどうなろうとあなたには関係ないじゃない!」
端末を操作する手が止まる。
「…本気で言ってるのか?」
低い声が出た。
そのまま壁際まで彼女を追いやり、片手を抑え込む。
「痛…っ」
「…碌な抵抗も出来ない癖に。何をされるかわからないんだぞ!」
悔しげに涙を滲ませながらも、ミオリネは頑なにイエルと目を合わせようとしなかった。
もはや意地とも取れる態度に苛立つ。
「そうかよ…!」
苛立った感情のまま顎を掴み噛み付くように唇を奪った。
「んんっ⁉︎」
驚いた彼女が抵抗するが、押さえつけていた手に力を込めて抑え込む。微動だにしない左手の代わりに右手がイエルの鍛えられた胸を叩くが、そんなもの少しの抑止にもならない。
呼吸をする為に開いた口から無理矢理舌を捩じ込む。
「ッ…⁉︎」
逃げ回る小さな舌を捉えて、ねぶるようにして絡める。角度を変えて何度も蹂躙していく度に彼女からの抵抗は弱々しいものになっていった。
「ん…ぁ…」
吐息とともに漏れ出る声に、じわりと耳の後ろが熱くなる。
まずい、止まらない。
無防備な少女に灸を据えるつもりだけだった行為は、既に止めどころを見失っていた。
「ふ…ぁ…イ…エル」
助けを乞うために呼んだであろう名前を、求められてると脳が勘違いして理性が白く染まる。
服の裾から手を差し入れたのは、ほとんど無意識だった。
「あぁっ…!」
明らかに甘さを含んだ声が彼女から上がった瞬間、かつてないほど欲望が己を揺らすのを感じて動揺する。
コントロール出来ない程の衝動を前にして、逆に手が止まってしまった。
一瞬出来た隙。
思い切り振りかぶった平手がイエルの頬を打った。
***
「立派な勲章じゃないか、イエル」
「…うるさい。サビーナ」
いつもの淡々とした口調に、ほんの少し揶揄うような含みを感じ、不貞腐れた返答をする。
俺の頬にはそれはもう立派な紅葉が咲いていた。
「今日はテントの中に居ろ。そんな顔で皆の前に出られると士気に関わるんでな」
そう言うとサビーナはテントを後にした。
余計なことは聞かない彼女の気遣いに感謝しつつ、ため息をついて寝返りを打つ。
打たれた頬がじんじんと痛む。
あいつ、思いっきりやりやがって…。
思い出しそうになる昨夜の出来ごとを、意識的に頭の外に追いやる。
俺らしくもない。
女との睦言を見られて動揺してしまったことも、捨て鉢とも言える彼女の言動に必要以上にに苛立ってしまったことも、全くもって自分らしくなかった。
無駄だろう。こんな感情。
あいつは人質で交渉材料で、俺たちとは相入れないスペーシアンだ。
近いうちに必ず、別れは来る。
寝返りをうち、隙間から陽が差し込む入口に背を向ける。
冷静な自分が、もう手遅れだと結論づけるのを瞼を閉じることでイエルは無視した。