あなたの視線は 日の光を浴びた木々の若葉がキラキラと輝いている。鳥居へと続く階段を着物を着た男と、まだ歩くのを覚え立てであろう子どもが手を繋いで歩いていた。階段を上って石で造られた鳥居の前で男が一礼したので、子どももそれに倣ってぺこりと頭を下げた。鳥居をくぐると豪華絢爛とまではいかないが、しっかりと手入れのされた神社がどんと構えていた。
ふと子どもが立ち止まった。そして、神社の屋根を指差して嬉しそうに笑った。
「わんわん!」
その瞬間、強くて暖かな風が親子へと吹き抜けた。
※※※
徳川が天下を治めてから長い年月が過ぎた。戦に明け暮れた時代は遠い昔の話になり、武士の刀が身分を証明する物に成り代わった時代。百万人が住む大都市、江戸のある所にお茶と団子を売る水茶屋があった。
「いらっしゃいませ!」
元気に挨拶をしたのは、この店の主人の新八であった。齢十六でありながら病で亡くなった父親の遺した店を切り盛りしている。
席に座った客は頬をポリポリと掻きながら小声で『茶と団子を一つ』と言った。新八はまた元気よく『はい』と返事をすると、団子を焼いている銀髪の男に声をかけた。
「銀さん。団子焼けてます?」
「おー、あともうちょい」
『銀さん』と呼ばれた男は、手際よく何本も炭で焼かれている団子をくるくると回していた。この男は父親のいた頃から奉公に来ており、名は銀時という。周りが『銀さん』と呼んでいたため、新八も自然とそう呼ぶようになった。
銀時は、重苦しい溜息を吐いた。
「つーか最近ひっきりなしに客が来て全然サボれねぇんだけど。何?どっかのインフルエンサーがT○kTokで紹介でもしたわけ?」
「銀さん、この時代インフルエンサーもT○kTokもないんで変な事言わないでください。違いますよ。ほらこの間、お茶汲娘の番付が出たじゃないですか」
「ああ、あれか。ったく、あんなゴリラ女が番付の横綱になるなんて世もすってぇぇ!」
「あら銀さん。この時代にゴリラはまだ江戸に伝わっていないそうですよ。時代錯誤するような発言は控えてくれませんか?」
女は男の後頭部に向かってお盆を投げ付けると、涼しい笑顔で言った。彼女は新八の姉で、名を妙という。見目も性格も良く、腕っ節も強いと評判のお妙は、先月の『水茶屋娘の番付』という、いわゆる『人気投票』において見事一番に選ばれた。それ以降、新八たちが営む水茶屋『志村屋』にはひっきりなしに客が来るようになった。
「僕は姉上が横綱になるって思ってましたよ」
「あら、ありがとう新ちゃん」
談笑する姉弟に聞こえないように、銀時は『シスコンめ』と呟いた。
「団子焼けたぞぉ」
「ありがとうございます。それじゃ、姉上お願いします」
「あら、お盆はどこかしら?」
「俺の頭叩き割ろうとしたコレのこと?」
「叩き割ろうだなんて。ちょっと手元が滑っただけじゃないですか」
お妙は飄々とした態度で団子と盆を受け取ると、お客の元へと向かって行った。銀時はお盆の当たった所を手で押さえた。
「これぜってぇコブになってるって」
「そんな大袈裟な」
「いや本当だって。ちょっと一回見てくんね?」
「えー」
新八は銀時の頭を優しく撫でた。特に腫れてはいないみたいだ。安心して新八が手を離そうとすると、銀時が新八の手に己の手を重ねた。
「もうちょっと」
犬のように戯れ付いてくる銀時に、新八は目を白黒させた。
「ちょっ、団子焦げちゃいますって!」
「大丈夫、大丈夫。どっかの誰かみてぇな暗黒物質にはならねぇよ」
「近い、近いです!
