チョコはいくつ貰うかよりも誰から貰うか「よし!できた」
新八は達成感に包まれながら、ふぅと息を吐き出した。その目の前にはハートや星といった様々な形に固められたチョコレートが並んでいる。初めてにしては上出来じゃないかと、新八は思った。
「あとは銀さんが帰ってくるのを待つだけか」
新八は台所から玄関の方に視線を向けた。
バレンタインデーが女性から好きな男性にチョコレートを渡すロマンチックな日だったのは今や昔の話。近年は友人、家族、はたまた自分自身へのご褒美といった多種多様な相手にチョコレートを渡すようになった。そんな中、姉のお妙がすまいるでチョコレートを客に配るのだと話してくれた。『それでまたお店に来てお金を落としてくれるならチョコレートの1つ2つ安いものよ』と笑うお妙の言葉に、新八はそうだと閃いた。万事屋でもバレンタインにチョコレートを配ろう。そうすれば後々の依頼に繋がるかもしれない。こうした地道な種まきが無ければ花は咲かないのだ。
新八はすぐになけなしの金を持ってスーパーに向かった。ひとまず試作品を作ってみよう。万事屋には甘味に一等うるさい男がいる。銀時に味見してもらってゴーサインが出れば配布用のチョコレートを量産しようと、新八は心に決めていた。しかし、お菓子作り初心者の新八にとってレシピ本に載っているガナッシュやトリュフは、いかんせんハードルの高過ぎる物であった。そこで、湯煎したチョコレートを型に入れて固める最も失敗しにくいレシピを参考にしたのだった。
新八がワクワクとドキドキが入り交じった眼差しでチョコを見ていると、向こうでガラガラと玄関の開く音がした。
「たでぇま」
のんびりとした銀時の声が聞こえ、新八はドキリと心臓が鳴った。新八は少し緊張気味に『おかえりなさい』と返した。
いつもなら洗面所に向かう足音が真っ直ぐに台所へ向かってくる。おそらく匂いでバレたのだろう。ドタドタと床を鳴らして台所に着いた銀時の目は期待に満ちていた。
「おい、なんかチョコの匂いがするんだけど」
「そりゃしますよ。さっきまで作ってたんですから」
銀時は新八の隣に立つと、綺麗に並んだチョコをしげしげと眺めた。
「めずらしい事もあるもんだな」
「明日はバレンタインでしょ。だから作ってみたんです」
そう言って新八はチョコを一粒摘んだ。
「はい、銀さん」
目の前にチョコを差し出された銀時は大きく目を見開いた。
「俺に?」
「そうですけど?」
銀時はキョロキョロと辺りを見回した後、乱雑に頭を掻いた。
「本当に俺でいいわけ?」
どこか落ち着きのない銀時を疑問に思いつつ、新八は銀時の掌にチョコを乗せた。
「感想聞かせてくれませんか?」
銀時はチョコと新八を交互に見つめた。そして、おそるおそるチョコを口に運んだ。
「どうですか?」
一体どんな評価を下してくれるだろうか。新八は期待と不安の板挟みになりながら銀時の感想を待った。銀時は眉間に皺を寄せ神妙な顔をしながらゆっくりと口を動かし、ゴクンとチョコを飲み込んだ。
「うめぇよ」
小さく呟かれた言葉に、新八は心の中でガッツポーズをした。
「良かった!初めて作ったから美味しくできたか不安だったんです。ありがとうございます」
新八は笑顔で銀時にお礼を伝えた。
「これ食わせたくて俺のこと待ってたの?」
「はい。銀さんに1番に食べてほしくて」
「ふーん」
銀時はふいと目を反らした。その頬が少し赤く見え、新八はおやと首を傾げた。
「どうしました?」
「別にどうもしねぇよ」
銀時は言いにくそうに反論した。しかし、視線はウロウロしているし、手は忙しなく首や頭を掻いている。明らかに様子がおかしい。新八は銀時を追及しようとしてやめた。それよりも今は大量にチョコを作る方が先決である。
「じゃあ、銀さん手洗ってきてください。その後チョコ刻んでもらってもいいですか?」
「は?」
銀時は唖然とした顔で聞き返した。
「えっ何?これ何のチョコ?」
「ああ。いつもお世話になってる人たちに配るためのチョコです」
「はぁぁぁ!?」
あっけらかんと言い放った新八に向かって銀時は盛大に声を張り上げた。
「あれ?言ってませんでしたっけ?」
「聞いてねぇよ!なんだよ、それ。俺ぁてっきり……」
その声は徐々にトーンダウンし、やがて聞こえなくなった。どうやら何かを期待していたみたいだが当てが外れたらしい。明らかに落ち込んでいる銀時を見て、新八は少しだけ申し訳なく思った。
