山本冬樹、ぎっくり腰になるの巻(超仮題) 魔女の一撃。そう言われていることは聞いたことがあった。言い得て妙だな表現だな、と他人事のように感じた。いや、正確には他人事ではないのだが。しかし、現にオレは今その一撃を食らって動けなくなっている。まさか、こんな何でもない動作で起きるとは思ってもみなかった。めちゃくちゃ痛ぇし動けねえ。
何故こうなったのか、経緯を振り返りたい。なんとか受かった倉庫作業の夜勤で、全員揃ってラジオ体操をしているときだった。何時ものように正直めんどくせぇなあと思いながら、音楽に合わせて伸びをした時だった。腰に激痛が走り、思わず情けない声が出た。立っていられず、床に倒れ込む。いやマジで痛いなんだこれ無理。
「っ〜〜〜〜! い、痛い……いててててて!」
「山本さん⁈」
チーフが血相を変えて駆け寄って来たが、あまりの痛みと衝撃で言葉が出ない。体を動かそうとしても、腰に激痛が走ってどうしようもない。痛みで汗が吹き出し、涙目になってきた。
「えっ……もしかして、ぎっくり腰やっちゃった?」
「ぎっ、くり……? い、いてててててて!」
「こりゃぎっくり腰だな。山本さん、立てる?」
「む、り……です……!」
「誰かー! 担架持ってきて! とりあえず救護室に運ぶぞー!」
あれよあれよという間に担架に乗せられ、救護室に運ばれた。その間も腰が痛くて、揺れるたびに情けない声を上げてしまった。恥ずかしいやら情けないやら申し訳ないやらで涙も出てきた。
「こりゃあ、今日の勤務は無理だなあ。どうする山本さん、一人でこれから夜間診療行ける?」
「まだちょっと、厳しい……ですね」
仕事柄、こういう事態に慣れているのだろう。チーフがテキパキと応急処置をしてくれた。冷却スプレーをかけてくれたり、湿布を貼ってくれたり、痛くない体の向きで寝かせてくれたり、我ながら情けないがされるがままになっていた。
「ルームシェアしてるんだっけ? 同居人くんに連絡してみて、夜間診療付き添ってもらいな。湿布と痛み止めくらいは出してくれるだろうから」
「はい……」
「じゃ、俺はとりあえず現場戻るから。なんかあったら、業務用ケータイに連絡して」
「はい、すみません……」
「腰のトラブルはよくあるからなー。とりあえず、お大事に。また後で様子見に来るわ」
パタンとドアが閉まり、チーフの足音が遠ざる。救護室に静けさが戻る。カチコチと秒針の音だけが響いている。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
情けなさのあまり深く長いため息をついた。腰は痛いし動けないし情けないし申し訳ないし、あっヤバい泣きそう。
「旬くん、電話出てくれるかな……」
キャバクラは今ちょうど忙しい時間帯だ。電話に出てくれるかは怪しい。とはいえ、今の状態だと一人では動けない。現状頼れるのが旬くん一人しかいないのも事実だ。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
先程よりも深く長いため息をつき、電話をかけた。プルルルル……と呼び出しはしているが、やはり出ない。最悪、留守電にしようかと思ったときだった。
「冬樹さん? どうしました?」
「………………旬くん……あのね、申し訳ないんだけどさ……迎え、来てもらえる?」
「え? 今からっすか?」
配膳の合間に出てくれたのだろうか、ガヤガヤと賑やかな声とBGMが聞こえる。正直電話に出ると思っていなかったので、ちょっと驚いた。
「あのさ、その……ぎっくり腰やっちゃったみたいで、今動けないんだよね」
「…………」
「旬くん? 聞こえた?」
「…………えええ?! 大変じゃないですか!」
「声がでけぇ! あ、いてててててててててて」
「ええええと、店長に相談してきます! 待っててください、可及的速やかに迅速にダッシュで早めに早急に大急ぎで向かいます!」
旬くんの馬鹿みたいな大声に釣られて思わず大声で返すと、また腰が痛んだ。痛みに悶絶している間に、電話は切られた。旬くんはこちらに来る気満々だが、果たして店長が許してくれるのか。無理なら、何とか自力で夜間診療に行かなければ……。
「いてててて……」
ところで、今めっちゃトイレ行きてぇんだけど動けないこの状況でどうしたらいいんだ?