首元に銀時の息が当たった。バクバクと心臓が跳ね上がる。誰か助けてくれ!と新八は心の中で叫んだ。その時、二人の近くで『にゃぁん』という声がした。
「あっ、神楽ちゃん。またお店の中に入って来ちゃったんだね」
新八はスルリと銀時から離れると、『神楽』を抱き上げた。神楽は『志村屋』で飼われている赤毛の猫である。いつもは二階のお妙の部屋でゴロゴロしているのだが、人間の食べ物が好きなのか時折こうして店の中に入ってきてしまう。
「コイツ絶対わざとだろ」
「何がですか?」
「べつに」
銀時はふてくされた表情で仕事に戻って行った。新八が首を傾げるのを見て、神楽は呆れたように『なぁん』と鳴いた。
新八が二階に神楽を置いて一階に戻ると、店内に野太い声が響き渡った。
「お妙さぁぁぁん!今日もおきれぶべらぁぁぁ!」
「お店の中では静かにしてくれますか?奉行所勤めならそれくらい分かりますよね」
「あはは!お妙さんに会えると思ったらつい」
お妙の拳を受けても笑っているのは、近藤勲という町奉行所に勤める役人だ。去年『志村屋』に来て以降、ほぼ毎日お妙に会いに来るようになった嬉しいような、嬉しくないような常連である。もはや日常茶飯事と化している光景に、新八はツッコまずに挨拶をした。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「こんにちは、新八くん。今日もお茶をお願いできるかい?団子は三本包んでくれ」
「分かりました」
新八が奥に引っ込もうとすると、近藤が新八を呼び止めた。
「あっ新八くん。ちょっと聞いてもいいかい?」
「姉上の事は何も答えませんよ」
新八がジトリとした目で返事をすると、近藤は手を横に振った。
「違う違う、そうじゃなくて!いや、それもいつかは教えて欲しいんだけど」
「教えねぇって言ってんだろ!」
「新八くんは手厳しいな」
近藤は豪快に笑いながら新八に尋ねた。
「最近新八くんたちは夜出掛けてるかい?」
「夜ですか?」
遊ぶ金がたんまりあったら、二八蕎麦や天麩羅を食べに夜の町へ繰り出せただろう。あいにくこの店にはその余裕はない。新八はふるふると首を横に振った。
「ないですね」
「そうか、そうか」
近藤はどこか安心したような面持ちで笑った。何かあったのかを聞く前に、誰かが口を挟んできた。
「近藤さん。こんな所で油売ってんじゃねぇよ」
「おお、トシじゃねぇか」
近藤に『トシ』と呼ばれた男は、十四郎という名の岡っ引きである。十四郎は近藤の隣にどかりと腰を下ろすと、煙管に口を付けて長く煙を吐き出した。
「早くとっ捕まえねぇといけねぇのはアンタだって分かってるだろ」
十四郎に詰められ、近藤はしおしおと肩を落として話を聞いていた。やはり何か事件があったらしいと、新八は黙ってその場で耳をそばだてた。
「おいこら、メガネ。一丁前に盗み聞きしてんじゃねぇぞ」
「あっ、やっぱりバレました?」
十四郎に凄まれたため、新八は諦めて注文を伺った。二人の注文を受けて団子を焼いている銀時の所に向かうと、銀時が不機嫌そうな眼差しで新八を見た。
「アイツらと何話してた?」
「ああ、何か事件があったみたいで。夜出歩いてたか聞かれました」
「ふぅん」
「銀さんは最近夜飲みに行きましたか?」
「イッテナイヨ」
「声ちっさ!ちょっと!アンタまたツケで飲んだんですか⁉」
年末にとんでもない額のツケを精算させられたんじゃ堪らない。この後しっかりと問い詰めなければと、新八は思った。
近藤たちが店を出て行った後、客の一人が新八に声を掛けた。
「あんまり進展してねぇみてぇだな」
「何かあったんですか?」
客は周りをキョロキョロと見回した後、口元に手を添えて小さな声で言った。