「えぇと、それでチョコなんですけど」
「俺が作る」
「はい?」
顔を上げた銀時は新八を恨めしそうに睨み付けた。
「俺が作るって言ってんだよ。こんな小学生女児みてぇなもんじゃなくて、洋菓子屋が小便漏らして腰抜かしちまうくれぇのハイクオリティのやつをよぉ」
「わ、悪かったですね!小学生女児みたいなクオリティで!ていうか、さっきは美味しいって言ってくれたじゃないですか!」
「あれは◯治の企業努力を褒めたんだよ」
「これロ◯テですけど!?」
新八は態度がガラリと変わった銀時に戸惑った。何が嫌だったんだろう。新八はチョコを一粒摘んで食べてみた。うん、美味しい。普段お菓子作りをしない人間にしては上手く出来たと思うのだが、やはりプロ(?)の目は厳しかったということか。それとも他に何か問題が?どちらにしても、銀時が作るならこのチョコはもう必要ないだろう。新八は近くにあったタッパーにチョコを移し始めた。
「何してんの?」
「家に持って帰ろうかと思って」
「何で?」
「銀さんが作るなら僕のは別にいらないでしょ」
少し自棄になりながらせっせとチョコレートを移していく。すると突然チョコを摘まんでいた手首を掴まれた。
「俺が食う」
「えっ?」
新八はキョトンとした顔で銀時を見つめた。
「だぁかぁらぁ、俺が食うって言ってんだよ」
「別に無理しなくてもいいですよ」
「無理じゃねぇよ。甘いもんなんていくつあったって困りゃしねぇし、この量ならお前も怒らねぇだろ?」
「でも、銀さんが作った物の方が美味しいと思うんですけど」
「いいんだよ」
銀時は真剣な光を瞳に宿して力強く言った。
「俺はこれがいいの」
「そ、そうですか」
気に入ってはくれたのか?でも、何で皆に配っちゃ駄目なんだろう。浮かんだ疑問と戦っている新八の手は、いつの間にか銀時は己の口元にあった。
「つーことで、いただきまーす」
「うわっ!」
チョコを摘まんでいた指が突然暖かな粘膜に包まれ、新八は悲鳴を上げた。指に分厚い舌が絡み付く。ヌルンと指先を舐められ、新八の肩が震えた。口の熱い感覚と甘いチョコの香りに酔いそうになる。ようやく銀時の口から解放された指先は溶けたチョコで茶色に染まっていた。
「ちょ、ちょっと何してんすか!?」
「お前が離そうなかったのが悪ぃんだろ」
銀時の飄々とした態度に、新八は信じられない気持ちで銀時を見つめた。そこまで糖分に執着していただなんて。せめて自分で持って食べろよ。
すぐに新八は水道の蛇口を捻り、冷たい水に指を突っ込んだ。生暖かい感覚が消えてホッとする。無心になろうと懸命に手を洗っていると、後ろで銀時が得意気な声で言った。
「あのタッパーのチョコは俺のもんな」
「はぁ、分かりましたよ」
濡れた手を拭いた新八は一気に疲れた気持ちになりながらチョコを全てタッパーに移し、銀時に手渡した。
「1日で空にしないでくださいね」
「ああ。大事に食うわ」
銀時の返事に新八はドキリとした。本当に大事そうに聞こえる柔らかな声と表情に思わず目を奪われる。銀時の顔をボーッと見つめていると、突然銀時に名前を呼ばれた。
「新八ィ」
「は、はい!」
「袋詰めはお前に任せるから、ラッピング用の袋とリボン買ってこい。どうせチョコばっかに気ぃ取られて買って来てねぇんだろ」
「あっ!」
たしかに、チョコばかりに気を取られてラッピングの事を完全に失念していた。新八は慌てて割烹着と三角巾を外すと、薄い財布を引っ付かんだ。
「すみません、ちょっといってきます!」
「いってらしゃーい」
新八が万事屋を出ていくのを見届けた後、銀時はタッパーを開けてチョコを一粒取り出した。
「ったく、紛らわしい事しやがって」
ポイッと口の中に放り込み、舌を使って優しく転がす。トロリと溶けていく甘いチョコレートの味は企業努力だけでは得られない幸福感を銀時に与えた。新八が作ったチョコ。新八が銀時に味見してほしくて作ったチョコ。ついつい頬が緩んでしまう。
「そうホイホイと他の奴らに食わせて堪るかってんだ。俺だって今年初めて貰ったっつーのによぉ。つーか、俺って全然脈なしわけ?」
まぁ、脈のあるなしは一旦置いておこう。これは長期戦なのだから。じわりじわりと追い詰めて最後は銀時の元に堕ちてくれればそれでいい。銀時はタッパーを社長机の引き出しに大切にしまうと、台所へ戻っていった。