薄桃色の手紙 ホワイトヒルを濃く覆う雪雲が消え、日差しも暖かくなり始めた頃のこと。
「手伝って貰ってすまないな。」
「別に良いって。ダンデの読んでる本にも興味あったし。」
「別に、変わったものは読んでいないぞ?」
「そういうことじゃねぇのよ。」
壁の一面の天井まで続く大きな本棚にはポケモンに関する小難しい本から、トレーニングに関する最新雑誌まで。途中から入り切らなくなったものは本棚の周りへと積み上げられて所々雪崩が起きている。一言で言えば雑多な部屋の中でそんな掛け合いをしながらキバナとダンでは本の整理に勤しんでいた。
「専門書は残して…雑誌類は処分で良いんだろ?」
「ああ。気になる記事は大体全部スクラップブックにしているからな。」
「オレさまの記事とか?」
「あるぜ。スキャンダルの以外は。」
スパッと返ってきた回答に対して、流石にここで「見てみたい」なんて言えなかった。ダンデをちょっと揶揄うつもりで聞いたことがとんでもない藪蛇だったので、キバナは急にキリッとした顔になって静かに作業をし始める。
時折パラパラとページを捲る音と、本を重ねる音。そして2人分のささやかな足音だけが響く時間が続く。沢山あった本達も殆ど仕分けられ、伽藍とした棚が何処となく寂しさを感じさせる。
「お、これまた懐かしい本があるな。」
静かに作業をしていたキバナであったが、本棚の端の方にひっそりと並べてあった本を見てたまらずといった声が出る。それは、『ガラルのひとびと』と表紙に柔らかなフォントで書かれた子ども向けの図鑑だった。
「オレさまも子どもの頃よく読んでたな。」
「それ、父さんから旅に出る前に貰ったんだ。『ガラルを旅するなら、もっとガラルを知りなさい』って。」
「良いお父さんだったんだな。」
「ああ…チャンピオンになった後も父さんの病室でよく一緒に読んでいたんだぜ。旅の話をこの本のことと交えながら話すと凄い喜んでくれたんだ。」
「良い思い出だな…オレさまも、この本で見たドラゴンタイプのページを擦り切れるくらい読んでたなぁ…何ページだった…おわっ!」
懐かしさから2人揃って表紙の絵を眺めていたが、キバナがページをパラパラとしてみると、薄紅色の紙吹雪のような物が本の隙間からこぼれ落ちてきた。
「なんだこれ…花…びら?」
踏まないように恐々としゃがみ、指先で摘んだそれは薄紅色の小さな花びら達だった。
「…あ!そこに挟んでたんだったか。」
「んっ?コレってもしかして…。」
「ああ、君と一緒に退屈な式典を抜け出して登ったあのサクラの花びらだ。」
「マジか!あの時のオリーブさんめっちゃくちゃにブチギレて怖かったよなぁ。じゃあ、これ10年くらい前のやつじゃん。よく残ってたな。」
「まあ、その頃から本棚に入れっぱなしにしてしまったからな…。」
「……じゃ、尚更ちゃんと持っていかなきゃな。」
「うん…そうだな。」
キバナは床に散らばった花びらを丁寧に集めてもう一度本の間に挟む。
「お義父さんの所に顔出す時、式典の話もしてみようぜ。」
「君が調子に乗ってもっと上まで登ろうとしてアオガラスにつつかれた話か。」
「そしてお前がそのアオガラスに驚いてケツから盛大に来賓の上に落っこった話だよ。」
「それは内緒にしてくれ…。」
キバナから手渡された本を胸の前に抱えながらダンデは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「それ、あっちに持っていく荷物の所に置いてきなよ。本は後ガムテープで封して終わりだし、先にキッチンの食器出してて。すぐに手伝いに行くから。」
「ありがとう。じゃ、任せた。」
本棚のあった部屋と同じ様に伽藍とした室内。部屋の真ん中に積まれた段ボールの横。愛用のリュックの上に先ほどの本をそっと置いてから、ダンデはもう一度部屋を見渡した。
明日、ダンデは引っ越す。キバナと新しい暮らしを始めるための場所へと。
「(父さんに話したい事、話せなかった事が沢山あるな…。)」
もう記憶が朧げになるくらい久しく足を運んでいなかった父の眠る場所。長方形の無機質な石になってしまった父を見たくなくてずっと避けていた。でも今なら、キバナと一緒ならきっと。
花屋で1番大きな花束を作ってもらって、父が好きだったクラボのジャムを挟んだスコーン。それとポットに温かな紅茶も用意しよう。何せキバナと過ごした10年分だ。時間がいくらあっても足りないのだ。後、父が見たがっていたこのサクラの花びらも父の上に降らせてみよう。きっと最初は驚くけれど、最後はクシャッと目を細めて笑ってくれるはずだ。そんな事を考えて、いつの間にかダンデの顔には笑みが浮かんでいた。
「さて、後一息だな。」
そう気合を入れ、腕まくりをしてキッチンへと向かう後ろ姿を、風に揺れるカーテンだけが優しく揺れながら見守っていた。ずっとずっと見守っていた。