今日も今日とてデスク業務が立て込んでいる。
そんな中で、時折やたら気の抜けたため息が聞こえてくるのは今日は何度目だろうか。
「はあー……」
人のこめかみをぴくりと反応させるこのため息の主はエルスマン大尉のもの。
大尉のこういった姿を見るのは珍しくない。
なんだったら日常茶飯事と言ってもいい。
けれど我々情報省のメンバーはこのため息に触れたくはない。
触れてしまったら最後、エルスマン大尉の惚気地獄の犠牲者に成り果てるから。
「はあ〜……あ〜」
それにしても今日は回数が多い。
なんなの。
鬱陶しいことこの上ないわ。
どうせこの(一応)上官の婚約者であるミリアリアさん関連であることは、今までの経験でわかっている。
このため息に最初の内はちゃんと反応してしまい、何度痛い目をみたことか。
そしてこのやたら気の抜けた腹の立つため息は、大体が深刻な悩みでないことも、不要な経験をしてしまったことにより知っている。
過去に安易にどうしたんですかと聞いてしまった時には、
「ミリィが会うたびに綺麗になってて毎回外でのデート中に我慢するのが大変」
とか、
「ミリィにちょっとエッチな下着をプレゼントしたらちゃんと着てくれると思う?」
とか。
思わず、ミリアリアさん、婚約解消は今からでも遅くないですよ、と思ってしまうようなしょうもない悩み事…いえ、ただの惚気を聞いただけだった。
(ちなみに後者はセクハラで訴えようかと思ったけど、中佐の心労を考えて思い留まった。)
この人がミリアリアさんとのことで深刻に悩んでいる時は、逆にこのため息は出てこない。
表面上は普通を装っていてわかりにくい。
けど、ふと気に掛けて彼を見ると、プラントの人工的な青い空を見ていたり、デスクに飾られたミリアリアさんからのプレゼントだという風景の写真をじっと見ていたりする。
その時の表情はなんとも言い難いもので、まるで見てるこっちも切なくなった記憶がある。
な・の・で。
今回のは大丈夫。全っ然心配する必要性はない。
寧ろ私たちは折れてはいけない。
私たちの時間は無限じゃないんだから。
この業務を片付ける時間を溶かされないようにここは乗り切らなくちゃ。
というかこの人はなんでそんな余裕なのかしら。
はるかに私たちより多くの業務を持ってる筈だけど、彼はずーっと手にした端末と睨めっこしている。
「はぁー〜……」
「………。」
カタカタカタカタ。
やたら神経を逆撫でするため息と、私のキーボードを叩く音だけが部屋に響く。
不幸中の幸いか、今現在はこの部屋には私とこの人だけ。
つまり、私がこの人の餌食にならなければいいだけのこと。
「あ〜〜……」
「………。」
耐えろ、耐えるのよ、シホ!
例えこの男が(一応)上官だとしても!!
情けは無用よ!
「なぁシホー」
「はい!?」
……………………………。
………………しまった。
イラッとし過ぎてつい咄嗟に返してしまった。
ああもう、今日は日付が変わる前に帰ろうと思っていたのに。
この男ほどじゃないにしろ、私も何日も自宅に帰れていなくて、今日こそは自宅のベットで就寝出来ると希望を抱いていたのに。
私のその希望はこの瞬間に薄らぎ、絶望した。
でも反応してしまったからには仕方ないわ。
ここからこの男から垂れ流される惚気や、ミリアリアさんが気の毒になるこの男の妄想話をとっとと終わらせる流れにもってくまでよ。
私は誇り高きザフトレッド。
そしてジュール中佐に仕える者として、このくらいの難局切り抜けてみせるわ!
「シホってイザークと結婚する時、一緒にウェディングドレス選びたい派?」
「はい!?!?」
あんなに意気込んでたのに、さっきと全く同じ返しをしてしまった。
………と言うか何?
この男は今なんて言ったの??
「だからー、イザークと結婚するとしたらさ、結婚式のドレスは一緒に選びたいかどうかって聞いてんの。」
「……あの、質問の意図が全くわからないんですが」
本当にこの男は何を言ってるんだろう。
まず、私と中佐はそういう仲じゃないし…。
…私が一方的にずっと憧れているだけで。
最近は確かに、少しずつディナーのお供をさせていただいたりして距離が近くなった気はするけど、結婚とか以前に交際とか、そういったことは、全然…。
って違う。その話は今は置いておいて。
「いやーミリィがさぁ、式のドレスを決めに今度試着しに行くって言っててさ。
俺も一緒に行きたいって言ったら、俺が来ると何枚もドレスを選んで、お色直しを何回もする羽目になるから嫌だって言われてさ。」
あぁ、なるほど。
確かにこの男は聞いてもいないのに、
普段からミリアリアさんにはアレが似合うとかこの色が似合うとか飽きずにベラベラと喋っている。
そんな男が確かに純白のウェディングドレスと一回のお色直しのドレスだけで終わらせる気は確かにしない。
「あの、それが私とちゅ、中佐とのけ、け、…
…………私と中佐に何の関係が?」
「だからさー、こういうのって一緒に決めるのも楽しみの一つだったりするだろ?