「この辺りで人攫いがあったらしいよ」
夜に出掛けて行ったきり帰ってこない人間が、この十日間で七人もいるらしい。最初は遊び歩いているんだろうと思っていた家族たちも一向に音沙汰がない事におかしいと町奉行へ駆け込んだ。奉行所は捜査を始めたが犯人の様相も被害者の痕跡もない。巷では神隠しではないかという噂も広まっていた。
「しかも、若ぇ男や女ばかりが狙われてるって話らしい」
「そうなんですか」
近藤の質問の真意が分かった。そんな難事件を抱えておきながら水茶屋に来るのはいかがなものかと思ったが、おそらく新八たちを心配して来てくれたのだろう。後でお妙に夜の外出は控えるように伝えておこうと、新八は思った。
※※※
「あー今日も働いたぜ。もう明日休みにしねぇ?」
「何言ってんですか。せっかく姉上が招いてくれた好機を逃すなんてもったいないですよ」
「えー」
新八は布団を敷きながら、ぶうぶうと文句を垂れる銀時を窘めた。銀時は布団の上で腕を枕にして寝転がると、着物の中に手を突っ込んで腹をぼりぼりと掻いた。
「昼にお妙にぶつけられたところがまだ痛ぇわ」
「確認しましたけど大丈夫そうでしたよ」
「いーや、ぜってぇ腫れてるね。おい、ちょっともう一回見てくれよ」
銀時に言われて、新八は渋々銀時の目の前に座ると頭に手を伸ばした。
すると、突然銀髪の間からぴょこんと三角の獣の耳が飛び出てきた。新八はぱちくりと目を瞬かせると、ムスッとした顔で銀時を睨んだ。
「もう驚きませんよ」
「何だよ。昔はキャッキャ笑ってくれたのによぉ」
銀時の頭から生えた獣の耳はピクピクと動いた。そして、着物の裾から立派な尻尾がスルスルと伸びて来て新八の頬を撫でた。新八が擽ったそうに顔を背けると、尻尾は下へと下がっていき、腹にやんわりと巻き付いた。
「僕はもう子どもじゃありません」
「俺からしちゃ大抵の人間はガキだよ」
そりゃそうだろと、新八は思った。なぜなら銀時は人ではないからだ。耳や尻尾の形から狐だと推測できる。本人からも狐の妖怪のようなものだと言われたが、詳しくは教えてくれなかった。この事を知っているのは新八だけだ。お妙や他の人には何故だか銀時の耳や尻尾は見えていないようで、以前仕事中に尻尾で団扇を扇いでいる姿が新八には見えたが、他は誰も気付かなかった。
「銀さんも夜に出歩くのは控えてくださいね」
「俺が人間に負ける訳ねぇだろ」
「そうじゃなくて、ツケで飲み歩くなって言ってるんです」
「へぇへぇ、分かりましたよぉ」
銀時からの気のない返事に新八はカチンと来て、腹に巻き付いていた尻尾を両手でむんずと掴んだ。
「もう今日は一緒に寝ません。勝手に一人で飲みにでも何でも行ってください」
「いやいや、それとこれとは話がべ、いででで!おい、乱暴に扱うなって!」
銀時は慌てて起き上がると尻尾を解こうと躍起になっている新八の身体をぎゅうっと抱き締めた。
「銀さんが悪かったから。な?そんな寂しい事言うなよ」
「……またそうやって子ども扱いする」
新八は不貞腐れたように言った。昔からそうだ。新八が怒ったり泣いたりすると、銀時は新八を抱き締める。店を任されるようになっても変わらない。新八にとっては嬉しくもあり、若干腹立たしい時間。これで機嫌が良くなってしまう自分も大概だなと、新八は心の中で独りごちた。
「とにかく、夜は気を付けてくださいね」
「わぁったよ。お前も出歩くんじゃねぇぞ」
銀時は新八を抱き締めたままゴロンと横になった。どうやら寝る気らしい。新八も仕事で疲れた心身を労ろうと、早々に夢の世界へと旅立っていった。
「人攫い……ねぇ」
暗い闇の中で銀時の赤い双眸がギラリと静かに光った。