腰の痛みと尿意に耐えて、約小一時間ほど経った。とてつもなく長く感じると同時に、膀胱の限界も感じつつあった。
「あ、電話……」
画面に目をやると、今井旬の文字。本当に仕事を抜けて来てくれたのか……。
「もしもし……」
「冬樹さあん! 大丈夫ですか⁈ 今、近くまで来てるんですけど! あの、中に入るにはどうしたら!」
「だから声がでけえ! いててててて!」
迎えに来てくれたのは正直物凄く助かるが、大語でわあわあ喚くのは止めてもらいたい。とりあえず、社員用通用口の場所を教えて一旦電話を切った。すぐにチーフの業務用端末に電話をかけ、同居人が迎えに来てくれた旨を伝える。
『オッケー、じゃあ警備員に医務室まで案内するように伝えておくわ』
「すみません、ありがとうございます」
電話を切るのと前後して、外から聞き覚えしかない声が聞こえてきた。ドアが開き、見慣れた銀髪の青年の姿が目に入る。旬くんを見てここまでホッとしたのは初めてのような気がする。
「冬樹さあん! 大丈夫ですか⁈」
「大丈夫ではない……いろいろと……旬くん、来てくれて早々に申しわけないんだけどさ」
「はい! 何でも言ってください!」
「……尿意が限界だから、トイレ行くの手伝ってくれるかな……」
「はい! 喜んで!」
「いや、居酒屋じゃねーんだからよ」
いくら恋人とはいえ、十も下の青年にトイレに付き添ってもらうのは正直めちゃくちゃ恥ずかしい。しかし、背に腹は代えられない。痛みに呻きながらなんとかトイレに辿り着いた。尿意と膀胱はギリギリのところでなんとか耐えることが出来た。職場でぎっくり腰の上、失禁までしたら社会的にアウト過ぎる。
その後、旬くんに頼んでロッカーから荷物と着替えを持ってきてもらった。着替えるのは困難なので、とりあえず作業着の上にコートを羽織った。
「夜間診療……ってどこでやってますかね」
「そうだな……検索しねーと分かんないよな」
「あ、そうだ! 小戸川様に聞いてみましょうか!」
「……やっぱ、あのタクシードライバー使ってここまで来たのか」
「ちょっと待っててくださいね~」
旬くんが、タクシードライバーに電話をかけている。恐らく、外で待機させているのだろう。例の事件にも深く関わったタクシードライバーの小戸川のことを、旬くんはとても信頼している。ちょっと何かあるとすぐ相談しているし、何かにつけてタクシーを呼んでいる。専属運転手か何かかよ、と思うほどだ。向こうは仕事だからそこまで気にはしていないだろうけれども。……俺は、あのタクシードライバーに対して凶行を働きかけたことがあるから、正直彼にはあまり会いたくないのだが。
「冬樹さん、小戸川様が知り合いの病院に連絡してくれるそうです。普段は夜間診療やってないけど、ぎっくり腰くらいなら多分診てくれるだろうって」
「それは、有難いけど……いいのかな」
「あ、もう連絡来た。もしもし、小戸川様? はい、はい、あっ診てくれるって⁈ じゃあ、今から出ますね!」
「マジか……」
旬くんに付き添われながらなんとか社員通用口までたどり着くと、見覚えのあるタクシードライバーの姿が目に入った。
「……どうも」
「ぎっくり腰とは、あんたも立派なオッサンだな」
「じゃあ小戸川様、そのお知り合いの病院までお願いします!」
「はいはい」
夜の街をタクシーが走る。向かっている病院は、こタクシードライバーの主治医でもあり、友人でもあるらしい。……もしかして、例の看護士が勤務している病院なのだろうか。時間的にはもう仕事は終わっていると思うが、鉢合わせはしたくないな……。