でも式当日のサプライズにして女性だけで決めるケースも聞くし、シホはどうなのかなって聞きたくてさー。」
私の意見を聞くために中佐の名前を出す意味がわからない。
この男は恐らく、私がこの人の話に耳を傾けるようにするだけの為に中佐の名前を出したに違いない。
本当にこんなどうでもいいことに、なんて無駄に頭を使う男なの。
「……私の希望を聞いたところでどうもこうもないじゃないですか。だって要は一緒に選びたくて今こうして不満を言ってるんですよね?」
「んー。それが俺もちょっと悩ましいんだよ。
確かにミリィの似合うドレスを一緒に選びたいけどさ、当日のお楽しみにして俺を喜ばせたいって可愛く言われちゃったからさ。その気持ちもすげー嬉しかったりはするワケよ。」
「……………。」
この男は、確か私の上官で、
ここ情報省ではジュール中佐の右腕として、時に狡猾な男とも称される男、なはず。
明らかにミリアリアさんに上手いこと言いくるめられてることに、普段のこの人なら気づいてても可笑しくないはず。
なのにそれに気付かずに浮かれてるこの男は、果たしていつも見てる大尉と同じ人物なのだろうか。
それとも気付いた上で乗っかっているのだろうか。
……………というか正直本当にどっちでもいい。
ミリアリアさんのドレス姿は素敵だと思うし、私も楽しみだけど、それに纏わるこの男の心情は心底どうでもいい。
ダメだわ。
呆れ過ぎて心が荒み、そして心が折れそうになっている。
何とか上手いことこの話を終わりに持っていかないと。
そうよ、こういう時は大体は折衷案が解決してくれるはず。
「でしたら、大尉がミリアリアさんに着て欲しいドレスの希望をいくつか伝えて、多少は意見を汲んでもらうようお願いしたら良いのでは?
一緒に選ぶ事はできなくても、事前にドレス姿を大尉が見ていなければ、当日のサプライズにしたいミリアリアさんの希望も通りますし。
大尉がミリアリアさんに着て欲しいドレスの候補を伝えれば、ミリアリアさんだって少しは大尉の希望を汲んで大尉が喜ぶドレスを選んでくれると思いますけど。」
とは言えアナタは絶対にミリアリアさんのドレス姿ならなんだって喜ぶでしょうに。
とは思いつつも言わずに。
なかなか妙案を言った気がするわ。
コレでサッサとこの話終わらせてくれないかしら。なんて希望を持てたのは一瞬だけだった。
この上官の次の言葉が私の疲れ果てた心を完全に絶望の地へ落とすことになる。
「実はそれ提案したんだよな、すでに。」
「え、そうなんですか?」
「うん。そしたらさー」
「そしたら?」
「希望が多すぎて決めにくいから却下って怒られちゃった」
「…………。」
もう嫌だ。
帰りたい。
でも仕事が終わってないから帰れないこの男のせいで。
可愛く怒られちゃった、じゃないわよ。
私はミリアリアさんじゃないから全然可愛いと思えないわよ、ミリアリアさんがコレを可愛いと思うのかは知らないけれど。
あぁジュール中佐、この難局はどうしたら突破出来るのでしょうか。
「あ、一応見る?俺がミリィに送ったミリィに着て欲しいドレスの希望一覧。」
………ミリアリアさん、やっぱりこの人との結婚はやめた方がいい気がします。
なんか今、その希望一覧とやらのデータを見せられてますが、膨大過ぎてだいぶ気持ち悪いです。
あ、ミリアリアさんも既にコレは見たあとでしたね…ミリアリアさん、私は尊敬します。
普通こんなもの見せられたら私なら即婚約破棄する気がします…。
いくら中佐でも………、いやまず中佐は絶対こんなデータ作りません断じて。
「ミリィってさ、背中やうなじも綺麗だから絶対ウェディングドレスの似合う種類の範囲が広いんだよ。
色白で美肌だから似合う色も多いしさ。
結婚式ってやっぱ女性にとって特別な日だろ?
だから俺はミリィにとって最高の一着をやっぱ一緒に選びたいワケよ。」
…だからどうせアナタはその最高の一着を決めるまでに、絶対にあーだこーだ言うからミリアリアさんに試着の同行拒否をされてる訳じゃないですか。
なんて突っ込みはもう既にする気力は私には完全になく。
「…ソウデスネ……」
「それにさ、当日は式だけじゃなくて夜もあるわけじゃん?絶対とびきり可愛いミリィをやっぱ抱きたいじゃん?
いや、ミリィは何着ても最高に可愛いけどさー」
………ジュール中佐……。
私はいま、貴方がすごく恋しいです。
いえ、いつも恋しいですが、どうか。
どうか早く、一刻も早く帰ってきてこの男に雷を落としてくださいー!!!
私はすでに難局を突破するという意思と心が折れ。
ただただ白目を剥きそうな表情で相槌を打つ私に、この上官が惚気続けたままその後1時間が経過した。
そして会議より戻られた中佐が私の状態を見て大尉に雷を落としたものの、この戦いは勝者・大尉で終戦となった。
ちなみに大尉によって妨害された事でストップした私のデスク業務は、中佐によってそのまま大尉に回されたのは当然の結果だと思う。
そして後日。
ミリアリアさんがプラントに仕事で滞在した際、
久しぶりにお会いしたのに複雑な顔をしてしまった私。
そんな私を見て心配してくれたミリアリアさんにジュール中佐が事の顛末を話してしまい、大尉とミリアリアさんに一悶着あったらしいけど、
きっとそれは私のせいではないと思いたい。